臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の「朝日歌壇」から(10月3日掲載分・其のⅠ)決定版、急遽再掲!乞う、ご再読!

2016年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[馬場あき子選]
○  囚友のJAМALが今朝出所する硬くハグすれば別離が惜しき (アメリカ)郷 隼人

 「ここだけの話だがら、他さ行ってあんまりぺちゃくちゃ喋らねでけろな!郷隼人さんの短歌は、横文字とそれさ振った振り仮名だけが魅力の歌だど、あんたがだは思いませんか?」
 「私は、とっくのむがしからそんなふうに思ってだんだけんど、作者の環境が環境だがら、はっきり言うのを遠慮してだんですよ!」
 「この作品の場合も、二句目の『JAМAL』に〈ジュモーム〉なんちゅう、あんまり必要だどは思われない振り仮名を振ってるし、それに五句目の『別離』なんかは、そのまま素直に〈べつり〉ど読ませでもいいし、どうしても〈わかれ〉と読ませだいなら、『別離』と書かねで、〈別れ〉と書げばいいだげの話でありんしょう。わだしの歌詠み仲間の、大分県出身の老人の詠む作品が、郷さんの作品と同じように、あまりにも度の過ぎた振り仮名頼みの作品ばっかりだがら、わだしはいつも苦虫を噛み潰すような思いで歌会に出でいだんですよ!今だがら、他ならぬあんただから打ち明けますけんどね!」


○  大学の死体解剖教室や数百年の静けさのあり  (静岡市)篠原三郎

 「『大学の死体解剖教室や』なんて書ぎがだは、俳句を想わせる書ぎがだですね!三句目の終わりに、間投助詞の〈や〉を持って来る遣りがだは、正直言ってわだしはあんまり好ぎになりません。わだしは古典文法をある程度おべでるがら、この〈や〉が間投助詞の〈や〉だど、すぐに解ったけど、わたしよりも不勉強で馬鹿な奴らならば、この〈や〉が、〈あれやこれや〉などと言うどきの〈や〉であるど、すなわじ、並立を表す副助詞の〈や〉だど誤解したりするごどだって考えられますよ!いずれにしても、この〈や〉には少なからず問題があります!」
 「それに、内容面についで言えば、『大学の死体解剖教室』に『静けさ』があるのは、よぐよぐ考えでみれば、極めであだりまえのごどではありませんか?それにしても、『数百年の静けさのあり』とは、あまりにもオーバー過ぎますよ!わだしの言う〈オーバー〉は、ゆぎ降ったどきに着る〈オーバー〉どは違いますよ!」


○  大洪水水面に浮ぶ玉葱の涙の河水畑をおほふ  (北海道)大戸秀夫

 「作者の大戸秀夫さんとやらは、あの北海道の畑作地帯を襲った『大洪水』の被害者なんですかね?」
 「もしかすて、そうで無がったりするど、作者は他人が受げだ災害を短歌を詠むネタにしてる、などと、抗議のメールや電話がじゃがすかじゃがすかと来たりして、困るようなごどだってありますよ!他所様のごどながら、わだしには、その点が、とでもとでも心配ですよ!」


○  不安なる一夜の明けてわが道路泥なまなまと土石流の痕跡  (岩手県)山内義廣

 「作者の山内義廣さんは、『不安なる一夜の明けて』『なまなま』と『泥』が溜まっていで、『土石流の痕跡』が見られるのは『わが道路』である、などと仰ってるけども、その『道路』とやらは、私道なんですかね?」
 「もしかすて、そうで無がったりすると、『山内義廣さんは歌詠みのくせして、私道と公道との区別もつかない馬鹿者だ』なんて笑われちゃいますよ!」


○  豆腐とは思い出せない記憶たち崩してもくずしてもただ白く  (神奈川県)九螺ささら

 「いい年してカッコ付けちゃって、神奈川県の九螺ささらさんってキザな奴だって、このブログの読者から笑われますよ。」
 「同じ神奈川県内でも、九螺ささらさんのおすまいの在るどごろは、横浜市や川崎市とはとことん違った、ど田舎なのかも知れませんね。」
「わだしの友だぢの一人が山北町という、同じ神奈川県内の町に住んでいるので、わだしはあるどぎ遊びに行ったごどがありますが、何と驚いたごどに、その町は山一つ跨げば静岡県という、ど田舎だったんですよ。」
 「わだしがつらつらと思うに、本作の作者の苗字が〈九螺〉だがら、彼女の住む町の住民は、未だに田螺を沼がら採ってきて、晩餉のおかずにしてるんではありませんか?」


○  秋祭りの流鏑馬終わりしずかなる社に馬の残り香のする  (仙台市)沼沢 修

 「この作品の中に出て来る『馬』って奴は、同じ『馬』でもサラブレットではなくて、農耕馬か、いずれ〈馬刺し〉にされる食肉馬か、どんなに高く見積もっても、せいぜい地方競馬出の廃馬程度のものでしかありませんね。」
 「なにしろ、奴らのまげる糞ったら、臭くて臭くてたまりませんからね!」
 「作者は、澄まし顔して『しずかなる社に馬の残り香のする』なんちゃってますが、『しずかなる』も道理、まかり間違って、件の『社』の境内に足を踏み入れようものなら、足の爪先がら頭のテッペンまで黄色く染まってしまって、その後、十日ぐらいは、あの独特な匂いが取れませんからね!」


