の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

サラ・ケーオ・クー(ワット・ケーク)

2015年04月18日 | ノーンカイ

朝です。靄がかかっています。

タイ=ラオス友好橋も霞んで見えます。

エレベーター内にメコンオオナマズの写真が飾ってありました。捕えたメコンオオナマズを料理する前の記念写真のようです。料理人がのこぎりでメコンオオナマズを切る写真もあります。

タイの絣、マットミーです。絹を柄に合わせて括り、染めて手織りします。精緻な模様に織り上げています。

ホテルのロビーに飾られていた写真は、1973年にラオスの米軍基地に駐屯していた米兵たちが捕えた、メコン川に住む全長7.8mの「パヤ・ナーク」です。「ナーガ」とも呼ばれ、インドではコブラを神格化した大蛇神ですが、中国に伝わると龍(龍神)になります。
この龍が年に一度、陰暦11月の満月の夜にノーン・カイ付近のメコン川で火の玉を吐きます。当日はメコン川畔に数十万人が、火の玉を一目見ようと集まってきます。火の玉が上がる場所は数カ所あって、一晩に1000個前後上がるようです。
火の玉が上がるのは満月の夜だけです。

タイでは「メコンのパヤ・ナーク」といういう有名な写真ですが、真相は、1996年カリフォルニアの海岸に打ち上げられていた深海魚「リュウグウノツカイ」だそうです。この写真では不鮮明ですが、顔は修正によって龍になっています。

朝食の後、河畔へ出て見ました。

向こう岸は昨夜遅くまで、煌々と明かりが灯り、騒いでいた寺院です。

4億年前の木の化石です。水、お線香が供えられています。日本でも老木には神が宿り御神木として祀られますが、タイでも巨木には精霊が宿っています。樹下には祭壇が設けられて、お供え物が絶えることはありません。4億年前の巨木も精霊は宿っているようです。



先ず、ノーン・カイのTAT(タイ国政府観光庁)事務所へ周辺の観光ガイドブック、地図をもらいに行きます。

TATのある庁舎入り口にコーヒーショップがあったので、コーヒーを飲みながら、もらったガイドブックと地図で今日の予定を考えます。




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前日に入ることができなかった「サラ・ケーオ・クー(ワット・ケーク)」を訪れました。入り口は土産物店が並ぶ奥にありました。寺院を維持するための寄付金20バーツを払い入場です。

1932年、ノーン・カイで生まれた「ルアンプー・ブンルア・スリーラット師」は30歳ごろに家族とともにラオスへ移住し、ワット・シエンクワンを建立します。ラオスが社会主義国家になった1975年タイへ亡命し戻ってきます。ノーン・カイに戻ったブンルア師は寄付を募り、第二のブンルア・ワールドの建設にかかります。師のインスピレーションを基に仏教、ヒンドゥーの神、キリスト教のイコンを混在させた仏伝や地元の伝承を彫像にして1978年に完成しました。ルアンプー・ブンルア・スリーラット師は完成を見ることなく、1996年に亡くなっています。現在は弟子たちが維持、管理をしています。

















全ての像の台座にはラオ語の解説が刻まれています。
像は仏伝を基にしたものが多いようですが、ヒンドゥーを題材にしたものもあります。

ネズミに乗っているのはシヴァ神の息子で富と学問の神ピッカネーです。右手に折れた牙をもっています。









仏陀の修行を守るナーガです。舌がリアルです。

大きく口をあけているのは、インド神話に登場するマカラでしょうか、メコンオオナマズかも。とりあえず、口の中へ入っていきます。





塀に囲まれた内側には中央に大きな像と、周りに男女の生誕から死後までの彫像が取り巻いています。ガム(業・カルマ)、現世の行いが、来世にもたらす行為を現わしています。



およそ40分の滞在で、メコン川沿いの国道211号線をチェーン・カーンへ向かいます。

メコン川に沿って走る

2015年04月11日 | ノーンカイ

「メコンのへそ」です。ブンカーン市街から21kmでメコン川沿いの「ワット・ア-ホーン・シラワート」に到着です。境内に立っている看板です。



川沿いにはベンチが並んでいます。夕暮れの涼しくなった頃に人が集まるのでしょうか・・・。

アイスクリーム売りがたくさん集まっています。

悠々と流れるメコン川の上流です。



そして、メコン川の下流を眺めます。

対岸はラオスです。ワット・ア-ホーン・シラワートの建つ、この場所は川幅が極端に狭くなっています。
メコン川で水深が一番深いところだと信じられています。ロープに石を結び、川に投げ入れて測られた深さは196mです。
雨季には急流となり大きな円錐を伴う渦巻きが生じます。乾季になり、大きな渦が壊れる時、瀑布と岩を貫ぬく大音響を伴います。しかし、渦はすぐに発生し、瀑布と大音響を伴い消える現象が乾季の3月から5月にかけて毎日発生します。

