東北地方も梅雨明して暑くなってきた。昨日は朝から庭の桜の木に「セミ」が止まって凄い鳴き声だった。セミってこんなにデカい声で鳴くんだっけ?まるで工作機械が鳴ってる様な頭に響く様な大きなギーンという鳴き声でしばらく鳴いていた。
「セミ」と言えば、子供の頃はこちらにはアブラゼミが主流だった。ところが、最近見ないねーと思っていたらなんと、東北ではアブラゼミが絶滅していたというのだ。どうりで見ないはず。もう東北にはアブラゼミがいないのだ。理由は判らないらしい。病気なのか環境の変化なのか判らないが、東北からアブラゼミは姿を消した。
昨日鳴いていたのも羽の白い、昔なら珍しい部類のセミだ。「ひぐらし」などは昔は珍しいセミだったのだが、今では聴こえるのはこういうセミの声だけになった。しかし、定番中の定番「アブラゼミ」がいなくなるとは。温暖化のせいですか?
ウチの洗濯機が壊れた。おふくろが愛用している二槽式の東芝の洗濯機。もうかれこれ15年にもなるのだな。最近調子が悪かったのだが、と言ってもモ洗濯槽や脱水槽ではなく排水レバーが壊れて水が溜まらなくなった。おそらく簡単な部品交換で済むと思うのだが、ってもう東芝は二槽式洗濯機を10年以上は作っていないのだな。驚いたよ。世の中はほぼ全自動洗濯機に支配されていたのだ。
ウチにも全自動の洗濯機はあるが、おふくろは使いたがらない。何故かというと、汚れがあまり落ちないからだと言う。我が家のアホウどもの凄まじい抜け毛も全自動では全く落ちないのだと言う。オレは面倒くさがり屋だから全自動が楽で良いと思うんだが、おふくろは頑として二槽式を譲らない。仕方がない新しいのを買うか。近くのケーズデンキに行ったら何かあるだろうと思っていた。その前にネットで相場を調べておくか、と検索したらなんとアブラゼミよろしく二槽式洗濯機はほぼ絶滅していた。何故か。温暖化のせい?
冗談はさておいて、原因はこれまたオレが何度も行ってる悪しき「東京スタンダード」のせいだ。二槽式洗濯機は「うるさい」んだよ。騒音や振動が。それで静かな全自動に取って代わられたわけだな。東京という狭い人口過密地帯では二槽式洗濯機の騒音と振動は近所迷惑以外の何物でもない。実際に、ウチでも二槽式を使うと振動が凄いからね。洗面所の洗濯機からかなり離れたオレの部屋にまで振動が伝わって来る。
オレにしたら「洗濯機なんてこんなもんだろう」と思っていたが、それは田舎クオリティ。都会ではこれは致命傷だ。隣の部屋にまで伝わる振動では集合住宅では使えない。かくして気がつくと日本から二槽式洗濯機がほぼ絶滅しかかっていたわけだ。静かで節水の全自動が主流になるのはまあ必然か。しかし、ここに落とし穴がある。
実は全自動は二槽式に比べて話にならんぐらい性能が劣るのだ。性能とは洗濯物の汚れを落とす力。そして脱水能力。基本性能を大幅にセーブしての静寂性なワケだな。ほとんど絞れない脱水能力にしての静寂性なワケ。都会では洗濯機の洗浄能力を大幅に削減してまでも静寂性の方が大事だという話なわけだ。本末転倒もここまで来るともうお笑いだ。洗濯機の存在自体が否定されかねないのが東京スタンダードってワケだよ。
しかし、そんな「常識」が通用するのはもちろん大都会の集合住宅だけ。地方のウチみたいな一軒家には静寂性なんかカンケーネー。わざわざ高い金出して汚れの落ちない静かな洗濯機を買う意味が全く無い。まあ全自動は楽だけどね。放り込んでおいたら後は勝手にやってくれるから。全自動を否定する話ではない。しかし、都会のホコリの無い奇麗な生活ならいざ知らず、本格的な汚れ物が出る家庭では、子供のスポーツユニフォームとか、作業着とか、全自動のヤワな洗浄力では全くお話しにならんのだ。
昨今は省エネ仕様が当たり前になってるが、LED電球は消費電力は確かに低いが明るさもハンパ無く低い。暗くて話にならん。二個買って来て付けてみてやめた。これなら電気消してるのと変わらん。要するに暗くなったら早く寝ろという事だな。まさか21世紀がこんな生活になるとはなあ。SF映画じゃあるまいに。やがて電気を使えない生活が当たり前になるのか?江戸時代みたいに。
昨今の液晶テレビも実は省エネと言いながら単に画面が暗くなってるだけの話。明るさを変えないで電力使用量を下げる技術は存在しない。要は昔よりも暗いTV画面になってるだけの話だ。それで画質的には圧倒的に勝るプラズマが駆逐されてしまった。高画質をウリにしながら実は本来の性能を犠牲にして消費電力の方を優先しているのが今の家電だ。エアコンもそう。冷蔵庫もまあ似たもんだろ。掃除機もそう。車もそうか。
とにかく、気がつくと日本は東京という異常な都市の環境を基準にして価値判断が決まる国になってしまった。その東京スタンダードは当たり前だが東京以外ではナンセンス。バカバカしい非常識な基準だ。そのナンセンスな基準で作られる製品にアイディアにサービスに政策。日本製品が海外で売れなくなってるのは自明の理だ。それに気付いているのか気付いていないのか。グローバル化などと東京中心至上主義の連中がテレビの向こうで言ってる姿を見るにつけ、日本の将来に大きな失望を感じ得ないのはオレだけなんだろうか。
「セミ」と言えば、子供の頃はこちらにはアブラゼミが主流だった。ところが、最近見ないねーと思っていたらなんと、東北ではアブラゼミが絶滅していたというのだ。どうりで見ないはず。もう東北にはアブラゼミがいないのだ。理由は判らないらしい。病気なのか環境の変化なのか判らないが、東北からアブラゼミは姿を消した。
昨日鳴いていたのも羽の白い、昔なら珍しい部類のセミだ。「ひぐらし」などは昔は珍しいセミだったのだが、今では聴こえるのはこういうセミの声だけになった。しかし、定番中の定番「アブラゼミ」がいなくなるとは。温暖化のせいですか?
