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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談、研究しています

安保法を見据えてのベトナム寄港と踏切の安全問題のニュースを見て考える-じーじのひとりごと

2025年04月21日 | ひとりごとを書く

 2016年のブログです

 (ずいぶん前の文章ですが、その後も政府のやっていることは戦争への再軍備化だと思われるので、再録します)

     *

 先日、海上自衛隊の自衛艦がベトナムの港に寄港をしているニュースを見ました。

 自衛隊の艦船がベトナムに(?)、何のためなのか、よくわかりませんでした。

 安保法のせいなのでしょうか。

 当然、中国は抗議の声明を出していました。

 それらを見て、じーじは、日本を守るために、自衛隊がベトナムにまで行く必要があるのだろうか、と単純に思いました。

 そして、ひょっとすると、太平洋戦争の前にも、これと同じような光景がアジアの各地であったのかな、と想像をしました。

 ベトナムにいる日本人を守るためにという理由で、また、中国や東南アジアの国々にいる日本人を守るためにという理由で、自衛隊があちこちに派遣されるのでしょうか。

 一方で、今日のニュースで、全国に危ない踏切がいくつもあることがわかりました。

 危ないことは以前から指摘をされていても、なかなか改善をされていないようです。

 お金の問題なのでしょうか。政府の予算の使い方の問題なのでしょうか。

 自衛艦と踏切。どちらが国民にとって切実な問題なのでしょう。

 自衛艦一隻分のお金でどれだけの踏切が改善できるのでしょうか。

 じーじはただのじーじで、特別な思想信条は有していませんが、今の時代に国防費と交通安全費とどちらが大事かと聞かれれば、交通安全費と即座に答えます。

 国民の目の前の安全を守れずに、国家を守るなんて、妄言でしょう。

 国家より、大切なのは国民の命です。

 国民の命を守れない政府が国家を守れるのでしょうか。

 弱いものをきちんと守れないような政府は最悪です。

 まずは弱いものを守ってこその政府ではないのでしょうか。

 じーじのひとりごとです。        (2016.4 記)

     *

 2024年3月の追記です

 政府が戦争への恐怖をあおることで儲かるのはおそらく兵器屋さんだろうと思います。

 軍艦、飛行機、ミサイル、戦車、などなど、大企業が儲かるものばかりです。

 飛行機は共同開発をして、輸出までするようです。

 政府にとっては、基地の地元の国民の危険性より、政治献金をしてくれる兵器屋さんの大企業のほうが大切なのでしょう。     (2024.3 記)

     *

 同日の追記です

 じーじとしては、主張がぶれていないな、と思っていますが、うちの奥さんなどは、いつもかわりばえがしないわねぇ、などと厳しいことを言います。

 首尾一貫していて、す・て・き!と思ってもらえると元気が出るのですが、人生はむずかしいものです。 

     *

 2024年4月の追記です

 踏切での死亡事故が起こってしまいました。警報機だけでもついていれば防げたかもしれません。   

 この国は何をやっているのだろう?と思います。

 自衛艦を派遣したり、敵基地攻撃ミサイルを買うより、踏切の警報機を買いませんか。          (2024.4 記)        

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テレビのニュース番組に出てくるランキングってなに?じーじ怒る!-じーじのひとりごと

2025年02月12日 | ひとりごとを書く

 2018年6月のブログです

     *

 テレビのニュース番組を見ていると、時々、ニュースのランキングというのが出てくることがあります。

 ニュースのランキング?

 たとえば、10位大阪の地震、9位サッカー初戦勝利、8位未成年者の小学生切りつけ…、といった具合。

 しかし、ニュースにランキングがつけられるのでしょうか?

 放送順ができるのはしかたないとしても、それとニュースのランキングは関係ないでしょう。

 ニュースの内容の軽重、事件の軽重、話題の軽重…、それぞれ全然別物です。

 それをごっちゃにして、ランキングをつける、無謀です。

 おそらくは、視聴率優先のあまり、そういう精神的に混乱しているとしか言いようのない事態になっているのでしょう。

 子どもの虐待のニュースの次にアイドル総選挙のニュース、その次は女子児童殺害、次に芸能人の不倫、そして、森友加計…。

 頭が混乱しそうになりますし、なにが大事なニュースかさっぱりわかりません。

 おとなだけでなく、子どもたちへの影響も心配です。

 世の中の価値観は多様なほうがいいと思いますし、特に、ニュース番組は国家権力などに影響されることは避けるべきですが、それにしても無秩序すぎです。

 できれば、新聞のようにジャンル別であればいいのでしょうが、ここでも視聴率がネックになりそうです。

 資本主義社会ですから、視聴率は大事ですが、あまりに人間性を無視したニュース番組はいずれそっぽを向かれてしまうのではないでしょうか。

 …と言いたいことを頭に浮かべながら、テレビを消して、パソコンに向かうじーじでした。         (2018.6 記)

