振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

世界遺産登録されている「大板山たたら製鉄遺跡」ですが(2)

2019-03-23 15:06:41 | 旅行
2015年に文化遺産として世界遺産に登録された「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の中の23の資産の内の一つが「大板山たたら製鉄遺跡」になる。

23の資産は岩手県から鹿児島県までの8エリア(8県)にまたがり、明治日本の産業革命遺産のストーリーに従って寄せ集められたように見える。逆に言うと世界遺産をばら撒いたようにも見える。

資産の中には萩城下町や松下村塾のように、産業遺産なの?と思わせるものや、実際には一片の鉄も生み出さなかった萩の反射炉もある。

また、製鉄関連では釜石の橋野鉄鉱山、韮山反射炉、鹿児島の旧集成館、官営八幡製鉄所があり、萩反射炉と大板山たたら製鉄遺跡も含むと思われるが、ここで少しだけ違和感を感じることがある。

製鉄の産業革命がテーマであれば、古代中世以来の日本の伝統的な製鉄手法であるたたら製鉄から、高炉や反射炉を用いた西洋の製鉄手法への転換を指すと思うのだが、何故にたたら製鉄が産業革命遺産に登場するのか。生産性の低い和鉄から洋鉄に切り換えて日本の国力を高めようとしたのが明治日本の産業革命ではないのか。

明治日本の産業革命遺産の(公式?)サイトによると、長州藩が萩の恵美須ヶ鼻造船所で建造した木造洋式帆船の丙辰丸の鉄釘や鉄の部材に大板山の鉄が使用されたとある。正直なところ、それで世界遺産?と感じる。



操業の度に炉を構築して三日三晩に渡って砂鉄と木炭を天秤鞴で空気を送りながら燃やし続け、そこから玉鋼や鉄を造り出すたたら製鉄は伝統的産業遺産として重要だと思う。明治の中頃までの身近にあった鉄製品は殆どがこの方法で造られていたはずだ。現在も日本美術刀剣保存協会では年に1回たたら製鉄を操業して日本刀の文化を伝承するための玉鋼を生産し、全国の刀匠に配布している。

日本遺産と言うのがあり、ここには「出雲国たたら風土記」としてたたら製鉄に関する遺産が登録されているが、島根県石見地域や山口県の遺産は含まれていない。そして大板山のたたら遺跡だけは世界遺産だが、これもおかしくないか?

実際に大板山まで足を運んでみたので、たたら遺跡としてしっかり保存されていることはわかった。これも世界遺産登録のお蔭で、それはそれで結構だと思うが、やはり産業革命遺産ではなく伝統的産業遺産として他のたたら製鉄遺跡と併せて見て欲しいものだ。







遺跡の傍に墓地があった。ダム湖に水没しないよう、この場所に改葬されたようだ。備後や出雲から来て働いていた人やその家族の墓だが、操業中の事故や病気で亡くなり故郷に帰ることなくここに埋葬されたのだろう。出雲のたたら技術があってこそ大板山が成り立っていたように思える。