振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

みちのく岩手の旅(5)中尊寺と毛越寺

2019-05-10 10:46:34 | 旅行
岩手の旅から帰って1ヵ月が経とうとしているが、まだ旅の最終日をまとめていなかった。

遠野の伝承園から南花巻温泉郷に向かい、2泊目は温泉宿に泊まった。翌日が最終目的地の平泉であり、今回の旅の第一目的地でもあった。奥州藤原氏の栄華を物語る中尊寺は以前から行ったみたいと思っていた。

NHKの大河ドラマ「源義経」を視た中で当時の日本では僻地となる東北地方に栄華と繁栄を極めた平泉と言う場所があったことを知り、深く印象に残った。大河ドラマはタッキーの出演した「義経」ではなく、尾上菊之助が義経を演じた50数年前の「源義経」のこと。自分は中学生だったが親父が歴史好きのこともあって一緒に視ていた。





駐車場から大木に挟まれた参道を上がって行くと昨日の雪がまだ残っていた。左右にある幾つかのお堂に立ち寄りながら500メートル近く歩くと中尊寺の本堂がある。







本尊の釈迦如来坐像にお参りをしていると、隣の人はタイの寺院でよく見るが上半身を深く折り曲げて両肘と額を床にくっつけてお祈りをしていた。外国人の観光客も少なくないようだ。

本堂から更に上がって行くと博物館となる讃衡蔵があり、そこで金色堂の入場券を購入。金色堂は階段の上にあった。





金色堂は覆堂と呼ばれる風雨を避けるための建物の中にあるが、創建当時には覆堂はなかったようだ。現覆堂は約50年前に建てられた空調完備の鉄筋コンクリート製だが、それ以前の古い覆堂は少し離れた場所に移築保存されている。金色堂は撮影禁止になっていた。

頻繁に行くタイでは金色に輝く仏像や寺院などは珍しくないが、日本では鹿苑寺金閣とここぐらいか?覆堂が無く、青空の下で緑の木々に囲まれた金色堂の姿が仮に見られたらどんなに素晴らしいだろう、と想像してみた。

讃衡蔵の展示物を見て回ったが、金色堂には今も藤原清衡、基衡、秀衡のミイラ化した遺体と泰衡の首級が安置してあることをそこで知った。副葬品などの展示もあったが、藤原氏を滅亡させた頼朝の軍勢は破壊や略奪をしなかったと言うことになる。その後も本堂やお堂は失火で焼失もあったらしいが、金色堂が長い間盗みや破壊の対象とならずに残っていることは素晴らしいと思う。

藤原氏の繁栄をもたらした要素の一つは領地内に金鉱があったことだとは思うが、その財力でもって仏教を厚く信仰することがなければ今に残る文化はなかっただろう。

金色堂の周辺には松尾芭蕉と宮沢賢治の歌碑があった。






中尊寺を下って、毛越寺へ行った。





寺ではあるが広大な池とその周囲に寺やお堂が配置され、いくつかは跡が残っているだけだ。

浄土庭園と呼ばれる池とその周辺の景色は、今は4月と言えどもみちのくはまだ冬景色。花の一つもまだ咲いてなく、浄土庭園と呼ぶには少し物悲しい感じだった。












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