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ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや海岸カウンセリングなどを研究しています

村上春樹『シドニー!』(①コアラ純情篇・②ワラビー熱血篇)2004・文春文庫-村上さんのシドニー五輪観戦記

2025年08月28日 | 村上春樹さんを読む

 2021年8月のブログです

     *

 村上春樹さんの『シドニー!』①コアラ純情篇・②ワラビー熱血篇(2004・文春文庫)を久しぶりに読みました。15年ぶりくらいです。

 文字通り、村上さんのシドニー五輪観戦記。

 雑誌「ナンバー」の依頼原稿とのことです。

 しかし、村上さんのこと(?)、オリンピックなんてちっとも好きじゃないんだ、とおっしゃいます。

 事実、開会式は途中で退席します。

 すごい観戦記(?)です。

 いいなあ、自由で。

 村上さんは、最近のオリンピックの商業主義やメダル至上主義に反対をします。

 選手のことを考えない開会式や閉会式を批判します(村上さんは他の本でも、市民マラソン大会での来賓の長い挨拶が選手のことを考慮していないと参加者の立場から批判をしています)。

 一方、たまたま観戦した競技で、一所懸命にプレーをする選手たちの姿に感動をします。

 そして、村上さんの真骨頂ですが、オーストラリアの先住民であるアボリジニの選手の苦悩を描きます。

 ここは感動的で、しかし、なかなか読むことも苦しいドキュメンタリーです。

 合間のオーストラリアの風景描写は楽しいです。

 なかなかいい国みたいです(もちろんアボリジニの問題をはじめとして表と裏があるのですが…)。

 今回の東京五輪を振り返ってみても、考えることの多い本です。       (2021.8 記)

     *

 2024年9月の追記です

 じーじは今年のパリ五輪もテレビをほとんど見ませんでした。

 なんだかわけのわからない競技が増えて面白くありませんし、たしかに商業主義が見え隠れしています。

 金メダルの数が増えても、感動がないです。

 選手の頑張りはすごいと思いますが、それは選手をほめればいいのであって、国家がすごいわけでもないでしょう。

 もっと純粋にスポーツのすばらしさを楽しみたいと思います。      (2024.9 記)

 

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村上春樹『一人称単数』2020・文藝春秋-死の影、邪悪なるもの、そして、黒ビール

2025年07月14日 | 村上春樹さんを読む

 2020年7月のブログです

     *

 村上春樹さんの新しい短編集『一人称単数』(2020・文藝春秋)を読みました。

 6年ぶりの短編小説集ということで、8作からなります。

 面白かったです。

 短編小説集というのは、いろいろな小説が入っているので、それぞれに感じるところがあって、面白いです。

 いわば、日替わり定食みたいで、どれもそれぞれにいいです。

 ここで、突然、日替わり定食のたとえが出てきたのは、おそらくは、最近、読んだ原田マハさんの『まぐだら屋のマリア』(2014・幻冬舎文庫)のせいだと思うのですが、そういえば、マハさんのこの小説も、死、邪悪、そして、生き残ることなどがテーマだとも読めます。

 さて、村上さんの短編集。

 それぞれに味わい深い小説が並びますが、そこに流れている共通なもの、それは、死の影、邪悪なるもの、などでしょうか。

 もちろん、これは、あくまでも、じーじの今の感じ方ですが、ただ、村上さんの小説といえば、『羊をめぐる冒険』以来、死と邪悪なるもの、がテーマの一つではないか、とじーじは思っていて、この短編集でもそれを感じてしまいます。

 そんな中で、「クリーム」に出てくる関西弁の不思議な老人、知恵を授けてくれるかのような「老賢者」のような老人、ここの場面でじーじはなぜか河合隼雄さんを思い浮かべました。河合さんが大切なことを関西弁でしゃべっている…。

 そして、黒ビール。

 これは、「ヤクルト・スワローズ詩集」という短編に出てくるのですが、村上さんは、自分の書いている小説を、みなさんの好まれる普通のラガービールでなく、黒ビールにたとえます。

 ちょっと苦いけど、奥の深い黒ビール。

 いいですねぇ。じーじも大好きです。

 文字通り、味わい深い短編集です。      (2020.7 記)

