齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

不雨花猶落(あめならずして はな なお おつ)

2017年01月31日 | 今月の言葉
皆さん

如何 お過ごしですか?

当地は先月の23日から大変な雪に見舞われました。

1月の言葉が「擔雪填井」だったので 

天帝が小衲を試してみんとて雪を頂戴したのかと思ってしまいました。

今回は、除雪をしても、除雪をしてもどんどん積雪して

門前の川に雪を捨てると、多すぎて、

ホントに雪で川が埋まってしまったかのようでした。(笑

今でも、日陰や除雪の無い道では車の底を擦って走ってるような状況です。

平素は雪の少ない当地ですが、

豪雪地帯の皆様のご苦労を少し経験させて頂きました。



さて、早いもので、年明けからひと月経ってしまいました。

今月は怠惰なわが身の時の流れを思い

「不雨花猶落」を掲出させて頂きました。

ご高覧頂ければ幸いです。







不雨花猶落(あめならずして はな なお おつ)

此の語は無風絮自飛(かぜ なくして いと おのずから とぶ)と続く。

「絮」(いと・じょ)は柳の綿毛の付いた種。



咲いた花は散る

雨に打たれて散る花もあれば、雨でなく風に煽(あお)られて散る花もある。

また、咲いた花でなく、蕾(つぼみ)でも落ちる時がある。

かくの如くに世のうつろいは無常である。



だからこそ、今、ここだけが確実な「生」なのだ。



昨日をもう一度生きることはできない。

だからといって、昨日までの失敗や不義理、不摂生などは帳消しにはならない。



明日はまだ来ないから不確実だ。



ならどうする。

昨日までの総括を今日の生き方にあらわし、

明日の不確実に期するよりも、今を悔いなく過ごし、

例え明日が無くても臍(ほぞ)を噛(か)むことがない今日の過ごしが大切だろう。



若くして旅立った知人の一周忌を迎えるにあたり、

怠惰なわが身の日常底を慚愧(ざんき)する小衲(しょうのう)である。



お知らせ

二月五日 齢仙寺 涅槃会
 

平成二十九丁酉如月




擔雪填井(ゆきを にのうて せいを うずむ)

2017年01月10日 | 今月の言葉
本年もよろしくお願いいたします。


一年の計を立てるに当たり、

あまり、真面目で、結果を想定した、面白くもない計を、

お立てになられるのは如何かと思い、

無功用(むくゆう)、無功徳(むくどく)の世界の美しさを

少しでも知って頂ければと存じ、「擔雪填井」をとりあげました。

なかなか、凡夫には上手く説明できませんでしたが、

少しでも、此の語を味わっていただく端緒になればと存じます。




擔雪填井

読みは『雪(ゆき)を擔(にの)うて井(せい)を填(うず)む』
「擔」は「担」の旧字です。

意味は『雪を運んで井戸をうずめる』ということです。

常識で考えれば

「雪をいくら井戸に放り込んでも井戸は埋まらない。愚行である。」と

一笑に付されそうな行為であります。

徳雲という高徳の方の、衆生済度のための愚行に徹し尽くした行いを

示した語といわれますが、ここは我ら凡夫にとっての語として捉えて

みましょう。



日々の我々は合理性や効率を求め、成果を重視します。

しかし、この世には報われないことや成果の出ないことは山盛りあります。

だからといって、課題に対し、「ムズイ」「ムリ」と

早々に棒を折ってしまっていいのでしょうか。

それでもトライし続ける姿にこそ「人の"一心"の美しさ」を見るのでは

ないでしょうか。



この語は「成果が出ない、叶わない、報われないと思う事柄でも

永遠の課題として一心に取り組むこと」と受け止めてみようではありませんか。


一年の計を立てる時、このような観点も取り込んでみてはいかがでしょう。


お知らせ

一日 午前中 年賀受け

二日 祈祷諷経

三日 配札(年始廻り)

七日 節会

十四日 初観音

平成二十九丁酉睦月