臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

さだまさし解剖学(『天までとどけ』篇)書き込み中

2016年10月02日 | ビーズのつぶやき
 随分と昔の話になりますが、私は過去の一時期、「さだまさし解剖学」と称して、数多い〈さだまさし作詞〉の歌謡詩の中から自分好みの作品を選抜して、その鑑賞・批評を試みようとしたことがありました。
 そうした私の試みは、私自身の意志の弱さが災いして、結局は、わずか数篇のそれを試みただけで挫折してしまったのでありますが、何と驚いたことに、あれから数年経った今日に於いても、毎日数百人はお見えになる、本ブログへの訪問者の中には、わざわざ、筆者の私さえも、遠い過去の出来事として忘失してしまっている、「さだまさし解剖学」と称する記事を読まんとして訪れた方々が、一人や二人ではなく、連日、十指に余るほどの多きに達しているのである。
 つらつらと思ってみますると、私が「さだまさし解剖学」の連載を挫折をしなければならない状態に追い込まれた原因の一つとして、心無い読者からの恐喝めいた内容のコメント、即ち、「お前の下手な文章を読んでいると、私はむしゃくしゃしてしまうのだ。このまま放置しておくと、お前はいい気になって、さだまさし作詞の全編に就いて、出鱈目な文章を書き連ねてしまうに違いないが、さだまさしファンの一人として、私はお前に絶対にそんなことをさせないぞ」とか、「私たち音楽ファンにとってのさだまさし様は、神聖にして犯すべからざる存在なのである。そんな、私たちにとっては、神様みたいなさだまさし様から、あんたは、上着だけならまだしも、パンツや褌の果まで剥ぎ取って、丸裸にしようとしてるんだ。そんなゲスなお前の魂胆を私たちさだまさしファンは、絶対に許すわけには行かない」とか、「『さだまさし解剖学』と称しながら、お前の書く文章からは、あの妙なるさだまさし一流のメロデイもリズムも響いて来ないではないか。言葉だけだったら、音楽評論とは言えないぞ。こんな貧弱な文章を、お前は俺たちに読ませようとしてるのか!、お前は一刻も早くこんな文章を書くのを止めるべきである。どうしても止めたくないと言うならば、私は、お前の家に放火してやるぞ。私はお前の家をとっくの昔に知ってるんだからな。」といった内容のコメントを連日連夜のように、大挙して押し寄せられた事が上げられましょう。
 しかしながら、私も「さだまさしの音楽を愛する」という点に於いては、彼ら、即ち、私のブログへ恐喝めいたコメントを寄せる者共よりも、その度合いが遥かに優っておりますし、それに第一に、およそ大丈夫の男として生まれながら、こうした気違い染みた恐喝にいちいち屈服していては、私という男のメンツが立ちません。
 なんちゃったりして、結局南極、私は再び、本ブログへの「さだまさし解剖学」の掲載を試みようとしているのでありますが、そうした私の卑しい魂胆は、本ブログの読者の方々に於かれましては、既にお見抜きになって居られるに違いありません。


    『天までとどけ』  [作詞・作曲]さだまさし


  出逢いはいつでも 偶然の風の中
  きらめく君 僕の前にゆるやかに立ち止まる
  なつかしい風景に 再び巡り逢えた
  そんな気がする
  君の胸にはるかな故郷の風
  舞い上がれ 風船のあこがれのように
  ふたりの明日 天までとどけ
  ようこそようこそ
  ようこそ僕の街へ ようこそ この愛へ

  ふれあいのかけらが変えてゆく
  言葉でも物でもなく 出逢いから
  君さえ許せば僕の愛する街が胸ときめかせ
  君の故郷になりたがっている
  舞い上がれ 風船のあこがれのように
  ふたりの明日 天までとどけ
  舞い上がれ 風船のあこがれのように
  ふたりの愛 天までとどけ
  ようこそありがとう
  ようこそ僕の街へ ようこそ この愛へ

