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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談、研究しています

精神科デイケアでお昼寝をしてみました!-精神科デイケアで考える

2025年06月17日 | 精神科デイケアで考える

 2015年のブログです

     *

 精神科デイケアでボランティアと勉強をさせてもらっています。

 今日は、お昼寝!のお話です。

 デイケアでは昼食のあと、お昼休みの時間があります。

 みなさん、お話をしたり、リラックスをしたり、買い物をしたり、あるいは、和室でお昼寝をしたりして、午後からのプログラムにそなえます。

 じーじも年寄りなので(!)、午後にそなえて、のんびりとしていることが多いです。

 ところが、メンバーさんを見ていると、一部のメンバーさんですが、お昼休みでも、とてもお元気に、休み時間中、おしゃべりをしている方々がいらっしゃいます。

 それでリラックスができればいいのですが、どうも過度に張り切りすぎて、おしゃべりをしすぎている印象を受けます。

 昼休みいっぱい、おしゃべりをしていて、それで疲れてしまい、午後からのプログラムに出られなかったり、午後はソファーで居眠りをしていたり、さらには、途中で帰宅をしたりする人もいます。

 それでは何のための昼休みかわかりません。

 昼休みは午後にそなえて、ゆっくりと休まなければなりません。

 それが社会復帰の第一歩にもなります。

 そういうわけで、昼休みに、じーじは率先をして(?)、自分の席でお昼寝をすることにしました。

 考えてみれば、じーじは裁判所で働いていた時も、年を取ってからは、昼休みは電話番をしながら、自分の席でお昼寝をしていました。

 その成果が今、発揮されます(?)。

 はたして、みなさんのお手本になれるでしょうか。

 今日もまた、じいじいのじーじは、張り切って(?)、自分の席でお昼寝に頑張ります。           (2015 記)

     *

 2023年6月の追記です

 その後、おしゃべりが楽しみで、それで元気になるメンバーさんもいらっしゃるので、午後のプログラムへの出欠のことはあまりこだわらなくてもいいのでは、というご意見をいただきました。

 そういうご意見をいただき、今も時々考えています。

 メンバーさんが元気になることやその過程や方法などなど。

 なかなか難しい問題を含んでいるなあと思います。

 ともあれ、メンバーさんが元気になってくださることが一番です。          (2023.6 記)

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事   心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

 mail   yuwa0421family@gmail.com    

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精神科デイケアの音楽鑑賞の活動に参加して考えたこと-悲しみをこころから悲しむこと

2025年06月16日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年のブログです

     *

 精神科デイケアでのボランティアを続けさせてもらっています(メンバーさんやスタッフのみなさん、ありがとうございます)。

 最近、音楽鑑賞の活動に参加していて、ふと考えました。

 メンバーさんは楽しい歌やにぎやかな歌、恋愛の歌など、さまざまな歌を選んでいらっしゃいます。

 しかし、じーじはなぜか、別れの歌が多いな、と気づきました。

 小田和正さん、財津和夫さん、かぐや姫、吉田拓郎さん、などなど。

 なぜなのでしょう(?)。

 若いころに失恋や片想いの経験が多かったせいでしょうか(?)。

 そんなじーじが家庭裁判所で働いていた時に、離婚や親権などをめぐって争う人たちをいっぱい見てきました。

 そういう時、当事者のみなさんは、相手が悪い、相手のせいだ、と相手のみを攻撃したり、非難したり、うらむ姿ばかりでした。

 その姿は幸せからはとても遠いものでした。

 精神分析では、悲しみをしっかりと悲しめないと、うらみや怒りが生ずると説明します。

 別れの悲しい時には、できれば悲しみをじっくりと味わうことが必要なようです。

 じーじたちは、別れの時に、ついつい相手ばかりを攻撃しがちですが、別れの名曲にはそういう姿はなく、じっくりと悲しみをかみしめているような歌が多いと思います。

 そういう歌に触れることで、非難や怒りやうらみの気持ちが小さくなっていくような気がします。

 よき別れの歌を聴くことは、自分の汚れたこころをきれいにしてくれるのかもしれません。

 これからも悲しみをじっくりと悲しめるような歌を聴いていきたいと思います。           (2014?記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

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深田久弥編『峠』2022・ヤマケイ文庫-なんとも贅沢な峠紀行の名作たち

