ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

なだいなだ『れとると』1975・角川文庫-心理療法のすごさを教えられた小説です

2024年06月27日 | 小説を読む

 たぶん2017年のブログです

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 またまた古い本を再読しました。

 なだいなださんの『れとると』(1975・角川文庫)。

 読んだのはたぶんじーじが家庭裁判所で働きはじめた頃、今から40年くらい前のことです。

 当時、じーじと一緒に採用になったのがW大の心理学科を出た優秀な同僚。 

 じーじは四流私大の社会学科しか出ていませんでしたが、彼はそんなじーじにも臨床のことをいろいろと親切に教えくれました。

 じーじたちは、仕事帰りによく駅前の居酒屋でお酒を飲みながら、仕事のことについて熱く議論をしていました(シーナさんじゃないですけど、思えば黄金の日々でした)。

 ある時、じーじが、非行少女の援助をしていて、結婚を考えるくらい真剣に応援したいな、と話したところ、W大くんが、赤坂さん、それは違います、なだいなださんの『れとると』を読むといいですよ、と勧めてくれました。

 さっそく、小説『れとると』を購入して読んでみたところ、そこには心理療法における転移性恋愛の様子がていねいに描かれていて、心理学音痴だったわたしにもよく理解できました。

 それからのじーじは、心理療法や精神医学の勉強をする必要性を強く感じて、河合隼雄さんや土居健郎さんの本などを読み始めました。

 そういう意味で、『れとると』はじーじにとってもとても重要な小説で、それを教えてくれたW大くんには本当に感謝しています。

 心理療法における転移性恋愛の問題は、専門家にも難しい問題で、フロイトさんを含めてさまざまな議論がなされています。

 本書では10歳の不登校の女の子と22歳の視線恐怖の女性の心理療法のお話が、とてもわかりやすく、細やかに描かれていて、心理療法だけでなく、女性をめぐる文学作品としても一流だと思います。

 本書には主人公の精神科医を指導するスーパーヴァイザーが出てきますが、どうも土居健郎さんがモデルのようで、その冷静さや正確さも魅力的です。

 久しぶりに読みかえしてみましたが、今でも色褪せない魅力的な小説だと思います。

 さらにいい仕事をしていきたいな、と強く思いました。     (2017?記)

 

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村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル』(第1部~第3部)1998・新潮文庫-邪悪なるものとの戦いの物語

2024年06月27日 | 村上春樹を読む

 2019年のブログです

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 村上春樹 さんの『ねじまき鳥クロニクル』(第1部~第3部)(1998・新潮文庫)を再読しました。

 これもかなりの久しぶり。ところどころ記憶がありましたが、じっくりと味わいながら読んでみました。

 少し暗いですが、重厚な小説です。

 これまでは何となく暗いというイメージが残っていて、再読が遅くなってしまいました(村上さん、ごめんなさい)。

 しかし、いい小説です。

 あらすじはあえて書きませんが、邪悪なるものの存在とそれとの戦い、そして、こころ休まるもの、ということになるでしょうか。

 邪悪なるものは世の中に確かに存在するようです。

 しかも、人々のこころの中にも確かに存在します。

 それゆえに、それとの戦いはとても困難になります。

 外部の他者との戦いはなんとかできても、自己のこころの中の邪悪なるものとの戦いは非常にたいへんでしょう。

 つい妥協しがちになるかもしれません。

 それとの関連で、ここでも戦争の残酷さや悲惨さが出てきます。

 そして、外部状況としての戦争の残酷さだけでなく、普通の庶民が、戦場でいかに残酷な行為をしてしまうものか、村上さんはおそらく怒りもこめて描きます。

 村上さんの戦争への強い抗議と、それにもかかわらずに人々が意外と容易に戦争に賛成してしまう危うさをも描きます。

 そんな中で、笠原メイという少女の存在がこころ休まります。

 決して、いい子、ではないのですが、ものごとの本質を考え、見つめようとする存在で、いわゆるトリックスターの役割でしょうか。

 硬直したものをうち破り、遊びと創造に通じていきます。

 素直な考えがいかに大切かが描かれます。

 いい小説が読めて、幸せなひとときでした。      (2019.7 記)

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 2022年春の追記です

 ロシアのウクライナ侵略の残忍さを見ていると、この小説の奥深さをつくづく感じさせられます。      (2022.4 記)

 

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