○  ひぐらしの声のかなたに母の声そのかなたにもひぐらしの声  (館林市)阿部芳夫

 「実体験に基づくものであったかどうかは存じ上げませんが、流石に館林市の阿部芳夫さんである。」
 「ここまで巧みにお詠みになられると、私・鳥羽省三としても、潔く脱帽せざるを得ません。」
 「でも、禿頭のわだしが帽子を脱ぐと『稲妻が走ったような気がするから脱がないで!』と妻が言うがら、やはり脱がないでおごうかしら?」


○  転んでも走り続ける級友はこの夏休みで一皮ぬいだ  (芦屋市)室 文子

 「室文子さんよ!あんたは『転んでも走り続ける級友はこの夏休みで一皮ぬいだ』なんちゃったりしてますけんど、人間の『皮』というものは、〈脱いだり剥いだり〉するものではなくて、〈むける〉ものですよ!それなのにも関わらず、あんたは『一皮ぬいだ』なんちゃったりする。あんたも歌詠みを志しているなら、ここのあだりで、『一皮』も二皮もむけなければダメでござんしょ!」


○  「ごんぎつね」教えし生徒らも父母となり意のままならぬ子育て嘆く  (舞鶴市)吉富憲治

 「一体全体、当朝日歌壇の入選作作者の常連中の常連歌人・吉富憲治さんの本職は何なのがしら?」
 「この作品を素直に読めば、彼は過去の一時期、小学校の教壇に立っていたようにも推測されるのであるが、わだしの知る限りを於いでは、彼はつい先年まで、大きな革鞄を抱えで、アメリカ大陸を歩ぎ回って、何かを売るセールスマンを遣っていだように思われるのですが?」
 と、ここまで書いてそのままに放置していたところ、昨日の深夜、「吉富先生不肖の生徒」と仰る方より、次のようなコメントが寄せられましたので、以下の通り、それをそのままに転載させていただきました。

 即ち、「(吉富先生不肖の生徒)/2016-10-22 03:00:47/はじめまして、ここに書かれている吉富先生の不肖の生徒です。/http://www3.osk.3web.ne.jp/~seijisya/seijisya_tsuushin/seijisya_tsuushin_013.html///
↑にも書かれていますが、彼はもともと大手真珠・宝飾品会社の駐在員として米国に赴任し、独立後は現地で学習塾を経営していました。/(土日に現地の日本人学校があってそこでも教鞭をとっていました)/私が教えていただいたのは20年程前で、その時にはセールスの仕事はやっていなかったはずです(汗)」とのこと。

 深夜にも関わらず、このような真に貴重な情報をお寄せになられた(吉富先生不肖の生徒)と仰る方には、篤く篤く御礼申し上げます。
 

○  体育祭子供みたいに日焼けしたほんとの大人になっちゃう前に  (富山市)松田梨子

 「富山市議会が政務活動費の件でてんやわんやの大騒ぎをしている折りも折り、わだぐしだぢのヒロインの松田姉妹のお姉さんの梨子さんは、またぞら、いきなし『体育祭』などと名詞を冒頭に置いだ歌を詠んでる。」
 「あんたのつもりとしては、この『体育祭』という名詞は、本歌の総タイトルとして置いだ名詞、青春ドラマが展開される場面を先ず最初に設定して置ごうどして置いだ名詞、とでも思っているのかも知りませんが、ここ最近は少し違ってはきたけれど、あんたの過去の入選作の多くは、これと同じような手法、一首の冒頭に一個の名詞を於いて時間設定だどが場面設定だどがをする、極めて安易にして、極めて常套的な手法に依る作品なんですよ!」
 「そうした点に於いでは、あんたの妹の松田わこさんも同じで、もしかすたら、こうした安易な手法で歌を詠むのは、富山市の松田家の父祖伝来の手法、短歌の家・松田家に漂っている臭みなのがも知れませんね。」
 「と、いうわげで、ここの辺りで一皮も二皮もむけなければ点に於いては、あんたがだ松田姉妹も、前述の室文子さんと全ぐ同じですね。」
 「えっ、わだしとしたごどが、まど外れでよげいなことを言ったのかしらん?」

今週の「朝日歌壇」から(10月3日掲載分・其のⅣ)、斯界切っての鬼才盆栽・鳥羽省三氏の戯作的な短歌評論、昨日に続いての大公開!乞う、一読三嘆!!