ウチの洗濯機が壊れた。おふくろが愛用している二槽式の東芝の洗濯機。もうかれこれ15年にもなるのだな。最近調子が悪かったのだが、と言ってもモ洗濯槽や脱水槽ではなく排水レバーが壊れて水が溜まらなくなった。おそらく簡単な部品交換で済むと思うのだが、ってもう東芝は二槽式洗濯機を10年以上は作っていないのだな。驚いたよ。世の中はほぼ全自動洗濯機に支配されていたのだ。
ウチにも全自動の洗濯機はあるが、おふくろは使いたがらない。何故かというと、汚れがあまり落ちないからだと言う。我が家のアホウどもの凄まじい抜け毛も全自動では全く落ちないのだと言う。オレは面倒くさがり屋だから全自動が楽で良いと思うんだが、おふくろは頑として二槽式を譲らない。仕方がない新しいのを買うか。近くのケーズデンキに行ったら何かあるだろうと思っていた。その前にネットで相場を調べておくか、と検索したらなんとアブラゼミよろしく二槽式洗濯機はほぼ絶滅していた。何故か。温暖化のせい?
冗談はさておいて、原因はこれまたオレが何度も行ってる悪しき「東京スタンダード」のせいだ。二槽式洗濯機は「うるさい」んだよ。騒音や振動が。それで静かな全自動に取って代わられたわけだな。東京という狭い人口過密地帯では二槽式洗濯機の騒音と振動は近所迷惑以外の何物でもない。実際に、ウチでも二槽式を使うと振動が凄いからね。洗面所の洗濯機からかなり離れたオレの部屋にまで振動が伝わって来る。
オレにしたら「洗濯機なんてこんなもんだろう」と思っていたが、それは田舎クオリティ。都会ではこれは致命傷だ。隣の部屋にまで伝わる振動では集合住宅では使えない。かくして気がつくと日本から二槽式洗濯機がほぼ絶滅しかかっていたわけだ。静かで節水の全自動が主流になるのはまあ必然か。しかし、ここに落とし穴がある。
実は全自動は二槽式に比べて話にならんぐらい性能が劣るのだ。性能とは洗濯物の汚れを落とす力。そして脱水能力。基本性能を大幅にセーブしての静寂性なワケだな。ほとんど絞れない脱水能力にしての静寂性なワケ。都会では洗濯機の洗浄能力を大幅に削減してまでも静寂性の方が大事だという話なわけだ。本末転倒もここまで来るともうお笑いだ。洗濯機の存在自体が否定されかねないのが東京スタンダードってワケだよ。
しかし、そんな「常識」が通用するのはもちろん大都会の集合住宅だけ。地方のウチみたいな一軒家には静寂性なんかカンケーネー。わざわざ高い金出して汚れの落ちない静かな洗濯機を買う意味が全く無い。まあ全自動は楽だけどね。放り込んでおいたら後は勝手にやってくれるから。全自動を否定する話ではない。しかし、都会のホコリの無い奇麗な生活ならいざ知らず、本格的な汚れ物が出る家庭では、子供のスポーツユニフォームとか、作業着とか、全自動のヤワな洗浄力では全くお話しにならんのだ。
昨今は省エネ仕様が当たり前になってるが、LED電球は消費電力は確かに低いが明るさもハンパ無く低い。暗くて話にならん。二個買って来て付けてみてやめた。これなら電気消してるのと変わらん。要するに暗くなったら早く寝ろという事だな。まさか21世紀がこんな生活になるとはなあ。SF映画じゃあるまいに。やがて電気を使えない生活が当たり前になるのか?江戸時代みたいに。
昨今の液晶テレビも実は省エネと言いながら単に画面が暗くなってるだけの話。明るさを変えないで電力使用量を下げる技術は存在しない。要は昔よりも暗いTV画面になってるだけの話だ。それで画質的には圧倒的に勝るプラズマが駆逐されてしまった。高画質をウリにしながら実は本来の性能を犠牲にして消費電力の方を優先しているのが今の家電だ。エアコンもそう。冷蔵庫もまあ似たもんだろ。掃除機もそう。車もそうか。
とにかく、気がつくと日本は東京という異常な都市の環境を基準にして価値判断が決まる国になってしまった。その東京スタンダードは当たり前だが東京以外ではナンセンス。バカバカしい非常識な基準だ。そのナンセンスな基準で作られる製品にアイディアにサービスに政策。日本製品が海外で売れなくなってるのは自明の理だ。それに気付いているのか気付いていないのか。グローバル化などと東京中心至上主義の連中がテレビの向こうで言ってる姿を見るにつけ、日本の将来に大きな失望を感じ得ないのはオレだけなんだろうか。