 

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村上春樹・柴田元幸『本当の翻訳の話をしよう』2019・スイッチパブリッシング-翻訳について語り合う

2025年07月12日 | 村上春樹さんを読む

 2019年7月のブログです

     *

 村上春樹さんと柴田元幸さんの『本当の翻訳の話をしよう』(2019・スイッチパブリッシング)を読みました。

 柴田さんは東大の英文学の教授を長くされて(その割にラフなかたです)、村上さんの翻訳を手助けされてきたという関係にあって、このお二人の肩のこらない、しかし、結構、研究っぽいところもある真摯な本です。

 英文学のお話だけでなく、明治時代の翻訳、二葉亭四迷などから今の翻訳に至るまでが語られたりしていて、興味深いです。

 また、二葉亭四迷が明治時代に文語体でなく口語体の小説を書こうとしてうまく書けずに、まずはロシア語で書いてみたというお話と、村上さんがデビュー作を書こうとしたもののうまく書けずに、まずは英語で書いてみたというお話が紹介されていて、新しい日本語の小説を書くことのたいへんさが少しだけわかったような気がしました。

 村上さんの、一見ポップだけれども、しかし、骨格のしっかりとした日本語が、じつは英語経由だったと知って、なんとなくうなづけました。

 さらに、本書の圧巻は、英文学の有名なところを、村上さんと柴田さんが訳し、それをお二人で詳細に比較、検討している箇所。

 取り上げられた英文学の作者は、チャンドラー、フィッツジェラルド、カポーティ、などなど。

 英語が大の苦手なじーじでも、お二人の訳の違いやそこの込められた考え、思想、などがわかります。

 お二人がご自分の訳にこだわらずに、自由に検討をされる様子は、まるで極上のケース研究を見ているようで、とても魅了されました。

 やはり一流の人たちというのは、本当に自由にデスカッションができるのだな、と思いました。

 じーじもお二人を少しでも見習って、こころと頭を自由に保って、人間や社会を深く、冷静に視ていきたい、と思います。    (2019.7 記)

     *

 2021年夏の追記です

 増補版が文庫で出ましたので(2021・新潮文庫)、読んでみました。

 元の本の8本の対話などに、新しく8本の対話などが加えられて、倍の分量、それが文庫本で読めるのですから、お得です。

 しかも、分量が増えたことで、中身がさらに充実をして、深まった感じがあって、さらにいい本となりました。

 翻訳家の柴田さんと、小説家で翻訳家の村上さんの違いも少し出てきて、参考になりました。

 一番のびっくりは、村上さんが文章がうまい小説家として藤沢周平さんを挙げていらっしゃるところ。

 じーじはどちらも大好きな小説家さんですが、こんなところにつながりがあるとは思いませんでした。

 もっともっと読み込んでいきたいと思いました。      (2021.7 記)

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村上春樹 『ねじまき鳥クロニクル』(第1部~第3部)1998・新潮文庫-邪悪なるものとの戦いの物語