 本作に描かれているドラマの舞台を、仮に、秋田県横手市十文字地区としておきましょうか。
 秋田県横手市と言えば、そのかみの流行作家・石坂洋二郎の代表作の一つであり、映画化もされて有名な長編小説、『青い山脈』の舞台となった城下町として知られているが、その郡部に当たる十文字地区は、国道十三号線の沿線に在る、何の変哲も無い田舎町であるが、今から四半世紀ほど前に、この田舎町に一人の著名な男優が訪れ、この町の過疎地区の休耕田を借りて耕して、稲作を行ったことがきっかけで、この町の若い男女を中心とした映画アァンが、「十文字映画祭」と称して、「往年の〈ナトコ映画〉に少し毛が生えた程度の安手の映画作品」を町のホールで上映したことが原因で、少しはその存在が知られるようになった、侘しい田舎町である。
 本作の語り手であり、主人公でもあるのは、この田舎町で〈さくらんぼ作り兼稲作〉を行っている、比較的に豊かな農家の一人息子であるが、彼は、件の「十文字映画祭」を立ち上げた若者の一人でもある。





日暦(10月2日)

2016年10月02日 | 我が歌ども
○  「終活をやってます」とのメールあり。斯かる者こそ存外長命。  鳥羽省三

○  外苑に銀杏の香の漂ひて小遊三師匠高座を手抜き

○  路地行けば宵闇ひしと身に迫る恋文横丁小便臭し

○  「世界一!」「世界一!」との連発が頭の軽さを如実に証す

○  墜ちて来たら今度こそきつと叩きのめそう

○  「『大』の字はこう書くのだ!」と示すごと早月尾根に咲く大文字草

○  墜ちて来たら今度こそまっと叩きのめそう安倍ちゃんちの狗め!

○  老い海女が潜きて獲れる鮑にて焼けば漂ふ潮の香うまし

○  引き絞る弓弦ふるはせ立つ雁に敵勢伏すと気付ける景政

○  焼き米の今も燻る後三年 役後千歳一睡の夢


  

結社誌「かりん」8月号(全国大会詠草抄より・其のⅡ)

2016年10月02日 | 結社誌から
○  おばんです菜の花ばたけももう見えぬにつぽん死ねといひし人はも  馬場あき子

 結社誌「かりん」の発行所であり、馬場・岩田両先生の永久なるご寝所でもある馬場あき子・岩田正邸は、小田急線柿生駅から私の脚でも約十分、私の妻の速歩では五分くらいの位置、即ち、川崎市麻生区片平三丁目にましますが、彼の地は川崎市内とは名ばかりの多摩丘陵の一郭であり、春になれば菜の花が咲き乱れる光景、夏の夜ともなれば、雌を求めて発光する源氏蛍の雄が乱舞する光景が、彼の有名なるサンコさんほどには遠目が利くとも思われぬ両先生のご自宅のお二階から一望できるほどの自然豊かな、かつての薄野の真っ只中に在るので、陽が傾いて「菜の花ばたけ」の菜の花が「もう見えぬ」頃に、馬場あき子先生が同じご町内の同じご年配の女性と出会った時に交わし合う挨拶が「お晩です」であったとしても少しも不思議ではありませんし、ましてや、そうした折に両者の間で交わされる立ち話の中に、例の「保育園落ちた日本死ね」と匿名ブログで絶叫したとされる女性の話題が出たとしても、是また、少しも不思議ではありません。
 否、むしろ、件の夕べのご挨拶が「おはようございます」や「ママ食ったか(標準語で言うところの〈ご飯食べたか)」であったりする方が、よっぽど不思議でありましょうし、立ち話の中に、『魏志倭人伝』や『大和物語』の成立年代に関わる話題が出て来た方がよっぽど不可思議事であり、不可解なる現象でもありましょう。
 ところで、本作の下の句は「につぽん死ねといひし人はも」となって居りますが、私たち本作の読者は、この下の二句の末尾の二音、即ち「はも」によくよく留意して、本作の鑑賞及び解釈に当たらなければなりません。 
 何故ならば、「はも」という、馬場あき子先生の深い詠嘆の情が込められた二音の存在こそは、「『につぽん死ねといひし人』に対しての、馬場あき子先生のお優しいお気持ち、及び、我が国の教育政策や福祉政策に対する、馬場あき子先生ご自身の抵抗姿勢」を余すところなくもろに証明しているのでありますから。
 [反歌]  おばんです決して乙女でありません保育園落ちた日本よ死ね  鳥羽省三