2025年06月16日 | 随筆を読む

 2022年6月のブログです

     *

 山と渓谷社から深田久弥さん編集の『峠』(2022・ヤマケイ文庫)が出たので、ゆっくりゆっくり味わいながら読んだ。

 なんとも贅沢な峠紀行の名作たちである。

 執筆者は、田部重治、伊藤秀五郎、若山牧水、藤島敏男、寺田寅彦、小島鳥水、尾崎喜八、中村清太郎、小暮理太郎、藤木久三、冠松次郎、武田久吉、などなど、明治から昭和初期までの山歩きで名高い人々。

 山にはあまり詳しくないじーじでも、思わずため息が出てくるほどの豪華な顔ぶれである。

 そして、その人たちが、山ではなく、人里により近い峠を旅した紀行文が集まっていて、より親しみを感じる。

 例によって、中身にはあまりふれないが、じーじのお気に入りの文章を一つ、二つ。

 一つめは、伊藤秀五郎さんの「北見峠」。

 伊藤さんは北大教授などをされた登山家であるが、ここでは、当時、駅逓が置かれていた北見峠の老夫婦との交流がとても温かい文章で綴られていて、心地よい。

 じーじは以前、この文章を伊藤さんの本で読んで、先年、車で北見峠を訪れたことがあるが、今では車もあまり通らないこの峠の素朴なたたずまいはなかなか感慨深いものがあった。

 二つめは、若山牧水さんの「金精峠」。

 牧水さんは歌人で有名だが、『みなかみ紀行』などの山歩きの文章もたくさん書いていて、じーじが大好きな人。

 じーじと一緒でお酒が大好きで(?)、すぐに呑んでしまうが、山歩きは健脚で、じーじがびっくりするほどの山歩きをしている。

 歌人だけあって、文章がきれいで、読んでいてこころが軽くなるというか、気持ちよくなるような気がして、楽しい。

 総じて、ここに挙げた人たちは、みな文章がうまいし、味わい深い。

 読んでいると、今の日本とはかなり違いがあるような感じがする。

 経済的には貧しかったのかもしれないが、軍国日本になる前の素朴ないい時代だったのかもしれない。

 他にも、よい作品が目白押しである。

 時々、読み返していきたいと思う。     (2022.6 記)

 

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山中康裕『少年期の心-精神療法を通してみた影』1978・中公新書-クライエントさんの「窓」を大切にすること

2025年06月15日 | 子どもの臨床に学ぶ

 たぶん2011年ころのブログです

     *

 精神科医で心理療法家の山中康裕さんは,じーじが40年くらい前に心理臨床の仕事についてすぐに,偶然,本書『少年期の心-精神療法を通してみた影』(1978・中公新書)を読んで,すごく感銘を受けました。

 以来,今日まで,山中さんの本を読ませていただいたり,お話をお聞きしたりして,勉強をさせてもらっています。

 山中さんはとても熱い先生ですが,学問的にも深く,尊敬できる先生のお一人です。

 その山中さんが,よくカウンセリングでクライエントさんの「窓」を大切にすることについて述べられています。

 カウンセラーがクライエントさんとなかなか心理的な関係を深められない時に,クライエントさんの得意なこと,こころの「窓」になるようなこと,に気づき,そこを大切にすることが関係を深める第一歩になるというお話だと思います。

 箱庭でも,絵でも,詩でも,音楽でも,クライエントさんが大切にしているものは何でもいいのですが,カウンセラーもそこを大切にすることで,おおげさにいえば,人と人との出会いが生まれ,関係が深まり,それが治療的になるのだろうと思います。

 山中さんの「窓」への興味の広さ,深さは,すごい,の一言につきますが,じーじたちも少しくらいならその真似ごとができるかもしれません。

 また,クライエントさんのこころの「窓」を大切にするためには,じーじたちの自身のこころの「窓」も日頃から大切にしておく必要がありそうです。

 いいカウンセリングができるために,自分自身もこころ豊かに生きていたいとつくづく思う毎日です。        (2011?記)

