ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

田中千穂子『プレイセラピーへの手びき-関係の綾をどう読みとるか』2011・日本評論社-その2・プレイセラピーを言葉にする

2023年12月31日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 田中千穂子さんの『プレイセラピーへの手びき-関係の綾をどう読みとるか』(2011・日本評論社)を再読しました。

 2011年に簡単なブログを書いていますが、なんと7年ぶり。

 この間、修士論文の引用文献にさせてもらったりして、断片的な再読はしていましたが、改めての通読は本当に久しぶりになってしまいました(田中さん、ごめんなさい)。

 しかし、やっぱりすごい本です。

 プレイセラピーをこれだけ言葉にできた本は少ないと思います。

 子どもの動きだけでなく、セラピストの動き、セラピストのこころの動き、それらがとてもていねいに、細やかに記されています。

 田中さんがおっしゃる、セラピストの洗練された主観性、経験に裏づけられた専門的な勘、そういったものを高める工夫が示されます。

 そして、田中さんのセラピーで圧巻なのが親への援助。

 親への援助なしに子どもを助けることはできないという田中さんの強い覚悟が見えます。

 しばしばプレイセラピーが母子同席セラピーから始まるのも道理ですし、親子並行面接を含めてのプレイセラピー、という田中さんの主張にもうなずけます。

 同じ遊戯療法家のゲリー・ランドレスさんの、遊びは子どものことばである、という言葉をひかれていますが、子どもは本当に遊びの中でいろいろなことを示し、いろいろな成長をし、いろいろな創造をします。

 それを支えるのがセラピストのユーモアであり、遊びごごろであり、新鮮さであるようです。

 ウィニコットさんとの共通性を感じながら、とても勉強になりました。

 少しでも近づいていきたいと思います。   (2018 記)

 

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娘が初めて巫女さんのアルバイトをした頃の思い出-子どもがおとなになっていく時を見守ること

2023年12月31日 | ひとりごとを書く

 12月に入り、ニュースを見ていると、時々、巫女さんの出てくるニュースを見かけます。

 巫女さんのニュースを見ると、じーじの娘が高校生の時に、初めてのアルバイトで巫女さんになった時のことを思い出します。

 その時の親子してのドタバタを以前、ブログに書かせていただきましたが、今年も再録します。  

     *   

 年末のニュースを見ていたら、神社の巫女さんのニュースが出てきました。

 それを見て、じーじの娘が初めて巫女さんのバイトをした頃のことを思い出しました。

 今から10数年前、娘が高校1年の冬です。

 朝早く、暗いうちからのバイトということで、親バカのじーじが車で神社まで送りました。

 大みそかの日、お昼のニュースを見ていると、なんと娘が映りました。

 いっちょまえの格好をして、熊手を渡しています。

 娘の渡す熊手でご利益があるのかな、と思いながらも、そういう娘の姿を見て、ふと、この子はじーじに何かがあっても、もう自分で生きていけそうだな、と感心したことを覚えています。

 それまで、妻と二人で、娘と息子を必死で一所懸命に育て、守ってきていましたので、少し安心した感じでした(実際には、娘はその後、私立の大学に進んだので、さらにたくさんのお金がかかったのですが…)。

 高校生のアルバイトには賛否両論があると思いますが、社会性をはぐくむという点ではいいのかもしれません。

 そんな娘も今は2人の女の子の母親。時々、孫娘たちと一緒に遊びに来ます。

 そういう時、正真正銘のじいじいになるじーじは、2人の孫娘たちを相手に遊戯療法のお稽古をさせてもらっています。

 孫娘たちも10年後、巫女さんのバイトをして、テレビに映るでしょうか。  

 二人とも美人ちゃんだからひょっとすると映るかもしれません。

 じーじの夢は果てしなく広がります。  (2014?記)

     *

 2019年12月の追記です   

 今日のお昼のニュースを見ていたら、娘がバイトをした新潟の神社で、高校生のバイトらしき可愛い巫女さんが映りました。

 寒い中で高校女子は今も頑張っているようです。   (2019.12 記)