対岸も寺院です。伝説では「メコンのへそ」はラオス側の岩の下に洞窟が横たわり、メコンオオナマズが生息し、陰暦11月のオーク・パンサー(出安居)には、ナーガが集まって火の玉を吐く神聖な場所です。
ワット・ア-ホーン・シラワート」には「メコンのへそ」の女神が祀られていて、金運や恋愛成就にご利益があるそうです。
人々は二本の線香に火を点け、花や花束、そして口紅、香水、女性のアクセサリー等とともに供えます。

一帯から出た木の化石です。



庭の巨岩です。

午後4時21分、「メコンのへそ」から70km走ってポーン・ピサイの町へ来ました。ノーンカーイまでは、あと46kmです。
サムローに乗って下校の学生たちです。

ブンカーンとノーンカーイを結ぶ国道212号線はメコン川と平行に通っていますが、川沿いを走ることはありません。ノーンカーイを過ぎるとチェーン・カーンまで川沿いを走るのと大違いです。
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ノーンカーイに到着です。午後5時、「サラ・ケーオ・クー」という標札で寄ってみました。
ラオスから亡命した僧侶「ルアンプー・ブンルア・スラリット」の指導によって1978年に建立された寺院です。
門前の売店も店じまいをし、二カ所の寺院門も閉まっているので外観写真だけで写して立ち去りましたが、翌朝再訪した時には売店の女性が開いている第三の門を教えてくれました。



メコン川沿いへ出ます。タイとラオスを結ぶ友好橋まではまだ距離があります。





ノーンカーイはメコン川沿いに寺院がぎっしりと並び立っています。










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国道2号線との交差点です。市街へ入るゲートは二匹のナーガです。



ロイヤル・メ・コーン・ノーン・カイ・ホテルです。一泊900バーツです。
川畔には新しいホテルもたくさん建っていましたが、背が高く見晴らしがよさそうなのでここに決まました。

ホテルのロビーです。





ホテルは川沿いです。夕日を見に川畔に出てみます。



川上にはタイ=ラオス友好橋が見えます。1994年にオーストラリアの援助で完成した、1174mの自動車専用道路です。
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夕食に出かけます。

メコン川に沿った店だと思ったのですが、店の裏は護岸工事がなされ、道路が通っていました。料理ができるまで夕暮れを撮影です。







メコン川に生息するメコンオオナマズを使った、トムヤム・プラーブックです。メコンオオナマズは成長すると全長2m、300kgになる世界最大の淡水草食魚です。絶滅危惧種に指定されていて、タイでは捕獲禁止です。タイ人に言わせると、タイで捕獲禁止にしてもラオス人が捕っているから効果がないということでした。ここに出たのは、ラオスからの輸入か、密漁かはわかりません。



対岸のラオスの寺院では、夜遅くまで満月の行事が行われています。
3月3日、日本ではひな祭りでした。

プー・トーク(2)

2015年04月07日 | ブンカーン

プー・トークの続きです。5階を回り、6階へ上る階段に腰かけ、一服をしていると少女が下りてきました。階下で家族が下りてくるのを待っています。

6階へ上がってきました。
1969年、僧侶チュアンが森に囲まれ、静かで瞑想に適した山を見つけて寺院を建立します。共感して集まった僧侶と村人によって、山へ上る階段や桟道が5年がかりで建設されました。

6階は北から東へ回ります。歩きながら写した写真を掲載します。



















大きくせり出した岩の下を、背をかがめて進みます。







西側まで回ってきました。西側はせり出した岩の上を歩きます。サコーン・ナコーンから来たという学生グループを追い越します。


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7階へ登ってきました。木々が繁った平坦な山頂で遊歩道になっています。



北側に大きな段差があり梯子がかかっています。



北端の岩場に出ました。5階の礼拝堂がずいぶん下に見えます。



プー・トーク・ヤーイです。
6階を回った時に何カ所かの7階へ上る階段を見たのですが、7階では他の下り口が見つからず、来た道を引き返して下山しました。
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5階まで下りてきました。









下から見えた礼拝堂です。
5階の階段で休んでいるときにすれ違った女性たちです。6階まで上りなさいと勧めたのですが、疲れたので行かないとのことでした。やはり6階を踏まないのは惜しいです。





下山です。急階段を下りていきます。上り始めてから2時間30分経っています。






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麓の南の池越しにプー・トークを見ます。

池の対面の仏塔に参拝していきます。

仏塔内は開山の祖、チュアン・クゥンチェトーが祀られています。











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門前には薬草屋さんが並んでいます。アイスクリームを買いに寄りました。

