ゆうわファミリーカウンセリング新潟 (じーじ臨床心理士・赤坂正人)     

こころと暮らしの困りごと・悩みごと相談で、じーじ臨床心理士が公園カウンセリングや訪問カウンセリングなどをやっています。

狩野力八郎『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』2002・金剛出版-パーソナリティ障害とは?

2024年07月28日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 狩野力八郎さんの『重症人格障害の臨床研究-パーソナリティの病理と治療技法』(2002・金剛出版)を再読しました。

 この本もかなり久しぶりの再読です。

 昔、読んだ時に少し難しかったという印象が残っており、なんとなく再読が遅くなってしまいました。

 さて、昔よりは多少の経験を積んで読んでみた本書、でもやっぱり難しかったです。

 それでも、ところどころに出てくるアンダーラインに感心しながら、以前はこんなところに感動しながら読んでいたんだ、と少し懐かしい気分で読みました。

 パーソナリティ障害の人はデイケアでも出会いますし、家庭裁判所の現役時代にも数多くお会いして、結構、皆さん、お互いに苦労をされていると思います。

 そういうかたがたを援助する技法はとても大切なわけですが、しかし、こころの病ですからそう簡単に治るというものではなく、時間と粘り強さが必要となります。

 本書には、そういう工夫と症例が数多く載せられており、とても参考になります。

 今回は、以前より多くのアンダーラインと付箋で印をつけましたが、印象に残った第一の点は、面接で治療者が患者さんより話の先を行かないように気をつけることの重要さです。

 これは心理療法全般に大切な点だろうと思いますが、本書で改めて大切さを実感しました。

 第二は、激しい夫婦喧嘩を繰り広げる夫婦の家族療法の症例。

 夫婦同席面接で、ていねいな質問による明確化と言語化は、とても参考になります。

 すばらしいなあ、と感嘆するばかりでした。

 それでも、狩野さんは、冷静に振り返って反省をしたりしており、すごいな、と本当に感心させられます。

 おごらず、常に謙虚な姿勢が成長のポイント、と教えられました。

 久しぶりに読んだ本書は、やはり難しいところもありましたが、確実に勉強になる本でした。

 いずれまた、さらに経験を積んで、読みたいと思いました。         (2017?記)

     *   

 2020年2月の追記です

 じーじは昔からクライエントさんの話を早わかりしてしまうくせがあって、先輩に指摘されますが、最近は年のせいか、さらにせっかちになっているようで反省です。

 また、同じ日本語であっても、クライエントさんのいう意味とじーじのいう意味が、同じでないことが多々ありますので、クライエントさんの意味するところをふくらませてもらって、より明確にすることが大切だなと感じています。      (2020.2 記)

     *

 2020年12月の追記です

 下坂幸三さんが、面接で大切なことの一つとして、患者さんの話したことを「なぞる」ことの重要性を挙げておられます。

 こういうことをきちんと実践できれば、患者さんの話の先を行ってしまったり、早わかりしてしまうことも減りそうです。      (2020. 12 記)

 

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小倉清・狩野力八郎編『摂食障害-拒食と過食(思春期青年期ケース研究1)』1994・岩崎学術出版社

2024年07月26日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

     *  

 小倉清さんと狩野力八郎が編集をした『摂食障害-拒食と過食(思春期青年期ケース研究1)』(1994・岩崎学術出版社)を再読しました。

 これもかなりひさしぶりの再読です。

 一時期、思春期青年期精神医学会に顔を出したり、雑誌を購読したりして、勉強をさせてもらっていた時期があり、この思春期青年期ケース研究のシリーズにも境界例や家庭内暴力など何冊かお世話になっています。

 本書は摂食障害の治療をした数人の若手・中堅の臨床家による論文と執筆者の座談会からなっていますが、じーじは今回は最初に狩野さんが司会をした座談会の部分から読み始めました。

 編者の小倉さんも加わって、ざっくばらんで飾りのない、わかりやすいお話が展開されていて、治療の臨場感がすごいですし、それへの研究心や学術的な関心が熱いくらいにあふれています。