     *

 2019年5月の追記です

 先日の遊戯療法学会で山中さんのお話をお聞きして感動しましたので、本書を久しぶりに再読しました。

 やはりすごい本です。

 たくさんの遊戯療法による子どもの治療が報告されていますが、感じるのは山中さんの治療における即興性、応答性のすごさです。

 それと、今回気づいたのは、ここでも、こころの状態にあわせて、人物像が変わる、という問題が述べられています。

 精神分析でいうところの、記憶の書き換えのテーマがここでも述べられていて、驚きます。

 心理療法や遊戯療法の意義を再確認できます。

 子どもの治療とは、こどもの自由な時間と空間を保証すること、すなわち、遊びを保証するとと、秘密を保証すること、という山中さんの言葉がこころに響きました。         (2019.5 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文  「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

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新潟のじーじのお部屋は孫娘たちも大好きなトレーニングルーム(?)-遊ぶことのちから

2025年06月15日 | 遊ぶことのちからを考える

 たぶん2017年ころ、下の孫娘が3歳、上の孫娘が6歳のころのブログです

     *  

 週末で孫娘たちが新潟に遊びに来ました。

 さっそくじーじのお部屋でお遊びや音楽鑑賞かと思っていたら、なんと今日は運動をするようです。

 あっという間に、じーじのお部屋はトレーニングルーム(?)になってしまいました。

 下の孫娘はなわ跳びを持って、やる気まんまん。

 なぜか、なわ跳びのなわはほとんど動かないのですが(?)、それにはかまわず、孫娘は足だけぴょんぴょんと跳んで、いち、にい、さん、しい、ごお、と大きな声でかけ声をして、息をハアハアとさせています。

 それでも、じーじが、すごいね!、とこころから感心をすると、下の孫娘はとっても得意気な様子です。

 このぶんだと、将来は新体操の選手になれるかもしれません(?)。

 いっぽう、上の孫娘はバドミントン。

 上手に羽根を返すようになりました。

 時には新潟のじーじとラリーもできます。

 こちらは、将来はオリンピックに出られるかもしれません(?)。 

 さらに、上の孫娘はバレーボールにも挑戦。

 どこで覚えたのか上手にレシーブの構えをして、ボールを返してきます。

 じーじもレシーブで返すと大喜び。

 孫娘たちはますます張り切っています。

 二人ともじーじの孫ですから、運動神経にはあまり期待できませんが(?)、ひょっとするとひょっとするかもしれません。

 新潟のじーじの夢はどんどん広がります。      (2017?記)

     *

 2021年5月の追記です

 この時、エア・なわ跳び(?)をしていた下の孫娘もめでたく本物のなわ跳び(?)ができるようになりました。

 今は二重跳びに挑戦中です。      (2021.5 記)

  

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精神科デイケアのテニスグループの活動に参加して-精神科デイケアで考える

2025年06月14日 | 精神科デイケアで考える

 2014年のブログです

     *

 精神科デイケアのテニスグループの活動に参加させてもらっています。

 テニスは50歳くらいからしばらくスクールに通っていたので、なんとかなるかなと思っていたのですが、何年かのブランクの影響は予想以上に大きく、ゲームでは足ばかりドタバタさせて、あやうくころびそうになったりしました。

 スタッフもそんなじーじを心配してか、最近は初心者のメンバーさんの練習相手を命じられて、毎回、初心者のメンバーさんを相手にショートラリーの練習をしています。

 しかし、ここがじーじの非凡なところ(?)。

 教えることこそ、学ぶこと、という昔のことわざを思い出して、毎回、正確なボール出しと返球を心がけて精を出しています。

 これは昔も職場の若い初心者相手に経験があるのですが、全くの初心者に返しやすいボールを打つことは自分のコントロールをつけるには一番の練習になります。

 デイケアのみなさんも若い人ばかりですので、返しやすいボールを出していると、みるみるうまくなってきます。

 その成長の速さにはびっくりさせられますし、年寄りのじーじにはまぶしいかぎりです。

 時に疲れると、若い上手なメンバーさんに練習相手を変わってもらいます。

 上手なメンバーさんも初心者のメンバーさんを教えることで、教える喜びを経験してもらえれば、それもとても大切な経験になりそうです。

 たまには、初心者のメンバーさんもゲームにも参加できるようになって、みなさん、テニスの面白さと奥深さを楽しんでいるいるようです。

 じーじもメンバーさんも、みなさんのナイスプレーにはおおいに称賛をし、惜しいプレーには本当に残念がります。

 いずれにしても、メンバーさんの輝く笑顔がとても素敵です。

 テニスがメンバーさんのこころの「窓」になっていることが実感できます。

 じーじもボランティアとして、なにができるのか試行錯誤の日々ですが、これからも楽しみながら、やっていきたいなと思っています。           (2014 記)