     *

 2024年2月の追記です

 そもそも、ランキングというのがなかなか難しい存在ではないかな、とじーじなどは思います。

 例えば、司法試験の出身大学別合格者数ランキング、これだと一見、明確そうですが、その中で、現役と浪人、一浪、二浪と、九浪(?)、十浪(?)とでは、同じ大学出身とはいっても、比べることに無理がありそうな気がします。

 一見、明確そうなランキングでも、このありさまですから、他のランキングではもっと比較が難しいでしょう。

 ですから、順位づけはやめて、せめて、松竹梅の3グールプ(?)に分けるとか、そういった感じのほうが実態に近いのではないかな、と思ったりします。   

 少なくとも、日本が4位になった(?)、などとランキングで大騒ぎはせずに、物価がどんどん上がっているよねぇ、10パーセントくらいかな、というような生活実感のほうを大切にしたいものだと思います。         (2024.2 記)

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じーじが日の丸と君が代を嫌いになったわけを考えてみる-じーじのひとりごと

2025年02月11日 | ひとりごとを書く

 2024年11月のブログです

     *

 じーじが日の丸と君が代をきらいになったわけについて考えてみたい。

 じーじは子どもの頃、ゼロ戦のプラモデルが大好きだった。

 ゼロ戦だけでなく、隼や紫電改も好きだった。

 「少年マガジン」に連載されていたちばてつやさんの『紫電改のタカ』などは毎週、楽しみに読んでいた(もっとも、調べてみると、『紫電改のタカ』は反戦のマンガだったらしいが、当時だけでなく、つい最近まで、じーじはそれは知らなかった。ちばさん、ごめんなさい)。

 それがいつ頃からか、敵の戦闘機にも人間が載っていて、撃ち落されると死んでしまうんだ、とわかってきた。

 戦闘機だけでなく、戦車や戦艦にも人が載っていて、やはり人が死ぬんだ、とわかってきた。

 中学ではなくて、高校の時だったと思うが、歴史の教科書で、日本軍の兵隊さんが日の丸を背負って、中国を攻めている写真を見た。

 中国軍だけでなく、中国の民衆をも攻撃をしている写真もあった。

 これは衝撃だった。

 同じころ、ベルリンオリンピックのマラソンで優勝をした朝鮮人の選手が、日の丸を胸につけて、嬉しそうではない表情で表彰台にのぼっている写真も見た。これも衝撃だった。

 たぶん、このころから、じーじは日の丸が嫌いになったと思う。

 そして、君が代も、国民主権、主権在民とは合わない歌詞だと思うようになって、嫌いになった。

 就職の時、中学校の社会科の先生になりたかったが、日の丸・君が代の学校現場での強制が強まっていた。

 間違って裁判所に入ってしまったが、裁判所という国家権力の一端を担う現場では、なぜか日の丸・君が代の強制はなく、定年まで勤められた。

 中学校の先生になっていたら、入学式や卒業式で君が代を歌わずにおそらくくびになっていただろうと思う。

 じーじは子どもたちの入学式や卒業式に一度も出なかった。

 小心者のじーじは、子どもたちの目の前で、自分だけが起立をせず、君が代を歌わないで揉めるという勇気はなかった。

 子どもたちにはかわいそうなことをしてしまったと思うが、幸い、ばーばが君が代や日の丸に無関心な(?)人だったので、代わりに出席をしてもらって大助かりだった(?)。

 じーじの孫娘はチューリップの歌が大好きだ。

 どの花見ても♪~きれいだな♪~、という歌詞はいい。

 差別や偏見、分断とは無縁の世界だ。

 こういう国歌なら喜んで歌いたい。

 国旗もチューリップだったらいいなあ、と思う。

 日本の封建時代を壊したのは蘭学で、オランダは日本との縁が深い。

 日本の皇室とオランダの王室も仲がいい。

 チューリップの国歌や国旗は、平和と学問の象徴になりうるだろうと思う。

 こんな夢を見ていると、日の丸や君が代を尊敬することはできなくなってくる。

 他国への侵略を否定し、反省をしないのは、やはり卑怯だ。

 フロイトさんは、きちんと反省をしないと不幸を反復するという。

 他国への侵略を反復してはならない。

 日の丸や君が代が大好きな人たちに反対はしないし、歌ったり、踊ったりしてもらっても結構だが、嫌いな人への強制は困る。

 じーじは子どもたちの学校時代を除いては、日の丸や君が代に個人的な恨みはないが、嫌いなものは嫌いだ。

 困ったじーじである。        (2024.11 記)

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子どもがニュースに取り上げられることについて、子どもを中心に考える-じーじのひとりごと

