齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

東嶺円慈 生誕と出家

2012年01月14日 | 東嶺円慈
久々に歴代住職を更新しようかと、齢仙四世千嶽和尚を調べていたのですが・・・
三世黙道和尚から千嶽和尚の間があいていたのと、その間(黙道和尚が亡くなる3年前になりますが)に東嶺大和尚が生まれておられましたので、こちらを先にご紹介しようと思います。

写真は齢仙寺にあります東嶺禅師の頂相(ちんそう)です。
齢仙寺は、東嶺円慈ゆかりの寺です。


江戸幕府の第8代将軍徳川吉宗時代。
宗教・経済・文化・交通が盛んになりつつあった時代に、交通な盛んな五街道のひとつ、中山道に面したところに齢仙寺の檀家で薬屋を営む中村善左衛門家がありました。(江州小幡町駅出町)
先祖は、伊庭、源氏の流れをくむ佐々木四郎高綱の三男と言い伝えられています。

この中村善左衛門と露の間に、1721年(享保6年)4月14日、東嶺禅師は生まれました。

師が5歳の時、日向(九州大分県)の古月和尚が中村善左衛門家に泊まられたのですが、その時に子供ながらも古月和尚に心酔し、「大きくなったらこの和尚に師事し、苦しみの多い世間の人々に光明を・・・」と考えられたとか。

しかし、師が長男であったこと、また情もあって、両親は出家を許さなかったと言われています。

それでも師は出家をあきらめず、数年を過ぎてもなお出家の志が堅く続いて動かなかったので、遂に両親も心を決められたそうです。

そして、当寺の紹介により1729年(享保14年)、師が9歳の時に、能登川大徳寺の亮山和尚のもとに預けられたのです。

亮山和尚は非常に厳しい方であったそうですが、師は14歳までに学びとれるものはすべて、というように学ばれたということです。禅門のしきたりを覚え、経典を諳んじ、昔の禅僧の語録から四書五経まで読破したといわれています。