 今はもう大家になっているかたの治療が失敗も含めて正直に語られ、遠慮なく議論されて、とても勉強になります。

 やはり臨床は、きちんと議論をしていかないと成長もないのだな、と納得をさせられますし、日々、反省のじーじの臨床についても深く考えさせられる場面が多々あります。

 今回、特に印象に残ったのは、束原美和子さんが、患者のお母さんに急な面接を要請されて、しかし、きっぱりと断わる場面。

 約束を守る大切さを説明されて、例外的に動くことの弊害をお母さんに説明されますが、いざ実行をできるのはすごいなと感心をしました。

 他にも、ケースについての見方が豊富で、柔軟だなという印象を強く受けました。

 じーじが臨床の仕事についた頃、指導者だった山野保さんから、仮説は四つ以上考えなさい、三つまでは弁証法で楽に出るが、四つ目を出せるようになるのは難しい、と言われた記憶がありますが、本書のみなさんは、もっともっとこの仮説を縦横に展開されて、やはりすごいです。

 さらに勉強を続けていこうと思いました。      (2017?記)

     *

 2020年12月の追記です

 束原美和子さんの論文を読むと、治療者が治療構造を守ることの大切さに気づかされます。

 そして、それが、患者である子どもさんを守るだけでなく、お母さんをも守ることになるのだな、と納得させられます。      (2020. 12 記)

 

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きたやまおさむ『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』1997・講談社

2024年07月21日 | 心理療法に学ぶ

 2016年ころのブログです

     *

 きたやまおさむさんの『みんなの精神科-心とからだのカウンセリング38』(1997・講談社)を再読しました。

 この本もずいぶん久しぶりです。

 きたやまおさむさんの本名は北山修さん。学者としては本名を名乗ります。

 そんなきたやまさんが一般向けに書いた精神科の本です(その後、文庫本も出ているようです)。

 もともとは雑誌・話の特集に連載された精神科についての連載。

 精神科の病気についてやカウンセリング、文化論、映画、などなど、多岐にわたって、気楽に読める文章が並びます。

 今回もいくつか印象に残った箇所がありました。

 ひとつは、子どもがおとなになることについての文章で、秘密をもつことと嘘をつくことの意味。

 子どもがおとなになるのはなかなかたいへんだなと考えさせられます。

 もうひとつは、サンタクロース。

 サンタクロースを信じられることは、子どもに楽観的な感覚を持たせてくれるといいます。

 そして、幻想が幻滅に至る過程にていねいにおとながつきあうことの大切さを述べます。

 以前、サンタさんについてのブログにも書いたように思いますが、やはりサンタさんをどれくらい信じられるかが子どもにとってはとても大切なことになるようです。

 さらには、きたやまさんお得意のつるの恩返しのお話。

 きたやまさんは、つるが逃げ去ることで終わらないで、つるの国まで追っかけて行って、つるを連れもどすことから、悲劇ではない、新しい物語が始まるかもしれない、といいます。卓見です。

 最後は、映画「マディソン郡の橋」。

 小児科医で精神分析家のウィニコットさんが、子どもが母親と二人でいて、一人でいることの大切さを述べていることに触れ、最後に出ていかない母親の大切さを指摘します。

 最近は、出て行ってしまう母親も増えていますが、深い考察が述べられています。

 軽い読み物ながら、考えさせられたり、刺激されることの多い本だと思います。            (2016?記)

     *

 2020年12月の追記です

 つるや母親が出ていかないで、ボロボロになりながらも、その場に「生き残ること」の大切さを精神分析では考えます。

 子育てはたいへんなことですが、周りの協力も得て、子どものそばで「生き残る」親が重要なようです。       (2020. 12 記)

 

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吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』1993・弘文堂-ばななさんのお父さんと北山修さんの対談です

2024年07月12日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 先日、きたやまおさむさんとよしもとばななさんの対談本を再読しましたので、こんどはばななさんのお父さんである吉本隆明さんと北山修さんの対談本の吉本隆明・北山修『こころから言葉へ』(1993・弘文堂)を再読しました。