2025年06月25日 | 村上春樹さんを読む

 2019年7月のブログです

     *

 村上春樹 さんの『ねじまき鳥クロニクル』(第1部~第3部)(1998・新潮文庫)を再読しました。

 これもかなりの久しぶり。ところどころ記憶がありましたが、じっくりと味わいながら読んでみました。

 少し暗いですが、重厚な小説です。

 これまでは何となく暗いというイメージが残っていて、再読が遅くなってしまいました(村上さん、ごめんなさい)。

 しかし、いい小説です。

 あらすじはあえて書きませんが、邪悪なるものの存在とそれとの戦い、そして、こころ休まるもの、ということになるでしょうか。

 邪悪なるものは世の中に確かに存在するようです。

 しかも、人々のこころの中にも確かに存在します。

 それゆえに、それとの戦いはとても困難になります。

 外部の他者との戦いはなんとかできても、自己のこころの中の邪悪なるものとの戦いは非常にたいへんでしょう。

 つい妥協しがちになるかもしれません。

 それとの関連で、ここでも戦争の残酷さや悲惨さが出てきます。

 そして、外部状況としての戦争の残酷さだけでなく、普通の庶民が、戦場でいかに残酷な行為をしてしまうものか、村上さんはおそらく怒りもこめて描きます。

 村上さんの戦争への強い抗議と、それにもかかわらずに人々が意外と容易に戦争に賛成してしまう危うさをも描きます。

 そんな中で、笠原メイという少女の存在がこころ休まります。

 決して、いい子、ではないのですが、ものごとの本質を考え、見つめようとする存在で、いわゆるトリックスターの役割でしょうか。

 硬直したものをうち破り、遊びと創造に通じていきます。

 素直な考えがいかに大切かが描かれます。

 いい小説が読めて、幸せなひとときでした。      (2019.7 記)

     *

 2022年春の追記です

 ロシアのウクライナ侵略の残忍さを見ていると、この小説の奥深さをつくづく感じさせられます。      (2022.4 記)

 

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村上春樹『神の子どもたちはみな踊る』2002・新潮文庫-喪失、希望、再生を描く

2025年06月22日 | 村上春樹さんを読む

 2022年6月のブログです

     *

 かえるくんが出てくる(!)村上春樹さんの短編集『神の子どもたちはみな踊る』(2002・新潮文庫)をかなり久しぶりに、おそらく15年ぶりくらいに読む。

 年のせいか、小説を読むスピードが遅くなってきた最近のじーじにはめずらしく、六つの短編を一日で読んでしまった。

 もったいない。

 再読が遅くなってしまったのは、この短編集の中で、じーじが一番好きな「かえるくん、東京を救う」のあらすじをなんとなく覚えていたせいだが、他の短編はまったく中身を忘れていた。

 昔、飲み会で、この本の話が偶然出て、同僚の若い女の子が、わたしは「蜂蜜パイ」が好きです、といい、じーじは、「蜂蜜パイ」はたしか淋しいくまさんのお話だったよな、そういうお話が好きなんだ、ふーん、という程度に聞いていたが、今回読み返してみると、すごい恋愛小説でびっくりした。

 あの子はこんなすごい恋愛小説が好きだったんだ、と今さらながらに見直したが(?)、じーじの記憶がまったく当てにならないことを改めて想い知らされてしまった。

 他の「UFОが釧路に降りる」「アイロンのある風景」「神の子どもたちはみな踊る」「タイランド」の四作もすばらしい。

 いずれも、例によって、あらすじは書かないが、生きるうえでの偽善、喪失、断念、希望、再生、などなどが、一見軽妙な文章の中で深く描かれている印象を受ける。

 読み手の人生と相まって、いくらでも広がりと深まりを感じさせてくれるのではなかろうか。

 今ごろ褒めるのもなんだが、いい短編集だ。

 今度はもっと早めに再読をしたい。     (2022.6 記)

     *

 2023年5月の追記です

 本書の「蜂蜜パイ」が好きだという女の子が神田橋條治さんの大フアンで、神田橋さんの研究会で自分のケースのスーパーヴィジョンをしてもらったことがあるという。 

 勇気があるというか、うらやましいというか、すごいお話で、優秀な後輩の成長が楽しみだ。     (2023.5 記)

 

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村上春樹 『ノルウェイの森』(上・下)1987・講談社-死と生に真摯に向き合う物語

2025年06月10日 | 村上春樹さんを読む

 2019年6月のブログです

     *

 村上春樹 さんの『ノルウェイの森』(上・下)(1987・講談社)を再読しました。

 まだ余韻にひたっていて、うまいこと文章が書けるかどうか心配ですが、なんとか書いてみます。

 『ノルウェイの森』を読んだのはかなり久しぶり、感想文を書くのは今回が初めてです。

 前回、読んだ時にも、いい小説だな、と思ったのですが、とにかくいい人が大勢死ぬので、いいんだけど暗い小説だな、というイメージが残ってしまい、再読がすごく久しぶりになってしまいました。