     *  

 2019年1月の追記です

 新しいメンバーさんが参加されました。

 それでじーじが練習相手に。

 右へ、左へと、大変でしたが、ラケットにうまく当てています。

 あとはコントロール。

 ボールのコントロールは生活全般のコントロールに通じそうな気がします。

 だんだんうまくなるメンバーさんを見ていると、こちらもうれしくなります。

 頑張れ、メンバーさん!そして、じーじも…(?)。          (2019. 1 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文   「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

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北方謙三『煤煙』2006・講談社文庫-卑怯なもの、卑劣なもの、傲慢なものを許さない男の生きざまを描く

2025年06月14日 | 小説を読む

 2021年6月のブログです

     *

 北方謙三さんの『煤煙』(2006・講談社文庫)を15年ぶりに読みました。

 崩れた文庫本の山をさらに崩していたら、記憶のほとんど残っていない本書を見つけてしまい、つい読んでしまいました。

 北方さんの小説は本当に久しぶり。

 若い頃、かなり熱中して読んでいたのですが、あまりに熱中しすぎたのか(?)、年を取ってからは全く読んでいませんでした(北方さん、ごめんなさい)。

 今回の出会いは少し唐突でしたが、しかし、やはりなかなかいい小説で、あっという間に読んでしましました。

 ひと言で表現をするのが、なかなか難しい小説。

 男の小説です(男女差別をするつもりはないのですが、女性には少しわかりにくい小説かもしれません)。

 あらすじは例によって書きませんが、主人公は中年の弁護士。

 弱いものを助けるというわけでもないのですが、弱いものをいたぶる権力や金持ちを許しません。徹底的にやっつけます。

 正義感というのでもありません。

 あまのじゃくといえばそうですが、そういうところがじーじの美意識に合います。

 それでも、別れた奥さんと中学生になる娘には優しいです。

 後半、自分が破滅に向かっていく予感を感じると、自分から、一見、冷たく、奥さんと娘に別れを告げます。

 孤独ですねぇ。最後は依頼主の飼っていた犬と一緒ですが…。

 しかし、これが男の人生かもしれません(?)。

 少なくとも、男の人生にとって何が大切で、何が大切でないかを考えるきっかけにはなりそうです。

 いい小説が再読できて、幸せです。     (2021.6 記)

 

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精神科デイケアのメンバーさんのこころの「窓」としての音楽・スポーツ・作品-精神科デイケアで考える

2025年06月13日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年ころのブログです

       * 

 精神科デイケアにおじゃまさせていただいています。

 精神科デイケアでメンバーさんと一緒にプログラムに参加をしていると、ふだんはあまりご自身のお気持ちを表さないメンバーさんが、プログラムによっては、ご自分のお気持ちや感情をとても豊かに表現されるところに出会うことがあります。 

 まず多いのが音楽の時間。

 音楽鑑賞やCD紹介、あるいは、カラオケなどで、ご自分のお好きな曲やそれにまつわる思い出などをご披露されますが、ふだんのご様子からはびっくりするほどのとても豊かな感情表現をされて、感動させられることが多々あります。

 音楽がまさに、精神科医で心理療法家の山中康裕さんのいうところの、こころの「窓」になっているようです。

 また、スポーツもメンバーさんの個性の表現や意思の表現としてとても大切なようです。

 メンバーさんの目いっぱいのがんばりを拝見すると、こちらも力が入りますし、とてもうれしくなります。

 さらには、メンバーさんがつくる作品の数々。

 コラージュ、塗り絵、絵画、書道、手芸、その他もろもろ。

 いずれもメンバーさんの努力と工夫の先に個性と感動が光ります。

 下手な芸術家の作品より、こころを揺すぶられるようなことも少なくありません。

 山中康裕さんは、カウンセリングにおいて、こころの「窓」が大切であることをなんども述べておられますが、メンバーさんのこころの「窓」としての音楽やスポーツ、さらには、作品などを見ていると、本当にそう思います。

 これらのものが、メンバーさんにとって、とても大切なこころの表現手段やこころの活動手段になっていることがうなずけます。

 なかなかむずかしいことですが、これからもメンバーさんのこころの「窓」を大切にできるようなよき臨床家になりたいと思います。        (2014?記)

        * 

 2019年1月の追記です

 先日、デイケア恒例の書き初め会がありました。

 メンバーのみなさん、本当に上手!

