2019年のブログです
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斎藤環さんの『家族の痕跡-いちばん最後に残るもの』(2010・ちくま文庫)を再読しました。
家族のちからについての鋭い考察で、良くも悪くもちからのある家族の存在を再確認させられます。
例によって、印象に残ったことを一つ、二つ。
一つめは、ひきこもりの家族にも見られるダブルバインドのコミュニケーション。
言葉と表情とで違うメッセージが発せられるダブルバインドは統合失調症の家族に多いとされますが、ひきこもりの家族にも見られ、治療的にはダブルバインドをなくする方向がいいと述べられます。頷けます。
これに関連して、コミュニケーションとは、情報の伝達ではなく、情緒を伝えること、ということも述べられます。
二つめは、臨床家が扱う記憶というのは、事実ではなく、心的現実や幻想である、という主張。
これも大切な視点だと思います。
三つめは、世間というもののちから。
こころの病いになる方に世間のちからが悪く作用しがち、と述べます。
そして、世間の目に左右されない「自明性」はプレエディパルな二者関係の世界で形成され、思春期や成人後もその「自明性」の空間は機能し、家族はその器の一つである、と述べます。
なかなか難しいですが、家族の大切さをうまく説明している文章だと思います。
さらには、家族が世間の目に右往左往しない強さも必要でしょう。
家族のちからという視点をさらに意識しながら、今後の臨床にあたりたいと思いました。 (2019.9 記)