ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

神田橋條治『発達障害をめぐって-発想の航跡・別巻』2018・岩崎学術出版社

2023年11月30日 | 精神科臨床に学ぶ

 2018年12月のブログです

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 神田橋さんの『発達障害をめぐって-発想の航跡・別巻』(2018・岩崎学術出版社)を読みました。

 神田橋さんの名著『発想の航跡』の中から発達障害に関係する文章を選んだということですので、さっそく読んでみました。

 ちなみに、『発想の航跡』はとてもいい本なのですが、かなり高価で、貧乏なじーじはなかなか買えずに、たまたま家庭裁判所の図書室にあったのを借りて読んだり、コピーを取ったりしました(神田橋さん、ごめんなさい)。

 でも、本書は堂々と(?)購入しましたので、許してくださいね。

 神田橋さん流の発達障害観はどんなかな?と思って読みましたが、やはり神田橋さん(!)、発達障害は程度の差はあれ、みんなが発達障害、と言い切ります。

 そう言われてしまえば、差別も何もなく、あるのは区別だけで、教育や訓練の対象になります。

 治療者を含めて、丁寧な訓練や教育が必要になるということで、人ごとではなく、自分のこととして取り組みざるをえません。

 本書によれば、発達障害で最近、問題になっているのが、発達障害が基盤にあって、さまざまな理由から、うつ症状やパーソナリティ障害が出てきているケースだそうで、治療が難しいといいます。

 うつやパーソナリティと思って治療をしてもあまり良くならず、治療関係が悪化してしまい、よく検討をしてみると、発達の問題が絡んでいるという具合で、現場では苦労されているようです。

 そういった場合、ただ単にうつ症状だ、パーソナリティ障害だ、と言うだけでなく、もっと丁寧な診断で、今、この人に何をしたらいいのか、という診断をしていく必要があるし、それが大切だ、とおっしゃいます。

 神田橋さんの真骨頂です。

 さらに、本書の圧巻は、ケーススーパーヴィジョン。

 人と話すことができない、という主訴の女性で、神田橋さんの見立てでは、発達障害と愛着障害の人だそうです。

 丁寧なカウンセリングで少しずつ話せるようになりますが、その過程を神田橋さんが適切な質問で明確化をしていき、本当に感心させられます。

 本当にすごいなと思いますし、じーじも少しでもこんなふうになりたいなと思います。

 印象に残ったのは、カウンセリングで双方が退行をするためにはきちんとした枠を契約することが大切、というご指摘があって、本当にそうだなと思いました。

 他にも、クライエントさんにも考えてもらうこと、アイデアを出してもらうことの大切さやセルフモリタニング能力を高める工夫、クライエントさんのためになる心理検査の工夫、などなど、学ぶことが多くありました。

 さらに読み深めていきたい、いい本だな思います。  (2018. 12 記)

 

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沢木耕太郎『深夜特急2-マレー半島・シンガポール』1994・新潮文庫-ひとり旅を読む

2023年11月30日 | 随筆を読む

 2018年11月のブログです

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 沢木耕太郎さんの『深夜特急2-マレー半島・シンガポール』(1994・新潮文庫)を再読しました。

 これまでに書いてきたようないきさつで、なぜかジグザグに出発点に遡るような形で読んでいますが、じーじの場合、これもまたいいのでしょう(?)。

 この巻では、海外へのひとり旅に出ることになったいきさつやその前の大企業に就職が決まっていたのに一日でやめてしまったエピソードなどが語られ、沢木さんの破天荒ぶりにびっくりしますし、なるほどそういうことだったのか、と改めて了解ができるようなことが書かれてます。

 旅の仕方も後の巻に比べるとまだまだ初々しいですし(?)、ニュージーランドから来た同じような若者たちを先輩づらをする沢木さんも初々しく感じます。

 意識してそう書いているわけではないのでしょうが、そういうことがわかるって、文章の面白いところでしょうし、人生にも通じることなのかもしれません。

 そして、沢木さんの魅力は、へんな偏見がないところでしょうか。

 娼婦のいるホテルに長逗留をして、娼婦だけでなく、そのヒモさんたちとも友達になったり、食べ物は現地の人たちが食べるものが一番おいしいと言ったり、構えずに庶民的です。