○  監視カメラだらけの春の街をゆく靴音しないくつを履きゆく  石井照子

 必ずしも肥満体とは思われない、本作の作者・石井照子さんが、「靴音しないくつを履」いて、「監視カメラだらけ」の「街」を「ゆく」時の、その「街」が、〈真冬の街〉や〈真夏の夏〉や〈紅葉前線襲来の頃の街〉では無くて、「春の街」であることに留意して、私たち、本作の鑑賞者は事に当たらなければなりません。
 何故ならば、他ならぬ「春の街」を行く時こそ、他の季節を行くとき以上に、私たち臆病な人間は、街中に張り巡らされた「監視カメラ」網の存在を意識せざるを得ないからである。
 [反歌]  街中に監視カメラの監視網張り巡らせて桜芽吹くも  鳥羽省三
      ものの芽の芽吹く頃とはなりにけり監視カメラに視られつつ行く  


○  防人のこころをもちてうたふこと吾にあらざりき子の世はいかに  坂井修一

 作中の「防人の心」とは、「我が国が憲法九条を廃棄し、彼の合衆国と一体となって世界平和ならぬ世界征服し得る軍隊を持つことを肯定する心」という意味でありましょうか?
 だとしたら、本作の作者・坂井修一さんは、「我が国が憲法九条の存在に依って海外派兵をする事から免れている現状」を良しとして、「ご自身のご子息の時代の世の中はどうなることだろうか?もしかしたら、彼らの時代は、愛する子供たちを戦場に送らなければならない時代になっているかも知れない」と、本作の表現を通じて、我が国の平和への危惧の情をお述べになって居られるのかも知れません。
 私が思うに、「才人・坂井修一の歌人としての本分は、こうした常識的かつ朝日歌壇の入選作的な社会詠を詠むことにあるのではない。しかしながら、一年に一度の、結社誌『かりん』の全国大会となれば、敢えて、こうした素朴極まりない反戦詠を詠むことを通じて、ご自身の平和を愛する心を、大会出席者の方々に示さなければならないと思ったが故の、斯かる一首の詠出」なのでありましょう。


○  ひとくきは系統樹のごと分かれゆきおのおの燃ゆる黄菖蒲のはな  浦河奈々

 作者の優れた観察眼がよく行き届いた佳作である。
 この一首の鑑賞を通じて、私は、「過ぐる日に馬場あき子氏及び岩田正氏を中心とした、短歌を愛する数人の方々に依って興された、短歌結社『歌林の会』が、その後、幾年の歳月を経るにつれて、同じ志を持つ人々を糾合し、今日の隆盛を見るに至った有様」を想像するを得ました。