 今回は何を感じたでしょうか。

 一つは、死ぬことの辛さ、哀しさと生き残る者への打撃。

 生き残るということの大変さを感じました。

 もう一つは、そうはいっても、生き残ること、生き抜くことの尊さ。

 人はどんなに苦しくても、そうやっておとなになるのでしょうし、そこに生きる意味の一つがあるのだろうなと感じます。

 もっとも、解説めいたことを言っても仕方がない感じがしていて、この生き抜くことの大変さ、しんどさ、そして、すごさ、すばらしさを、ぜひ、村上さんの文章で味わってほしいな、と思います。

 おそらく、何回読んでも色あせない文章だろうと思います。

 こころの底のほうから揺り動かされるような、すごさがあります。

 こう書いても、今、じーじが感じていることの何分の一しか表現できていないもどかしさを感じますが、とにかくすごいです。

 年を取ったせいか、昔より死が遠い存在ではなくなってきている気がしていて、ひょっとすると少しずつ受け容れられるようになってきているのかもしれません。

 しかし、だからこそ、生きることを大切にしたいですし、若い人たちが大切にできるように応援していきたいと思います。

 そういうことを考えさせてくれるいい小説だと思いいます。      (2019.6 記)

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村上春樹『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』2011・マガジンハウス-世間との違いを大切にすること

2025年06月08日 | 村上春樹さんを読む

 2011年のブログです

     *   

 村上春樹さんの『おおきなかぶ、むずかしいアボカド 村上ラヂオ2』(2011・マガジンハウス)を読みました。

 面白かったです。

 あまりこの欄には関係がないと思うかもしれませんが、河合隼雄さんと夢についての章もあります。

 あらためて思ったのは、村上さんの小説やエッセイに惹かれるのは、ひょっとするとじーじと趣味、嗜好が似ているのかなと思いました。

 一番頷けたのは、村上さんが気に入った店がつぶれてしまうという話。

 実はじーじもまったく同じで、うちの奥さんには、疫病神では?と言われています。

 きっと、世間一般大衆が熱狂するものと違ったものが好みなのかもしれません。

 そういえば村上さんはヤクルトファンでしたね。

 じーじは日ハムファンです。

 しかし、このことは臨床心理家にとっては大切なことかもしれません(小説家にとってはもちろんですが…)。 

 世間一般大衆と同じになれない人が、悩むわけですから…。

 でも、その悩みは実は大切なことかもしれません。

 そういったことをクライエントさんと話し合っていきたいなと思っています。    (2011 記)

     * 

 2018年秋の追記です

 日ハムに金足農高の吉田くんが入りましたね。

 日ハムはあまり強くならないで、ほどほどなのが私の理想(?)なのですが…。     (2018.10 記)

        *

 2019年12月の追記です   

 つい最近、じーじの好きなお店がまた一つ閉店してしまいました。やっぱり疫病神かも…(?)。

 吉田くんはほどほどでいい感じ(?)です。     (2019.12 記)

     *

 2023年夏の追記です

 ずいぶん前のブログですが、なかなかいいことを書いていますね(えっへん)。

 じーじは年とともに世間とのずれが大きくなって、たいへん。

 どんどん生きにくくなっています。

 しかし、臨床家はそれでいいのかな?とやっぱり思ったりしています。     (2023.8 記)

 

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村上春樹 『遠い太鼓』1993・講談社文庫-村上さんのギリシャ・イタリア滞在記です

2025年05月22日 | 村上春樹さんを読む

 2019年のブログです

     *

 村上春樹さんの『遠い太鼓』(1993・講談社文庫)を再読しました。

 村上さんの1986年から1989年にかけてのギリシャとイタリア滞在記です(村上さんはこの間に『ノルウェイの森』と『ダンス・ダンス・ダンス』を書いています)。

 この本はかなり前から再読をしたかったのですが、やはり本棚の脇の文庫本の山の中に埋もれていて、背表紙は見えているのになかなか出せず、今回ようやくなんとか引っ張り出して読めました。 

 面白かったです。

 30歳後半の若い村上さんと奥さんの姿を見ることができて、とても楽しいです。

 先日、ご紹介をした村上さんのアメリカ・プリンストンの滞在記である『やがて哀しき外国語』の少し前の外国滞在記になりますが、村上さんの行動や考え方がやはりかなり若い感じがして、これはこれで好ましいです。

