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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が新潟市で公園カウンセリングなどを相談、研究しています

村上春樹 『遠い太鼓』1993・講談社文庫-村上さんのギリシャ・イタリア滞在記です

2025年05月22日 | 村上春樹さんを読む

 2019年のブログです

     *

 村上春樹さんの『遠い太鼓』(1993・講談社文庫)を再読しました。

 村上さんの1986年から1989年にかけてのギリシャとイタリア滞在記です(村上さんはこの間に『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書いています)。

 この本はかなり前から再読をしたかったのですが、やはり本棚の脇の文庫本の山の中に埋もれていて、背表紙は見えているのになかなか出せず、今回ようやくなんとか引っ張り出して読めました。 

 面白かったです。

 30歳後半の若い村上さんと奥さんの姿を見ることができて、とても楽しいです。

 先日、ご紹介をした村上さんのアメリカ・プリンストンの滞在記である『やがて哀しき外国語』の少し前の外国滞在記になりますが、村上さんの行動や考え方がやはりかなり若い感じがして、これはこれで好ましいです。

 ギリシャやイタリアでのできごともとてもおもしろいのですが、じーじが印象に残ったのは、むしろその間の日本のできごととの落差の大きさで、日本の特殊性やある種の危なさを村上さんは鋭く感じています。

 一種の時代評論、社会評論としても読めるかもしれません。

 一つ発見をしたのは、村上さんも人混みが嫌いということ。

 ここの共通点でじーじは村上さんの書くものが好きなんだなと今回、わかりました。

 人混みが嫌いで、人の少ないところでのんびりすること、そして、ゆったりとビールを呑むこと、ここに幸せを感じるようです(?)。

 小さな幸せを大切にすること、その幸せを守ること、そこに村上さんの小説の大切なことがあるような気がします。     (2019.3 記)

     *

 2021年夏の追記です

 2年半ぶりに再読をしました。

 堀田善衛さんの『オリーブの樹の蔭に-スペイン430日』(1084・集英社文庫)を読んでいたら、村上さんの『遠い太鼓』も読みたくなって、読みました。

 スペイン、ギリシャ、イタリア。

 どちらの本もヨーロッパでの作家さんの生活を描きますが、思うのはやはり日本の異常さ。

 日本にいるとわかりにくいですが、日本の社会もマスコミもかなり異常なように感じられます(その無責任さ、集団性、金権傾向、などなど)。

 その歪みの一部が、いじめや虐待などとして現われてしまっているのでしょう。

 いじめや虐待などの渦中にいると絶望しかないかもしれませんが、日本が特殊なだけで、世界は違うようですよ。

 もう少し多様性があるようです。

 世界の多様性を知ることはやはり大切なことのようです。      (2021.8 記)

 

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村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』2000・文春新書-翻訳という生き方

2025年05月17日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

     *

 村上春樹さんと柴田元幸さんの『翻訳夜話』(2000・文春新書)を久しぶりに再読。

 ついこの間読んだような気がしていたが、19年も経っていた(村上さん、ごめんなさい)。

 そういえば、この時点で、村上さんは、キャッチャー・イン・ザ・ライもグレイト・ギャッツビーもまだ訳していなくて、いずれ訳してみたい、と話されている。

 話したことでこれらの翻訳が実現をしたということもあったのかもしれない。

 村上さんと柴田さんの翻訳をめぐる話は読んでいて、とても楽しい。

 東大の柴田さんの教え子さんたちの質問に答えたり、翻訳学校の生徒さんとお話したり、翻訳家のたまごさんたちと議論をしたり、いろんなレベルの人たちとの話の中で、村上さんの翻訳や小説などについての考えが読めて、刺激的だ。

 そして、面白かったのは、村上さんの「カキフライ理論」。

 就職試験などで、原稿用紙3枚で自分について書きなさい、と言われた時は、自分の大好きなカキフライ(別に、トンカツでも天丼でもなんでもいいのだが…)について書くと、3枚で自分のことが表現できる、という理論で、これはすごいと思う。 

 つまり、部分を書くことで全体を表現できる、という文学のすばらしい面をうまくあらわしている、とじーじなどは感心する。

 ないものねだりだが、じーじのブログもそうありたい、と祈りたい。     (2019.3 記)

