日本一短いトンネルは本当? 地名駅
大正から昭和にかけて材木や食料を運ぶ索道が、線路上を通過するとき、荷物の
落下による事故を防ぐための知恵だったようです。
それが遺物として残っているのです。
日本一短いトンネルは本当? 地名駅
大正から昭和にかけて材木や食料を運ぶ索道が、線路上を通過するとき、荷物の
落下による事故を防ぐための知恵だったようです。
それが遺物として残っているのです。
穏やかな初夏の茶畑 地名駅付近
一番茶の摘採りが終わって、ほっと一息ついている季節です。
茶畑には農作業の人の姿は見えません。
山里に電車の警笛だけが響いています。
「ズームカー」を俯瞰する 抜里駅 ⇔ 家山駅
駿遠橋の上から撮影しました。
登場してから57年、大鉄に来てから21年。長い歴史を感じさせる電車です。
この電車の愛称は、カメラのズームレンズに例え、広角から望遠まで、
広範囲に画角を変えられるように、平坦な区間から急峻な山岳区間まで広範囲に
速度と牽引力を備えた車両という意味で名付けたそうです。
昨日の静岡新聞夕刊に次のような記事が載っていました。
経営不振の大井川鉄道の再建問題で、大鉄が政府系の地域経済活性化支援機構に
事業再生支援を申し込む方針を固めた、というものです。
昨年度から経費削減のため、運行を大幅に減便して経営刷新を図ってきたのに、
累積赤字の解消には繋がらなかったようです。
大きな経営危機に直面しているのでしょう。
ファンが多い人気者21000系電車 大和田駅 ⇔ 福用駅
南海電気鉄道が開発した「ズームカー」シリーズの第一弾として、
昭和33年から製造された車両です。
半世紀以上活躍していますが、今もって衰えない人気を誇っています。
寂しいSLの減便運行 川根温泉笹間渡駅 ⇔ 抜里駅
大井川第1橋梁を渡るC11227号機です。この場所での黒煙は、ほとんど期待できません。
C11227号機は昭和51年7月から登場した動態保存SLのパイオニアです。
SLの運行で一番寂しいことは、昨年から新金谷駅から千頭駅間が一日1往復に減便されたことです。
会社側の事情もあるでしょうが、ファンとしては誠に残念です。
第2や第3の人生を送る 川根笹間渡駅 ⇔ 抜里駅
平成24年に廃止された十和田観光から購入した7200系電車は、東急電鉄が昭和43年に製造し、
運用していた車両ですから、大井川鉄道は第3の人生になります。
大井川鉄道では、2両で車両費に1,000万円、輸送費に900万円、改造費に6,100万円、計8,000万円を
かけています。決して安い買い物では、ないと思います。
もっとも平成7年から活躍していた3000系電車(元京阪電気鉄道特急車両)が昨年引退したので、
その代替えとして7200系が登場したのでしょうが。
こちらの21000系電車は、昭和33年に南海高野線の急行・特急用として製造されたものです。
今年で57歳ということになります。大井川鉄道に来てからも21年が経過しています。
黄色いハンカチの駅 抜里駅
向井潤吉画伯が描く田園風景の再現かと思うほど、のどかで心温まる駅舎です。
今回、黄色いハンカチが掲げられていて、遠くからでもその存在がわかります。
駅舎の前庭には、季節の花も植えら、土地の人たちの心遣いが伝わってきます。
茶畑の中を走る 川根温泉笹間渡駅 ⇔ 抜里駅
この川根町辺りは茶どころ。
大井川から離れて茶畑が広がっています。
牧之原のように広くはありませんが、茶畑の中を走る大井川線には、撮影ポイントがいくつかあります。
7200系電車に遭遇するのは、これで3回目です。
拠点駅でいっぷく? 家山駅
神尾駅を通過した特急SLを見届けてから、車で後を追いかけると、家山駅で、まだ休憩中でした。
ところがよく見ると何やら機関の調子が悪いらしく、機関士が懸命に調整していました。
おかげで停車中のC11227号車の姿を撮ることが出来ました。
大腸検診の結果、幸いポリープは見当たらず、その日に帰るとが出来ました。