 ギリシャやイタリアでのできごともとてもおもしろいのですが、じーじが印象に残ったのは、むしろその間の日本のできごととの落差の大きさで、日本の特殊性やある種の危なさを村上さんは鋭く感じています。

 一種の時代評論、社会評論としても読めるかもしれません。

 一つ発見をしたのは、村上さんも人混みが嫌いということ。

 ここの共通点でじーじは村上さんの書くものが好きなんだなと今回、わかりました。

 人混みが嫌いで、人の少ないところでのんびりすること、そして、ゆったりとビールを呑むこと、ここに幸せを感じるようです(?)。

 小さな幸せを大切にすること、その幸せを守ること、そこに村上さんの小説の大切なことがあるような気がします。     (2019.3 記)

     *

 2021年夏の追記です

 2年半ぶりに再読をしました。

 堀田善衛さんの『オリーブの樹の蔭に-スペイン430日』(1084・集英社文庫)を読んでいたら、村上さんの『遠い太鼓』も読みたくなって、読みました。

 スペイン、ギリシャ、イタリア。

 どちらの本もヨーロッパでの作家さんの生活を描きますが、思うのはやはり日本の異常さ。

 日本にいるとわかりにくいですが、日本の社会もマスコミもかなり異常なように感じられます(その無責任さ、集団性、金権傾向、などなど)。

 その歪みの一部が、いじめや虐待などとして現われてしまっているのでしょう。

 いじめや虐待などの渦中にいると絶望しかないかもしれませんが、日本が特殊なだけで、世界は違うようですよ。

 もう少し多様性があるようです。

 世界の多様性を知ることはやはり大切なことのようです。      (2021.8 記)

 

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村上春樹・柴田元幸『翻訳夜話』2000・文春新書-翻訳という生き方

2025年05月17日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

     *

 村上春樹さんと柴田元幸さんの『翻訳夜話』(2000・文春新書)を久しぶりに再読。

 ついこの間読んだような気がしていたが、19年も経っていた(村上さん、ごめんなさい)。

 そういえば、この時点で、村上さんは、キャッチャー・イン・ザ・ライもグレイト・ギャッツビーもまだ訳していなくて、いずれ訳してみたい、と話されている。

 話したことでこれらの翻訳が実現をしたということもあったのかもしれない。

 村上さんと柴田さんの翻訳をめぐる話は読んでいて、とても楽しい。

 東大の柴田さんの教え子さんたちの質問に答えたり、翻訳学校の生徒さんとお話したり、翻訳家のたまごさんたちと議論をしたり、いろんなレベルの人たちとの話の中で、村上さんの翻訳や小説などについての考えが読めて、刺激的だ。

 そして、面白かったのは、村上さんの「カキフライ理論」。

 就職試験などで、原稿用紙3枚で自分について書きなさい、と言われた時は、自分の大好きなカキフライ(別に、トンカツでも天丼でもなんでもいいのだが…)について書くと、3枚で自分のことが表現できる、という理論で、これはすごいと思う。 

 つまり、部分を書くことで全体を表現できる、という文学のすばらしい面をうまくあらわしている、とじーじなどは感心する。

 ないものねだりだが、じーじのブログもそうありたい、と祈りたい。     (2019.3 記)

 

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村上春樹 『猫を棄てる-父親について語るとき』2020・文藝春秋-村上さんが猫とお父さんを語る

2025年05月13日 | 村上春樹さんを読む

 2020年4月のブログです

     *

 村上春樹さんの『猫を棄てる-父親について語るとき』(2020・文藝春秋)を読みました。

 つい最近、出た本ですが、小さな本ですので、あっという間に読んでしまいました。

 しかし、内容は深いです。

 村上さんのお父さんのことを書いた本ですが、村上さんとお父さんとの二人の思い出も出てきます。

 タイトルの、猫を棄てる、はそういう思い出の一つ。

 不思議な、しかし、少しだけほっとする、猫とのお話です。

 一方、お父さんのお話は、その青春時代が戦争中と重なっていて、なかなかつらいものがあります。

 中国で捕虜を虐殺するのを見た、という話を村上さんのお父さんがされるのを、村上さんは一回だけ聞いたことがあるそうですが、それがお父さんだけでなく、村上さんのこころにも、大きな影響を与えていることが記されています。