 

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村上春樹 『猫を棄てる-父親について語るとき』2020・文藝春秋-村上さんが猫とお父さんを語る

2025年05月13日 | 村上春樹さんを読む

 2020年4月のブログです

     *

 村上春樹さんの『猫を棄てる-父親について語るとき』(2020・文藝春秋)を読みました。

 つい最近、出た本ですが、小さな本ですので、あっという間に読んでしまいました。

 しかし、内容は深いです。

 村上さんのお父さんのことを書いた本ですが、村上さんとお父さんとの二人の思い出も出てきます。

 タイトルの、猫を棄てる、はそういう思い出の一つ。

 不思議な、しかし、少しだけほっとする、猫とのお話です。

 一方、お父さんのお話は、その青春時代が戦争中と重なっていて、なかなかつらいものがあります。

 中国で捕虜を虐殺するのを見た、という話を村上さんのお父さんがされるのを、村上さんは一回だけ聞いたことがあるそうですが、それがお父さんだけでなく、村上さんのこころにも、大きな影響を与えていることが記されています。

 父子の葛藤は当然のことですが、村上さんの場合も、かなり大変だったようです。

 村上さんがよく見たというテストで苦しんでいるという悪夢(?)もよくわかる気がします。

 村上さんの文章は淡々と書かれていますが、その底には深い感情がこもっています。

 特に、お父さんのお話を書かれている文章は、淡々とした奥に戦争や国家への憤りみたいなものが感じられます。

 それは人が生きることの哀しさやつらさと裏表になっているかのようです。

 小さな本ですが、何度でも繰り返して読める、一片の詩のような本だと思います。

 いい本に出会えたと思います。     (2020.4 記)

 

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村上春樹 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)1991・講談社文庫-『羊をめぐる冒険』の世界へ

2025年05月11日 | 村上春樹さんを読む

 2019年6月のブログです

     *

 村上春樹さんの 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)(1991・講談社文庫)を再読しました。

 なんとなく、あらすじの一部をぼんやりと覚えているような気がしていたので、再読がしばらくぶりになってしまいましたが、細部はほとんど忘れていたので、例によって(?)、またまたとても新鮮な気分で読んでしまいました。

 さきほど、読み終えたばかり、この感情をどう表現したらいいのか、戸惑います。

 やはり、すごい小説です。

 今まで思っていた以上にすごいです。

 読むほどに、生きる経験を積んで読むほどに、うなずけることと不思議さの両方が、哀しみや微笑みや笑いととともに増えていきそうな小説です。

 そう、この小説の中で、読者は人生を生き、哀しみ、苦しみ、喜び、そして、死を眺めるのだと思います。

 生きることのしんどさ、辛さ、苦しさが描かれます。

 そんな中での小さな喜び、楽しさ、スリルが描かれます。

 読みながら強く感じるのは、生きることは哀しいですし、少しだけ楽しいこと。

 そんなことを感じさせてくれる小説ではないでしょうか。

 一方、偽りの幸せを生きる危険や生きたまま死んでいるかのような虚飾の生き方の危なさも描かれます。

 真に生きるとはどういうことなのか、子どもからおとなまで、区別なく、村上さんは真摯に描きます。

 若者もおとなも深く考えさせられる、いい小説だと思います。    (2019.6 記)

 

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村上春樹 『やがて哀しき外国語』1997・講談社文庫-村上さんのプリンストン滞在記です