 なかなかできることではありませんが、理想です。

 なお、今回の巻末対談のゲストは、なんと、高倉健さん。

 沢木さんがモハメド・アリの試合のチケットを高倉さんから譲ってもらい、そのレポートを高倉健さんに手紙で書いて送って以来の仲だそうですが、健さんが本当に信頼して、気を許している様子が窺えて、ほほえましいです。

 そして、お二人がお好きな国がポルトガル。

 やはり、ポルトガルはいい国のようです。

 じいじいのじーじでも、チャンスがあれば行ってみたくなりました。

 さて、残るは第1巻。

 年末の大掃除で見つかるといいのですが…。

 かなりの恥ずかしがり屋さんのようで(?)、上手にかくれんぼうをしていますので、どうなりますやら…。   (2018. 11 記)

 

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マスコミの「不倫」「離婚」報道を見て考える-じーじのひとりごと・セレクト

2023年11月29日 | ひとりごとを書く

 2017年9月のブログです

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 このところ、マスコミによる「不倫」報道がにぎやかですね。

 週刊誌、テレビ、新聞、あちこちでたいへんな騒ぎです。

 今は、北朝鮮のミサイルと「不倫」がトップニュースです。

 ミサイルと「不倫」(?)、すごい組み合わせですね。

 「不倫」…、たしかによいことではないと思うのですが、天下のマスコミが大騒ぎをするようなことなのかな(?)とも思わないではありません。

 「不倫」をうんぬんするのは、配偶者が家庭裁判所に慰謝料請求の調停を申し込めばいいわけで、本来、他人が口をはさむ問題ではありません。夫婦の関係は微妙ですからね…。

 マスコミのみなさんは、「不倫」報道のために、朝から晩まで、晩から朝まで、ご苦労なことだと思います。

 しかし、報道人を志したのなら、「小悪」より「巨悪」を追及してはどうでしょうか。

 今回の「不倫」報道と北朝鮮のミサイル問題で、ひと息をついている「巨悪」がいることを忘れてはなりません。

 「不倫」報道が「巨悪」追及を緩めるようなことになってしまっては、本末転倒です。

 今、マスコミが追及すべき「巨悪」は「森友」問題や「加計」問題における政府やお役人の不正の有無です。

 政権やお役人からの圧力はたいへんなものがあろうかと想像をしますが、負けてはいけません。

 マスコミ本来の報道人の反権力の力を見せてください。

 ついこの間までの「巨悪」追及のすばらしい力ある報道が、再び復活ののろしをあげることを期待しています。 (2017.9 記)

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 2022年5月の追記です

 なぜか、本日、5年前のこの記事に「いいね」を付けてくださったかたがいて、褒められて伸びるタイプのじーじは(?)、ついうれしくなって、再録をしてしました。

 なにがきっかけなのか、ニュースに鈍感なじーじにはさっぱりわからないのですが(ここしばらくは不倫報道もなかったし、ひょっとすると、北朝鮮のミサイルで大騒ぎをしているマスコミに腹を立てたのでしょうか?ミサイルで騒げば騒ぐほど、再軍備化をもくろむ憲法改悪勢力の応援になってしまうわけですから…。でも、もし、間違っていたら、ごめんなさい)、いずれにしても、何度も読んでもらえるような記事を書くことが目標のじーじにはうれしいできごとです。今後ともよろしくお願いいたします。 (2022.5 記)

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 2023年6月の追記です

 北朝鮮のミサイルと不倫、今も同じような話題ですね。

 巨悪の森友や加計の問題はもはや忘れ去られそうで、粘り強いマスコミの頑張りに期待したいです。

 一方で、マイナンバー制度や敵基地攻撃能力の問題など、新しい国家権力の問題が出てきています。

 マスコミの鋭い問題意識と追及で政府の横暴を粉砕してほしいなあと思います。 (2023.6 記)