2016年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]
○  「エリーゼ」の二階の奥の暗い席そこがいっとき青春だった  (坂戸市)山崎波浪

 えっ?
 「『エリーゼ』の二階の奥の暗い席」が、「いっとき」山崎波浪さんにとっての「青春だった」んですか?
 「『エリーゼ』の二階の奥の暗い席」に座って珈琲を飲んでいた頃ではなくて?
 思わず悪戯してしまいましたが、こうした悪戯癖は、私の「青春」が実り少ないものであった所為なのかも知れません。
 それにしても、今は、朝日歌壇・入選者席の常連中の常連とも言うべき、埼玉県坂戸市にお住まいの山崎波浪さんが、その昔、あの横浜駅西口に在る純喫茶「『エリーゼ』の二階の奥の暗い席」に腰掛けて、一日中、歌想に耽って居られたとは、私・鳥羽省三にとっては、全く以て羨ましい限りです。
 [反歌]  お茶の水駅前十円寿司店のまぐろの味こそ私の青春  鳥羽省三 
      さぶちゃんの半ちゃんラーメン旨かった店主の爺さん未だ息災か?  鳥羽省三
 

○  ものごとにこうして慣れてゆくのかとミサイル発射またかと思う  (船橋市)山崎三千子

 詳細に、かつ正しく言うと、「テレビで『(北朝鮮に依る)ミサイル発射』のニュースに接したが、つい、先日も同じようなニュースに接したばかりだったので、私としては『またかと思う』。そして、北朝鮮の『ミサイル発射』は、一度ならず、二度、三度のことであるので、このニュースに接した、私の気持ちとしては、『ものごとにこうして慣れてゆくのか』と『思う』」ということになりましょうか?
 と亦、例に依って例の如くの無駄言を書き連ねてしまいましたが、それにしても、私たち人間にとって恐ろしいのは「慣れてゆく」っていう事ですね。
 その昔は、銀行や郵便局に貯金をすれば、知らない間に利息が付いて、十年経ったら倍になっていた、なんてコトもあったのですが、あの安倍の馬鹿が総理になったお陰で、今ではいくら貯金しても増えなくなってしまいましたし、安倍の野郎のそうした悪政にも、私たち国民が、いつの間にやらすっかりと慣らされてしまいました。
 マスコミの報道に拠ると、来春そうそう衆議院が解散されて総選挙が行われるとの事ですが、そうは言っても、自公連立政権の対抗馬があの頼り甲斐のない民進党では、私たち国民は、今、「お先真っ暗」という状態に置かれている訳ですね!
 つい、うっかり、またまた、まるっきし無駄なお喋りをしてしまいました。
 [反歌]  饒舌は口の運動経費ゼロ我が饒舌は駄弁にあらず  鳥羽省三


○  嫁解かれ妻も解かれて今朝もまた母が旅立ち娘解かれる  (宮城県)尾形和子

 この記事の筆者の私から前掲一首の作者の尾形和子さんにお訊ねしますが、それまで荒縄で縛られ、身柄を拘束されていた不幸な女性は、作中の「嫁」と「妻」と「娘」とのお三方だったんですね。
 そのお三方が、この度、荒縄の縛りから解放されたことは、何はともあれ、極めて幸せな事と思われますから、筆者の私からも、「荒縄の縛りからの解放、真におめでとうございます。これからの自由気儘な人生を、十分にお楽しみください」との、お祝いの言葉を言わせていただきとう存じます。
 それはそれとして、私から尾形和子さんにもう一点質問させていただきますが、作中に「今朝もまた母が旅立ち」とある点から推測すると、「母」なる人物には、普段から松尾芭蕉にも似た放浪癖があり、今回の「旅立ち」は、これまで数十回行われたそれの中の、新たなる一回でしかないのですね。
 だとしても、高齢者の旅行や散歩には、それなりの危険や心配が伴いがちですから、これからはよほど気を付けなければなりませんし、場合に拠っては、荒縄で縛って、自由に外出することが出来ないように拘束する事も必要でありましょう。
 冗談もこれくらいにして止めておきますが、然しながら、こんなにも効率的な言葉使いをされた作品に接しますと、何方でも、この程度の悪戯をしてしまいたくなるもんです。
 宮城県の郡部のとある田舎町に住まいの尾形和子(年齢不肖、たぶん還暦前後?)さんは、今から四十年ほど前に、同じ宮城県内の郡部のとある町のさる旧家にお輿入れなさったのでありましたが、その後数年を経て、件の旧家のご当主ご夫妻(和子さんの舅と姑)が相次いでお亡くなりになったので、彼女は「嫁」という窮屈な立場から解放されて、婚家の主婦の座にお座りになったのでありましたが、それも束の間、その後数年を経て、ご亭主殿がご逝去されたので、彼女は、「妻」という立場からも解放されたのでありました。
 斯くして、尾形和子さんは、寡婦として立場とは相成り、その間、和子さんは、ご自宅とご実家とを自由に行き来出来るような立場にもなり、しばらくの間は、今は亡きご亭主殿をはじめとした、尾形家の仏様たちに対して、わずかながらの罪の意識を感じながらも、ご実家とご自宅とを何の区別もせずに、自由に往来していたのでありました。
 ところが、そんな生活はそれほど長くは続かず、平成二十八年初秋の「今朝」になって、突然、ご生母様がお亡くなりになられたので、彼女は、この度、今は亡きご生母様の「娘」という立場からも解放されたのでありました。
 一人の成人女性が、成人女性であるが故に立たせられなければならない立場は、前述の「嫁」「妻」「娘」といったところが代表的なところでありましょうが、その他にも、例えば、「母」としての立場、「伯母」や「叔母」としての立場、更には「田舎町の居住者」としての立場、或いは、「朝日歌壇への投稿者」としての立場など、いろいろ様々でありましょう。
 そうした数ある立場の中の三個の立場、即ち、「嫁・妻・娘」の立場から、この度、本作の作者・尾形和子さんは解放された訳ではありますが、ご承知の通り、才女・尾形和子さんが置かれている立場は、それで全部ではありません。
 従って、緒方和子さんのこれからの生活は、これからの彼女が立たせられている、数多くの立場、即ち、「母親としての立場」、「姪御さんや甥御さんなどの伯母・叔母としての立場」、更には、「これから生まれてくるはずの、可愛いお孫さんのバアバとしての立場」や、「地域社会の良きリーダーとしての立場」などをも、よくよく考えた上での生活でなければなりません。
 そうした点に就いては、本記事の筆者である、私・鳥羽省三からも、何卒、宜しくお願い申し上げます。