 父子の葛藤は当然のことですが、村上さんの場合も、かなり大変だったようです。

 村上さんがよく見たというテストで苦しんでいるという悪夢(?)もよくわかる気がします。

 村上さんの文章は淡々と書かれていますが、その底には深い感情がこもっています。

 特に、お父さんのお話を書かれている文章は、淡々とした奥に戦争や国家への憤りみたいなものが感じられます。

 それは人が生きることの哀しさやつらさと裏表になっているかのようです。

 小さな本ですが、何度でも繰り返して読める、一片の詩のような本だと思います。

 いい本に出会えたと思います。     (2020.4 記)

 

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村上春樹 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)1991・講談社文庫-『羊をめぐる冒険』の世界へ

2025年05月11日 | 村上春樹さんを読む

 2019年6月のブログです

     *

 村上春樹さんの 『ダンス・ダンス・ダンス』(上・下)(1991・講談社文庫)を再読しました。

 なんとなく、あらすじの一部をぼんやりと覚えているような気がしていたので、再読がしばらくぶりになってしまいましたが、細部はほとんど忘れていたので、例によって(?)、またまたとても新鮮な気分で読んでしまいました。

 さきほど、読み終えたばかり、この感情をどう表現したらいいのか、戸惑います。

 やはり、すごい小説です。

 今まで思っていた以上にすごいです。

 読むほどに、生きる経験を積んで読むほどに、うなずけることと不思議さの両方が、哀しみや微笑みや笑いととともに増えていきそうな小説です。

 そう、この小説の中で、読者は人生を生き、哀しみ、苦しみ、喜び、そして、死を眺めるのだと思います。

 生きることのしんどさ、辛さ、苦しさが描かれます。

 そんな中での小さな喜び、楽しさ、スリルが描かれます。

 読みながら強く感じるのは、生きることは哀しいですし、少しだけ楽しいこと。

 そんなことを感じさせてくれる小説ではないでしょうか。

 一方、偽りの幸せを生きる危険や生きたまま死んでいるかのような虚飾の生き方の危なさも描かれます。

 真に生きるとはどういうことなのか、子どもからおとなまで、区別なく、村上さんは真摯に描きます。

 若者もおとなも深く考えさせられる、いい小説だと思います。    (2019.6 記)

 

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村上春樹 『やがて哀しき外国語』1997・講談社文庫-村上さんのプリンストン滞在記です

2025年05月05日 | 村上春樹さんを読む

 2019年春のブログです

     *

 村上春樹さんのエッセイ『やがて哀しき外国語』(1997・講談社文庫)を再読しました。

 じーじが持っている本は2011年発行で、読むのはおそらく今回が3回目くらいかなと思います。

 もっと早くに再読したかったのですが、なぜか本棚の脇の文庫本の山(!)の下のほうに埋もれていて、やっと今回、救出(?)できました。

 面白かったです。

 そして、読んでいて、心地良かったです。

 村上さんのエッセイは文章のテンポがじーじと合うというか、のんびりな感じがして、あまり切れきれでないところがいいのかもしれません(?)。

 本書は村上さんがプリンストン大学で少しだけ授業を持っていた2年間のエッセイなのですが、村上さんらしさがたくさん出ていて面白いです。

 一例ですが、村上さんは当時、日本では新聞を取っていなかったとか、ニューヨークタイムスを毎日読むのは大変だとか、意外な一面を披露します。

 そういうある意味、ふだんのできごとについて、村上さんのあまり構えていない自然な雰囲気が垣間見られます。

 ご本人はあえて、何かを主張しようとされていないような感じで、しかし、少しずつ村上さんの世界が迫ってくるような、そんな印象です。

 そこが、村上ファンにはたまらないのかもしれません。

 比較的小さな本なので、気軽に読めるところもいいです。

 気分転換やこころのお掃除にぴったりのエッセイではないでしょうか。

 今度はもっと早めにまた再読をしようと思いました。     (2019.3 記)

 