 この本はなんとなんと20年ぶりくらいでの再読で、本棚の隅っこにあったのを見つけて、もう一回読んでみました。

 吉本隆明さんはばななさんのお父さんですが、じーじの世代には共同幻想論というやや難しい考えで有名だった評論家・思想家で、じーじも若い頃には何回かチャレンジしてみましたが、難しさのあまりに途中で挫折をした思い出があります。

 今回は、北山さんがお相手で、赤ちゃんのこころの発達や人間の言葉の発達などの話題からはじまって、家庭や社会、こころや精神、などなどのさまざまなテーマについて、深い考察がなされています。

 20年前のじーじはまだ精神分析学会に入会する前の初学者で、当時はこの本のすごさをあまり理解できなかったのかもしれません。

 北山さんはまず精神分析の無意識の概念をていねいに説明されます。

 そして、フロイトさんの『日常生活の精神病理学』という本を紹介して、精神病と健康の間に神経症を発見したことにふれ、正常と異常の間の橋渡しをしたことを指摘しています。

 また、小児科医で精神分析家のウィニコットさんの普通でほどよい育児を紹介し、いること、いられることの大切さを述べられています。

 これらのことは今のじーじならなんとか少しは理解できますが、当時はまだまだ勉強中のことでした。

 吉本さんはこういう子どもの発達や育児、家庭、親子関係などに当時、関心をお持ちだったようで、かなり熱心な討議がなされ、読んでいてなかなかスリリングです。

 じーじも自分の関心事や考えの変遷をふりかえることができて、なかなか勉強になりました。

 いずれまた、読み返してみたい本だと思いました。      (2018 記)

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 2023年12月の追記です

 まだ読み返していません。

 吉本さんの他の本は読んだのですが…。

 頑張ります。     (2023.12 記)

 

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きたやまおさむ・よしもとばなな『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方』2012・朝日出版社

2024年07月11日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *

 きたやまおさむさんとよしもとばななさん(なぜか、ひらがなです)の対談である『幻滅と別れ話だけで終わらないライフストーリーの紡ぎ方-並んで海を眺める心でいっしょに考える!』(2012・朝日出版社)を再読しました。

 この本は少し前に読んだつもりだったのですが、もう6年が経っていました。

 去年、ある臨床心理士さんがご自身のブログでこの本をほめておられていて、気になっていたのですが、やっと読めました。

 あらためて読んでみて、やはりいい本です。

 東日本大震災の少し後での対談で、お二人の軽妙なお話の中にも、冷静な分析が混じっていて、勉強にもなります。

 いろいろ考えたことがあったのですが、ひとつは日本人の愛の形について。

 きたやまさんが、小津安二郎監督の映画を例にして、日本人は横に並んでいっしょに同じ方向を見ることが愛の形になると指摘されます。

 西洋の男女が見つめあうのとは違う愛の形があるのでは?と述べられていて、おもしろく感じました。

 そして、ともすると、日本では、つるが美しいままで去っていくのを見送ってしまう悲劇の物語になってしまうので、はかなさで終わらずに、すまなさという罪悪感をきちんと感じることが大切、と述べられます。

 それを受けてばななさんは、つるにずっと生き残ってもらえるようにすることが重要では?と提案をします。

 日本人の甘えや無責任さを鋭くつき、その打開策を考えるお二人のお話はとても参考になります。

 また、きたやまさんが、村上春樹さん(すみません、読み返してみると、村上龍さん、の間違いだったようです(2020.11 追記))の、普通というのは普通じゃないところを含んでこそ普通、という発言をひいて、正常は異常を含んで初めて正常、と述べています。

 ともすると、異端や異常を排除しがちな日本人の悪いところを指摘していると思いました。

 他にもいろいろと刺激されたところが多々あって、いい本だと思います。

 なお、著者名が漢字でなく、ひらかなのお二人ですが、ここには深い深いわけがあり、それは本書をじっくりと読んでみてください。

 それもがひとつの日本人論にもなっています。     (2018 記)

      *

 2020年11月の追記です

 きたやまさんが指摘する、村上龍さんの「普通」は普通じゃないものを含んでいる、という指摘は鋭いと思います。

 じーじは、ただの「普通」もそれなりにすごい、と考えていますが、もっと考えてみようと思います。

 蛇足ですが、じーじの公園カウンセリングは横並びでお話を聴くことが多く、これについても考えてみたいと思いました。     (2020. 11 記)