 じーじなどは逆立ちをしても及びません。

 メンバーさんの持つポテンシャルを改めて感じました。

 この力を少しずつでも、穏やかに、粘り強く、開花させていってほしいな、と心から祈りました。          (2019.1 記)

     *     

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文  「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

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北方謙三『檻』1987・集英社文庫-男にとって大切なものは何かを問うてくる哀しみにみちた小説

2025年06月13日 | 小説を読む

 2021年6月のブログです

     *

 北方謙三さんの『檻』(1987・集英社文庫)を久しぶりに読みました。

 先日、北方さんの『煤煙』を読んでしまい、恐れていたとおりに(?)、北方ワールドにはまってしまいました。

 もっとも、『檻』は北方さんの小説の中でじーじが一番好きな作品。

 忘れん坊のじーじにはめずらしく、まだあらすじをぼんやりと覚えていたので、後に取っておいたのですが、今回、読んでしまいました。

 いい小説です。ラスト、不覚にも久しぶりに泣いてしまいました。

 あらすじは当然書きませんが、感想を書くのもなかなか難しい小説です。

 男の生きかた、男の友情、度胸、暴力、仕事、愛情、などなど。いろんなテーマが内包されています。

 それらが北方さん特有のスピード感のある、かつ、奥深さを伴った文章で表現されます。

 男なら憧れるような登場人物が何人か出てきます。

 アウトロー、刑事の一人も含めて、アウトローの世界です。

 いろんな意味での暴力を否定しませんので、男女差別ではありませんが、女性には少し理解しにくい世界かもしれません。

 言ってみれば、オスの世界。優しい、平和主義の女性は眉をひそめるかもしれません。

 しかし、男の生きざまというやつは、本能に支えられている部分もあるので、きれいごとではすまないのも事実でしょう。

 勁さがあっての優しさなのかもしれません。

 と、まあ、いろんなことを考えさせられる小説です。

 しかし、文句なしにいい小説です。幸せ!      (2021.6 記)

 

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井伏鱒二『徴用中のこと』2005・中公文庫-旧日本軍のシンガポール戦線に徴用された作家の声

2025年06月12日 | 随筆を読む

 2022年6月のブログです

     *

 井伏鱒二さんの『徴用中のこと』(2005・中公文庫)を再読する。

 井伏さんは直木賞作家であったが、1941年、太平洋戦争開戦直前に旧日本軍に徴用されて、マレー半島侵略軍の宣伝班として現地に赴く。

 いやいやながらの徴用であろうが、当時は断わることなどできない情勢。

 書く文章の大部分が軍に不採用になるような状態で、しかし、軍に過度に媚びることなく書き続ける。

 軍事体制下における小説家のあり方の一つを見る。

 やがて日本軍はシンガポールを占領、昭南市と改名して、占領政策を進める。

 アジアの人たちを米英の支配から解放する、といううたい文句は、今のロシアと一緒だ。

 そんな中で大事件が起きる。

 日本軍によるシンガポールの華僑の大虐殺。

 イギリス軍の発表で3万人、日本軍の発表でも6千人という虐殺。

 軍隊による侵略ではこういうことが起こるのは必然のようだ。

 南京大虐殺を否定する人たちがいるが、シンガポールの日本軍による虐殺事件を見ると、日本軍の侵略による虐殺事案は否定できないだろうし、表に出ない虐殺も数多くあったのだろうと思う。

 これは、ロシアによるウクライナ侵略でも事情は同じであろう。

 侵略戦争では、周りがみんな敵に見えて、敵の兵隊と一般人を見分ける余裕などないのだろうと想像する。

 侵略する側の兵士もまた怖いのだ(と思う)。

 そういう中で、国家の都合で戦争に駆り出される民衆は不幸だ。

 戦争に訴えない、民主的な国家を作りあげる努力がいかに大切であるかを思い知らされる。 

 いろいろなことを考えさせられる貴重な一冊である。     (2022.6 記)