娘と母親が店番をしていたのですが、実に無愛想な店で隣の店をのぞきに行きます。

「飛馬印石けん」輸出用でしょうか・・・。

隣は、打って変って陽気な店でみんなが話しかけてきます。僕も店の椅子を借りて、話に付き合いながら休憩です。

手前の女性は薬草を調合しています。薬効を説明してくれますが、理解するには難しすぎます。









乾燥させた薬草の産地も教えてくれます。ブンカーンの山野で採れるらしいです。

赤い容器に入っている、煎じた試薬を勧めてくれます。
紫色をし、少し甘みがあり飲みやすかったです。元気が出るそうです。


プー・トーク(1)

2015年04月05日 | ブンカーン

ザ・ワン・ホテルの朝食です。山登りに備え、多い目に食べておきます。

「クイッテオ・ユアン」、「クイチャップ・ユアン」とも呼ぶ、メコン川流域の食べ物でしょうか・・・。ユアンは本来中国「元」を指していると思ったのですが、この場合はベトナムを指しているようです。メコン川流域に移住したベトナム人が持ち込んだ食べ物です。
米粉から作った太めの麺で、出汁はあっさり味でたいへん美味しかったです。失敗は薬味にパクチーが混じっていたことです。2杯目はパクチー抜きで食しました。

玄関にはレンタル自転車が並んでいます。

午前8時、ホテルをスタートします。
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旅先の日課、とりあえずガソリンス・タンドです。ミニ・パイナップルを撮影します。



「Purple Wreath」、タイでは「プアン・クラーム」と呼ばれています。

「Purple Bauhinia」、和名は「ムラサキ ソシンカ」、タイでは「チョーン・コー」です。
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ブンカーンから南へ26kmでシー・ウィライの町です。シー・ウィライで左折して20kmでプー・トークに到着します。ところが車載ナビはシー・ウィライを直進指示、さらに南方20kmにあるポーン・チャルーンの左折を表示していました。、ポーン・チャルーンの町に入って、ずいぶん遠回りさせられていることに気が付いたのですが、手遅れです。
ポーン・チャルーンで左折、約30kmの舗装のはがれた、穴だらけの道をプー・トークまで約40分のロスをしてたどり着きました。

結局、プー・トークへの到着は午前9時45分です。







登山道の入り口です。

門をくぐると右手には「言わザル」です。

左には「見ザル」、「聞かザル」はいないようです。

岩盤の深く、長い亀裂を渡ると山へ登る階段へと続きます。

階段のスタートです。



階段に座り込んだ夫人に声をかけ、追い越していきます。

階段が二方向に分かれています。右側の岩を削った階段を選択します。





石の階段が終わると、一気に4階まで登る急階段になります。

切り立った絶壁に沿って登っていきます。



4階に到着です。左上の建造物は5階の礼拝堂です。

まず4階の桟道を歩いてみます。



ふもとの仏塔を見下ろします。





4階は山を周回する桟道が朽ち果てています。この場所に立った時に、急に足がすくんでしまいました。

4階の桟道が途切れたところから5階へ登る急階段となります。

階段の途中から4階を見下ろします。ずいぶん高くまで登ってきました。



「添え木を触るな」「落書きをするな」「石を採るな」「ごみを捨てるな」という注意が書かれています。
5階には、東屋や庵があり僧侶が宿泊しています。4階の庵は女性修行者の宿泊所となっています。
また、5階の岩壁には、「ナーパー・テープ・ミニッツ」、「ナーパー・ホア・チャーン」、「ナーパー・テープ・サテット」等の名前が付けられています。





5階の桟道は山を周回しています。一周400mです。





6階へ登る階段が何か所か設置されています。





6階を見上げます。



東側断崖には一部ひさしが設けられています。
5階、6階は僧侶の瞑想の場所です。





北のはずれに独立した石柱の上に礼拝堂があります。



馬の背のような岩を進み、橋を渡り礼拝堂へ行きます。





礼拝堂から見る東側の断崖です。

6階の長い桟道がよくわかります。

やはり僧侶が修行する山、プー・ポーク・ヤーイです。

イサーンへ旅する(ブンカーンへ到着)

2015年04月04日 | ブンカーン

カーラシンから国道213号線を北上してソムデットを直進すると山越えでサコーン・ナコーンに至ります。ブンカーンへ向かうにはソムデットで左折、国道227号線をプレワ・シルクの村バン・ポーンを抜け、クレーター状の山を大きく迂回してパーン・コーンで国道22号線を突っ切り、ひたすら北上するのが短距離です。バン・ポーンから先は初めて走る道路ですが、どうも様子が違います。