○  病室のベッドに寝たまま髪を刈る頭の下に新聞紙を敷き  (三原市)岡田独甫

 「生臭坊主の増上慢も、これくらいになると全く手が付けられません。斯くなる上は、この生臭坊主の始末は、地獄の閻魔様の手に委ねるしかありません」なんちゃったりして。(笑)
 [反歌]  病室のベッドの中での吸煙が火災を起こした例もあるぞ  鳥羽省三


○  葛の葉に覆ひ尽くされ河原の道端標識こんもりと立つ  (和歌山市)吉田 孝

 作中の「道端標識」の〈よみ〉は如何ならんや?
 [反歌]  雷鳥の糞に覆はれ山頂の一等三角点未だ識せず  鳥羽省三


○  熱き陽をゆっくり冷まし風が過ぐ藁の匂いと籾焼く煙  (埼玉県)島村久夫

 「クソ面白くもねぇ!」
 「〈しまむら〉と入力して〈島村〉と変換しようとしたら、元の〈しまむら〉のままであった!」
 「でも、それも仕方がねぇな!なにしろ、あの安物買いの銭失いの〈しまむら〉の店舗は日本全国至る所に在るのだからな!」
 「息子の大学時代の親友の一人が、何社受けても内定を貰えなかったから、その当時はフリーパスみたいに内定を呉れた〈しまむら〉に入社したら、一年足らずに店長にされて高給取りになったという話を聴いたことがあったが、今頃、彼は何処の〈しまむら〉の店長になってるんだろうか?」
 [反歌]  熱き陽をじつぱり浴びて「しまむら」は日本各地に店舗網広ぐ  鳥羽省三 


○  下瞰する月夜の湾に戦艦の燃ゆるを見つつ疎開したこと (横浜市)田口二千陸

 「『それがどうしたってんだ!」なんちゃったりしたら、二千陸さんに叱られるかな?」
 [反歌]  俯瞰する関東平野のどの辺に城を築いて守りとせむか  鳥羽省三 
       俯瞰する多摩丘陵のどの岡を買ひ占め僕の墓所とせむか


○  いつまでも纏ふ思ひを取り敢へず〈感情π〉と名づけておこう  (羽咋市)三宅立美
 
 「如何に学力検査日本一の石川県人だからと言っても、あんまり恰好付けねぇでけろな!つい昨年までは、俺の故郷の秋田県がダントツの日本一だったんだから、あんましえばらねでけろな!『取り敢へず〈感情π〉と名づけておこう』なんちゃったりしてさ!」
 [反歌]  童貞を掠め奪つた大年増〈初恋未満〉の遠い思ひ出!


○  道に出て踏まれたままのカマキリの踏まれたままを蟻運びゆく  (館林市)阿部芳夫
 
 「蟻さんよ、いくら何でもそれではあんまりではありませんか!同じ冬期間の餌として死んだカマキリを巣の中に運ぶにしても、例えば、手足と胴体を切り離して運ぶとか、様々の運び方があるはずでしょう!」
 「カマキリ君よ、いくら死んだからと言っても、それでは踏んだり蹴ったりだなや!」
 [反歌]  財布から溢れた五円玉なれどころころ転げ賽銭箱に  鳥羽省三 

日暦(10月22日)

2016年10月22日 | 我が歌ども
○  お茶の水駅前十円寿司店のまぐろの味こそ僕の青春   鳥羽省三
  
○  さぶちやんの半ちやんラーメン旨かりき店主の爺さん息災ならむ

○  雷鳥の糞に覆はれ山頂の一等三角点未だ識せず

○  熱き陽をじつぱり浴びて「しまむら」は日本各地に店舗網広ぐ

○  童貞を掠め盗られし大年増〈初恋未満〉の遠い思ひ出!

○  財布から溢れし五円玉なれどころころ転げ賽銭箱に

○  俯瞰する関東平野のどの辺に城を築いて守りとせむか

○  俯瞰する多摩丘陵のどの岡を買ひ占め僕の墓所とせむか
  
○  饒舌は口の運動経費ゼロ我が饒舌は駄弁にあらず

○  病室のベッドの中での喫煙が火災を起こした例もあるぞ 

今週の「朝日歌壇」から(10月3日掲載分・其のⅢ)決定版、堂々と一般公開!乞う、国民大衆の御目文字に叶わん事を!読者諸氏よ、失笑すること莫れ!

