臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

日暦(10月14日)

2016年10月13日 | 我が歌ども
    ブログ『天童の家』の記事、「蔵王紅葉4」に取材して


○  白樺は季に先駆けて脱葉し白き木肌を誇らむとせり  鳥羽省三

○  紅(あけ)の奥に翠(すい)見えてその奥に見ゆる蔵王連山

○  山裾は秋酣はなるに峯は裸樹 蔵王の山々ふところ深し

○  「冴え渡る錦秋模様はこれから」と今野氏なかなか宣伝上手

○  「冴え渡る錦秋模様はこれから」と今野氏恰も観光大使

○  「鳥海山には初冠雪」との情報に首うなだるる今野幸生氏

○  一枚は一幅の絵の如くにて今野氏のカメラ捌きの良さ偲ばるる

松木秀第三歌集『親切な郷愁』より

2016年10月13日 | 諸歌集鑑賞
    ショッピングモールの中の駄菓子屋は親切な郷愁でおなじみ
    ドン・キホーテが開店すれば湧いてくるドン・キホーテにいそうなお客
    派遣社員で構成されしショッカーの独身寮は夏でも寒い
    戦争を知らぬ世代といわれても大丈夫いつか知ることになる
    リサイクルショップに行けばこんなもの最初に買った人がいるんだ
    宇宙のそとにフェッセンデンを見つけたる宇宙学者がひたすら隠す
    火葬の風習ありて化石に残らざる恐竜もいた 絶対にいた
    いまごろは福島第一原発にいるやも知れず公田耕一
    汚れたる眼鏡拭かんと開脚の如くにひらくポケットティッシュ
    つまみ食いしようと思い五秒ほど考えてからまた戻したり
    メジロマックイーンの直系絶えたれどオルフェーブルにその血を残す
    百万石と言えば聞こえはいいのだが十五万トンと言えば少なし
    飛行機を折らなくなった少年は空の苦しみを知ったのである
    誰も言わないがカダフィの死顔は間寛平にすこし似ていた
    ノンアルコールビールというのは要するにビール味したサイダーである
    ソウルオリンピックの聖火で焼けた鳩をたまには思い出してあげよう
葬式のスパイスとしてご焼香形式としてかなしむための
こんな所にも格差あり流星群持ちし星座と持たざる星座
タイソンのパンチから亀田のパンチへと減衰したりコンビニのひかり
来週は雪らしい 冬やってきて私は白いこなぐすり飲む
孤独死をテレビはうつす 孤独死の部屋に地球儀置かれてありぬ
「お墓にひなん」したる九十三歳の遺書の旧かな「やうに」かなしき
内戦のシリアの首都はダマスカスダマスカスって詐欺師みたいだ
「覚醒剤」と書くと「覚せい剤」よりは犯罪からは遠い気がする
北海道にはありそうなサベツ川、ショウモナイ川、シカタナイ川
保守的な「子」がやわらかくぶちこわす栗木京子のシンメトリーよ
「ファシズムの再来に気をつけよう」とヒトラーが今いたら言うはず
死者行方不明一万九千 日本の一年の自殺者よりも少なし
外見で差別するなということは内面で差別してもいいのか
君が代を歌っているか監視する教頭は君が代を歌わず
飛行機と飛行機雲を産み出して二十世紀のはじめごろ美し  
大津波によって完全犯罪が成功したる例もあるやも
韓国というと理性をなくす人おんな韓流おとこ嫌韓
人生に待つ〈天国と地獄〉とを運動会で子も親も聴いた
枯野には枯野の役目ありにけり草を抱きしめ雪を抱きしめ
「日本人が慢心だとかありえない」その言葉自体すでに慢心
ごみ収集日にあらざればカラスさえ大人しく空をよぎりたるのみ
あわれさの入門編としておこうカラスが食べるスズメの死骸
戦争を知らぬ世代といわれても大丈夫いつか知ることになる
自民党になぜか都合のいい時期に北朝鮮は衛星(ミサイル)を撃つ
自民党になぜか都合のいい時期に領空侵犯する中国は
ニッポンヲトリモドシマス親切な郷愁がほら大手をふるう
「モキチキ」とするとコンビニで売っている物のような気のする茂吉の忌
飛行機と飛行機雲を産み出して二十世紀のはじめごろ美(は)し
安全と言えば即座に負けになる原発しりとり 危険でも負け
ニッポンヲトリモドシマス親切な郷愁がほら大手をふるう
わたくしが短歌を詠みし十五年単なる空白の十五年    