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村上春樹『女のいない男たち』2016・文春文庫-おとなが味わう不思議な小説たち

2025年05月04日 | 村上春樹さんを読む

 2016年のブログです

     *  

 村上さんの短編集『女のいない男たち』(2016・文春文庫)を読みました。

 単行本は2014年に出ましたので、3年ふりの再読です。

 いつものことですが、年のせいもあって記憶力が低下しており、あらすじをかすかに覚えている作品もありましたが、ほとんど初めて読むように(?)、新鮮な気持ちで読みました。

 不思議な味わいの小説が多いです。

 そしておとなが楽しめる小説だと思います。

 じつは今、河合俊雄さんの『村上春樹の「物語」-夢テキストとして読み解く』(2011・新潮社)を再読中です。

 その中で河合さんが、村上さんの小説はあまり分析をしても意味がなく、純粋に味うことが大切、と指摘をされています。

 そんな中で感想を述べることはやや難しいのですが、この短編集は、読むとどんどん「不思議な」感覚の中に入っていくような気がします。

 個人的には、どさんこの女の子が出てくる「ドライブ・マイ・カー」(雑誌に連載当時、ある町にはなにもない、という表現が問題になりましたが、今や何もない大自然ということが逆に大きな意味があると思うのですが…?)が好きです。

 また、魅力的な若者たちが出てくる「イエスタディー」、そして、大人の味わいの「木野」などの作品が好きです。 

 いずれの作品もおとなの男女の姿や内面をとてもうまく描いているように思います。

 そして、村上さんの文章はやっぱり本当にうまいな、と感心をします。

 深い思いが、最高の文章にのって、うまく表現をされているような印象を受けます。

 何度もじっくりと味わうことで、おそらくは読者のかたがたも人生の深みを味わうことができそうな短編集のように思います。

 これからもていねいに、深く味わいながら読んでいきたいと思います。   (2016 記)

 2020年10月の追記です

 岩宮恵子さんの『増補・思春期をめぐる冒険-心理療法と村上春樹の世界』(2016・創元こころ文庫)に本書についての論文が載っており、やはり思春期に焦点を当てて分析をしていて、なかなか刺激的です。   (2020.10 記)

 

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村上春樹『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』2018・文春文庫

2025年04月29日 | 村上春樹さんを読む

 2018年4月のブログです

     *   

 村上春樹さんの『ラオスにいったい何があるというんですか?-紀行文集』(2018・文春文庫)を読みました。

 2015年に単行本が出ていて、2回くらい読んでいたのですが、今回の文庫本には、その後にあった熊本地震の後に書かれた「熊本再訪」が収録されているとのことでしたので、さっそく買ってしまいました。

 やっぱりおもしろかったです。

 表題は、ラオスに行く途中に、飛行機の乗り継ぎで寄ったヴェトナムのハノイの人の言葉ですが、村上さんは、その何かを探すために旅をするのだと思う、と書いています。

 たしかに、団体旅行やパック旅行とは違って、自分の足で歩く旅というのは、そういうものかもしれません。

 今回の村上さんの旅は、ボストン、ニューヨーク、ギリシャ、イタリア、ラオス、アイスランド、フィンランド、熊本、などなど。

 アイスランドはじーじの大好きなシーナさんも訪れていて紀行文がありますが、なかなか興味深い国のようです。

 シーナさんも村上さんも、アイスランドの火山や生きもの、料理などをていねいに報告されていて、しかし、それぞれにお二人の人柄が出ている感じがあって、おもしろいです。

 特に、村上さんのパフィンの赤ちゃんのお話は、こころ温まるものでした。

 ギリシャとイタリアは、村上さんが昔、『ノルウェイの森』などを書いた思い出の地。

 当時、日本のバブル景気のバカ騒などから逃げて、静かな外国に出られた村上さんにとって、現在、現地の建物などは変わっても、人々の暮らしや人情などは、全然変わっていないことに安堵している姿が印象的です。