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 2023年11月の追記です

 最近は、不倫ではなくて、離婚騒動がマスコミで盛んです。しかし、スポーツ選手であれ、芸能人であれ、離婚や不倫の問題をマスコミが報道するのはプライバシーの侵害です。人権侵害です。

 しかし、それにしても、またまた、北朝鮮のミサイル、いや、人工衛星(?)の問題と同じ時期なのは偶然でしょうか。

 離婚と人工衛星、すごい組み合わせです。マスコミにはどっちが重要ですかね。他にも問題が目白押しなのですが…。  (2023.11 記)

 

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横山知行「『正しさ』の向こうに」2012・遊戯療法学会ニュースレター

2023年11月29日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2012年12月のブログです

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 新潟大学の横山知行先生の「『正しさ』の向こうに」を読みました。

 いいエッセイだと思いました。

 ある意味、痛快な文章です(横山先生は温厚なかたですから、じーじのように過激な表現はなさっていませんが…)。

 エビデンスの必要性に触れながらも、エビデンスだけでは測れない大切なもの、実証的な「正しさ」だけでは測れない大切なものの存在、それを忘れないことの大切さを述べられていると思いました(間違っていないと思うのですが…)。

 そして、遊戯療法における「間」の重要性を指摘され、ホイジンガさんを引いて遊びの時空間の中で展開される豊かな世界を掬い取ることの大切さを述べておられます。

 ホイジンガさんは以前に読んでいたのですが、大切なところを読み落としていました。

 もう一度、じっくりと読み直そうと思いました。

 いい課題をいただけたと思いました。

 改めて、遊戯療法の、そして「遊び」の奥深さを知らされた一文でした。  (2012.12 記)

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 2023年11月の追記です

 今から11年前の文章です。

 ホイジンガさんはまだきちんと再読をしていません。勉強不足です。

 できればカイヨワさんとウィニコットさんもきちんと再読をしようと思っているのですが…。頑張ります。  (2023.11 記)

 

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東直己『半端者-はんぱもん-』2011・ハヤカワ文庫-ススキノ探偵シリーズの前日譚です

2023年11月29日 | 北海道を読む

 2019年12月のブログです

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 東直己さんの『半端者ーはんぱもんー』(2011・ハヤカワ文庫)を再読しました。

 東さんは札幌在住の小説家。

 『探偵はバーにいる』や『バーにかかってきた電話』などが有名で、映画化もされています。

 本作は、そのススキノの探偵が、まだ北大在学中の前日譚のできごとを描いた小説です。

 主人公は後日譚を想像させるようなお酒とギャンブルの生活を送りながらも、どこか一本、筋のとおった生き方をしていて、そこが魅力。

 まだ北大哲学科を中退する前で、一応、勉強もしている身であり、親友の高田(続編にも登場します)に誘われて、ミルトンさんの『失楽園』(!)の抄読会などにも真面目に参加しています。

 そして、家庭教師のアルバイトも複数、こなしています。

 しかし、生活の基本はお酒であり、おつまみです(なんだか今のじーじみたい)。

 その主人公が、ちょっとしたことからフィリピンダンサーがらみの事件に巻き込まれ、大変なことになります。

 最後は、……読んでのお楽しみ。

 まだ若き日の桐原というヤクザも登場し、物語に深みを与えます。

 本書はなぜか、しばらく息子のところにあったらしいのですが、今回、戻ってきて、再読をしました。

 久しぶりに読みましたが、やはりいい小説です。

 いい小説が読めて幸せです。  (2019.12 記)

 

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田中千穂子さん・プレイセラピー・親子同席セラピー-じーじのカウンセリング日記

2023年11月28日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2019年12月の日記です

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 田中千穂子さんのプレイセラピーの本を読んでいると、母子同席セラピー(別に父子同席でもいいんだけれど)のお話がよく出てくる。