ナビは山を迂回する国道227号線を取らず、走行距離のさらに短い山越えを指示したようです。登坂路は未舗装道路になっています。
対向車に出会わないのですが、道幅も広く、路面にはタイヤの跡もあり、とにかく前進します。

「歓迎、チャオ・ドン」(鬱蒼と繁る山の木々)へ。

山の中には山桜のような花を咲かせた木々が見られます。
イサーンでは「パック・テゥ」と呼ばれ、若葉を生食や煮物にして食べるそうです。
道路際の木を撮影しました。

無事山を越え麓近くの村まで来ました。道路は車幅より少し広くブロックを敷き詰めています。

山を越えると舗装された道路にもどりました。

やがて国道227号線に合流、一安心です。
後日、グーグルマップで走行経路を確認すると、国道227号線の分岐点から合流点まで山越えで「33.2km、42分」、国道227号線だと「47.7km、40分」の表示、「急がば回れ」です。

小さな区画の水田地帯を走ります。

そして、小さなガソリン・スタンドでトイレ休憩です。ガソリン価格は、エタノール10%混合のレギュラー・ガソリンでリッターあたり約2.5円高くなっています。


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国道227号線に戻り、約30km走ると道路沿いに立派な仏塔のある寺院がありました。寄ってみます。

「ワット・プラ・タート・シー・モンコーン」です。仏塔は新しく建立されていますが、古刹のようです。

蜂の巣が傘蓋になっています。

ウドンターニーのバーン・チアンに代表される前史時代から続く遺跡はサコーン・ナコーン、コーン・ケンにはたくさん残っています。
この寺院にもモン族遺構が残っていたのでしょうか、仏塔の壁面にはドヴァラヴァティー様式の仏像で装飾されています。





仏塔の横には、煉瓦造りのモンドップが建っています。





堂内はハトの糞で足を踏み入れるのを躊躇しました。








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午後2時27分、ウドン・ターニーとサコーン・ナコーンを結ぶ国道22号線まできました。タークシラ・ホテルから216kmです。累計で703kmの走行です。ブンカーンまではあと130kmです。

シー・ウィライで右折、下校する生徒を乗せた車両に続きます。最近は見かけなくなった屋根に乗る生徒たちです。



ついに到着です。まだ遠くに霞んで見えますが、切立った絶壁の「プー・トーク」です。プー・トークとはイサーン方言で「世間から隔絶した山(孤立した山)を意味します。

プー・トークのある「ワット・チェティヤ・キーリ・ウィハーン(ワット・プー・トーク)」へ直行せず、周りから山全体の見える場所を探し、写真撮影です。

プー・トークの東にある池から撮影しました。正式には「プー・トーク・ノイ」(ノイは小さいという意味)と呼ぶそうです。



こちらは「プー・トーク・ヤーイ」(ヤーイは大きいという意味)です。

絶壁の上にお堂が見えます。やはり信仰の山です。

グーグルマップで確認するとメコン川から南南東に延びる山脈の南端がプー・トーク・ヤーイ、そしてしずくのようにできた山がプー・トーク・ノイです。

破線で囲んだのがプー・トーク・ノイです。上の写真の池は「ふもとの池」から撮影しました。

午後4時30分、「ワット・プー・トーク」の山門をくぐります。

登山口に門があり、歩いて来た僧侶に閉門時間を問うと、夜間も開門しているということでした。しかし、午前中にプー・ポーに登ったため、プー・トークは翌朝再訪することにします。
登山口から戻る途中で、盆に盛ったスイカを食べながらやってきた女子高生に出会いました。スイカを勧められたのですが、写真だけ撮影させてもらいました。





西日の射すプー・トーク全体を南側から写します。見えているのは、楕円形をした山の短辺側です。解説では4階の桟道一周が400mとなっています。






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プー・トークの東にある湖です。夕日が網を上げる漁師を照らします。午後5時22分です。



午後6時、まずメコン川畔まで来てみましたが、護岸工事中です。



ガソリンスタンドで飲み物を買ってホテルへ向かいます。(ガソリン・スタンドにあった観光案内版です。)

ミニ・パイナップルです。暗くなったので、明朝もう一度撮影に寄ります。



国道212号線沿いにある「ザ・ワン・ホテル」に投宿です。新しいホテルで、宿泊料も特別価格で790バーツでした。
ブンカーンはタイで一番新しい県で、2011年3月23日にノーンカーイが分割されて誕生した77番目の県です。県庁所在地ですが、まだ地方の小さな町程度の規模です。

本日の走行距離389km、バンコクから876kmです。



夕食はルーム・サービスで済ませます。