らむ茶の独り言

ロックとノンアルコールビールと田舎暮らしを愛するガーディニング野郎の勝手な独り言。

10万年後

2011年10月31日 06時50分41秒 | 日記・エッセイ・コラム
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「10万年後」の話は後半で。まずは今日今の話でも。

子犬が我が家にやって来て2週間。ようやく落ち着いていた感じがする。最初の三日間はYoutubeにアップした動画にある様にナナ(Mダック♀)は狂った様に吠えまくる、タムタムはガウガウと威嚇しまくり。これは失敗したと思った。吠え疲れてゼーゼーしてるナナを見るとどうなる事かと心配したが、一週間もしたらかなりなれた様子。最近はチビ助とナナは組み合って乱闘している。遊んでいるのだろう,多分。

タムタムは前回5年前にナナがやって来た時とは打って変わってまったく相手をしない。威嚇してるだけで結構ストレスになってる様だ。気をつけないと。もう早いもので来春で11歳になる。平均寿命が11~13歳と言われるのでもう結構な年齢になってしまった。いつまでも元気一杯のドアホウだと思っていたが。老いはそう感じないが遊ぶという事はまったく無くなった。投げたテニスボールを器用にキャッチしたりしていたがそれも最後に遊んだのはもう何年前か。

昔はよく遊んでいたのだが4年ぐらい前からかな。オレがある事を始めてそれにかかりっきりになってあまり相手をしてあげられくなった。そうしてるうちにタムタムも年齢的に遊ぶような年齢では無くなってしまった。ナナはまだ5歳なのであと少しは遊べるのかどうか。ただチビ助はこれからどんどん体力がついて体も大きくなる。多頭飼いではそういう事も頭に入れないとダメだね。

コーギーは運動が好きなので、一緒に遊んでやれるとかよく散歩するとか体を動かす運動を充分にさせて上げられる環境じゃないと飼うのは考えた方が良いかも知れない。以前に何度か書いた事だが、散歩コースの途中にある家でコーギーが飼われていた。ところが終日一年中玄関の庭先にある犬小屋につながれていた。小屋の周りの砕石が円形にきれいにどけられていた。その子が走り回って石をどかしたのだ。厳寒の寒い日も猛暑の暑い日もその子はその犬小屋につながれていた。いくら寒さには強いとは言え氷点下10℃以下にもなる寒さの中で、段ボールを少し敷いただけの犬小屋でじっとしていた。夏は猛暑日にも関わらずグターと小屋の前で横になっていた。犬小屋のそのホンのわずかの円形の場所だけが彼のすべてだったのだ。

結局その子はウチのタムタムよりも後にやって来て先にいなくなってしまった。どうして犬なんか飼ったんだと言いたい。腹が立って仕方がない。最後に見た時は吠える声がもう咳きまじりだった。はたして予防注射とかもしていたかどうか。毎年の予防ワクチンも結構するからね。あとフェラリアの予防薬も絶対に必要だ。だから散歩コースを変えてその子を見ない様にした。見ると可哀想で仕方がなかったからね。

子犬の時は可愛いし珍しさも手伝って家族で散歩に連れて行ったりする。そういう姿を毎年春先とかよく見かける。ところがせいぜい1~2週間じゃないかな。すぐに見かけなくなる。あるいは家族じゃなく1人で連れて歩くとかね。まあそれでも散歩に連れてあげれば良い方だ。そのコーギーの子は散歩すら満足に連れて行ってもらえなかったみたいだったからね。もっとも散歩が嫌いな犬もいる。ウチのタク(Mダック♂)は最後まで散歩が出来ない子だった。外には出たがるんだが敷地の外には出て行けない。自分の縄張りの外には出たくなかったみたいだ。そういうのならまあ分らない事も無いが、コーギーとかは散歩は絶対に欠かせないからね。

チビ助はまだ1人で外に出て行けない。家の中はナナと一緒に走り回る様になったが、勢いよく庭に飛び出して行くタムタムとナナにはついて行けなくて見てるだけ。まあそれもあと少し。すぐに一番先頭で庭を。走り回る様になるだろう。

ところで、コーギーに限らず子犬は男の子よりも女の子の方が価格が上になっている。そうそう、最近はオスとかメスって言わないんだね。みんな男の子と女の子という言い方になった。家族の一員として扱う様になって来たからかな。オレもウチのドアホウどもは、飼ってるというより一緒に暮らしてる、という感じだがそれでも男の子という言い方は少し抵抗がある。気が付くとオレもかなりのオヤジだからなあ。ケータイ持ってねえし。たまに高校生の持ってるの見せてもらったりするけど全然ワカラネー。老眼が入って来て乱視も進んだオレにはああいう小さいのはねえ。ギターの弦やフレットもよく見えなくなって来たし。