     *

 2023年12月の追記です

 日本人は横に並んでいっしょに同じ方向を見ることが愛の形になる、という指摘はすごいですね。

 じーじのカウンセリングは「愛」なのかもしれません(???)。       (2023. 12 記)

 

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北山修監修・高野晶編著『週一回サイコセラピー序説-精神分析からの贈り物』2017・創元社

2024年06月28日 | 心理療法に学ぶ

 2018年のブログです

     *   

 北山修さんが監修をした『週一回サイコセラピー序説-精神分析からの贈り物(2017・創元社)を読みました。

 去年秋の精神分析学会で北山さんや高野さんなどからご紹介のあった本で、今、精神分析学会で論議されている精神分析と精神分析的心理療法との異同について考えるのに、最適な一冊かなと思って読みました。

 なかなか刺激的な本です。

 これまであまり明確に議論をされてこなかったことがどんどん明らかにされるせいもあるでしょうし、精神分析的心理療法という古くて新しい心理療法を皆さんがなんとか確立していきたいという意気込みみたいなものも感じられます。

 もっとも、じーじは精神分析の訓練を受けたこともなく、本を読むだけで、どちらかというと精神分析的心理療法を学んだり、実践する立場ですので、冷静に勉強をしたいと思って読みました。

 本書では大勢の人が論文を書いており、たとえば、北山修さんの独創的な論文には本当に感心させられますし、鈴木龍さんの事例と理論にはこころから納得させられます。

 また、高橋哲郎さんの論文では、あの土居健郎さんが出てきて、とても感激させられます。

 そんな中で、今回、じーじが一番、勉強になったのが、先日もご紹介をさせていただいた生地新さん。

 生地さんは「子どもと思春期」という論文で、子どもや思春期の心理療法について詳しく説明をされ、週1回面接の意味やそれ以外の面接との比較についても述べられていて、月1~2回程度の面接が多いじーじの実践にもとても参考になりました。

 まだまだ読み方が浅く、理解も十分ではないと思いますので、今後、時間をかけて読み込み、実践に活かしていきたいなと思いました。      (2018 記)

 

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北山修『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』2006・みすず書房

2024年06月24日 | 心理療法に学ぶ

 たぶん2017年のブログです

       *     

 北山修さんの対談本『ふりかえったら風・対談1968-2005 3 北山修の巻』(2006・みすず書房)を再読しました。

 この本もかなりの久しぶりでしたが、今回は前回読んだはずなのにすっかり忘れていた(?)斧谷彌守一(よきたにやすいち)さんという哲学者を再発見(?)したことが一番の収穫です。

 斧谷さんはハイデガーさんの研究者ですが、ハイデガーさんはヘーゲル弁証法の正・反・合を発展させて、全体性と聖なるものの関連に気づいていたのではないか、という説を述べられます。

 ただし、ウィニコットさんを知らなかったため、子どもとおとなの中間領域という考えやそこが創造の場であるという考えには至らずにいて、喜びと悲しみの中間領域という考えには思い至らなかったのではないか、という大胆なお話に発展しています。

 たしかに、ハイデガーさんは読むのにも難儀をするような緻密な哲学で、ウィニコットさんの遊びや創造性の世界からは少し縁遠い印象を受けますが、しかし、素人の感想ですが、どちらもがかなり深い世界を扱っているなという雰囲気だけはなんとなくわかります。

 久しぶりに哲学らしい論議を読めて、面白かったです。

 他にも、精神分析の鈴木晶さんとの対談では、昔話の変化とつくり直しの話題が出て、例のつるの恩返しの物語が書き換えられるかというテーマに繋がっています。

 同じく精神分析の小此木啓吾さんとは境界パーソナリティをめぐって対談がなされ、現代社会における子どもの過剰適応との関連が検討され、死の本能の隠蔽やエディプスの崩壊とおとなになることへの失望など、なかなか刺激的な話題が話されます。