 

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精神科デイケアでボランティアをさせていただいて-純粋さと不器用さを生きることの苦しさ

2025年06月12日 | 精神科デイケアで考える

 たぶん2014年のブログです

     *

 少し前に、大学院の臨床心理学プログラムの精神科実習の授業で、新潟市内の精神病院の精神科病棟とデイケアで勉強をさせていただきました。

 そして、その後も勉強のために、同じデイケアで時々ボランティアをさせてもらっています。

 デイケアのメンバーさんは、みなさん、ふだんはとてもお元気で、優しく心配りをしてくださいます。

 じーじなんかより(?)、よっぽど立派な社会人です。

 でも、そんなメンバーさんが、時々、突然、体調を崩されることがあります。

 原因はわかりません。

 そこが精神疾患のなぞの部分です。

 一応、ストレスや頑張りすぎなどによる疲れなどが引き金になることが多いようで、スタッフのみなさんは十分に留意をされています。

 頑張りすぎといえば、みなさん学歴や才能がすばらしい人たちが多く(東大出身の人や音大出身の人など、じーじなどは逆立ちをしてもかなわないような人が多いです)、小さいころからいろいろと頑張りすぎて発病をされたかたもいらっしゃるようです。

 みなさん、まじめな、頑張り屋さんが多い印象を受けます。

 純粋な、努力家だからこそ、なってしまう病気なのかもしれません。 

 病気にならない我々は適当に息抜きをして生きているのかもしれないです。

 そんな自分への反省と、純粋なメンバーさんたちへの尊敬の気持ちを大切にして、今後もさらに勉強を継けていきたいと思っています。        (2014?記)

     *

 2025年6月の追記です

 実習の時もボランティアの時も、人見知りのじーじは(?)デイケアルームでぼーっとしていることが多かったのですが、メンバーさんが気遣って、いろいろと話しかけてくださって、とても助かりました。

 どっちが患者さんかわからないような状態だったのですが(他の看護学校の実習生さんにメンバーさんと間違えられることもありました)、今考えると、これはこれでよかったのかもしれません。

 じーじのように(?)ほとんどしゃべらないメンバーさんにも、スタッフの皆さんは(作業療法士や看護師さん)上手にコミュニケーションを取られていて、専門家のすごさに感心をしました。

 じーじはそんなメンバーさんとは、目と目が合った時に、にこっとする程度でしたが、それでもうれしかった記憶があります。

 自己弁護ではありませんが、いろんなより添いかたがあるのかもしれません。        (2025.6 記)

     *

 同日の追記です

 あるメンバーさんが、僕には宇宙人からの声が聞こえるんだ、と話しました。

 すると、隣りにいたメンバーさんが、僕にも聞こえるけれど、それは他の人には話さないほうがいいよ、と話していました。

 すてきなアドバイスだと思いました。

 妄想の有無を議論するより、社会人としての行動への的確な助言だと思います。

     *

 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文 「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

 mail   yuwa0421family@gmail.com  

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松木邦裕『不在論-根源的苦痛の精神分析』2011・創元社-その2・やっと再読ができました

2025年06月11日 | 精神分析に学ぶ

 2019年6月のブログです

     *

 松木邦裕さんの『不在論-根源的苦痛の精神分析』(2011・創元社)、やっと再読できました。

 この『不在論』が本棚の中で(おそらく)、かくれんぼをしていて、なかなか見つけられないことは以前、ブログに書きました。

 しかし、結局、どうしても見つけられず(ひょっとすると別の部屋に隠れているのかな?)、気の短いじーじはついに新しいのを買ってしまいました(うちの美人ちゃん奥さんには内緒です)。

 ようやく再読です。

 しかし、これが、やはりなかなか難しい本で、とても大切なことが書かれているのはわかるのですが、自分の臨床経験の少なさと理解の浅さから、思うようには掴まえられない感じです。

 今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 一つめは、精神分析の目標について。

 松木さんはフロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところを引いて、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べます。