2016年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[高野公彦選]
○  秋川を遡りゆく鮠の眼に渦巻きをらむ曼珠沙華の赤  (福山市)武 暁

 「秋川を遡りゆく」魚が、鯨でもイルカでも鮭でもサクラマスでも岩魚でもなくて「鮠」であるところに、本作の面白さがあり、作者の頭の良さ(想像力の豊かさ)が示されているのである。
 「曼珠沙華」の特質の一つは、「夏の終わりぐらいから秋の初めにかけて、40cm〜50cmくらいの枝も葉も節もない花茎が地上に突出して現れ、やがて、その先端に六枚の花弁が放射状を為して並んで咲く点」にある。 
 思うに、本作の作者・武暁さんは、こうした特殊な形のこの花をよく観察した上で、それを、例えば〈風車〉や〈水車〉や〈鳴門の渦潮〉などの「渦巻き」状に回転するものに見立て、「渦巻きをらむ曼珠沙華の赤」と述べたのでありましょう。
 短歌鑑賞の要諦の一つとして、「鑑賞者は余計な気を起こさずに、先ず最初に一首の叙述を素直に言葉通りに解釈してみなければならない」という点が上げられる。
 ならば、私たち本作の鑑賞者は、先ず最初に余計なことを一切考えずに、本作の叙述を素直に捉えて、「秋の川を遡って行く、あのあまりにも小さな小さな淡水魚、即ち、鮠の小さな小さな目に、川岸に群れを成して咲いている曼珠沙華の放射状の花が映り、その真っ赤な色が、恰も野辺のお地蔵様が手にしている赤い風車の如くにくるくると廻っている光景」を目に浮かべなければなりません。
 この場合、「鮠の目」は小さければ小さいほど宜しいし、曼珠沙華の花の色は赤ければ赤いほど宜しいのである。
 現実的には、こうした現象などは起こり得ようはずがありませんし、仮に起こったとしても、人間である作者の目には捉えられようはずもありません、
 従って、本作に詠まれている事象は、人並み以上に観察眼と想像力に恵まれた、作者・武暁さんの胸に去来した幻想世界なのでありましょう。
 [反歌] 渓谷を遡上して行く桜鱒のまなこに映れ童女の姿  鳥羽省三


○  ふるさとを長き不在の後に訪ふ入日も雲も海も金色  (東京都)奥村けい子

 「長期間、『ふるさと』から離れて暮らしていた作中主体が、久方ぶりに『ふるさと』を訪ねてみたら、『ふるさと』の夕景色を彩る『入日も』空の『雲も』、その雲の下の『海も』、みんなみんな『金色』に輝いていた」というだけの内容でありましょう。
 だが、この一首の持つ普遍性と世俗性と永遠性とが、高野公彦選・二席という「金色」に輝く結果を齎したのでありましょうか?
 歌い出しの三句「ふるさとを長き不在の後に訪ふ」に込められた情感の深さと、「ふるさと」に対する作者の郷愁の思いの深さを、私たち本作の鑑賞者は感得しなければなりません。
 [反歌]  ふるさとを捨てて三十六年後野狼の想ひ抱きて還る  鳥羽省三
 

○  世も人も変われど稲は弥生より種をつなぎて今年の実り  (安中市)鬼形輝雄

 「世も/人も/変われど/稲は/弥生より/種を/つなぎて/今年の/実り」と、一気呵成に詠み上げた点が高く評価されましょう。
 然り!
 「弥生」以来の稲作に携わる方々のご苦労と、稲という禾本科植物の〈‎DNA〉の存在が在ってこそ、安中市にお住まいの鬼形輝雄さんは、「今年の実り」を目にすることが出来たのでありましょう。
 [反歌]  人も世も移れど早稲田大学は三人寄れば『都の西北』 


○  語尾にみなサウルスつけてはねまわる四歳おの子はジュラ紀に住めり  (杵築市)長野なをみ

 数多い中には、「ナヲミサウルス」などという、元気で可愛らしい雌恐竜もいるかも知れません。
 [反歌] サウルスの名をば背負ひて跳梁すスガノサウルス官房長官  鳥羽省三


○  「筋トレは貯筋」と今日もジム通い傘寿の女子のバンダナ眩し  (宝塚市)河内香苗
 
 「『筋トレは貯筋』とばかりに洒落のめして、私は『今日もジム通い』をしているが、そんな私にとっては、私と同じ『ジム』に通っている『傘寿の女子のバンダナ』姿が、とてもとても『眩し』い」とも解釈する事が出来るし、また、「私の知人の一人である『傘寿の女子』は、『筋トレは貯筋』とばかりに、頭に『バンダナ』を巻いて『ジム通い』をしているが、そんな彼女の『バンダナ』姿は、私にとってはとてもとても『眩し』い」とも解釈する事が出来ましょう。
 それにしても、「筋トレは貯筋」とは!(笑)
 [反歌]  ジム通ひしつつ我が家の主婦殿は町内一の細腕自慢  鳥羽省三


○  玉子焼き焦がし舌打つ夕餉どき核実験をテレビは伝う  (名古屋市)磯前睦子

 「玉子焼き」の「焼き」と「焦がし」が、「核実験」と結び付くのでありましょう。
 「玉子焼き焦がし舌打つ夕餉どき」は日常的な光景、それに対して「核実験」は非日常的な光景である。
 然るに、昨今に於いては、その非日常が日常化しているのである。
 [反歌]  顔パック剥がして見入る画面には小池百合子の厚化粧顔  鳥羽省三
 