松木秀第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』より(其のⅡ)

2016年10月13日 | 諸歌集鑑賞
秋津島ヤマトの糊は学校の工作となりて千代に八千代に
かなしきはスタートレック 三百年のちにもハゲは解決されず
戦争で儲ける人には焼くための星条旗など売る人もあり
核発射ボタンは丸か三角か四角かまさか星の形か
累々と死者が整列しています死んで整列させられる墓地     
アメリカのようだな水戸の御老公内政干渉しては立ち去る  
核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色と思う
とりあえずいつでも壁は壊せても瓦礫を捨てる場所はもうない    
あ、青い 漁師も数多飲み込んで委細かまわず海はなめらか
史上最高なるヒトリザルとして群れを捨てたる若き日の釈迦
奥行きのある廊下など今は無く立てずに浮遊している、なにか
偶像の破壊のあとの空洞がたぶん僕らの偶像だろう
死に際に巨大化をする怪人のように企業の再編つづく    
銀縁の眼鏡いっせいに吐き出されビルとは誰のパチンコ台か
目立つ場所より錆びてゆく歩道橋誰も渡らぬゆえ気付かれず    
レーニンが詩歌の棚に並べられ新興住宅地の古本屋    
心には窓がありますその窓を叩き割ったらえんどう畑
自転車で転倒してもそんなにも痛くはないが血はやたら出る
宇宙は、とたった十七画だけで表記しちゃってごめん宇宙よ
役に立つ嘘はどんどんつくべきだ例えば「人はひとりじゃない」と
夕暮れは夕暮れとして眺めるなあれは感傷効率装置
利用者の利便のために旭川の個人タクシーみな同じ色
親指をナイフもて切る所からはじまる優良図書の『坊っちゃん』
あるときははらはらとふるかなしみの胡椒としての八月の雨
ふさふさと快癒を願う千羽鶴ぎゅうぎゅう詰めのまんなかの鶴
日本史のかたまりとして桜花湧きつつ消える時間の重み
青い雲天高く投げ5メートルほどの果てしなさへ歩むかな
日本に二千五百の火葬場はありてひたすら遺伝子を焼く
千羽鶴五百九十四羽目の鶴はとりわけ目立たぬらしい
機関銃と同じ原理の用具にてぱちんと綴じられている書類
核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色とおもう
なにゆえに縦に造るか鉄格子強度のゆえか心理的にか
儀式とは呼べないまでも地球儀を運ぶとき皆丁寧となる
新聞も読んでない今日まあいいか明日には明日の殺人が来る
ああまただまたはじまったとばかりに映像を観るただの映像
Confusion will be my epitaph 凡庸な引用として生きる他なし
ちょっとした拍子に欠ける消しゴムのように何かを落としたような
夕暮れと最後に書けばとりあえず短歌みたいに見えて夕暮れ  
ストローをくろぐろとした液体がつぎつぎ通過する喫茶店
たった今天は配管工事中火花としての流れ星あり
コピー機のひかりに刹那さらされて分裂をするなまぬるき文字
ああ闇はここにしかないコンビニのペットボトルの棚の隙間に


〈参照〉
 戦争が廊下の奥に立つてゐた(渡辺白泉)  
 沈黙の我に見よとぞ百房の黒き葡萄に雨ふりそそぐ(斉藤茂吉) 
 むの字にはまるがありますその丸をのぞいてみればえんどう畑(坪内稔典)