2025年02月08日 | ひとりごとを書く

 2018年2月のブログです

     *

 毎日毎日いろんなニュースがテレビで流れています。

 しかし、どのテレビ局も、同じようなニュースを、同じように流していることに少し疑問を感じます。

 特に、結婚報道や離婚騒動、不倫騒動などの際(じーじはそんな報道はどうでもいいと思うのですが…)、すべてのテレビ局が三流週刊誌になってしまったような気がすることも多いです。

 せめて、政治や社会問題の解説のところだけでも、テレビ局やキャスターの個性を示してほしいと思うのですが、視聴率第一主義の風潮の中ではそれも難しいのでしょうか。

 そんな中で、時々、子どもたちがニュースの前面に出ることがあります。

 交通安全、地域清掃、保育所問題、戦争反対などなど、それ自体はとても大切なことだとは思うのですが、じーじには、特に子どもを前面に出さなくてもいいようなことにまで、子どもが利用されているような気がします。

 子どもが参加することにまで反対をするつもりはないのですが、子どもをことさら中心にすることには慎重であるべきだと思うのです。

 子どもが、けなげに「正義」を主張すると、それには反対をしにくくなります。

 しかし、「正義」はよく考えないと、時の権力や政府などに利用されることがよくあります。

 第二次世界大戦の時のヒットラーユーゲントや現在ではISの少年兵士たち、さらには、北朝鮮の子どもたちなど、子どもの純真な気持ちを権力は巧みに利用をしますので要注意だと思います。

 じーじは子どもの時に、(自分でいうのもなんですが)かなり「真面目な」子どもだった(?)のでいえるのですが、「真面目」=おとなのいうことをきく従順な子ども、というイメージが強くあります。

 中学の時の丸刈りの校則にも、いやだなとは思いつつも、仕方ないな、と従順に従っていました。

 しかし、今なら、個人の自由、表現の自由を理由にして、猛反対をしていると思います。

 年を経てみると、子どもの時の考えや行動が、いかに未熟だったか、反省をすることが多々あります。

 みなさん誰もが賛成をするようなことでも、それを進めている人たちががどんな考えの人たちかで、賛成していいかどうかは簡単には決められないことが多くあります。

 そのあたりのことをおとながきちんと判断をせずに、子どもを利用することは、子どもにとってとても酷な気がします。

 できれば、子どもの参加についてはクローズアップせずに、できるだけ静かに見守りたいものだと思います。

 そして、彼ら、彼女らが大人になって、自分の力で判断をし、決断し、行動ができるようになった時に、堂々と参加してもらいたいなと思います。

 純真な子どもたちだからこそ、おとなが下手に利用をしたりせずに、彼ら、彼女らが本当の大人になった時に、きちんと責任を持って意見を述べ、行動をしてもらいたい、とつくづく感じます。       (2018.2 記)

     *

 2022年5月の追記です

 またまた、古い記事に「いいね」をいただいたので、ずうずうしく再録をさせてもらいます。

 ロシアの子どもたちが(子どもに限らず、おとなも多いですが…)、無邪気に「Z」マークを自慢している姿が痛々しいです。      (2022.5 記)

 

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なまはげさん、秋田県庁に乱入する!-なまはげさんはやっぱりすごかった!

2025年02月05日 | ひとりごとを書く

 2016年2月のブログです

     * 

 先日のブログに、「節分の豆まきと弱っちい鬼さんを見て考えたこと-なまはげさんの怖さをぜひ見習ってほしい!」という文章を書きました。

 以下は参考までに、その再録です。

  「今日は節分、しかし、節分のニュースを見ていて、ちょっと疑問を感じました。

   なぜなら、最初から逃げ腰の弱っちい鬼さんがいたり、最初はまあまあ怖くても最後には豆まきに負けて逃げてしまう鬼さんが大半。

   それではだめでしょう(?)。

   できれば、弱っちい鬼さんには、秋田のなまはげさんを見習ってほしいです。

   なまはげさんはとても怖くて、最後まで怖いです。大人でも泣きそうになるくらい怖いです。

   ましてや子どもはたいへん。トラウマになる子どももいるかもしれません。

   しかし、世の中には無条件に怖いものがいるのです。

   そんなに都合よく怖い鬼さんが退散してくれないのが人生です。世の中は子どもが思うようにはいきません。

   ですから、鬼さんが子どもになめられてはいけません。鬼さんは毅然として存在しましょう。そのほうが子どものためになります。

   そして子どもが怖がっている時にこそ、子どもを守ってくれる親や大人が大切な存在となります。

   子どもの成長のためにも、いつまでもどこかに、怖い鬼さんが目玉を光らせていてほしいと思います」

 そうしたら、なんと、今日のニュースで、なまはげさんが秋田県庁に乱入をして、女子職員が怖がっている姿が映りました。

 さすがは、なまはげさん、おかみもお役人も怖くない(?)のですね。

 さすがだと思いました。

 なまはげさんは本当にすごいです。

 そして、やっぱり、なまはげさんはえらい!と思いました。

 本当に怖い存在なのだな、とつくづく思いました。

 怖いなまはげさんがいて、子どもたちには、そして、大人たちにも、本当によかったな、と思います。       (2016.2 記)