○  体感で震度1でも判ります余震二千回馴らされました  (熊本市)高添美津雄

 本作に詠まれている事象も亦、「非日常が日常化している事象」そのものでありましょう。
 最大震度が6強の本震に見舞われた上に、震度6弱、二回をはじめとした「余震」に「二千回」も見舞われたならば、作者の体質そのものが、地震に対応出来るようなものになっているのでありましょう。
 「馴らされました」との、五句目七音に込められた、作者・高添美津雄さんの諦念の深さを感得しなければなりません。
 作者ご自身が主役を演じた悲劇を、作者自らが喜劇として詠じているのである。
 [反歌]  体感でもて記憶せる事なれど照国の四股は震度七強  鳥羽省三
       性感は震度一以下零以上老いたれど未だ女性性

○  泣くことは浄化になるとふ幼子も言葉にできぬ想ひこぼすか  (奈良市)山添聖子

 「泣くことは浄化になるとふ」という上の句の叙述と、「幼子も言葉にできぬ想ひこぼすか」という下の句の叙述とは、必ずしもきちんと対応している訳ではありません。
 しかし、その不対応は、必ずしも本作の欠点とは言えません!
 [反歌]  泣くことは精神浄化になると言ふ彼の議員らも大いに泣きな  鳥羽省三 


○  腰痛の友が電動自転車で届けてくれたる梨と新米  (志木市)小高美江子

 「腰痛の友が電動自転車で届けてくれたる梨と新米」とは、確かに有り難い。
 涙が出るほどにも有り難い!
 然しながら、余計な事かも知れませんが、朝もぎの「梨」一個の市販価格は、ほぼ百五十円以上であり、例えば、埼玉産ならば、「新米」十kg入りひと袋の市販価格は、三千円前後でありましょう。
 という事態になりますと、豊葦原瑞穂の国・日本の米作の農家の経営は、破産状態に置かれていると言えましょうか!
 [反歌]  独り身の友が育てし米なれば埼玉産とてなほ有り難し  鳥羽省三 

今週の「朝日歌壇」から(10月3日掲載分・其のⅡ)決定版として再掲!

