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の~んびり タイランド 2

タイの風景、行事や趣味の陶磁器を写真を中心に気ままに紹介しています。

アンコール・ワットの日の出

2015年07月18日 | カンボジア

カンボジアの歴史は古く、2世紀頃には交易国家「扶南」がプノンペン周辺に建国されていました。6世紀になるとコラート高原からクメール人の国家で扶南の属国であった「真臘」が勢力を拡大し、やがて扶南を征服します。
8世紀になると「陸真臘」と「水真臘」に分裂し、国内が混乱します。ジャワから帰国したジャヤバルマン2世は国内を統一して、802年にプノム・クレンに王都を建設しクメール帝国の礎を確立します。
1113年、スールヤヴァルマン2世が王位に就くとアンコール・ワットを建設します。

タイのクメール遺跡は全て見て回ったといっても過言でないと思っています。
そのクメールの大本山「アンコール・ワット(ナコーン・ワット)」へ日の出を見に行くというので、午前5時スタートなのに、かなり早い時間から興奮で目覚めました。
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ホテルからアンコール・ワットまで7kmです。
その中間にチェックポイントがあり、40ドルで3日間有効のチケットを購入します。

午前5時30分、まだ暗くて足元が見えない中を東西1500m、南北1300m、幅190mの濠にかかる橋を渡り、西楼門で陽が上るのを待ちます。
写真は午前5時38分、絞り5.6、露光時間15秒で撮影しています。

午前5時45分、絞り5.6、露光時間13秒です。
空が白んできました。

露光時間を30秒にしました。

午前6時15分、到着した時は人影が見えなかった西楼門に日の出を待つたくさんの観光客が集まってきました。



午前6時32分、塔頂部の雲が朱く染まってきました。下は雲が覆ているようです。



午前6時42分、雲間から陽がのぞきました。陽はずいぶん高くまで上っていました。
ちなみに一週間後が春分の日になります。





午前6時59分です。



壁のアプサラに陽が差し込みました。













午前7時、一旦ホテルに戻り朝食です。

参道入り口の獅子像と欄干のナーガです。





仕事に向かう女性たちです。
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アプサラの踊り(2)

2015年07月17日 | カンボジア

民族舞踊です。イサーンでも男女のペアがコミカルに絡み合う、求愛の踊りが、様々な催しで披露されます。
この踊りは新しく創作された踊りでしょうか、男女がペアとなり、魚獲りをコミカルに踊ります。
男性は女性に絡み、求愛をします。















男性がプルメリアの花を女性に差し出しますが、彼女はなかなか受け取りません。

彼女は男性の求愛を受け入れました。耳にプルメリアの花が挿されています。
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「ロバム・アプサラ(アプサラの舞)」
乳海撹拌で誕生したアプサラは「水の精」を意味しますが、カンボジアでは「天女」や「天使」に近い存在のようです。アンコール・ワットの彫刻を基にコマサック王妃によって創作されたといわれる「ロバム・アプサラ」は、アンコール・ワットの壁面からぬけだし、天界の花園で楽しく舞っています。人々の祈りはアプサラに託され神々に捧げられます。

アンコール・ワットで舞うアプサラです。
人々はアプサラに祈りをささげるために、乳房を揉むのでしょうか、手の届く高さにあるアプサラの乳房は手垢で黒光りしています。





壁を埋め尽くすアプサラです。



舞台に戻ります。





優雅な指の表現です。それぞれの動きに意味があるそうですが、ただ繊細な指を似ているだけで堪能できます。


































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午後8時30分、ロバム・アプサラが終わり舞台に登り、踊り子と記念撮影です。
上演時間1時間という極端に短縮された舞踊でした。

魚獲りを踊っていた女性たちは化粧を落とし、素顔になっています。

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アプサラの踊り(1)

2015年07月16日 | カンボジア

ヒンドゥーの天地創造神話、乳海撹拌で生まれた水の精アプサラが神々に踊りを捧げる浮彫です。バイヨンの壁面や石柱にたくさんの踊るアプサラを見ることができます。
ヒンドゥー教や仏教とともに叙事詩ラーマヤナや舞踊等の文化もインドから伝わります。
舞踊は802年に国内を統一したクメール王朝以来の宮廷舞踊として発展、踊りは神々や王に捧げるものであり、祖先を祀るための神聖な儀式でした。
1431年、第8代アユタヤ国王サームプラヤーの侵略で王都アンコール・トムは陥落、クメール王朝は滅亡します。
クメール官吏と共に踊り子や音楽楽士、建築師、彫刻師など宮廷芸術伝承者を含む9万人が捕虜としてアユタヤへ連れ去られ、カンボジアのクメールの古典文化は一瞬で根絶します。しかし、クメール宮廷文化はアユタヤの宮廷で伝承、発展します。
1845年、主権を回復したカンボジア王国の王位に就いたアン・ドゥオン王は、カンボジアの伝統芸能の復活に努め、タイから踊り子を連れ戻し古典舞踊を復興させました。1863年にフランスの植民地となりますが、古典舞踊は特別に保護され、1906年にフランスの植民地博覧会で上演され好評を博しました。
1945年、フランスから独立すると舞踊団は王宮管轄になり、シハヌークの母コサマック王妃はアンコール・ワットの寺院彫刻から踊りの動きや衣装を見直して、新古典舞踊を興隆させました。
タイ風であった衣装をクメール風に改めたり、アプサラダンスを創出したのもコサマック王妃です。古典舞踊は王室庇護のもとで開花します。
1975年、ポル・ポト政権になると踊り子などの舞踊関係者も王室に関わる者として9割が虐殺され、再びカンボジアの伝統芸能や文化が壊滅します。
ポル・ポト政権が崩壊後の1980年に生き残った数名の舞踊関係者によって復興の取り組みが始められます。

