齢仙寺雑記帳

滋賀県にある臨済宗妙心寺派のお寺、齢仙寺の日々のお話

お知らせ

2012年11月28日 | お寺の行事
ふたつのお知らせです。

「成道会(じょうどうえ)」のお知らせ

来る12月9日(日曜日)午後1時より齢仙寺に於きまして、「成道会(じょうどうえ)」を厳修いたします。
「成道会(じょうどうえ)」は、お釈迦様がお悟りを開かれた(成道)12月8日を記念して、全国の仏教寺院において催されます。
お経のあとは、法話会があります。布教師さんは名古屋の林貞寺さまです。
どうぞ、みなさま、お参り下さい。


「東嶺(とうれい)禅師」さまの墨跡展のお知らせ

現在、花園大学の歴史博物館※にて、齢仙寺ゆかりの「東嶺(とうれい)禅師」さまの墨跡展が齢仙寺の什物を中心に行われています。
※花園大学は、住職が日頃お世話になっています。歴史博物館はそんなに広くはありませんが、博物館相当施設です。


出町の中村修さまのお宅の前、西川常三郎さまと島田育男さまのお宅の間の旧中山道に面して「東嶺禅師御誕生地」という顕彰塔が建立されているのをご存知でしょうか?

東嶺禅師さま(東嶺和尚さま)は、享保六年(1721年)四月14日、当地にあった薬屋「中村善左衞門」家にて母露さんとの間にお生まれになって居られます。

その後、厳しい行脚と修行の末、現在の臨済宗のみならず黄檗宗までもの全ての臨済宗派系の根本的立脚点となっておられる「白隠(はくいん)禅師」さまのお弟子としてその法を受け継がれ、多くのお寺の建立(例としては静岡県三島市の龍澤寺など)や禅僧育成、世間の教化に尽力され、白隠禅風の興隆に大きな一翼を担われました。

「白隠あっての東嶺か、東嶺あっての白隠か」と言われています。

東嶺禅師さまは、寛政四年(1792年)齢仙寺にてご遷化されています。

ご両親、特にお母さんの露さまのことは心に掛けて居られ、西日本(当時の江戸以西)を往来される都度、齢仙寺に立ち寄られ、法筵(説法)をひらかれました。

ご両親のお墓は齢仙寺に今もあり、また、ご両親や祖先、また多くの縁者の菩提を弔うために齢仙寺墓所中央に総檀歯髪塔を建立されました。

今回の墨蹟展では、その歯髪塔の中に納められ、供養された方々のお名前を記した「大過去帳」も出品しています。

ご縁のある皆様方のご先祖の法名も記載されています。

また、以前に佐野美術館、滋賀県立琵琶湖文化館、三島市郷土館などに出品した、齢仙寺に伝わる多くの什物を出品しています。

花園大学の歴史博物館は、京都妙心寺の近くで少し距離はありますが、ご関心のある方はどうぞご参観くだされば幸いです。

2012年12月15日まで行われています。

休館日がありますので案内をご参照下さい。

パンフレット

ご案内

ご案内(花大)


11月のことば 「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」

2012年11月04日 | 今月の言葉
11月ですね。秋が来たと思ったらもう冬、というような感じですが、みなさまおかわりありませんか?

さて今月のことばは、

「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」

最近ことばもことばの説明も漢字が多くていや、という声もあり、ちょっと住職は落ち込み気味(笑)
来月はひらがなのことばになったりするのでしょうか。

さて「壺中日月長(こちゅうじつげつながし)」の意味です。

後漢書に、日本の浦島太郎のお話ととても似ているお話があります。

「壺の中に仙境があり、そこは玉堂厳麗、旨酒甘肴があふれるほどあって、十日ほど過ごしたつもりが十数年も経っていたという仙話」

そんなお話からこの語は出来ているのですが、
「壺中」は壺の中の別天地、仙境をいい、それが転じて悟りの妙境をあらわします。

「日月長」は悟りの世界には時間の流れが無くて悠々としていることをあらわします。

つまり、この語は「苦」に満ちた娑婆世界の二元対立の葛藤が、心のあり方を変えてみれば、そこには悠々自適の日常性が展開すると示しているのです。

平たい例で言えば、大きくローンを組んで頑張って入手した我が家も、十分な広さを確保はできていない。しかし、「狭いながらも楽しい我が家」であることもまた事実。

政治が悪い、社会が悪いというばかりでなく、自分の生きる意味を楽しんでみる日々をどうしたら過ごせるか。

ちょっと、執着、毀誉褒貶、損得、軽重、美醜などの葛藤からステップアウェイしてみませんか