     *

 2022年2月の追記です

 なまはげさんのすごさは、反省のない人間をこらしめるところでしょう。

 なまけている人間だけでなく、ずるいことをしている人間を容赦しない姿がいいです。

 ずるい、といえば、今の世の中ではやはり権力にあぐらをかいている政治家の皆さん。

 国の内外を問わず、反省のないずるい政治家やお役人を怖がらせてほしいものです。        (2022.2 記)

     *

 2023年2月の追記です

 なまはげさんにはぜひロシアに出張してほしいと思います。

 ミャンマーや中国にも乱入したほうがいいかもしれませんね。        (2023.2 記)

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節分の日の弱っちい鬼さんを見て考える-鬼さんにはなまはげさんの怖さをぜひ見習ってほしい!

2025年01月31日 | ひとりごとを書く

 節分の日が近づいてきました。

 あか鬼さんやあお鬼さんたちの晴れ舞台の日ですね。

 もっとも、じーじの孫娘たちにとっては、おそろしい一日になりそうですが…(?)。

 でも、世の中には怖い存在がいるほうがいいのではないか、とじーじは思っています。

 節分の鬼さんをめぐる思いを2016年の節分の日にブログに書いていますので、再録します。   

      * 

 今日は節分、しかし、節分のニュースを見ていて、ちょっと疑問を感じました。

 なぜなら、最初から逃げ腰の弱っちい鬼さんがいたり、最初はまあまあ怖くても最後には豆まきに負けて逃げてしまう鬼さんが大半です。

 それではだめでしょう(?)。

 できれば、弱っちい鬼さんには、秋田のなまはげさんを見習ってほしいです。

 なまはげさんはとても怖くて、最後まで怖いです。

 大人でも泣きそうになるくらい怖いです。

 ましてや子どもはたいへん。トラウマになる子どももいるかもしれません。

 しかし、世の中には無条件に怖いものがいるのです。

 そんなに都合よく怖い鬼さんが退散してくれないのが人生です。

 世の中は子どもが思うようにはいきません。

 ですから、鬼さんが子どもになめられてはいけません。

 鬼さんは毅然として存在しましょう。そのほうが子どものためになります。

 そして子どもが怖がっている時にこそ、子どもを守ってくれる親や大人が大切な存在となります。

 子どもの成長のためにも、いつまでもどこかに、怖い鬼さんが目玉を光らせていてほしいと思います。         (2016.2 記)

     * 

 2018年2月の追記

 いつも楽しく拝見させていただいているある保育園のブログを見ていましたら、怖い鬼さんが登場、子どもたちはたいへんなことになっていました。

 やはり怖い鬼さんは大切なようです。

 そのあとには優しそうな天女さん(?)も登場して、めでたし、めでたし、でした。         (2018.2 記)

     *

 2023年2月の追記です

 世の中に怖いものなどいない、と誤解をすると、プーチンくんのような人間ができあがります。

 じつはなまはげさんのお仲間たちが世界中あちこちにいるんですけどね。怖いですよー。          (2023.2 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ  

    1977年、ある四流私立大学文学部社会学科を卒業、浦和、新潟家庭裁判所などで家庭裁判所調査官として司法臨床に従事する  

    2014年、定年退職間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士)を修了 

    2017年、臨床心理士になる

 仕事 個人開業で、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを研究しています

 学会 精神分析学会、遊戯療法学会会員

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

 mail  yuwa0421family@gmail.com    

   

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北海道東川町にある全国唯一の町立日本語学校で学ぶ外国人留学生の若者たち-じーじのひとりごと

2025年01月12日 | ひとりごとを書く

 寒い冬になるとじーじのふるさと北海道を思い出します。

 そして、毎年、おじゃましている東川町の外国人留学生のがんばりを思い出します。

 冬の寒さの中でもがんばっている彼らのニュースを思い出しましたので、2016年1月に書いたブログを再録します。

     * 

 先日、テレビニュースを見ていたら、じーじが毎年夏におじゃましている北海道東川町のニュースが出てきて、そこにある町立日本語学校が紹介されていました。

 全国で唯一の町立の日本語学校とのことで、毎年おじゃまをしていると、なんとなく外国人の若者が多いな、観光客ではないみたいだけれど…、国際色の豊かな街だな、とは思っていましたが、その理由がやっとわかりました。

 ニュースの中では、東川町の雪の中で台湾やベトナムなどの若者が、寒い、寒い、と言いながら、悪戦苦闘をしていましたが、そんな頑張りぶりを見て、思わず、すごいな、と感心をしました。