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夕食はアプサラの踊りを鑑賞しながらです。
かって王宮で演じられる古典舞踊では神聖な儀式で、舞踊中は国王ですら、水さえ飲むことが憚れたようですが・・・。


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「モニメカラ」
水の精モニメカラが宝玉を狙う悪魔リエムソーを退治する物語です。「恵みの雨」を祈願する、雨乞いの儀式に奉納された舞です。
























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「金の人魚のダンス(ソバン・マーチャ)」
古代インド伝来の叙事詩ラーマヤナのカンボジア版、リアムケー(タイではラーマキエン)の一節で、魔王ラーバナ(トッサカン)に誘拐されたシータ姫を救出するために、猿軍がランカー島へ渡る石橋を建設中にラーバナの娘ソバン・マーチャ(金の人魚)が石を動かしてしまいました。ハヌマーンがソバン・マーチャに橋造りの協力を求めるお話です。











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シェムリアップへの道

2015年07月12日 | カンボジア

少し古くなりますが、アンコール・ワットの旅を紹介します。
トンボ・ツアーで申し込んだ3泊4日、9,800バーツの陸路で行くアンコールワットです。
ルンピニー公園からアランヤプラテートの国境の市場、ロン・クーアまでの250kmはバクチバスに乗ります。約3時間の乗車でタイ人100バーツ、外国人200バーツの二重価格です。旅行会社の社長がカンボジア入国まで付き合ってくれます。





徒歩でタイ=カンボジアの国境を越えます。



カンボジアの国境ゲートです。ゲートくぐったところにタイの出国審査場があり、およそ500m進むとカンボジアの入国審査場があります。その間にホテルを兼ねた華人資本のカジノが林立します。タイ国内ではバクチが法律で禁じられているため、タイを出国し、カンボジアに入国することなく、タイ人がバクチを楽しむ(?)システムです。
ここに限らずラオス、ミャンマーの国境にはタイ人目当てのカジノが必ずあります。
バクチバスというのは国境近くまでバクチ客を運ぶため俗称として呼ばれます。

ポイペトの入国審査場には窓口が四つあるのですが、1カ所しか開いていません。ビザ業務も兼ねているためなかなか進みません。
取りあえず閉まっている窓口で100バーツを突き出します。職員が素直に仕舞い込んだので、パスポートと入出国カード、ビザ申請用紙、ビザ代20ドルを渡し入国スタンプを押してもらいカンボジアに入国です。
ポイペトからアンコール・ワットのある町、シエムリアップまで150kmはガイドと旧型カムリが迎えに来ています。午後1時のスタートです。



カンボジアのソーセージです。

ガソリン・スタンドです。給油してから行きます。



オレンジ色はガソリン、透明なのはヂーゼルでしょうか。

給油中です。

給油所のおかみさんです。





農作業に出かけます。

幹線道路ですが未舗装部分も多く、土埃で前が見えません。



シソポンで休憩です。レストランに入ります。
昼食は、昨日バンコクの日本食レストランで巻きずしを購入しておいたのを車中で食べたばかりで、コーヒーを注文します。
インスタントコーヒーしかありませんが・・・。



乾季で水は流れていませんが、川はたくさんあります。
道路は四車線ありますが、どの橋も車両が対向できる幅がありません。


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午後3時40分、ホテルへ到着です。オールド・マーケット横でシェムリアップ川沿いの「タ・プローム・ホテル」です。




ホテルの美人たちです。
この旅行では寺院のデパター(女神)を中心に写真撮影をしようと思っていたのですが、まずは現在のデバターからです。






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夕食は「アプサラの踊り」を鑑賞しながら、という定番ですが、時間があるので、オールド・マーケットの下見に行きます。



店番の美女たちです。





客待ちのタクシーの運ちゃんたちです。





ホテル前の交差点風景です。午後5時30分、帰宅の人たち、かな?







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