2025年05月05日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

     *

 村上春樹さんのエッセイ『やがて哀しき外国語』(1997・講談社文庫)を再読しました。

 じーじが持っている本は2011年発行で、読むのはおそらく今回が3回目くらいかなと思います。

 もっと早くに再読したかったのですが、なぜか本棚の脇の文庫本の山(!)の下のほうに埋もれていて、やっと今回、救出(?)できました。

 面白かったです。

 そして、読んでいて、心地良かったです。

 村上さんのエッセイは文章のテンポがじーじと合うというか、のんびりな感じがして、あまり切れきれでないところがいいのかもしれません(?)。

 本書は村上さんがプリンストン大学で少しだけ授業を持っていた2年間のエッセイなのですが、村上さんらしさがたくさん出ていて面白いです。

 一例ですが、村上さんは当時、日本では新聞を取っていなかったとか、ニューヨークタイムスを毎日読むのは大変だとか、意外な一面を披露します。

 そういうある意味、ふだんのできごとについて、村上さんのあまり構えていない自然な雰囲気が垣間見られます。

 ご本人はあえて、何かを主張しようとされていないような感じで、しかし、少しずつ村上さんの世界が迫ってくるような、そんな印象です。

 そこが、村上ファンにはたまらないのかもしれません。

 比較的小さな本なので、気軽に読めるところもいいです。

 気分転換やこころのお掃除にぴったりのエッセイではないでしょうか。

 今度はもっと早めにまた再読をしようと思いました。     (2019.3 記)

 

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村上春樹『女のいない男たち』2016・文春文庫-おとなが味わう不思議な小説たち

2025年05月04日 | 村上春樹さんを読む

 2016年のブログです

     *  

 村上さんの短編集『女のいない男たち』(2016・文春文庫)を読みました。

 単行本は2014年に出ましたので、3年ふりの再読です。

 いつものことですが、年のせいもあって記憶力が低下しており、あらすじをかすかに覚えている作品もありましたが、ほとんど初めて読むように(?)、新鮮な気持ちで読みました。

 不思議な味わいの小説が多いです。

 そしておとなが楽しめる小説だと思います。

 じつは今、河合俊雄さんの『村上春樹の「物語」-夢テキストとして読み解く』(2011・新潮社)を再読中です。

 その中で河合さんが、村上さんの小説はあまり分析をしても意味がなく、純粋に味うことが大切、と指摘をされています。

 そんな中で感想を述べることはやや難しいのですが、この短編集は、読むとどんどん「不思議な」感覚の中に入っていくような気がします。

 個人的には、どさんこの女の子が出てくる「ドライブ・マイ・カー」(雑誌に連載当時、ある町にはなにもない、という表現が問題になりましたが、今や何もない大自然ということが逆に大きな意味があると思うのですが…?)が好きです。

 また、魅力的な若者たちが出てくる「イエスタディー」、そして、大人の味わいの「木野」などの作品が好きです。 

 いずれの作品もおとなの男女の姿や内面をとてもうまく描いているように思います。

 そして、村上さんの文章はやっぱり本当にうまいな、と感心をします。

 深い思いが、最高の文章にのって、うまく表現をされているような印象を受けます。

 何度もじっくりと味わうことで、おそらくは読者のかたがたも人生の深みを味わうことができそうな短編集のように思います。

 これからもていねいに、深く味わいながら読んでいきたいと思います。   (2016 記)

 2020年10月の追記です

 岩宮恵子さんの『増補・思春期をめぐる冒険-心理療法と村上春樹の世界』(2016・創元こころ文庫)に本書についての論文が載っており、やはり思春期に焦点を当てて分析をしていて、なかなか刺激的です。   (2020.10 記)

 

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村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』2018・文春文庫

2025年04月29日 | 村上春樹さんを読む

 2018年4月のブログです

     *   

 村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』(2018・文春文庫)を読みました。

 2015年に単行本が出ていて、2回くらい読んでいたのですが、今回の文庫本には、その後にあった熊本地震の後に書かれた「熊本再訪」が収録されているとのことでしたので、さっそく買ってしまいました。

 やっぱりおもしろかったです。

 表題は、ラオスに行く途中に、飛行機の乗り継ぎで寄ったヴェトナムのハノイの人の言葉ですが、村上さんは、その何かを探すために旅をするのだと思う、と書いています。

 たしかに、団体旅行やパック旅行とは違って、自分の足で歩く旅というのは、そういうものかもしれません。

 今回の村上さんの旅は、ボストン、ニューヨーク、ギリシャ、イタリア、ラオス、アイスランド、フィンランド、熊本、などなど。

 アイスランドはじーじの大好きなシーナさんも訪れていて紀行文がありますが、なかなか興味深い国のようです。

 シーナさんも村上さんも、アイスランドの火山や生きもの、料理などをていねいに報告されていて、しかし、それぞれにお二人の人柄が出ている感じがあって、おもしろいです。

 特に、村上さんのパフィンの赤ちゃんのお話は、こころ温まるものでした。

 ギリシャとイタリアは、村上さんが昔、『ノルウェイの森』などを書いた思い出の地。

 当時、日本のバブル景気のバカ騒などから逃げて、静かな外国に出られた村上さんにとって、現在、現地の建物などは変わっても、人々の暮らしや人情などは、全然変わっていないことに安堵している姿が印象的です。