 

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田中千穂子『プレイセラピーへの手びき-関係の綾をどう読みとるか』2011・日本評論社-その1・プレイセラピーに学ぶ

2023年12月30日 | 子どもの臨床に学ぶ

 2011年のブログです

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 田中千穂子さんの『プレイセラピーへの手引き-関係の綾をどう読みとるか』(2011・日本評論社)を読みました。

 田中さんは、遊戯療法学会で2回ほどお話をお聞きしたことがあるのですが、いつもとてもわかりやすく、しかも子どもさんとお母さんの両方に優しい目配りをされていて、素敵だなと感心させられるお話でした。

 今回の本は、プレイセラピーをできるだけ言語化したということで、本当に判りやすい記載で、すごいなと思いました。

 じーじも少しでも同じような営みをしたいなといつも考えていますが、まだまだ修行不足だなということを改めて反省させられました。     (2011.5 記)

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 2023年12月の追記です

 読み返してみると、この時、すでに遊戯療法学会で、田中さんのお話を2回お聴きしていたのですね。

 じーじ、えらい!えらい!です。

 家庭裁判所で、別れた親子の面会交流の試行をするようになって、子どものこころを理解するためには、遊戯療法の勉強をしなければまずいのではないか、と思うようになったのですが、正解でした。

 それまでの、精神分析や心理療法、家族療法などの知識に加えて、遊戯療法の知識はすごく参考になりました。

 遊戯療法学会で、田中さんや山中康裕さんのお話を生で聴けたことは、じーじの宝物になっています。

 さらに勉強を続けていこうと思います。  (2023.12 記)

 

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椎名誠『孫物語』2015・集英社-孫たちと,のんびり,ゆったり,遊ぶことの豊かさ

2023年12月30日 | 小説を読む

 2015年のブログです

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 シーナさんの最新作『孫物語』(2015・集英社)を読みました。

 とっても面白かったです。

 シーナさんはじーじよりちょうど10歳年上の71歳。

 じーじは昔から10歳年上の先輩を見習うような感じでシーナさんの小説を読んできました(シーナさんは迷惑だと言いそうですが…)。

 シーナさんのお孫さんは3人,じーじの孫は2人で,孫とのつきあいかたがこれまた参考になります。

 シーナさんのお孫さんシリーズも,『大きな約束』(2009),『続大きな約束』(2009),『三匹のかいじゅう』(2013)と続いて,本書が4作目。

 シーナじいじいが静かに,しかし,大活躍をして,あいかわらず素敵な小説です。

 じーじは2人の孫娘たちが遊びに来ると,遊戯療法の練習(?)のまねごとをさせてもらっていますが,シーナさんは自然体でとてもいい接し方をしていると思います。 

 まさに宣伝コピーどおり,「イクジイ」です。

 じーじも対抗して「イクじーじ」をめざして頑張ろうと思いました。  (2015.4 記)

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 2019年春の追記です

 4年ぶりに再読をしました。

 やっぱり面白かったです。

 孫たちの相手をすることは、シーナさんの場合は、お孫さんたちに三人三様の個性があって、それを大切にされていることがよくわかり、とてもいいです。

 弱い者をきちんと守り、楽しく遊び、そして、尊重をしていく姿が心地よいです。

 じーじの孫たちの場合も、それぞれに個性があって、発見と驚き、感心の連続ですが、とても面白いですし、相手のしがいがあります。

 孫たちが、頼ってくれたり、相手になってくれるうちが花、もうしばらく楽しみながら、つきあっていきたいと思います。  (2019.4 記)

 

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尾崎新『対人援助の技法-「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』1997・誠信書房

2023年12月29日 | 心理臨床を考える

 2014年のブログです

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 尾崎新さんの『対人援助の技法-「曖昧さ」から「柔軟さ・自在さ」へ』(1997・誠信書房)を読みました。