 ある留学生は、灯油代を節約して石油ヒーターを切った状態で寒い部屋で勉強をしており、時々寒さしのぎに廊下をランニングして体を温めていました。

 そんな彼らの奮闘ぶりを見ていると、贅沢で無駄使いをし放題の日本の若者たちが恥ずかしくなります。

 冬の東川町は大雪のふもとのパウダースノーがすばらしいところですが、毎日、生活をするとなるとやはり大変でしょう。

 それでも懸命に頑張っている彼らに拍手を送りたくなりました。

 そして、そういう彼らを温かく見守り、いつでも来て温まりなさい、と自宅を開放している地元の人たちの心も温かです。

 やはりいい町です、東川!        (2016.  1 記)

     *  

 2017年夏の追記です

 今年の夏も東川に行ってきましたが、台風で雨の多かった中でも彼らは元気でした。

 そして、じーじのようなじいじいにも、コンニチワ、とやさしくあいさつをしてくれました。

 満員電車でもシルバーシートにふんぞりかえって、年寄りが立っていても譲りもしない都会の日本人の若者とは大違いです。

 素朴でがんばりやの彼らにさらに声援をおくりたいと思います。       (2017.8 記)

     *  

 2018年夏の追記です

 今年の夏も東川に行ってきました。

 彼らの様子は、別のブログに書いていますので、よかったら読んでみてください。         (2018.8 記)

     *  

 2019年1月の追記です

 今日、ニュースを見ていたら、東川町の成人式の様子が映りました。

 外国人留学生の成人も寒さに負けずに元気に参加していました。

 みなさん本当にハツラツとしていました。

 頑張れ!東川の留学生のみなさん。        (2019.1 記)

 

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久しぶりにマスコミ「裁判官」さま(?)ではないニュースを見た!-じーじのひとりごと

2025年01月06日 | ひとりごとを書く

 2023年1月のブログです

     *

 昨夜、ニュースを見ていると、久しぶりにマスコミ「裁判官」さま(?)ではないニュースを見た。

 ところは、やはり、とある開かずの踏切。

 たまに踏切が開くと、人々は我先にと渡りはじめ、遮断機が下りてきても、それをかいくぐって渡る人が後を絶たない。

 いつものニュースだと、ここで記者が登場し、遮断機を無視する人に、「危ないと思いませんか?」などと無粋なインタヴューをするところだが、それはなし。

 かわりに、赤ちゃんをおぶって待っているママさんにインタヴューをして、「踏切が開いても、車が猛スピードで渡るので、怖いです」というママさんの声を届ける。

 弱者の立場に立ったいいインタヴューだ。

 やはりマスコミは、正義ぶった「裁判官」さま(?)ではなく、弱い立場の人々の声を代弁してほしい。

 そこの踏切に高架橋ができるのは数年後になる、という情報も流れ、自治体や鉄道会社の怠慢ぶりが自然とあぶり出されるいいニュースだった。

 ニュースはこうでなくっちゃあね。

 久しぶりに見ていて気持ちのいいニュースで、晩酌のビールもおいしく呑めて、よかった、よかった(?)。       (2023.1 記)

 

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いわゆる「戒厳令」ということについて考えてみる-じーじのひとりごと

2025年01月01日 | ひとりごとを書く

 2025年1月のブログです

     *

 いわゆる「戒厳令」ということについて考えてみたい。

 先日、韓国で「戒厳令」が出された。

 国民の反対の声が強く、すぐに撤回されたが、一時は軍隊が国会を占領し、危うい事態だった。

 反対の声を上げた韓国国民の皆さんはすばらしかったと思うし、政府の命令に消極的であった軍隊の人たちもなかなかすごかったと思う。

 もし、日本で同じような事態が生じたら、どうであろうか。

 おそらくは、日本の国民の皆さんはおとなしく事態を眺め、政府の命令で自衛隊や警察が国会や放送局などを占領して、政府による独裁政治が始まるのではないかと想像してしまう。

 権力は腐敗する、という言葉がある。

 最初はすばらしい政治家でも、いったん権力を握ると、権力を反省なしに振るうことになってしまう例が少なくない。

 政治家は通常、任期が決まっていることが多いが、権力を握った政治家は任期を延長し、独裁政治を続ける。

 こうした権力の暴走を止めるために、西欧諸国で三権分立という原理が考え出された。

 小学校や中学校でも習う基本的なことだが、権力を立法・行政・司法の三つに分けて、権力の肥大を避ける仕組みだ。

 民主主義の基本であり、国民主権・主権在民を支える大切な事項だが、権力を握った政治家はこれを守らない。

 外国による侵略を煽って軍隊を増強し、国家の統一を謳って言論の自由を抑圧し、制限して、内乱を起こしてでも権力を維持しようと画策する例が多いと思う。

 そういう例は、権力をまだ握っていないが、権力を握りたいと願っている政治家に多くいるのだろうと思う。

 言論の自由は、権力の肥大を阻止する大切な役目を果たすと同時に、権力からの自由を表すバロメーターではないかと考えられる。

 小説家や随筆家は社会の変化を敏感に感じる「カナリア」みたいな存在だ、とよく言われるが、小鳥を大切にするように、言論の自由も大切に守っていかないと、権力の横暴に鈍感になってしまうだろう。

