振り出しに戻る「落陽日記」

旅や日々の生活の一コマ。60代半ば、落陽期を迎えながら気持ちは再び振り出しに戻りたいと焦る日々です。

「どこかにマイル」を使って山形へ(4)鶴岡、酒田は初めての土地

2019-12-09 09:16:11 | 旅行
山形県に足を踏み入れるのは、約10年前に仙台出張の際、山寺に寄って蔵王温泉に宿泊して以来2度目になる。仕事の関係で全国の主要な都市には大概出張で行っているが、庄内の酒田や鶴岡にはそのチャンスがなかった。

また、酒田は最上川河口にある江戸時代から栄えた港湾都市で、夏はフェーン現象で異常高温があると言った知識は学生の頃から持っていた。日本地図を見ればどこにあるかもわかっていたが、一方で鶴岡はひょっとして新潟県?ぐらいの知識しかなかった。今回の旅に出る前に少し勉強したので、歴史的に酒田が商業の町で鶴岡が政治の町と理解すればよいとわかった。


羽黒山五重塔を見た後、鶴岡市内に向かった。市役所を右手に見て、鶴ヶ岡城公園を過ぎたら、目的地の致道博物館の建物が見えた。旧鶴岡警察署の建物で、水色の塗装が印象的な明治初期の洋館風の建物だ。





建物内部には展示物などはなく、署長室や取調室などがそのまま残っている。2階のバルコニーからは別の建物、旧西田川郡役所が見える。





これも西洋風建築で、時計台がある。内部は庄内地方の縄文・弥生時代の出土品から、戊申戦争後の庄内藩を寛大な処分で済ませた西郷隆盛との交流に関する資料まで、歴史展示室になっている。

茅葺の大きな屋根の家屋は出羽三山、湯殿山の麓から移築された、渋谷家住宅。



明治時代に養蚕業を営んでいて、内部は屋根裏部屋まで含むと四層構造になっている。生活用具なども展示されているが、これとは別に庄内地方の工芸品や農具、海や川での漁労具などを展示した収蔵庫もある。

この致道博物館のある土地は、江戸時代から庄内藩主を務めた酒井氏の邸宅のあった所で、昭和25年に酒井氏の末裔からの寄贈によって博物館として整備されたらしい。隠居所の建物や庭園が残されている。庄内地方の歴史をざっと知るには、良い博物館だと思う。






この後、鶴岡から酒田に向かい、本間家旧本邸に行った。江戸時代、庄内地方の大地主であり、北前船で栄えた豪商でもあった本間家の邸宅として昭和20年まで使われていたとある。当初は江戸幕府の巡見使を迎える藩主酒井氏のために新築献上された宿舎で、巡見使宿舎の役を終えた後で本間家の邸宅になったようだ。





1年ぐらい前だったか、ブラタモリの番組で紹介されたのを視たが、その内に行ってみたいと思っていた。庭園の石は色やカタチがバラバラで、北前船によって全国各地から運ばれたと言っていた。



事業で得られた資金は農地改良や防風林の整備などの地元振興に投じたり、東北諸藩の財政支援にも対応したようだ。明治時代を迎え、北前船の衰退と共に家業もふるわなくなったようだが、この場所とは別の屋敷で現在の本間美術館になっている所が、大正時代に摂政の宮だった昭和天皇の御座所として使われたとある。戦後は農地改革で殆どの土地を手放して現在があるようだ。

しかし本間美術館などを含めて、これだけの歴史文化資産が今後もしっかり維持管理出来れば、本間家の名前は長く残るだろう。


この後は酒田港に近い最上川河口にある山居倉庫を駆け足で見て、それから夕暮れ迫る日和山公園に登った。日本海に浮かぶ飛島が見えるかなと思ったが、暗くなってよくわからなかった。