 尾崎さんのことはボランテアでおじゃまさせていただいている精神科デイケアの本棚で偶然,尾崎さんの『臨床・精神科デイケア論』(1992・岩崎学術出版社)を見つけて読んでみたところ,これまでにいくつか読んだデイケア論の中で一番おもしろく読めてファンになりました。

 ウィニコットさんを中心に「ほどよさ」を論じているところが新鮮でした。

 続けて読んだこの『対人援助の技法』も,対人関係の「援助」について丁寧な論考がなされていて参考になります。

 精神分析の考え方も参考に深い考察がなされており,援助者が陥りがちな陥穽に警告をしていると思います。

 今後に大切な一冊になりそうだと思いました。  (2014.4 記)

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 2023年12月の追記です

 尾崎さんのこの本、久しぶりにパラパラとめくってみました。

 なかなか難しい本で、今のじーじの力でもまだまだ理解が十分とは言えない感じです。

 当時、よくチャレンジしたものだと感心します(?)。

 サブタイトルにあるように、曖昧さや多様さは奥の深さや幅の広さに繋がり、柔軟さや自在さに繋がるようです。

 そして、そのしなやかさを支えるものがゆとりや自由さのようであるとおっしゃっています。

 おそらく、そこには、ウィニコットさんのいう、遊ぶこと、の大切さがあるようにじーじには思われます。

 もっと、もっと、勉強をせねばなりません。  (2023.12 記)

 

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さとうち藍・著/関戸勇・写真『アイヌ式エコロジー生活-治造エカシに学ぶ、自然の知恵』2008・小学館

2023年12月29日 | 北海道を読む

 2017年のブログです

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 さとうち藍さん著、関戸勇さん写真の『アイヌ式エコロジー生活-治造エカシに学ぶ、自然の知恵』(2008・小学館)を読みました。

 この本も旭川の本屋さんで偶然見つけて読みました。

 2008年の本ですが、いい本です。

 文章だけでなく、写真もすばらしいです。

 北海道浦河町出身のアイヌ民族で今は千葉県に住む浦川治造さんにアイヌの生活や思想などを学ぶという本ですが、それが現代日本への痛烈な批判になっています。

 といっても、浦川さんには、別に今の日本を批判しようという意図はないのですが、自然を敬うアイヌの人たちの生活を学ぶと、自然を破壊して平然としている現代日本を批判する形になってしまいます。

 これは、和人による蝦夷地支配に始まり、以後の明治政府のアイヌ同和政策、そして、その後の北海道開発によって、悲劇的とでもいうような、自然破壊につながってきます。

 じーじもどさんこであり、開拓民の子孫ですので、他人事とは言えません。

 子どもの頃はともかく、責任あるおとなになった以上、明治政府やその後の日本政府の横暴や自然破壊について、冷静に振り返る必要がありそうです。

 しかし、それにしても、アイヌの人たちの、自然と共存する姿勢はすごいです。

 本書で、さまざまなアイヌの人たちの知恵が紹介されますが、学ぶところが多いです。

 全くの偶然でしたが、いい本と北海道で出会えました。

 なお、蛇足ですが、この本を読み終えてからわかったのですが、さとうちさんと関戸さんが組んだ『武市の夢の庭』(2007・小学館)という本も、数年前に偶然読んだことがあります。

 こちらも北海道滝上町の自然庭園を紹介したいい本ですので、おすすめです。 (2017.8 記)

 

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宮内勝『増補・精神科デイケアマニュアル』1997・金剛出版-丁寧で親切な精神科臨床に学ぶ

2023年12月28日 | 心理臨床を考える

 たぶん2017年ころのブログです

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 宮内勝さんの『増補・精神科デイケアマニュアル』(1997・金剛出版)を再読しました。