 子どもさんを遊ばせながら、お母さんの悩みごとの相談をされている田中さんは、とてもていねいでこまやかな面接をされていて、感心させられる。

 そんな時に、不思議と子どもがいろいろな出来事をしでかしてくれて、お母さんはふと子どものお母さんに戻って、安心させられる場面が出てくる。

 母子同席のいいところだと思う。

 これが逆に、子どもがギャンギャン泣いているのに、ほったらかしで、自分の悩みに没入しているような時は、ちょっと心配。

 治療者が子どもに声掛けをしたりして、お母さんの現実感覚を少し揺さぶったりするだろう。

 親子同席面接の醍醐味はここにある。

 じーじのカウンセリングで、親子一緒を拒否しないのも同じ理由だ。

 親ごさんがどんなに悩んでいても、子どもと一緒の時は親ごさんになる。そのことはとても大切だろうと思う。

 悩みながらも親ごさんらしく、そんな親ごさんと一緒に問題を考えていきたいと思う。  (2019.12 記)

 

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沢木耕太郎『246』2014・新潮文庫-2歳の娘さんへのお話とおとなへのお話たち

2023年11月28日 | 随筆を読む

 2018年12月のブログです

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 沢木耕太郎さんの『246』(2014・新潮文庫)を再読しました。

 以前読んだ時に、いい本だな、と思った記憶があったのですが、今回、読んでみると、すごく面白くて、そして、いい本でした。

 すごく面白い理由の一つは、沢木さんが当時2歳の娘さんが寝る前にしてあげるお話のせい。

 読んでいて、とてもほのぼのします。

 ここでは沢木さんは童話作家(?)。

 ノンフィクション作家としてより才能があるかもしれません(冗談です。沢木さん、ごめんなさい)。

 本書は、1986年1月から9月までの沢木さんの日記風エッセイ。

 1986年というのは、沢木さんの『深夜特急』が出た年で、そのことがまず書かれています。

 ちなみに、246、とは国道246号線のことで、当時、沢木さんの仕事場があった場所だそうです。

 沢木さんが、自宅から仕事場に行こうとすると、娘さんが、いかないで、と言って、沢木さんが仕事を休んでしまうシーンもあり、微笑ましいです。

 とっても面白いお話、興味深いお話、真面目に考えさせられるお話と、結構厚めの文庫本は中身が充実していますが、じーじが個人的に面白かったのは、みつばち農家を取材したお話。

 福音館書店の『たくさんのふしぎ』という本に『ハチヤさんの旅』(のちに1987年5月号として掲載)というお話を書く仕事の取材で、みつばち農家に同行するのですが、ある時、小さな女の子がいる農家さんのご希望で沢木さんの2歳の娘さんも一緒に行くというできごとがあり、案の定、とんでもないドタバタ劇になってしまいます。

 しかし、それもある程度想定をしての父子での取材旅(?)は、とっても楽しいお話でした。

 そして、そこで取材がかち合ったテレビ局クルーの過剰演出をさらりと批判する沢木さんもなかなか素敵です。

 いろんなことを考えさせられ、また、楽しくなれる、いい本です。 (2018.12記)

 

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大平健『顔をなくした女-<わたし>探しの精神病理』1997・岩波書店-「わたし」とは?

2023年11月27日 | 精神療法に学ぶ

 2019年6月のブログです

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 大平健さんの『顔をなくした女-<わたし>探しの精神病理』(1997・岩波書店)を再読しました。

 大平さんの『豊かさの精神病理』や『やさしさの精神病理』シリーズの一冊、精神科臨床での丁寧な面接風景が描かれます。

 こういう面接をしてみたいな、と思いますし、こういう場面を描写してみたいな、と思いますが、まだまだ力不足です。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 まずは、表題作の、顔をなくした女。