 ラオスでは、托鉢の僧侶と人々の姿を見て、「儀式の力」や「場の力」を考えます。

 また、ガムランの音楽を聴いて、「土着の底力」についても考えます。 

 いずれも、単なる理性だけでなく、無意識や宗教などについて深く考え、書いておられる村上さんならではの旅のように思われました。

 おもしろい旅の連続なのですが、そこには何か哀しみや慈しみが流れているような村上さんの旅行記は、読んでいてとても心地よいもので、読者もいい旅をしたような気分にさせられます。

 じーじも楽しく、そして、有意義な旅をさせていただいたように思います。         (2018.4 記)

     *

 2024年春の追記です

 追記が遅くなりましたが、シーナさんもラオスやベトナム、ミャンマーなどを旅しています。

 古き良き時代が残っていて、素敵な国々のようです。

 シーナさんものんびりといい旅をされています(今、ミャンマーは大変ですが、平和になることを祈っています)。       (2024.4 記)

 

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村上春樹 『羊をめぐる冒険』(上・下)1985・講談社文庫-ふしぎな「冒険」を味わう

2025年04月25日 | 村上春樹さんを読む

 2015年のブログです

     *   

 村上春樹さんの『職業としての小説家』を読んでいたら,村上さんの小説も読みたくなり,本棚の上に積み上げていた文庫本の『羊をめぐる冒険』を読みました。

 約10年ぶりくらいで,5回目くらいの再読です。

 しかし,とっても新鮮でした。

 あらすじや表現がうろ覚えになっていたというせいもあるのかもしれませんが,ドキドキ,ワクワクしながら読み通しました。

 文体というか,文章がやはり新鮮です。

 こんな文章は村上さんくらいでしょう。

 個人的には,樋口有介さんの文章が少し近い気もしますが,これだけ深く,重い内容を,これだけ軽やかな文章で表せるのは,やはり村上ワールドだと思います。

 今回,気づいたのは(今頃になって気づくのは少しはずかしいのですが…),底流に大きく流れているのは,戦争と権力に反対するというテーマ。 

 戦争,国家,権力,仕事などといった大きなテーマと,個人,恋愛,性といった深いテーマが,重層的,多面的,そして,総体的に扱われているところが魅力の源泉のような気がします。

 それを頭だけではなく,こころ全体に感じることを大切にして描いているので,いつまでも,誰にでも,新鮮に読まれるのではないかと思います。

 またいつかじっくりと読んで,こころを豊かにしたいと思いました。 (2015 記)

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 2017年秋の追記です

 本日のお昼にこの記事の何回目かの更新をしましたところ、夕方、BSのテレビ番組でなんと、羊をめぐる冒険、の番組をやっておりました。

 こういう偶然はたまにあるのですが、本当にうれしいものです(ユングはこれを意味のある偶然といっています)。

 今日は前編で、来週に後編があるとのことなのですが、来週は学会で名古屋に行っていて、見れるかどうか…。

 本当にうれしいびっくりですが、ここからが、遊びごごろの大切なところかもしれません。

 いかに柔軟に、楽しく、ゆとりを持っていけるのか、遊びごころの真価(?)が問われそうです。 (2017.10 記)

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 さらに追記です

 なんと、結局、後編放映の日は、じーじにしてはめずらしく真面目に学会で勉強をして、テレビは見れませんでした。

 いい場組だったので、再放送を楽しみにしています。

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 2019年6月の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 一番最初に感じたのは、村上さんの文章が「若い」ということ。

 「若い」文章とは何か?と聞かれると、うまく答えられませんが、なんだか「若い」です。

 じーじが年を取ったせいで、そういうことを感じるのかもしれません。

 今回、印象に残ったことは、欲望、権力、戦争、そして、友情。欲望と権力の際限のなさ、戦争と権力の怖さ、それに対抗できるものの一つとしての友情。

 そういったことを考えながら、感じながら、味わいながら、物語として読んでいました。

 少しはこころが豊かになったでしょうか。それは今日からのじーじの歩みが語ることになるのでしょう。 (2019.6 記)

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 2021年1月の追記です

 河合隼雄さんが『青春の夢と遊び』の中で本書について述べていることをすっかり忘れていました(河合さん、ごめんなさい)。

 河合さんのご指摘はとても鋭く、印象的です。 (2021.1 記)

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