○  晩春の湿れる夜をずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く  尾崎朗子

 何を隠しましょうか、過去に於いて、私・鳥羽省三にも、「短歌研究新人賞でも受賞して、〈逼塞状態に陥って久しい我が国の歌壇に、勇猛果敢にして有望極まりない高齢者新人が現れ出でたる〉とでも、全国紙を報道されん」と自惚れていた時期が在りまして、その時期は三年間に亘っていたのでありました。
 然るに、一年目の投稿作品こそは、同賞の〈最終選考合格作品=十首掲載〉に選出されましたが、その後の二回の投稿作品は、辛うじて〈新人賞佳作=五首掲載〉に選出されるという、自分の気持ちとしては、極めて不名誉極まりない扱いをされるに至って、「私の傑作が斯かる不名誉な扱いを受けなければならない理由の全ては、第二の俵万智ブームを現出して一儲けせんと企む出版社や、それを是とする不定見な選者に帰する」と言う思いで、それを堺として、その後の数年間は、短歌研究新人賞への応募を断念したのは勿論のこと、短歌を詠むことさえも止めていた次第でありました。
 ところが、つらつら慮ってみるに、その時期に私と同じ不名誉な扱い、乃至は、それ以下の扱いをされていた歌詠みには、佐藤羽美氏、金田光世氏、天野慶氏、遠藤由紀(季)氏、奥田亡羊氏、藤島秀憲氏、十谷あとり氏、染野太朗氏などが居られ、彼らは、後に、或いは新人賞受賞歌人として、或いは、所属結社内の受賞歌人として、名を成すに至ったことは、皆様方にとっては、先刻からご承知の事柄でありましょう。
 ところで、本作の作者・尾崎朗子さんは、今でこそ、傑作の誉れ高い歌集『蝉観音』及び『タイガーリリー』の作者として、更には、斯界の老舗「歌林の会」の幹部会員の一人として、その名を満天下の人々に知らしめ、羨望の眼差しを注がれて居られるのでありますが、不肖・私の応募作品が、短歌研究新人賞の〈最終選考合格作品〉として、短歌総合誌『短歌研究』九月号の紙面に十首掲載された平成十六年には、未だ、投稿歌人の位置に甘んじて居られたと思われ、彼女の投稿作品「鳩むつむ声の聞こゆる大寒の朝の駅舎に身震ひをせり」、「つぐみたち等間隔に草の上 分別は人をかなしくさせる」という、その歌ごころの豊かさと、その将来の栄誉を十分に予測せしめる、二首の秀作が掲載せられていた次第でありました。
 ところで、掲出の「晩春の湿れる夜をずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く」に認められる、彼女の詠風、即ち、「ずいずいとヒスイカズラは地を目指し咲く」様を映しながらも、その舞台を「晩春の湿れる夜を」という、明らかにマイナスイメージを伴った時間と空間に、敢えて設定しようとする詠風は、彼女が一介の投稿歌人の位置に甘んじられ、彼女の投稿作品が、短歌研究新人賞の「佳作=二首掲載」という、必ずしも、名誉なる扱いをされていたとも思われない作品にも、明らかに認められるのである。
 「晩春の湿れる夜をずいずい」と「咲く」「ヒスイカズラ」は、天上を目指して「咲く」のではなくて、「地を目指し咲く」のであるから、件の「ヒスイカズラ」には上昇志向は認められなく、明らかに下降志向のみが認められるのである。
 結社などの歌会の場で、高得点を得る作品は必ずしも奥行の深い作品とは限りませんから、本作は或いは、全国大会の歌会の場で、多くの方々から理解され、支持されて高得点を得たとは私には思われません。
 この傑作が「かりん」全国大会の歌会の場で、いかなる扱いをせられ、如何なる得点を得たのか?
 この点に就いて、私は、結社誌「かりん」の現状と今後の盛衰を占うべき、格好な指針として理解しているのである。


○  「生きたし」と空穂詠へり九十翁のいのちの讃歌ひもとく春は  高尾文子

 今年度の「かりん」全国大会に於いて、主宰・馬場あき子氏は「『いのちの歌』の特集にふれて」と題されて、基調講演をなされた、とか。
 そして、その中で、馬場あき子氏は、「近代歌人作『いのちの歌』」の特質の一例として、斎藤茂吉作及び齋藤史作と共に、窪田空穂作「命一つ身にとどまりて天地のひろくさびしき中に息をす」にもお触れになられた、とか。
 ならば、本作の作者・高尾文子さんは、結社幹部の一人として、また、全国大会開催の為にご奔走なさった方々の一人として、予め窪田空穂作の歌集をご精読なさったことでありましょう。
 「だから、どうした」と言いたい訳ではありませんが。
 [反歌]  生きたしと願ふ気持ちは変はらねど希望持てざる今の世の中  鳥羽省三


○  朝の鏡に勝手にふえてゐる皺よ 自分の顔に責任持てず  田中穂波

 本作の作者・田中穂波さんのご年齢を云々したい訳では、決して、決してありませんが、人間一般に、年齢を増すごとに、顔の皺はひとりでに増えて行くものであり、そうした自然の摂理に対しては、如何なる高級クリームを塗りたくっても、如何なるサプリメントを服用しても、到底、抵抗することが出来ません。
 従って、「自分の顔に責任持てず」と達観するのが、そうした自然の摂理に対応する為の、最も有効にして、最も経済的な手段なのかも知れません。

 以上、二回に亘って、その所属会員でもない私が、結社誌「かりん」の本年度の全国大会に於いて、会員の方々がお詠みになられた秀作に就いて触れさせていただきましたが、もしかして、それらの文言の中には、会員諸氏の名誉を甚だしく傷付けるような文言や、私の鑑賞眼の至らなさが目立つ箇所が在るやも知れません。
 だが、その全ては、斯界の初心者にして戯作者なる、私・鳥羽省三の不徳の致すところでありますから、曲げてご理解賜りたくお願い申し上げます。