 さらに、精神分析の妙木浩之さんとは、ウィニコットさんをめぐって話され、ウィニコットさんやフロイトさんの症例報告が間接話法で書かれていることを指摘されて、ローデータ神話を批判されます。

 事例報告を直接話法で書くか、間接話法で書くか、という問題は、事例検討が重要である臨床家にとっては大きな問題で、今後、真剣に考えていきたいなと思いました。

 対談本ですが、とても刺激になった一冊でした。     (2017?記)

 

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成田善弘・氏原寛編『共感と解釈-続・臨床の現場から』1999・人文書院-「共感と解釈」を学ぶ

2024年06月05日 | 心理療法に学ぶ

 2020年7月のブログです

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 成田善弘さんと氏原寛さん編集の『共感と解釈-続・臨床の現場から』(1999・人文書院)を再読しました。

 先日、ご紹介をした同じ編者による『転移/逆転移-臨床の現場から』(1997・人文書院)の続編です。

 執筆者も前著と同じ方々が、今度は、共感と解釈、という心理療法の基本に挑みます。

 しかしながら、前著と同じく、こちらもなかなか難しい本で、じーじなどはまだこちらも拾い読みの状態です。

 とりあえず、今回、印象に残ったことを一つ、二つ。

 まずは、松木邦裕さんの論文「言葉を超えないこと-共感から解釈へ」。

 松木さんはご自身の面接を提示され、そこでセラピストが考えていることをとてもていねいに正直に描写されます。

 それだけでも勉強になりますが、まるで自分も面接を一緒に進めているかのような気分になって、自分も考えさせられます。

 そして、誠実に努力しつつも、言葉の限界を示すことを指摘され、理解の限界を示す、という言葉がとても印象的でした。

 次は、やはり、藤山直樹さんの論文「共感-不可能な可能性」。

 藤山さんは、共感は目指すものではなく、面接での理解の結果として得られるもの、という大切な視点を論じられています。

 そして、共感を目指すような余裕のなさの危険性を指摘され、そうではなくて、ウィニコットさんのいうような「ふたりでいてひとりになること」やビオンさんの「もの想い」などの大切さについて説明されます。

 「遊ぶこと」の大切さをはじめとして、面接におけるウィニコットさんやビオンさんの考え方の大切さを再認識させられて、とても勉強になりました。

 さらに、深く学んでいこうと思いました。     (2020.7 記)

      *

 2024年初夏の追記です

 松木さんの論文の感想を再度、読んでいると、ウィニコットさんの、解釈は治療者の限界を示すもの、という言葉を連想しました。

 治療者は万能ではなく、心理療法は患者さんと治療者が二人で進めていくもの、ということを改めて考えます。     (2024.6 記)

 

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氏原寛・成田善弘編『転移/逆転移-臨床の現場から』1997・人文書院-心理療法における転移・逆転移を学ぶ

2024年06月04日 | 心理療法に学ぶ

 2020年6月のブログです

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 氏原寛さんと成田善弘さんが編集された『転移/逆転移-臨床の現場から』(1997・人文書院)を久しぶりに読みました。

 中級者向けの事例中心の本ですが、理論面でもかなり高い水準の本で、じーじなどはまだまだ十分に読み込めていない論文もあります。

 2001年に購入したと思うのですが、購入の動機は若き日の藤山直樹さんと松木邦裕さんの論文があったことから。

 お二人とも、いい論文を寄せられています。

 藤山さんは、「私」の危機としての転移/逆転移、というテーマで、心理療法中の「再演」などの危機の状況の時に、どのくらい事態を読めるかの重要性などについて論じています。

 提示されている事例がすごいケースで、勉強になります。

 松木さんも、難しい事例の中で、転移の占める部分をできるだけ明確に理解していくことの大切さを論じます。

 さらに、菅佐和子さんの論文がいいです。比較的平易な文章で、率直な語りを通して、転移・逆転移について述べられています。

 そんな中で、今回、じーじが一番印象に残ったのが岡田敦さんの論文。

 岡田さんは、「転移劇」というキーワードで、転移・逆転移を事例を通して読み解きます。

 これがすごいです。

 精神分析と劇の関係については、フロイトさんから始まって、いろんなかたが述べており、岡田さんもウィニコットさんや土居健郎さん、小此木啓吾さん、北山修さんらの説を挙げて、説明されます。