 精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものではないことに注目だと思います。

 二つめが、乳児の理想的な乳房の幻想と不在の乳房についてで、対象喪失の問題です。

 対象喪失には、喪の哀悼の仕事が必要で、そこから抑うつ態勢ができると述べ、悲しみから(生きることの)哀しみに変わることが大切と述べます。

 そして、喪の哀悼の仕事の中で、患者さんがこころの痛みや哀しみに持ちこたえ、それらを受けいれていけるといいます。

 さらに、精神分析は、患者さんが不安や喪失をこころに収めきれないでいる状態を、収められるように援助することと述べます。

 このあたり、やはり臨床の経験を積まないと理解が難しそうですが、とても大切なことが述べられているように思います。

 さらに、勉強を重ねていこうと思います。          (2019.6 記)

     *

 2021年3月の追記です

 再読をしました。じーじにはめずらしく(?)、2年目での再読。

 やはりすごい本です。

 前回、頭でわかったつもりのことが、今回はこころに響いてきたような感じがします。

 さらに勉強を深めたいと思います。         (2021.3 記)

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 2024年夏の追記です

 フロイトさんが『ヒステリー研究』に書いた、精神分析は痛ましい状態をありきたりの不幸に変える、というところ、松木さんが、精神分析はそういうもので、さらに、不幸に耐える力を高めるもの、と述べているところはとても大切だと思います。

 精神分析が不幸を取り除いたり、幸せを与えたりするものと誤解されがちですが、じつはそうではないことが重要だと思います。        (2024.7 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事 個人開業で、心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所 新潟市西区

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山本周五郎『樅ノ木は残った』(上・中・下)2003・新潮文庫-男の生き方と哀しみを描く

2025年06月11日 | 小説を読む

 2020年初夏のブログです

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 山本周五郎さんの『樅ノ木は残った』上・中・下(2003・新潮文庫)を久しぶりに読みました。

 この本を初めて読んだのは学生時代、ドラマが印象に残っていて読んだのですが(吉永小百合さんがよかったですね)、ものすごく感動をしたことを覚えています。

 どれくらい感動したかというと、その後しばらくは周五郎さんの小説ばかりを読んだほどで、『赤ひげ』など、そのうちのいくつかは今も愛読書です。

 この『樅ノ木は残った』と立原正秋さんの『冬の旅』が学生時代以来のじーじの大切な本で、少しおおげさに言うと、この2冊でじーじの生き方が決まったのかもしれな、とも思います。

 それくらい大切な本、改めて読んでみて、色あせることなく、やっぱり感動をさせてくれました。

 じーじがいうのもなんですが、周五郎さんの日本語のうまさが秀逸で、気持ちよく、しかし、生きることの哀しみや苦しさを味わいながら読みました。

 あらすじはあえて書きませんが、幕府の伊達藩分割の陰謀を阻止しようと、悪名を負ってまでも動く一家老の男としての生きざま、その壮絶で、孤独で、哀しい生き方は、やはり感動します。

 こんな小説を授業中に先生に隠れて読んでいたのですから(先生がた、ごめんなさい)、世の中の流行や出世、お金などに背を向けて生きることになったのかもしれませんね。

 でも、そういう人生に悔いはありませんし、そんな人生に導いてくれた周五郎さんと立原さんには感謝です。

 今後も頑固なじーじとしてしぶとく生きていこうと思います。     (2020.6 記)

 

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松木邦裕『不在論-根源的苦痛の精神分析』2011・創元社-その1・『不在論』が不在になっちゃいました(?)

2025年06月10日 | 精神分析に学ぶ

 なぜかこのところ、この2011年の古いブログを読んでくださるかたが何人かいらっしゃって、内容も今からみるとかなり不十分な感じがしますが、一応、再録をしてみます。

 そろそろ、もう一回読んでしっかりとリポートをしろ、ということかもしれませんし、じーじ自身も、そろそろ再読をしなければいけないな、とも思っています。

 そういうことで、こんな形でさらに勉強ができるのもいいな、と思ったりしています。  (2018?記)

     * 

 2011年のブログです

 精神科医で精神分析家の松木邦裕さんの『不在論-根源的苦痛の精神分析』(2011・創元社)を読みました。

 なかなか難しい本でじーじには2~3割くらいしか理解ができていないと思いますが、それでも力の入ったいい本だということは判りました。

 フロイトさんを着実にたどりながら(そういう意味では藤山直樹さんと似ている面があると感じました)、そこからさらに深く考え抜いていく姿勢は凄いです。

 当然、クラインさんやビオンさんにも言及がされますが、基本はやはりフロイトさんでした。

 いろいろなことが述べられていますが、やはり松木さんのいう「喪の哀悼の過程」を興味深く読ませていただきました。

 わたくしごとながら、じーじも今年は喪の作業の最中で、そういう時期にこのような本を読めたことに感謝したいと思いました。

 今後も何度か読み返していきたい本だと思いました。              (2011 記)