 ラオスでは、托鉢の僧侶と人々の姿を見て、「儀式の力」や「場の力」を考えます。

 また、ガムランの音楽を聴いて、「土着の底力」についても考えます。 

 いずれも、単なる理性だけでなく、無意識や宗教などについて深く考え、書いておられる村上さんならではの旅のように思われました。

 おもしろい旅の連続なのですが、そこには何か哀しみや慈しみが流れているような村上さんの旅行記は、読んでいてとても心地よいもので、読者もいい旅をしたような気分にさせられます。

 じーじも楽しく、そして、有意義な旅をさせていただいたように思います。         (2018.4 記)

     *

 2024年春の追記です

 追記が遅くなりましたが、シーナさんもラオスやベトナム、ミャンマーなどを旅しています。

 古き良き時代が残っていて、素敵な国々のようです。

 シーナさんものんびりといい旅をされています(今、ミャンマーは大変ですが、平和になることを祈っています)。       (2024.4 記)

 

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村上春樹 『羊をめぐる冒険』(上・下)1985・講談社文庫-ふしぎな「冒険」を味わう

2025年04月25日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

     *   

 村上春樹さんの『職業としての小説家』を読んでいたら,村上さんの小説も読みたくなり,本棚の上に積み上げていた文庫本の『羊をめぐる冒険』を読みました。

 約10年ぶりくらいで,5回目くらいの再読です。

 しかし,とっても新鮮でした。

 あらすじや表現がうろ覚えになっていたというせいもあるのかもしれませんが,ドキドキ,ワクワクしながら読み通しました。

 文体というか,文章がやはり新鮮です。

 こんな文章は村上さんくらいでしょう。

 個人的には,樋口有介さんの文章が少し近い気もしますが,これだけ深く,重い内容を,これだけ軽やかな文章で表せるのは,やはり村上ワールドだと思います。

 今回,気づいたのは(今頃になって気づくのは少しはずかしいのですが…),底流に大きく流れているのは,戦争と権力に反対するというテーマ。 

 戦争,国家,権力,仕事などといった大きなテーマと,個人,恋愛,性といった深いテーマが,重層的,多面的,そして,総体的に扱われているところが魅力の源泉のような気がします。

 それを頭だけではなく,こころ全体に感じることを大切にして描いているので,いつまでも,誰にでも,新鮮に読まれるのではないかと思います。

 またいつかじっくりと読んで,こころを豊かにしたいと思いました。 (2015 記)

     *  

 2017年秋の追記です

 本日のお昼にこの記事の何回目かの更新をしましたところ、夕方、BSのテレビ番組でなんと、羊をめぐる冒険、の番組をやっておりました。

 こういう偶然はたまにあるのですが、本当にうれしいものです(ユングはこれを意味のある偶然といっています)。

 今日は前編で、来週に後編があるとのことなのですが、来週は学会で名古屋に行っていて、見れるかどうか…。

 本当にうれしいびっくりですが、ここからが、遊びごごろの大切なところかもしれません。

 いかに柔軟に、楽しく、ゆとりを持っていけるのか、遊びごころの真価(?)が問われそうです。 (2017.10 記)

     *   

 さらに追記です

 なんと、結局、後編放映の日は、じーじにしてはめずらしく真面目に学会で勉強をして、テレビは見れませんでした。

 いい場組だったので、再放送を楽しみにしています。

     *

 2019年6月の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 一番最初に感じたのは、村上さんの文章が「若い」ということ。