 兄嫁への恨みから発病をした女性、顔がない、と訴えます。

 面接を重ねるうちに、兄嫁より家を継がない兄への恨みが判明しますが、兄にあわせる、顔がない、こともわかります。

 ミステリアスな患者さんの訴えが、精神科面接で少しずつ明らかになっていく様子がすごいです。

 もう一つは、多重人格の女性。

 当時はまだ日本における多重人格の、流行前、の時期ですが、大平さんの面接は慎重で、かつ、丁寧で、感動的です。

 こちらも面接を重ねるうちに、少しずつ出現する人格が減少していき、強い抑圧の結果、人格が分裂せざるをえなかった女性の悲劇が判明します。

 粘りづよく、患者さんをあくまでも大切にして、寄り添っていく大平さんはすごいの一言です。

 まるで推理小説を読むような、見事な治療ですが、やはり患者さんへの愛と尊敬が根本にあることがよくわかります。

 そういう臨床家に少しでも近づけるよう、じーじも謙虚に研鑽を続けようと思います。 (2019.6 記)

 

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村上春樹 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)1991・講談社文庫-『羊をめぐる冒険』の世界へ

2023年11月27日 | 村上春樹を読む

 2019年6月のブログです

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 村上春樹さんの 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)(1991・講談社文庫)を再読しました。

 なんとなく、あらすじの一部をぼんやりと覚えているような気がしていたので、再読がしばらくぶりになってしまいましたが、細部はほとんど忘れていたので、例によって(?)、またまたとても新鮮な気分で読んでしまいました。

 さきほど、読み終えたばかり、この感情をどう表現したらいいのか、戸惑います。

 やはり、すごい小説です。

 今まで思っていた以上にすごいです。

 読むほどに、生きる経験を積んで読むほどに、うなずけることと不思議さの両方が、哀しみや微笑みや笑いととともに増えていきそうな小説です。

 そう、この小説の中で、読者は人生を生き、哀しみ、苦しみ、喜び、そして、死を眺めるのだと思います。

 生きることのしんどさ、辛さ、苦しさが描かれます。

 そんな中での小さな喜び、楽しさ、スリルが描かれます。

 読みながら強く感じるのは、生きることは哀しいですし、少しだけ楽しいこと。

 そんなことを感じさせてくれる小説ではないでしょうか。

 一方、偽りの幸せを生きる危険や生きたまま死んでいるかのような虚飾の生き方の危なさも描かれます。

 真に生きるとはどういうことなのか、子どもからおとなまで、区別なく、村上さんは真摯に描きます。

 若者もおとなも深く考えさせられる、いい小説だと思います。 (2019.6 記)

 

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大平健『診療室にきた赤ずきん-物語療法の世界』1994・早川書房-童話と物語のちからに学ぶ

2023年11月26日 | 精神療法に学ぶ

 2019年春のブログです

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 大平健さんの『診療室にきた赤ずきん-物語療法の世界』(1994・早川書房)を再読しました。

 この本も久しぶり、本棚の隅に隠れていたのを見つけてしまいました。 

 何種類かの付箋とアンダーラインがあって、少しだけ内容にも記憶がありましたが、今回もなぜか(?)新鮮な気持ちで読めました。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、ねむり姫の童話。

 不登校になった真面目な女の子に、大平さんさんはねむり姫の童話をお話します。

 いろいろあって、女の子はしばらく休学し、その後、登校を再開します。

 大平さんは、親にできることの限界を指摘し、子どもは親から自立する時、外からやってくる他人の助けが必要になることを説明します。

 二つめは、三年ねたろうの童話。

 ひきこもりになってしまった青年に、大平さんは三年ねたろうの童話をお話します。

 人が新しい人生を生きるためには、時に内省の時期が必要と説明します。

 こんな調子で、いろいろな童話がお話しされます。

 加えて、大切だと思われたことは、患者さんが安心できる物語を提示することの大切さ。

 適切な物語を、少しのユーモアを交えて提示できる時に、患者さんは物語を納得して、新しい生きる力を獲得できるようです。

 そして、安心できる物語、それは患者さんだけでなく、周囲の者や治療者までにも力を与えてくれるようです。 (2019.5 記)

 

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