 そして、心理療法の中での患者さんの「再演」をよいものに改定していくことの大切さを述べています。

 くしくも、心理療法の中での患者さんの「再演」を読む解くことの重要性が重ねて論じられていた印象を今回、感じました。

 今のじーじの問題意識がそこにあるせいでもあるでしょうし、やはり大切なポイントでもあるからだろうと思います。

 さらに勉強を続けていこうと思います。    (2020.6 記)

     *

 2022年春の追記です

 文中でも述べていますが、じーじの理解が不十分な状態での感想文で、理屈っぽい、わかりにくい文章になっています。

 今も理解が深まったとはいえないのですが、「再演」とは,、じーじの今の理解では、心理療法の中で、クライエントさんがご自分の感情などを言葉で表現できずに、行動で「反復」してしまうことではないかと思います(それで合っているのかなあ?、ちょっと心配。いろんなレベルでの理解があると思います、と少し逃げておきます)。

 そして、「再演」を治療者がきちんと受けとめられると、クライエントさんは少しずつ言葉でご自分の感情などを表現できて、自身の行動の「反復」に気づけるようになる、というのが、今の精神分析的な心理療法の考え方ではないかと思います(まだわかりにくい文章ですね。じーじはもっともっと勉強しなければなりません)。    (2022.4 記)

 

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松木邦裕『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』2015・岩崎学術出版社-ていねいなきき方を学ぶ

2024年05月31日 | 心理療法に学ぶ

 2015年のブログです

     *    

 松木邦裕さんの『耳の傾け方-こころの臨床家を目指す人たちへ』(2015・岩崎学術出版社)を読みました。

 初学者用かな?と思って読んだのですが,なかなか奥が深く,じーじの力ではまだまだ理解が十分でないところが多々あったように思います。

 しかし,とても面白く読めました。

 面接におけるクライエントさんの話のきき方をていねいに検討されています。

 特に、精神分析的な心理療法のきき方を学ぶうえではとても勉強になると思います。

 今後,何度もなかみを噛みしめながら読んでいきたい本だと思いました。

 全体的な印象としては,精神分析の大家のみなさんはそれなりに表現は違いますが,しかし,やはり,松木さんも大切なところでは,成田善弘さんや藤山直樹さんと同じようなお考えを述べられているような印象を持ちました。

 もちろん,細部は違うのでしょうが,しかし,大家の言うことにはどこか共通点があるようにも思います。

 今後,さらに深く勉強をしていきたいと思いました。

 後日,再読をした際には,もっともっときちんとした報告ができればと思っています。     (2015 記)

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 2018年秋の追記です

 3年ぶりに再読をしました。

 今回は以前より少しだけ読み込めたような気がしていますが、どうでしょうか。

 面接でのきき方として、共感と受容のための支持的なきき方から精神分析的なきき方までのいくつかの段階のきき方を提示して、それぞれ事例を通してわかりやすく説明をされています。

 事例の描写は深く、多少の失敗も含めて、とても正直に描かれていて、初学者にも勉強になります。

 しかし、それにしても、面接の奥深さのなんとすごいことか、驚きとともに、感動させられます。

 そして、びっくりするのは、段階を経て習熟した技法を、最後にはいったん捨てる、というところ。

 無意識のもの想いを大切にする精神分析的心理療法のすごさが示されます。

 おそらく本を読んだだけではわからない世界、スーパーヴィジョンや訓練分析をきちんと経験しなければわからない世界なんだろうと思われます。

 もっとも、ないものねだりをしても仕方ありません。

 できるところから、勉強をしていこうと思います。

 最後に、松木さんも詩人キーツさんを引用しました。

 わからないことに耐える能力の大切さのところで、キーツさんとビオンさんの言葉を示して、説明をされています。

 考えてみれば、人生そのものがわからないことだらけなわけで、われわれはそこでわからないことに耐えてなんとか生きていくしかないわけですね。

 さらに、勉強をしていこうと思います。     (2018.10 記)

 

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