 「若い」文章とは何か?と聞かれると、うまく答えられませんが、なんだか「若い」です。

 じーじが年を取ったせいで、そういうことを感じるのかもしれません。

 今回、印象に残ったことは、欲望、権力、戦争、そして、友情。欲望と権力の際限のなさ、戦争と権力の怖さ、それに対抗できるものの一つとしての友情。

 そういったことを考えながら、感じながら、味わいながら、物語として読んでいました。

 少しはこころが豊かになったでしょうか。それは今日からのじーじの歩みが語ることになるのでしょう。 (2019.6 記)

     *

 2021年1月の追記です

 河合隼雄さんが『青春の夢と遊び』の中で本書について述べていることをすっかり忘れていました(河合さん、ごめんなさい)。

 河合さんのご指摘はとても鋭く、印象的です。 (2021.1 記)

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村上春樹『職業としての小説家』2015・スイッチパブリッシング-小説家としての覚悟を語る+追記です

2025年04月24日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

     *

 村上さんの『職業としての小説家』(2015・スイッチパブリッシング)を読みました(なぜかマックス・ウェーバーさんの『職業としての学問』を思い出したのですが,あまり関係はないのかな?)。

 とても刺激的な本です。

 小説家としての村上さんの覚悟が述べられていると思います。

 もちろん,村上さんのことですから,押しつけはしていませんが…。

 正直に,ご自分の立場,考え,小説の書き方,体の鍛え方(長編小説を書くには体力も大切らしいです)などが述べられています。

 意外だったのは(意外でもないか?),小説を書き上げると最初に奥さんに読んでもらうということ。

 よくエッセイなどで,奥さんが怒ってる時には小さくなってやりすごすしかない,などと書いているので心配をしていましたが,なんだ!仲よし夫婦なんですね。よかった,よかった。

 よき伴侶を得ることがよい小説を書く条件の一つであることがわかりました。

 冗談はさておき,もう一つ印象に残ったのが,何かをするときに,「楽しいかどうか」が大切であるということ,これも重要な指摘だと思いました。

 精神分析家のウィニコットさんは,遊びの中にこそ創造はある,遊びの中にしか創造はない,というようなことを述べていますが,共通するところではないでしょうか。

 さらに深く読み込んでいきたい一冊だなと思いました。   (2015 記)

     *

 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やはりとってもいい本です。

 村上さんが小説や人生や社会について、かなり真面目に、真剣に語っている本だと思います。

 今回も印象に残ったのは、生きることや仕事をすることが「楽しいかどうか」ということ。

 どうせいろいろとある人生だから、できるだけ楽しんで生きようよ、とおっしゃっているかのように聞こえます。

 一つ発見をしたのは、村上さんが河合隼雄さんと対談をするきっかけが、村上さんの奥さんが河合さんのファンだったということ。

 奥さんの導きで村上さんは河合さんと深いお付き合いをされたわけですから、村上さんの奥さんは偉大ですね(やはり女性のほうが偉いのかもしれません(?))。

 と、冗談はさておき(半分本気ですが…)、他にも村上文学に関する興味あるお話がいっぱい書かれています。

 次は4年といわず、もう少し早めにまた味わいたいなと思いました。   (2019.4 記)

     *

 2024年3月の追記です

 5年ぶりに再読をしました。

 今回、印象に残ったのは、村上さんも、結論を急ぎすぎないほうがいい、と述べている点。

 あまりにも早急に「白か黒か」という判断を求めすぎている、と書いています。

 そして、誰もがコメンテーターや評論家みたいになってしまったら、世の中はぎすぎすした、ゆとりのないもの、あるいは、とても危ういものになってしまう、と述べています。

 これは、わからないことに耐えることの大切さ、と同意でしょう。

 さすがは、村上さん、です。   (2024.3 記)

 

 

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村上春樹『街とその不確かな壁』2023・新潮社-喪失・疎外・魂