 そんなことを考えながら、韓国や日本の政治を眺め、ロシアやイスラエルの侵略戦争を憂いている最近のじーじである。      (2025.1 記)

 

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娘が初めて巫女さんのアルバイトをした頃の思い出-子どもがおとなになっていく時を見守ること

2024年12月31日 | ひとりごとを書く

 12月に入り、ニュースを見ていると、時々、巫女さんの出てくるニュースを見かけます。

 巫女さんのニュースを見ると、じーじの娘が高校生の時に、初めてのアルバイトで巫女さんになった時のことを思い出します。

 その時の親子してのドタバタを以前、ブログに書かせていただきましたが、今年も再録します。  

     *   

 年末のニュースを見ていたら、神社の巫女さんのニュースが出てきました。

 それを見て、じーじの娘が初めて巫女さんのバイトをした頃のことを思い出しました。

 今から10数年前、娘が高校1年の冬です。

 朝早く、暗いうちからのバイトということで、親バカのじーじが車で神社まで送りました。

 大みそかの日、お昼のニュースを見ていると、なんと娘が映りました。

 いっちょまえの格好をして、熊手を渡しています。

 娘の渡す熊手でご利益があるのかな、と思いながらも、そういう娘の姿を見て、ふと、この子はじーじに何かがあっても、もう自分で生きていけそうだな、と感心したことを覚えています。

 それまで、妻と二人で、娘と息子を必死で一所懸命に育て、守ってきていましたので、少し安心した感じでした(実際には、娘はその後、私立の大学に進んだので、さらにたくさんのお金がかかったのですが…)。

 高校生のアルバイトには賛否両論があると思いますが、社会性をはぐくむという点ではいいのかもしれません。

 そんな娘も今は2人の女の子の母親。時々、孫娘たちと一緒に遊びに来ます。

 そういう時、正真正銘のじいじいになるじーじは、2人の孫娘たちを相手に遊戯療法のお稽古をさせてもらっています。

 孫娘たちも10年後、巫女さんのバイトをして、テレビに映るでしょうか。  

 二人とも美人ちゃんだからひょっとすると映るかもしれません。

 じーじの夢は果てしなく広がります。        (2014?記)

     *

 2019年12月の追記です   

 今日のお昼のニュースを見ていたら、娘がバイトをした新潟の神社で、高校生のバイトらしき可愛い巫女さんが映りました。

 寒い中で高校女子は今も頑張っているようです。         (2019.12 記)

     *

 2024年のご挨拶です

 本年もたいへんお世話になりました。

 ありがとうございました。        (2024.12 記)

 

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ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいい、という人について考える-じーじのひとりごと

2024年12月26日 | ひとりごとを書く

 2024年12月のブログです

     *

 以前、ブログは匿名の日記のようなものだから何を書いてもいいんだ、という人に出会ったことがある。

 認知症のお母さんが部屋中にうんこをして、その後始末が大変だが、頑張っている、という内容のブログだった。

 介護は大変だな、と思うと同時に、ふと、お母さんのプライドについて考えてしまった。

 それで、介護で大変なのはわかるが、お母さんのプライドはどうなるのだろう?とコメントを書いたら、表題のようなリコメントが来た。

 加えて、認知症の老人が排泄に失敗するのは当然のことで、母も理解しているから、ということだった。

 なるほど、と思う一方で、しかし、やはりお母さんが可哀そうではないか、という想いが消せなかった。

 お母さんが直接読まなくても、まったくの他人の老人がこういう内容のブログを読んだ時に、将来、自分も子どもに似たような内容のブログを書かれてしまうのでないか、という不安を与えてしまいそうに思ったからである。

 確かに、匿名なら、個人の情報は洩れないし、個人の尊厳は守られるのかもしれないが、しかし、だからといって、それでいいのだろうか。

 日記を書きたいのなら、日記帳に書くか、パソコンに書いて保存をすればいい。

 しかし、それを、匿名とはいえ、公開するとなると、誰かが読むわけで、公開をした責任が生じるのではないかと思う。

 家族や親族の悪口を匿名で書いているブログを時々、散見するが、じーじいつも悲しい気分になる。

 内容もそうだが、そういう行為が悲しい気がする。

 匿名のブログの悪い面や欠点がもろに出ている例だと思う。

 思わず愚痴をこぼしたい気持ちは十分にわかるが、匿名とはいえ、悪口やプライバシーの侵害に当たることを公表していいのだろうか。

 そういうことが許されるのだろうか。

 それも言論の自由の範囲内なのだろうか。

 いろいろと考えさせられられる最近のじーじである。          (2024.12 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通う。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事する。