2016年10月22日 | 今週の朝日歌壇から
[佐佐木幸綱選]
○  負傷兵の一人もゐない日本の選手団なりパラリンピック  (東久留米市)関沢由紀子

 本作は、過日、南米はブラジル連邦共和国のリオデジャネイ市で大騒ぎをして挙行された「パラリンピック」なる催しにこと寄せて、我が国の紛れも無き憲法違反の軍隊である自衛隊の海外派兵問題にも言及せんとした野心作でありましょう。
 ここだけの話とさせていただきますが、私はあの「パラリンピック」とやらを、オリンピックの終わった直後に、オリンピックと同じ会場を使って、オリンピックと同じように大騒ぎをして開催することには、必ずしも両手を挙げて賛成している訳ではありません。
 然しながら、そんなことをほんの少しでも口に出してしまうと、人権思想が広く行き渡った(そのこと自体は、少しも悪いことではありません)今日の我が国に於いては、その当日から東京銀座の表通りを胸を張って歩けないような立場に追い遣られてしまうようなことだって有り得ますから、その理由に就いて少し弁解させていただきます。   
 ここ数回行われている「パラリンピック」、即ち、オリンピックの直後に、オリンピックと同じ会場を使って鳴り物入りで行い、〈何処の国が何個の金メダルを獲った〉とか、〈日本が獲った金メダルは前回よりも十個も少なかった〉などと大騒ぎをするような愚行・パラリンピックは、〈人権思想や社会福祉に名を借りたショーに過ぎない〉と、私は思っているのであります。
 と言っても、私は何も〈身体に障害を持つ人々は運動をする必要がない〉などと思っている訳ではありません。
 決して、決して!
 だが、〈物事には程度というものがあり、同じ健康増進、同じ健康保持の為に運動をするにしても、健常者のそれと身体障害者のそれとでは、それぞれ遣り方が異なっていて当然だ〉と、私には思われるのであります。
 例えば、あの〈車椅子バスケットボール〉だとか〈シッティングバレーボール〉だとかでありますが、あれは、〈勉強嫌いな高校生が小田急電鉄電車や川崎市営バスの優先席を独占して興じている、俗悪なスマホゲーム以下のゲーム〉、〈他人の不幸を笑いものにしたい健常者が見物席にでんとして座り、笑いながら見ている見世物〉ではありませんか!
 それ以外のゲームにしても、本質的にはそれと同じことではありませんか!
 そして、あれらのゲームは、〈身体障害者の方々が、ご自身の健康の保持の為、ご自身の健康の増進の為には、どうしてもあの種のゲームを遣らなければならないと念じ、遣るからにはどうしてもその奥義を極めて国を代表してパラリンピックという身体障害者だけが出場することを許される国際スポーツ大会にしなければならないと切望して出場するゲーム〉なのでありましょうか? 
 あれらのスポーツ大会紛いのシヨーは、〈その勝利者として自分の為にも祖国の為にも、どうしても金メダルを獲得しなければならない〉と、〈身体障害者の方々ご自身が切なく願い、自らのご意志で以て出場し、自らのご意志であの大舞台に立つような性質の国際的なスポーツ大会〉なのでありましょうか!
 この度のパラリンピックに出場し、〈色の良いメダル〉を獲得された身体障害者アスリート諸氏の中には、「自分が身体障害者という名の身体が不自由な立場に立たされたからには、是が非でも〈アルミニウムやチタンで作られたレーサー車椅子を操作してのフルマラソン〉の選手として選ばれ、パラリンピックに出場しなければならない、その事は自分自身の長年の夢であり、運命でもあったから、今、その願望を果たし得た今こそは、最高の気分である」などと思って居られる方も、或いは居られるかも知れません。
 だが、それはあくまでも極めて特殊なケースであり、大方の身体障害者アスリートの方々の思いとしては、「自分は不運にしてこういう立場に置かれているけれども、これからの長い人生を生きて行くためには、自分の心身の健康を保ちたい、可能ならば健康の増進をも図りたい。その為には、自分の極めて限られた心身機能とも相談して何か運動をしたい。出来るならばその運動とは、ただの健康保持の為の運動では無くて、スポーツと名の付く運動をしたい」と、お思いになって居られるものと推測され、そうした方々の裡の何人かの方々は、「そうした私の願望を果たすためには、現在の私を取り巻いている生活環境が、今少し改善されなければならない。それを実現するための国家や地方公共団体の確固たる施策が望まれる。そして、ボランティアの方々のご協力が望まれる」と、切にお思いになって居られるかも知れません。
 私のこうした推測が的外れのものでなかったとしたならば、昨今行われているような、身体障害者のスポーツ大会の多くは、必ずしも身体障害者の方々からの〈絶っての望み〉に基づいて行われているスポーツ大会とは思われませんし、ましてや、その究極とも思われる現今のパラリンピックは、身体障害者の方々からの切なる希望に基づいて行われている国際スポーツ大会とは、到底、思われません。
 以上、縷々書き連ねましたが、昨今行われている「パラリンピック」なるメダル獲得ゲームは、〈身体障害者ご自身の健康の保持と増進の為に、身体障害者ご自身の希望に基づいて企画され実施されている、身体障害者のための国際スポーツ大会〉とは、到底思われませんし、むしろ、それとは裏腹な関係にある国際的なスポーツ大会、健常者たちの〈上から目線〉で以て企画され、挙行されている国際的な似非スポーツ大会のようにも、私には思われます。
 彼の「パラリンピック」こそは、勉強嫌いな高校生たちが、小田急電鉄の電車や川崎市営バスの優先席を独り占めして血眼になって興じているスマホゲームにも劣る、俗悪な似非スポーツ大会のようにさえも私には思われます。
 その昔、江戸は浅草の奥山に俄作りの藁苫小屋を張り、木戸銭を取って行った俗悪極まりない興行にも類似するショーのようにも、私には思われます。
 彼の「パラリンピック」こそは、〈身体障害者の心身障害者としての存在を見世物にする、健常者目線で企画され、挙行されている興行〉でしかありません。
 彼の「パラリンピック」なる、当初から健常者の身体障害者に対する差別的な発想に基づいて企画され、挙行されているスポーツ大会を、オリンピックと同規模な国際スポーツ大会として位置付け、オリンピックと同じように大騒ぎをして行うよりは、米露対立の代理戦争の如き様相を呈しているシリア戦争の、抜本的かつ根本的な解決を図る方が優先して行なわれるべきかと、私には思われます。


○  故有りて日本に住みつくカナダ人燈籠流しの花火に見入る  (仙台市)福原幹夫

 「燈籠流し」そのものに「見入る」というのでは無くて、「燈籠流しの花火に見入る」とは、なかなかに手の込んだ遣り方であり、描写でもある。
 しかも、その「見入る」「カナダ人」が、「故有りて日本に住みつくカナダ人」であるから、益々手が込んでいるのである。
 一口に「故」と言ってもさまざまでありますが、その「故」に就いて、いろいろと考えてみるのが、本作の鑑賞の要諦の一つでありましょう。
 [反歌]  故ありて爆買ひしてた某国人爆買ひ止めたらたちまち不況  鳥羽省三 


○  「ありがとよ」言葉残してあとも見ずサンダルばきで退院する人  (松原市)久木山恵

 本作に詠まれているのは、必ずしも〈望ましい退院風景ではない〉と同時に、必ずしも〈憂うべき退院風景ではない〉、とも言えましょうか?
 その昔、国民健康保険制度が確立される以前の我が国に於いては、「お医者様のお世話になる時は、息を引き取る時だけである」との考えが、私たち庶民の間では為されていたのであり、国民健康保険制度が確立された以後に於いても、何かの大病に罹患して、長期入院する必要に迫られたり、手術しなければならない場面に於いては、患者の主治医に当たるお医者様に大枚の円の入った封筒を手渡したり、郵送したりしなければならなかったのである。
 そうした過去の事実に就いて考えるとき、私は、「『ありがとよ』との言葉を残してあとも見ずサンダルばきで退院する人」が現れ出でるのも、世の中の必然的な流れである、と思うのである。 
 この頃、私はかれこれ五十年もの長い間、苦楽を共にして来た妻を相手に、「なんだ神田と言っても、私たちは、一番いい時代に生まれ合わせ、暮らしているのではなかろうか?」などと語り合っている始末なのでありますが、それは、私たちが暮らしている今の時代が、我が国にとっての一番いい時代である、と言うよりも、これからの我が国の政治や経済の事情が右肩下がりに急激に悪化して行くに違いない、という私たち日本人の昨今の認識を裏返しにしたようなものなのかも知れません。
 [反歌]  「ありがと」も言はず謝礼を送らしめ碌な治療も得為ぬドクター  鳥羽省三