そういうワケで女の子の方が飼い易いというので価格が高めなのだそうだ。意外だった。ずっと逆だと思っていたから。室内で飼うには性格的に大人しいと言われる女の子の方が好まれる。もっともコイツらも性格があってみんな違うけどね。タムタムはタマ無しなんだがやたらと攻撃的だ。タマを取ると大人しくなるという事なんだが。新しくやって来たチビ助もかなり気の強い性格の様子。何でも上下関係を覚えるのに1~3ヶ月かかるのだとか。甘やかされて自分が一番上だと勘違いする事が多いらしい。人間と一緒だ。

人間の子供もあんまり甘やかすと同じような事になって、後で社会に出る段になってつまづく様になる。まあ我が子が可愛いのは判るけどね。古人はよく判ってて可愛い子には旅をさせろとか言ったわけだ。まあ人の事は結構冷静にいえるワケだけど自分の事になるとね。ウチでもかなり甘やかしてるからなあ。


さて10万年後の話。いきなりSFチックな話の様に思えるが実は現実的な深刻な話。先日たまたまテレビをつけたらヨーロッパのある国の核廃棄物の処分場の話をしていた。例の高濃度の核廃棄物最終処理場の話。今、地下深くに封印しようとしている核廃棄物は半減期が10万年とか途方も無い長い時間がかかる。今アタマを悩ましてるのはどうやったら未来の世代にこの場所が非常に危険だと知らせる事が出来るのかという問題なのだとか。

ハテ?という感じだったが担当者の例え話を聞いて納得。せいぜい数千年前のピラミッドがどういう目的で作られたのか現代の我々が正確に把握出来ているか?というわけだ。刻まれた絵文字の意味を正確に理解出来ているか。ましてや10万年後。その地下深くに作られた厳重な保管庫の扉を絶対に開けるなというメッセージをどうやって伝えたら良いのか。もしかしたらその時代には人類以外の知的生命が存在してるかも知れない。開けるなと言われれば開けたくなるのが人情。絶対に開けるなと書いてあれば絶対に開けたくなるだろう。もしかしたらもの凄いお宝が入ってるかと思うのが人情。それを防ぐにはどうすれば良いのか。

今でも戦前の不発弾が見つかったり廃棄された化学兵器が見つかったりする。たったの60年余り前の事ですら記録がほとんど残っていない。ましてや10万年封印しておく。それも場所をキチンと次の世代に伝承して行く等という事がいかに非現実的な事かが良く分かる話だった。結局次の世代には文化遺産以外は残しちゃダメだという事だね。日本でも高濃度の放射性物質の処分場が問題になって来てる。我が県にも被災地のガレキの処理を受け入れて欲しいという要請があった。県内すべての自治体が拒否してる。そして我が町には最終処分場がある。受け入れるかどうかで大モメだ。というか市民の99%は反対だろう。賛成するのは廃棄物処理場業者ぐらいのもの。

国は10万ベクレルまで大丈夫とかコンクリで固めて地下に埋めれば大丈夫とか言ってる。しかし半減期は気が遠くなるような長い時間がかかる。10万年後なんていったい日本が存在するかも判らない。60年前の危険物の存在すら不明な時に高濃度の放射性廃棄物質を簡単な処理で地下に埋める事の愚を考えた事はあるのか。処理業者が破綻しただけで詳細が不明になる事ぐらい容易に想像がつくというものだ。保管期間10万年だよ。気の遠くなるような時間だ。しかし夢物語ではない。今現実の問題だ。今さえよければ未来の人類がどうなろうと知った事じゃないという独善的な悪魔の技術が核だということだ。世界中で増加する原発。バカヤロウな人類はSF映画そのまんまの未来を現実化しようとしてるわけだ。

10万年と言わずに数百年もしないうちにその施設は忘れ去られてしまうだろう。そしてある日突然大昔のとんでもない置き土産として未来の人達の前に大迷惑として現れる。エジプトの遺跡をいくら探しても今の人類にとって危険なものは出てこないから良いがこれからはそうはいかないだろう。つくづく核技術は人類が手にするには早過ぎた悪魔の実だったのだと思わずにはいられない。あれだけの事故が起きてもまだ原発を押し進めようとする救い様の無い拝金外道ども。お天道様は呆れて果てていることだろう。バカな人間につける薬はないなと。

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