2025年04月23日 | 村上春樹さんを読む

 2023年4月のブログです

     *

 村上春樹さんの『街とその不確かな壁』(2023・新潮社)を読む。

 重厚な物語だと思う。

 まだ一回読んだだけなので、今後、印象は変わるかもしれないが、一回読んだところで連想したことは、喪失、疎外、魂、という言葉。

 激しい喪失が何度も描かれる。

 読んでいても胸が痛くなるようないくつかの喪失。

 そして、喪失による哀しみ。

 人生は喪失と哀しみの繰り返しなんだなあ、と思う。

 次に、疎外。

 現実社会でも、壁の「街」でも、人々は疎外されている。

 疎外されて、生き生きと生きられず、なかば死んだように生きる。

 何かを恐れるように、生きる。

 個性は潰され、人々は平板な人生を生きる。

 そこに魂はない。

 一方、信ずることの大切さが述べられる。

 何を信ずるかにもよるのだろうが、信ずることと魂の復権は関係するのかもしれない。

 重厚で重層な物語が進行する。

 続きは各人のこころの中で進めていくのだろうと思う。     (2023.4 記)

     *

 同日の追記です

 哀しみを十分に哀しまないと、明るくても虚ろな生きかたになる(精神分析では、躁的防衛という)。

 虚ろいには影がない。

 影がなければ、魂は十全にはならないのかもしれない。

 

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村上春樹 ・川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』2017・新潮社-ただのインタヴューでは「あらない」です

2025年04月18日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *    

 村上春樹さんに作家の川上未映子さんがインタヴューをした『みみずくは黄昏に飛びたつ』(2017・新潮社)を読みました。

 すごく面白かったです。

 騎士団長ふうにいうと、ただのインタヴューでは「あらない」、です。

 とても深いインタヴューです。

 もともと村上さんの大フアンである川上さんが、周到な用意をしてのインタヴューで、しかし、その鋭い(?)質問に村上さんは飄々と答えています。

 時には、村上さんも熱く語る場面がありますが、やはり基本は真面目さに裏づけられたユーモアとゆとり、という印象です。

 そこが村上さんの真骨頂なのでしょう。

 個人的には、ここのところ、『騎士団長殺し』に出てきた、スバル・フォレスターのタイヤケース、が、そんなのあったっけ?と、少しだけ心配だったのです(村上さんのことだから間違いはないだろうとうは思いましたが、しかし、まさかということも人生にはありますからね)。

 しかし、このインタヴューで、そういう表現になっている理由がわかって、ひと安心でした(詳しくは本書210ページを読んでくださいね。よかった、よかった)。

 また、『騎士団長殺し』の中で、注目の(?)、ユーモラスな騎士団長のことば遣いについても、謎が判明してとてもよかったです(詳しくは本書277ページを読んでくださいね)。

 他にも、読みどころは満載です(なんか宣伝みたいになっちゃいました)。

 村上文学をさらに深く味わうことができるいい本だと思います。              (2017.4 記)

     *

 2019年4月の追記です

 2年ぶりに再読をしました。

 のんびり屋のじーじにしては異例の早さ(?)です。

 やっぱりいい本です。

 川上さんのするどい質問に触発をされてか、村上さんの深い発言が出てきて、インタヴューが創造の場になっている感じです。

 そして、そこにはユーモアも存分にあふれていて、心地良い世界です。

 少し疲れた時に読むと、きっとエネルギーをもらえるような、そんな素敵な本だと思います。         (2019.4 記)

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村上春樹『海辺のカフカ』(上・下)2011・新潮文庫-生きることの不思議さとユーモアの大切さを味わう本物の物語

2025年04月15日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *    

 村上さんの新作『騎士団長殺し』を読んでいたら、『海辺のカフカ』を思い出しました。

 物語の底を流れるユーモアの質にじーじは同じような印象を受けました。

 特に、ホシノくんをめぐるユーモアと同質のように思える前向きなユーモアは絶品だと思います。

 どんなに苦しい状況でもホシノくんのようなユーモアがあれば、なんとかなれそうな気がします。

 『海辺のカフカ』については2012年にブログを書いていて、とても十分な文章とはいえませんが、しかし、全くの的外れでもないようなので、再録してみます。         (2017.  4 記)

     *

 2012年のブログです

 村上春樹さんの『海辺のカフカ』を再読しました。

 単行本が出てすぐ、ついこないだに読んだばかりのような気がしていたのですが(この間、いろいろな村上春樹論を読んでいたせいもあるかもしれません)、単行本は10年前に出ていますので、じつに10年ぶりの再読でした。