○  学童のたんぼに稲が実るころ妖怪ウォッチの案山子も並ぶ  (下野市)石田信二

 「『学童のたんぼに稲が実るころ』になってから、『妖怪ウォッチの案山子』が『並ぶ』」ようでは、既に手遅れですよ!」
 「美味しいお米を沢山収穫する為には、稲の花がそろそろ咲くだろうと思われる頃から、『妖怪ウォッチの案山子』であろうと、どんな意匠の案山子であろうと、『たんぼ』に『並ぶ』ように配慮しなければなりません。」
 [反歌]  「遅かりし内蔵助」との声ぞする 妖怪ウォッチの案山子の遅し  鳥羽省三 


○  午後三時近所の寺の勤行に誘われて読む般若心経  (上尾市)清水昇一

 檀家制度が崩壊してからは、宗派の別を問わず、寺院を営むことに依って得られる収益が、極端に少なくなってしまいましたから、そうした事態への対応策として、寺院の住職たちは、かつては彼らの公然たる本分とされていた、妾狂いや酒場通いを止めて、ありとあらゆる行事を設定して、お布施稼ぎに奔走しなければならない状態に置かれているのである。
 毎週行われる「般若心経」の写経会は、坐禅会や和讃の会などと共に、その中核を為す行事である。
 そのかみのお寺様は、境内に小規模の幼稚園などを経営して、それなりの利益を得ていたのでありましたが、それも遠い昔の夢物語となってしまいました。
 [反歌]  夜八時肥満の主婦が集ひ来て梅花詠讃稱ふ本堂  鳥羽省三 


○  道場の脇の笹百合すり抜ける袴姿の弓道部員  (千葉市)愛川弘文

 是亦、真に手の込んだ作品である。 
 なにしろ、結社誌「かりん」所属の愛川弘文先生が顧問をなさっている高校の「弓道部員」たちは、愛川弘文先生に一首の短歌を詠ませる為に、「袴姿」になって「道場の脇」を通り過ぎるだけならまだしも、「袴姿」で「道場の脇」に咲いている「笹百合」を「すり抜けて」通らなければならないのですから。
 ところで、「笹百合」でもどんな種類の百合でも、大凡、百合の類の花の咲く時期は、初夏の頃の一定の期間に限られていますから、件の弓道部員は、「笹百合」が咲いていない時期は、どうしているのでありましょうか?
 [反歌]  道場のトイレの臭気を我慢して的を狙へる弓道部員  鳥羽省三 
       道場のトイレの臭ひ堪へ得ず的を外せる弓道部員 


○  雨上がり空のかけらをこなごなにして自転車の少年が行く  (静岡市)山下奈美

 作中の「空のかけら」とは、降雨に因って生じた〈水溜り〉でありましょう。
 その水溜りをものともせずに、「こなごなにして自転車」を漕いで行く「少年」の元気な姿が彷彿とされる佳作である。
 [反歌]  雨上がり腰を空にぞおつ立てて塾へと急ぐ自転車少女  鳥羽省三 
  

○  黒雲に追いかけられてひた走る首都高の空に縞のひび割れ  (船橋市)押田久美子

 「黒雲に追いかけられてひた走る首都高の空」に生じた「ひび割れ」とは、稲妻でありましょう。
 本作は、そうした類型的な暗喩だけが手柄の作品である。


○  西洋の魔法使ひが乗るやうな穂先ではない日本のすすき  (川越市)小野長辰

 「すすき(ススキ・芒・薄)」とは、「イネ科ススキ属の植物。尾花とも言い、秋の七草の一つ。また茅(かや、〈萱〉とも書く)と呼ばれる有用植物の主要な一種。 野原に生息し、ごく普通に見られる多年生草本である」とか。
 ところで、「西洋の魔法使ひ」のお婆さんは、「すすき」に乗って空を飛ぶのでは無くて、箒に乗って空を飛ぶのではありませんか?
 仮に、私のそうした推定が正しいとしたら、「西洋の魔法使ひ」のお婆さんの乗る「すすき」の「穂先」と、日本の「すすき」の「穂先」とを比較対照して詠んだ、小野長辰さんの作品は、そもそもの発想の根拠が失われるのではありませんか?
 [反歌]  西洋の魔法使ひの婆さんの箒おつ立て来客撃退  鳥羽省三


○  バラバラに独り言いい作業する部長と二人六時の事務所  (茅ヶ崎市)臼井 彗

 なんだか冴えない「事務所」ですね。
 本作の作者の臼井彗さんは、こうした魅力の欠片も無い職場に、一体全体、いつまで勤めようとしていらっしゃるんですか?
 人間には、我慢の限界というものがありますから、臼井彗さんは、一日も早く、職替えをなさった方が宜しい、と、私は思います。
 [反歌]  ばらばらに咲くしか術なき薔薇扱ぎてパンジー植えたき我が家の庭に  鳥羽省三