 数年前に精神科デイケアで大学院の実習を受けた時に買った本ですので、5年ぶりくらいです。

 このところ、精神科デイケアについて少し考えていて、デイケアの本棚(いつも見ているコラージュ用の絵本や雑誌の本棚ではなく、メンバーさんの読書用の本棚のほうです)に置いてある統合失調症についての本やデイケアについての本を読んでいるのですが、自分の本棚にあったこの本も読んでみました。

 例のごとく、あちこちにアンダーラインや付箋があるのですが、内容はかなり忘れてしまっていて、またまた新鮮な気持ちで読みました。

 ただし、二回目の読書となると、この間の経験も加味されるのか、以前とは違ったところに付箋をはったり、アンダーラインをひいて、勉強になりました。

 今回、勉強になったのは、居場所としてのデイケアというところで、新人は少しずつ時間を増やしていけばいい、というところで、もちろん現場ではそういう配慮が慎重になされていますが、実際に今もそういうメンバーさんの姿を目の前で見ているので、とても参考になりました。

 また、スタッフがあまり焦ってプログラムを楽しいものにしないで、少しだけ楽しめる程度のほうがメンバーさんにはいい、との指摘も重要と思われました。

 ともすると、ついつい、楽しいことはいいことだ、と思いがちですが、それよりも、メンバーさんが主体的に少しずつ楽しんでいける場を援助することが大切になるのだな、と再確認ができたように思います。

 メンバーさんのペースを尊重して、楽しみすぎやはじゃぎすぎでメンバーさんが疲労することに配慮をする必要もありそうです。

 さらには、適度な休息や昼休みの休憩の確保も課題になりそうに思います。

 他にもいろいろと考えさせられるテーマが目白押しの本です。

 具体例を踏まえて、ていねいな検討やこまやかな記述がなされていますので、とても参考になります。

 今後も経験を重ねて、読み深めていきたいと思いました。  (2017?記)

 

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佐々木譲『憂いなき街』2015・ハルキ文庫-札幌が舞台のおとなの男女の恋愛を描く警察小説

2023年12月28日 | 北海道を読む

 2016年のブログです

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 北海道在住の小説家,佐々木譲さんの小説です。

 おとなの小説です。

 おとなの愛と哀しみの小説です。

 いい小説です。

 久しぶりにおとなの心が揺さぶられました。

 北海道警察を舞台にした人気シリーズの一冊。

 覚せい剤の前科があるものの再起をはかるジャズピアニストと寡黙な刑事の愛と哀しみの切ない物語です。

 そこにもう一組,おとなの男女の刑事のぎこちない恋愛が絡みます。

 切なく,哀しいけれど,なんとなくにっこりできる,そんなしみじみとした小説です。

 若い頃,職場の先輩から,心理の勉強も大切だが,同時に,いい小説をいっぱい読みなさい,と言われたことがこころに残っています。

 人間が生きるということ,哀しみや苦しみ,喜び,愛すること,などなど,さまざまなことが学べます。

 学ぶというより,体験できるというほうが正しいでしょうか。

 人生の哀しみと喜びがわかるカウンセラーでいたいなと思います。  (2016.8 記)

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 2020年1月の追記です   

 再読しました。

 東直己さんの後、今度は佐々木譲さんの世界にはまっていて、またまた北海道物を読んでしまいました。

 やはりいい小説です。

 哀しくて、涙が出そうになりました。男の辛さと女の愛おしさが伝わってくるようです。

 じーじにはこんな切ない恋愛の経験はありませんが(?)、物語を読むことで少しは追体験ができるのかもしれません。

 カウンセラーとして、という前に、一人の男として、あるいは、一人の人間として、大切にしたいことに出合えたように思います。   (2020.1 記)

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 2023年12月の追記です

 信ずることのむずかしさとすばらしさを考えさせられます。

 盲目の愛情ではなく、合理的な疑いの中にあっても、愛する人をどれだけ信じられるのか、その人のこころの大きさと器の大きさがためされるのだろうなあ、と思います。

 そういう人になりたいです。  (2023.12 記)