 一回目に単行本を読んだ時はやや急いで読んでしまったせいか、あまり深い感動というものまでは感じられないで終わってしまった印象でした(村上さん、ごめんなさい)。

 しかし、今回は自分が10歳、年を取ったこともあってか、一つ一つのエピソードがとても面白く、印象的でした(特にカーネル・サンダースとホシノくんのやり取りがとても面白くて、深刻な場面なのについ笑ってしまいました)。

 じっくりと味わいながら、終わりが来るのがもったいないような気持ちで読みました。 

 読み込んでいる最中には、時々、意識がどこかにいっているような感じもするくらいで、集中して意識や無意識を深めながら読めたように思います。

 そして、あちこちの箇所でいろいろな感情や気持ち、感覚、情動などを味わえたと思います。

 読後には精神的にリフレッシュしたような感じがしました。

 また、数年後に読みたいなと思うくらいに、とてもすごくて、いい小説だと改めて思いました。         (2012 記)

     *

 2019年6月の追記です

 7年ぶりに再読をしました。

 ゆっくり、ゆっくりと、味わいながら読みました。

 60代なかばで読む『カフカ』はまた魅力的でした。

 読む人の年齢、環境、生き方によって、それぞれの読み方ができ、感じ方ができるのでしょうが、年寄りになった今のじーじには、やはりホシノくんの存在が一番大きく感じられました。

 ただのヤンキーがナカタさんやカーネル・サンダースとのやり取りの中で成長する姿がとてもいいです。

 特に、カーネル・サンダースとのやり取りはすごく面白くて、電車の中で読むのは危険です。

 村上さんもおそらくかなり楽しみながら書いたのではないかと想像します。

 カフカ少年と母なる存在の佐伯さんとの関係では、覚えていることの大切さが印象に残りました。

 覚えていることで、死者は生きる者の中で意味を持ち続けるということでしょうか。

 また、虐待や遺棄については、いろいろな事情をわかることが赦すことにつながるということ、もテーマでしょうか。

 とにかく、一つの小説の中で、いろいろなことが重層的に語られている本当の意味での「物語」ではないかと思います。

 いい小説です。          (2019.6 記)

     *

 2020年12月の追記です

 先日、堀江敏幸さんと角田光代さんの『私的読食録』(2020・新潮文庫)を読んでいたら、角田さんが、『海辺のカフカ』は、理解するとか、解釈するとか、そんなことよりも、この物語のおもしろさをただ浴びればいいのではないか、と思った、と書いていて、同感!と思いました。         (2020. 12 記)

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2017年4月の「朝日新聞」村上春樹さんのインタヴュー「『騎士団長殺し』の執筆語る」

2025年04月05日 | 村上春樹さんを読む

 2017年4月のブログです

     *

 今朝の「朝日新聞」に載った村上春樹さんのインタヴュー「『騎士団長殺し』の執筆語る」を読みました。

 あまり自分の小説については語らない村上さんが、めずらしく少しだけ語っておられます(とはいっても、一面の半分程度のあいかわらず控えめな発言ですが…。小説について言いたいことは、できるだけ小説でしか表現しない、と日ごろからおっしゃっている村上さんらしいです)。

 印象的だったのは、やはり、子どもが誕生した結末について。

 何かを引き継いでほしいという気持ちがある、それが何なのか、自分でもよくわからないけれど、と正直に述べられています。

 また、びっくりしたのが、この小説を執筆中だった一昨年の秋に、東北の沿岸を一人で車で走ったということ(そういえば、そういう光景が小説の重要な部分として出てきます)。

 じーじも偶然、村上さんに少し遅れて昨年の5月の連休に車で走ってみましたが、精神的にかなり大きな衝撃を感じて、いろいろと考えさせられました(そのいきさつは昨年、ブログに書きました)。

 さらにはまた、最近、トランプさんに代表されるような、世界各地で見られる、異物を排除すれば世の中がよくなる、という考えへの危惧なども指摘されています。

 しかし、それらには、政治的な発言より、物語で語っていきたい、という小説家としての強い覚悟を持っておられるようで、そういったものを強く感じました。

 短く、質素な内容ながら、考えさせられることのとても多いインタヴューだと思います。         (2017.4 記)

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村上春樹 『国境の南、太陽の西』1995・講談社文庫-喪失と再生の物語を読む