 松木秀第一歌集『5メートルほどの果てしなさ』の「あとがき」

 「わたしの目には、短歌という形式が自己の同一性を保証してくれる形式に映ったのです。それ以来はやくも七年半も経ってしまいました。とはいえ、短歌を詠んでいて楽しいと感じたことは一度もありません。わたしにとって短歌は自己同一性を何とかして保持しようとする必死のあがきであり苦行でした。現在もそうです。」


  物質がはかなさという構造をとるつかのまを生命という

 松木の歌の底流にあるのは虚無感であり、それがシニカルな笑いの形をとってあらわれる。一首目の「二千五百」というリアルで無意味な数字の出し方がおもしろいし、「遺伝子を焼く」という結句にはどきっとさせられる。一見軽く作られているが、「火葬場は」の「は」など、助詞の使い方にも巧さがあるのである。
 ただ、こうした虚無感に歌集全体がとどまっていることに、私はかすかな苛立ちも感じた。たしかに現代の日本はどうしようもなく閉塞的であるかもしれない。未来に希望はないのかもしれない。けれども、その空しさの中で、何かなまなましい葛藤を見せてほしいと思ったのである。たとえばかつての受賞者の大口玲子の歌には、ぼろぼろになりながら空しさに耐えている痛みがあり、そこに私は心を打たれた。それと比べて、松木の歌は、絶望感をあまりにもブラック・ジョークとして完結させてはいないだろうか。傍観的な機知に終わっていないだろうか。
  しばしば引用される「アメリカのようだな水戸のご老公内政干渉しては立ち去る」といった歌は、一面 的なアメリカ観をなぞっているにすぎない感じがして、私はおもしろいとは思わなかった。社会詠は、作者の存在を揺るがすような地点から歌われていないと、読者に強く迫ってこない。「核発射ボタンをだれも見たことはないが誰しも赤色とおもう」も気の利いた歌だが、やはり奥深さに欠ける。
 もちろん、この歌風が松木の持ち味であることはよくわかる。だが、虚無感を繰り返し歌うだけであれば、いつかマンネリが訪れる。そこをどう乗り越えるかが課題だろう。私は、数は少ないが次のような歌に心を引かれた。


  自転車を運転すればあっさりと涙出で来る季節となりぬ

 松木は北海道登別に住むという。寒冷な土地に生きる実感がよくあらわれた歌であろう。こうした身体感覚を回復するところから、新しい世界が生まれてくるように思ったのだ。
     












松木秀第二歌集『RERA』より

2016年10月13日 | 諸歌集鑑賞
誰しもが「空気を読んだ」だけだろう沖縄戦の集団自決    
ごみ箱は何でもごみにしてしまうミカンの皮も記念写真も
「おすすめの本があります」Amazonに教えられては買う本の束
そのむかし熊は神なりきこの土地にレラという名の風吹きしころ
はつなつの風れられらと過ぎゆきて銀のしずくのしたたるまひる
つなぐほどさみしいはるのゆびさきをそれでもかさねあって、みずいろ
レーガンやサッチャーが惚け中曽根が惚けぬ理由は俳句にあるか
夢の中筒井康隆あらわれて既知外既知外叫んで通る
二〇〇一年九月十日の夜までは二十世紀は続いていたり
検索でひとまず少し知ってみる深く知るため電源を切る(『RERA』より)

今週の「朝日歌壇」から(10月10日掲載分・其のⅤ)

2016年10月13日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○  二千回余震の続く熊本の仲秋の月今宵のぼらず  (熊本市)高添美津雄



○  絵手紙のクラブに集う媼らの八十代が描く未来図  (所沢市)小坂 進



○  人のみが死に方を問うあるがまま語らず逝きし母に教わる  (生駒市)増田敦子




○  ゆるゆると夕張メロン喰う我の心を占める余命半年  (桶川市)水落 啓


○  時代劇テレビの前で正座して見ている私変わっていますか  (芦屋市)室 文子




○  パスカルもアルキメデスも見た筈だ睡蓮の葉の上あるく鷺  (宗像市)巻 桔梗



○  夏陽の庭巨き百足をひと飲みのにわとりが鳴くとさか振りたて  (佐世保市)近藤福代