 

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迷うこと・付き合うこと・待つこと-精神科デイケアで考える

2023年12月27日 | 心理臨床を考える

 2019年冬のブログです

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 先日、精神科デイケアにお邪魔した時にケース検討会があった。

 その時に、あるスタッフさんが、メンバーさんから、調子が悪いので休んでいます、と言われた時に、無理をしないで休んでね、と言うべきか、それとも、もう少しだけ頑張ってみない?と言うべきか、あるいは、他に言い方があるのか、すごく迷う、との発言があった。

 無理を重ねて病気になったメンバーさんが多いだけに、難しいところだ。

 その時はうまい話ができなかったが、ずっとそのことを考え続けている。

 今、考えていることは、スタッフさんの迷いをそのまま返してみてはどうか、ということ。

 無理をしないで休んでほしいと思うけれど、少しだけ頑張ってみることも大切かな?とも思うんだけど、迷うね、とでもお話をすればいいのかな、と思ったりする。

 いずれにしても、スタッフが、性急に結論を出してしまうと、メンバーさんはそこで考えることをやめてしまうので、スタッフは結論を保留して、結論はあくまでメンバーさんが考え、決めることが大切になりそうだ。

 それが、メンバーさんの成長や自立に繋がるのだろうと思う。

 スタッフに求められるのが、ここでもキーツさんのいう消極的能力(負の能力)になるようだ。

 考えてみれば、これはカウンセリングでも同じことだ。

 カウンセラーが、焦ることなく、早わかりをしないようにして、じっくりと、丁寧にクライエントさんに付き合うことが大切なんだろうと思う。

 つい早わかりをしてしまうく悪い癖のあるじーじには、大切なことになりそうだ。 (2019.2 記)

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 2022年5月の追記です

 拙い経験だが、わからないことに耐えることやあいまいさに耐えることの実践バージョンの一つの例のような文章かなと思う。

 経験を積み重ね、さらに考えを深めていければと思う。 (2022.5 記)

 

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三浦しをん『政と源』2017・集英社文庫-73歳の幼なじみじじいコンビの友情を描く

2023年12月27日 | 小説を読む

 2017年のブログです

 「じじい」という言葉に思わず反応してしまいました(?)

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 三浦しをんさんの『政と源』(2017・集英社文庫)を読みました。

 おもしろかったです。

 73歳の幼なじみじじいコンビの有田国政と堀源二郎のお話。

 元銀行員の国政は、真面目さだけが取り柄で、定年になったとたんに奥さんに別居されるという情けない老人。

 一方、幼なじみの源二郎は、頑固なかんざし職人。愛妻を早くに亡くし、今は弟子の徹平と仕事をしています。

 この二人のじじいコンビと徹平、それに徹平の彼女、さらには、政と別居中の奥さんなどを中心に物語は進みます。

 じじいコンビは昔から正反対の性格なのになぜか友達で、今もやることは全く正反対ながら、どこかひかれあう存在。

 お互いに孤独な身寄りですが、それだけに相手を思いやって、しかし、それを表には出さないという江戸っ子じじいコンビです。

 お互いの家族の歴史も十二分に知った上での男同士のつきあいは、かなりめちゃくちゃですが、しかし、読んでいてとてもうらやましいです。 

 じーじも73歳になった時に、この二人のようなじじいになれたらいいな、と今、63歳のじーじは深く思いました。  (2017. 8 記)

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 2023年2月の追記です

 このブログを改めて読んでいたら、先日、ユング心理学のことを考えたせいか、影(シャドー)ということを連想しました。

 影(シャドー)というのは、その人の人生で生きてこなかった影の部分。

 この小説では、二人の老人がお互いの影の部分に刺激されあっているような印象を受けます。

 影(シャドー)を無視せずに、ある程度大切にしながら、しかし、現実的に生きることで、人は全体的な存在になる、というのが、ユング心理学で述べられているように思います。  (2023.2 記)

 

 

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