 1995年頃、調査官でも落ちこぼれ、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

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あらすじを書くことと行間に漂うものを書くこと-じーじのひとりごと

2024年12月05日 | ひとりごとを書く

 2021年12月のブログです

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 本を読んで感想文を書く時、じーじはできるだけあらすじは書かずに感想文を書きたいと思う。

 そう思っても、なかなかそのようには書けないことも多いが、気持ちとしてはそういう気持ちでいる。

 なぜあらすじを書かないかといえば、ネタバレになってしまうことをできるだけ避けたいと思うからだが、それ以上に、本を読むことは、あらすじをたどることよりも、行間を読むことに意味があると思うからだ。

 あらすじをたどるだけなら、厚い本を最初から最後まで読む必要はない。

 厚い本を最初から最後まで読むのは、行間に漂っているものを感じ取りたいためだ。

 このことは特に小説や詩、童話などにおいて重要だと思うが、しかし、ノンフィクションや専門書でも同じことがいえると思う。

 作者が訴えたいこともあらすじではなくて、行間にあるのではないかと思う。

 あらすじには凝縮できないような何かもやもやしたもの、それが大切なような気がする。

 あらすじがわかっていても読んでみたくなる村上春樹さんの小説などはまさにそうだ。

 行間から何を読みとるか、そこに読者の個性が現われるし、ひょっとすると作者の思惑以上の展開があるのかもしれない。

 じーじとしては、読者がその時、行間に何を感じるのかを教えてほしいと思うし、その後、どう感じたのかを教えてほしいと思う。     (2021.12 記)

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 2023年9月の追記です

 ブログを読み返しているうちに、作品そのものとあらすじの違いが改めて認識できて、あらすじの紹介をあまり気にしなくてもいいような気がしてきた。

 作品そのものを味わったり、楽しんだり、学んだりするためには、作品の行間から感じるものを大切にするしかないのかなと思う。

 よく偉い学者さんが、入門書より、わからなくても原典を読みなさい、と勧めているのも、逆の側から見た、同じことの表現なのかもしれないと思う。          (2023.9記)

     *

 2024年6月の追記です

 読み返してみると、改めてわかりにくい文章だなと思う。

 書きたいことがなかなかはっきりせずに、その周りをぐるぐる回っている感じ。

 行間に漂うものを書けと言っても、むずかしいよねぇ。

 中学の時に宿題で感想文を書いたら、国語の先生から、あらすじはわかったから、こんどは君の感じたことや考えたことを書いてごらん、とアドバイスを受けたことを思い出す。

 感じたことをていねいにすくいとっているうちに、行間に漂うものも少しはすくいとれるのかもしれない、と今は思う。      (2024.6 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通う。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事する。

 1995年頃、調査官でも落ちこぼれ、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

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ボジョレヌーボー解禁のニュースを見て、じーじ怒る!-じーじのひとりごと

2024年11月21日 | ひとりごとを書く

 2016年のブログです 

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 先日、テレビを見てたら、ボジョレヌーボーが解禁になったというニュースが流れていました。

 どこのテレビ局でも、大騒ぎをしている映像が映っていました。

 しかし、じーじは???です。

 そんなに騒ぐことなのでしょうか。

 たしかに新酒のワインができて、それを祝うことはいいことだとは思うのですが、もっと素朴に祝えないのでしょうか。

 農家を中心に、もっと温かくお祝いをできないのでしょうか。

 そのほうが「ブドウさん」も喜んでくれそうな気がしますが…。

 おそらくは視聴率争いをしているマスコミが絡んでいるのではないか、とじーじは疑ってしまいます。

 もっともひどかったのは、ボジョレヌーボーのお風呂に入って大騒ぎをしている映像。

 なにを考えているのか、と思います。

 しかも、子どもと一緒に入っている親もいました。

 そんな子どもが、将来、ブドウや果物を大切にするようになるのでしょうか。人ごとながら心配です。

 子どもは騒ぎやニュースからは自由にしてあげたいな、と思います。 

 親が勝手に楽しむのはしょうがないとしても、子どもを親の都合や楽しみに巻き込んではいけないと思います。

 子どものことを第一に考えることは、「おとなの親」への第一歩です。

 いい「おとなの親」をめざしませんか。      (2016.12 記)

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 2022年11月の追記です

 じーじはこの頃から怒っていたのですね(!)。

 成長がないですねぇ。

 よくいえば、ぶれていないということですが…。       (2022.11 記)

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 2023年11月の追記です

 今年もワイン風呂のニュースが流れました。懲りない人たちですね。       (2023.11 記)

 

 

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マスコミは「警察官」さま(?)か?あるいは「裁判官」さま(?)なのか?・その2-じーじのひとりごと

2024年11月15日 | ひとりごとを書く

 2022年11月のブログです

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 ニュースを見ていたら、またまたマスコミ「警察官」さま(?)か、あるいは「裁判官」さま(?)の映像を見てしまった。

