の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

リタイ王公園

2016年02月11日 | スコータイ
宿泊はサラチットの「サクトーン・リゾート」です。一泊400バーツで、朝食はトーストとコーヒーのサービス付きです。

宿泊施設の奥は、広いマンゴー畑です。

友人宅へ朝食に向かう途中でリタイ王公園に寄ります。
後ろの山は歴史公園から連なる「カオ・ヤイ」です。麓から山頂まで、いくつもの寺院遺跡が連なっています。
【2013年9月24日上梓のシー・サチャナライ西側遺跡 (1)を参照してください。】



シー・サチャナライを治めていた若きリタイ王です。
吉川利治先生の論文「スコータイに対するクメールの影響」でマンゴー林寺院(ワット・パー・マムワン)出土のリタイ王の事績が刻まれた5基の石碑から、リタイ王は1347年、シー・サチャナライから兵を率いてスコータイの城門を破り入城、父の代わって即位します。2年後の1349年にマンゴー林のマハー・カセート神殿にシヴァ神像とヴィシュヌ神像を奉納、バラモン僧が供養します。
1361年スリランカから大僧正を招き出家、退位しました。
王位に就いて22年が経っていたといわれていますから、14年間がスコータイ王、その前の8年間、1339年からシー・サチャナライの王位にあったことになります。

マンゴー林石碑は1361年の製作で、スコータイ文字、タイ語碑文が2基、クメール文字、クメール語が1基、クメール文字、パーリー語が1基、そしてクメール文字、タイ語が1基となっており、14世紀中頃のスコータイ王朝の公用語、公用文字はクメール語、クメール文字だったとしています。

石碑はリタイ王の退位の年に刻まれた王の事績を讃える碑文ですが、ここで分かるのはリタイ王のスコータイ王としての異常な即位です。スコータイ城内に異変が起き、軍を率いて城門を破って入城していますから、決して平和裏の王位禅譲ではなかった事が窺えます。また当時の王家ではヒンドゥー教が信奉されていたようで、仏教寺院が盛んに建立されるのは14世紀後半になってからとされています。

午前8時45分、友人宅で朝食です。
***

食後、出発まで骨董品を鑑賞します。
石灰の詰まったモン陶の黒釉小壺です。

同じくモン陶の黒釉小皿です。

褐釉線刻瓶は珍品です。青磁瓶は多いですが、褐釉は初めて見ました。

タオ・ヤックの陶片です。鳥(ガルーダ?)の足です。

同じくタオ・ヤック出土の陶片です。

光背のある降魔印の仏陀です。

銀板に型押しされた仏陀立像です。

青銅製の奉納仏です。

午前10時30分、シー・サチャナライを出発です。


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