     *

 たぶん2018年の追記です

 久しぶりに『不在論』を読もうと思って、本棚の前に立ったのですが、どういうわけか『不在論』が不在(?)で見当たりません。

 これが本当の『不在論』です。

 ここで「不在」の悲しみをしっかりと味わいなさい、という神さまのご配慮(?)かもしれません(本当はただの整理整頓不足なのですが…)。

 「不在」の意味をよーくかみ締めながら、さらに学んでいこうと思います。               (2018?記)

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 2019年の追記です

 『不在論』はまだ不在中です。

 どこに隠れているのかな?                (2019 記)

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 ゆうわファミリーカウンセリング新潟(じーじ臨床心理士・赤坂正人)のご紹介

 経歴 

 1954年、北海道函館市に生まれ、旭川市で育つ。

 1970年、旭川東高校に進学するも、1年で落ちこぼれる。 

 1973年、某四流私立大学文学部社会学科に入学。新聞配達をしながら、時々、大学に通うが、落ちこぼれる。 

 1977年、家庭裁判所調査官補採用試験に合格。浦和家庭裁判所、新潟家庭裁判所、同長岡支部、同新発田支部で司法臨床に従事するが、落ちこぼれる。

 1995年頃、家族療法学会や日本語臨床研究会、精神分析学会、遊戯療法学会などで学ぶ。 

 2014年、定年間近に放送大学大学院(臨床心理学プログラム・修士課程)を修了。 

 2017年、臨床心理士になり、個人開業をする。

 仕事  心理相談、カウンセリング、心理療法、家族療法、遊戯療法、メールカウンセリング、面会交流の援助などを相談、研究しています。

 所属学会 精神分析学会、遊戯療法学会

 論文  「家庭裁判所における別れた親子の試行的面会」(2006・『臨床心理学』)、「家庭裁判所での別れた親子の試行的面会」(2011・『遊戯療法学研究』)ほか 

 住所  新潟市西区

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村上春樹 『ノルウェイの森』(上・下)1987・講談社-死と生に真摯に向き合う物語

2025年06月10日 | 村上春樹さんを読む

 2019年6月のブログです

     *

 村上春樹 さんの『ノルウェイの森』(上・下)(1987・講談社)を再読しました。

 まだ余韻にひたっていて、うまいこと文章が書けるかどうか心配ですが、なんとか書いてみます。

 『ノルウェイの森』を読んだのはかなり久しぶり、感想文を書くのは今回が初めてです。

 前回、読んだ時にも、いい小説だな、と思ったのですが、とにかくいい人が大勢死ぬので、いいんだけど暗い小説だな、というイメージが残ってしまい、再読がすごく久しぶりになってしまいました。

 今回は何を感じたでしょうか。

 一つは、死ぬことの辛さ、哀しさと生き残る者への打撃。

 生き残るということの大変さを感じました。

 もう一つは、そうはいっても、生き残ること、生き抜くことの尊さ。

 人はどんなに苦しくても、そうやっておとなになるのでしょうし、そこに生きる意味の一つがあるのだろうなと感じます。

 もっとも、解説めいたことを言っても仕方がない感じがしていて、この生き抜くことの大変さ、しんどさ、そして、すごさ、すばらしさを、ぜひ、村上さんの文章で味わってほしいな、と思います。

 おそらく、何回読んでも色あせない文章だろうと思います。

 こころの底のほうから揺り動かされるような、すごさがあります。

 こう書いても、今、じーじが感じていることの何分の一しか表現できていないもどかしさを感じますが、とにかくすごいです。

 年を取ったせいか、昔より死が遠い存在ではなくなってきている気がしていて、ひょっとすると少しずつ受け容れられるようになってきているのかもしれません。

 しかし、だからこそ、生きることを大切にしたいですし、若い人たちが大切にできるように応援していきたいと思います。

 そういうことを考えさせてくれるいい小説だと思いいます。      (2019.6 記)

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