 ところは、大阪のとある開かずの踏切。

 1時間に踏切が閉まっているのが54分というとんでもない踏切。

 そんな踏切を放置している行政や鉄道会社の責任はとてつもなく大きいと思うが、そこに出現したのがマスコミ「裁判官」さま(?)。

 以前も指摘をしたが、違反をしている人にインタヴューをする。

 警報機が鳴っているのに踏切に入る人に、「危ないと思いませんか」「なんで警報機が鳴っているのに入るのですか」と小学生でもするような幼稚なインタヴューをする。

 インタヴューをされたあるおじさんは「待つのがいやなんだ」「みんなやっている」と当然逆ギレ。

 気分の悪いニュースとなった。

 テレビ局の記者は「警察官」さま(?)か「裁判官」さま(?)なのか。

 高い競争率を突破して記者になったのに、そんな質問しかできないのは悲しい。

 ここはやはり、「歩道橋があると助かりますよね」とか「地下道があるといいですよね」と聞いてほしいし、「行政はいつになったら高架にするんでしょうね」と確認をしてほしい。

 そういう声が、行政や鉄道会社の改善の動きを加速させるかもしれない。

 それがマスコミの仕事ではないのだろうか。

 そしてよく考えると、要は聞き方だけでなく、マスコミが誰により添っているか、という心構えの問題ではないのだろうかとも思う。

 マスコミは「警察官」さま(?)や「裁判官」さま(?)ではなく、庶民により添った、弱い者の味方のマスコミになってほしいな。        (2022.11 記)

 

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マイナンバーカードと健康保険証の連動あるいは一体化についての危惧-じーじのひとりごと

2024年10月21日 | ひとりごとを書く

 2022年10月のブログです

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 マイナンバーカードへの勧誘がすさまじい。

 特典の2万ポイントも税金から支払われるんだけどなあ、とじーじなどは思ってしまうが…。

 しかし、それ以上に気になることがある。

 それはマイナンバーカードと健康保険証の連動あるいは一体化の問題。

 内科や外科への受診歴ならそんなに気にならないかもしれないが、例えば、泌尿器科や性病科(そんな科があるのかな?)、肛門科などへの受診歴を国家が把握するのはちょっといやな気がする。

 産婦人科への受診歴はどうだろう?美容整形外科の受診歴が把握されるのはいやだろうなあ?

 もっと深刻なのは、精神科や神経内科への受診歴。

 これらの個人情報を国家が管理するのは危険だと思う。

 昔、政府によって知的障害者への強制不妊手術がなされ、最近になって民事裁判で国が敗訴、謝罪をしたばかり。

 マイナンバー制度がなくても、国の方針でこのような恐ろしい出来事が起こりえるわけだから、マイナンバーカードと健康保険証が連動するとかなり怖いし、危惧されるものがある。

 便利なことは危険を伴うということは現代社会の常識だが、マイナンバーカードについてももっともっと冷静な議論がなされる必要があるのではないだろうか。       (2022.10 記)

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 2023年5月の追記です

 マイナ保険証の大規模な登録ミスがとうとう判明した。

 自分の情報が他人のマイナ保険証に誤って登録されているという。

 7000件以上という発表だが、実際にはもっと多いのではないか。

 便利さと引き換えの危険性をもっと議論し、場合によっては、従来の安全な制度に戻すべきではないかと思う。        (2023.5 記)

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 2023年夏の追記です

 マイナンバーカードの問題があらわになっているが、将来、さらに、マイナンバーカードと運転免許証の一体化が予定されている。国が個人の違反歴や事故歴を把握してどうしたいのだろう。

 国はどこまで個人情報の一元化を狙っているのだろうと思う(新潟県ではマイナンバーカードと図書館カードの連動まで行われている)。

 さらに、預金口座の紐付け(それにしてもセンスのない命名だ)の問題。公金受領のためというが、いずれ税金徴収にも使われるのだろうと思う。

 じーじのような年金受給者はすでに、住民税や介護保険料は年金から天引きされているが、近い将来、国民全体がそうなるのだろう。国にとってはとても都合のいいシステムだ。

 このままでは、大変なことになるのではないだろうか。        (2023.7 記)

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 2024年冬の追記です

 マイナ保険証の不人気で、今度はマイナ保険証の利用率の高い医療機関に支援金を支給するという。

 支給金は税金ですよ、政府と自民党さん。

 北陸応援割もそうだが、政府と自民党のやることはお金で国民の歓心を買おうとしているだけ。

 本当に困っている人たちに寄り添っていると言えるのかな。

 キックバックやあやしいお金などで政治を動かしている人たちは、お金で国民も動かせると思っているのかもしれない。        (2024.1 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人・個人開業)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通う。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事する。

 1995年頃、調査官でも落ちこぼれ、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間際に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

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