2025年04月04日 | 村上春樹さんを読む

 2019年3月のブログです

     *

 村上春樹 『国境の南、太陽の西』(1995・講談社文庫)を再読しました。

 かなりひさしぶりです。

 この本も本棚の横の標高約120センチくらいの文庫本の山の中の標高10センチくらいのところに埋もれていて、読みたいなと思いつつも、なかなか読めずにいたのですが、今回、清水の舞台から飛び降りる覚悟で(?)、本の山を崩して、救出し、読むことができました。

 おもしろかったです。

 こんなに面白い本をしばらく読まずにいて、村上さん、ごめんなさい。

 しかし、少し、つらい本でもありました。

 あらすじは書きませんが、喪失と再生、がテーマでしょうか。

 いろんな読み方があるでしょうが、今のじーじには、そのように読めました。

 もちろん、何日かすると、別の感じ方ができるのかもしれません。

 それが村上さんの奥深さでしょうし、おもしろさでしょう。

 正解はないのでしょうし、いくつもあるのかもしれません。人生と同じように…(かっこういい!)。

 いずれにせよ、60すぎのじーじが熱中して読めるおもしろさ、わくわく感があり、いろいろと感じ、味わうことができる物語が確かにあります。

 名作の一つですね。

 また、数年うちに読みたいと、今回、思いました。

 本当にいい小説です。少しだけつらいですが…。

 蛇足ですが、この小説には奥さんと二人の女の子が出てきます。 

 以前、『騎士団長殺し』の感想文で、村上さんの小説の主人公に子どもが生まれたのは初めてでは、と書いてしまいましたが、この小説で出てきていました(村上さん、再びごめんなさい)。

 主人公に、お馬をねだる可愛い女の子です。

 ひょっとすると、やはり、子どもが救いの存在なのかもしれません。             (2019.3 記)

  

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村上春樹 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)2017・新潮社-その2・驚きと穏やかさと

2025年04月03日 | 村上春樹さんを読む

 2017年3月のブログです

     *  

 少し迷いましたが、村上さんの 『騎士団長殺し』(第1部・第2部)(2017・新潮社)の感想文の第2報を書いてみます。

 まだまだ読み終えていないかたも多いと思いますので、あらすじは書きません。

 しかし、結末を少しだけ書きます(村上さん、ごめんなさい。でも、売り上げはひょっとすると上がるかもしれません)。

 結末はなんと(!)、主人公が生まれてきた小さな娘の保育園の送り迎えをする、というものです(!)。

 驚き(!)の、びっくりでしょう(!)。

 村上さんの小説の主人公に子どもが生まれるのは、じーじの記憶ではたぶん初めてではないでしょうか(?)。

 1Q84では、主人公が妊娠をしたところで終わりましたが、今回は子どもが生まれました。

 もっとも、本当に自分の子どもかどうかは科学的にはあいまいなのですが、ここで信ずるということが出てきます。

 父親にとって、子どもが本当に自分の子どもかどうかは完全にはわからないことですし、結局は信ずるしかないのかもしれません。

 じーじが思うには、村上さんのこころの中で、変化というか、成長というか、成熟というか、何かが確実に進んでいるようです。

 心理学的に偉そうなことをいうと、エディプスコンプレックスを乗り越えたという印象を持ちますが、どうなのでしょう。

 そして、小さな娘の面倒を見ている主人公は、小説の中で、ちょうどその時に起こった東日本大震災の津波を映像を、娘には見せまいと必死の努力をします。 

 そんな小さな子どもを守ろうとする主人公を見ていると、村上さんも年相応にじーじになってきたなと思いました(村上さん、再びごめんなさい。でも、じーじになることはとても大切なことではないかと思います)。 

 じーじの勝手な思い込みと連帯感からですが、じーじになりつつある村上さんと一緒に生きていく幸せを感じて、前向きに、しかし、深く考え、感じて、生きていきたいなと思います。          (2017.3 記)

     *

 2019年6月の追記です   

 すみません、その後、村上さんの『国境の南、太陽の西』(1995・講談社文庫)を再読していたら、子どもさんが出てくることに気づきました(気づくのが遅い!)。こちらも可愛い女の子です。           (2019.6 記)  

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