ローカル線を追う

身近なローカル線を点景に、沿線の風景を撮影しています。

失敗続きの撮影行

2011年04月30日 | JR東海

 

続・JR飯田線      唐笠駅(からかさ)付近     

昨日は天候も良く、絶好の撮影日和でした。唐笠駅を目指して出発するつもりでしたが、まず一つ目の失敗が発生しました。

いつもの通り水窪駅まで車で走る予定でしたが、肝心のヴォクシーのエンジンがかからないのです。再度、試みましたが結果は同じです。バッテリーあがりです。もう交換の期限が来ていたのかも知れません。友人との約束時間が迫っていましたので、いつもの修理屋さんに点検してもらう余裕はありません。やむを得ずかみさんのミラカスタムを借用し、集合場所に向かいました。

途中、ガソリンが底をつきそうなので補給し、浜北・天竜・龍山を通り、一路水窪駅へ向かいました。山間部は狭い道が続きますが、軽自動車なので、大型トラックとのすれ違いもスピードを落とさずに通過、意外にも早く飯田線の駅に到着することができました。

11時8分発の電車に乗って見て驚きました。休日とあってか車内は満席で、立っている人もいます。平日の閑散とした車内とは、だいぶ違います。天竜峡まで行って舟下りをする人で多いのかなと、思いましたがそうではなく、田本駅で大半の乗客が下車しました。ホームには、「JR東海さわやかウォーキング」の旗が翻っていたので、納得しました。

12時1分に唐笠駅に到着。12時58分の電車で戻るつもりでしたので、まず天竜下りの舟着き場へ急ぎました。

天竜川には名物の「鯉のぼり」が対岸との間に、掲げてありました。その数の多さに圧倒されます。風を受けて、威勢良く川面に翻っています。山の緑にも巧く溶け込んでいます。5月に入ってから掲げると聞いていましたので、予期せぬことに幸運を感じました。そこに天竜下りの舟がやって来ました。絶妙のタイミングです。

すぐカメラを取り出しシャッターを切ろうとしましたが、押し込めないのです。数回、押しましたが駄目です。カメラを変えてみましたが、同じことです。昨夜、バッテリーは充電しましたから、万全のはずです。もしやと思いカードカバーを開けてみました。なんとSDカードが挿入されていないのです。頭をドンと殴られたような衝撃でした。せっかくのシャッターチャンスを逃してしまったのです。これが二つ目の失敗でした。その上、昨日に限ってサブカメラも持ってきませんでした。三つ目の失敗です。

とっさに携帯電話を取り出してシャッターを切りましたが、動揺していたため、巧く行きません。

この後の自分の行動は、夢遊病者のような感じでした。唯一の収穫は、小和田駅で下車し、Mさんご夫妻を表敬訪問出来たことです。

同行の友人が携帯電話で撮影した天竜川と鯉のぼりの写真です。救われました。有難う。

 

 *GWは、都合により外出でき兼ねますので、撮影行は休みとします。

 

    

 


急斜面と茶畑の駅

2011年04月27日 | JR東海

 

 続・JR飯田線     中井侍駅(なかいさむらい)

ここも秘境駅の一つです。

急斜面を削り取って飯田線が走り、その上には人家、下には茶畑があります。いずれも急斜面にしがみついている感じです。

隣の小和田駅と違うところは、外部に繋がる道があることです。ホームの北側からつづら折りの急坂を登ると、天竜川林道に接続していて、水窪や伊奈小沢に行けます。

牛山隆信氏が選んだ全国秘境駅200ランキングには、第30位に採りあげられています。

 

                    急斜面の中腹を飯田線は通っています。その下には茶畑が階段のように続いています。

              この下伊那地方は有数な茶産地で、天竜川の川霧と日当たりの良さが、茶の栽培に適しているのでしょうか。

                 眼下には天竜川が流れています。

  上りの電車は、観音山トンネルを抜け、橋梁を渡るとすぐ、中井侍駅に着きます。

 


俗世界を忘れる山峡の駅

2011年04月26日 | JR東海

 

続・JR飯田線      小和田駅(こわだ) 後編

待合室でこの山の中に住むという老夫妻に出会いました。駅周辺では誰も住む人がいなくなった集落から、まだ相当奥に自宅があるMさん夫妻(夫85歳、妻86)です。子供たちが都会へ出て行ってからも、山が好きだからとずっと住みついています。電気が通っているので、電灯は勿論、テレビ・冷蔵庫・炊飯器や電話もあるから何も不便ではない。しかも郵便も新聞も飯田線でやって来るからお殿様気分ですよと、笑って話されました。

夫は若いころ筏師をしていて、天竜川を材木を組んで集積地まで運び、帰りは徒歩で峠を越え、自宅に帰えりました。それがバスになり、飯田線になりましたが、ダムが造られてからは林業は勢いがなくなり、仕事を失ったといいます。妻は20歳ころ長野県から嫁に来て60年、この土地を離れたことはありません。住めば都ですからね。それにわたしのほうが年上ですから、何かにつけて頑張らなくちゃあ。山の生活では、どこへ行くにも歩きですから、足腰は丈夫です。多少腰は曲がりましたが、膝痛や腰痛は経験したことはありません。元気そのものですよ。ただ一つ不便なことは近くに店がないので、買い物は飯田線に乗って水窪町まで出かけます。今日も今から二人で買い物ですよ。

結局、この後、間もなく上りの電車が到着したので、Mさんご夫妻をホームで見送り、散策路を歩いて見ました。散策路はMさんご夫妻にとっては生活道路ですが、舗装してあるとはいえ幅員も狭く、ところどころ落石の痕跡があったり、そのうえアップダウンの激しい道で、500メートルほど歩いただけで疲れてしまいました。住めば都とはいえ80歳を超えた老夫妻がこの山の中で暮らすのは、なかなかご苦労もあるだろうと思いました。

                                   上りの電車で水窪駅に向かうM夫妻。かくしゃくとしています。

  

 小和田駅は県境にありますので、ホームには3県の標識が立っています。ちなみに駅の所在地は、静岡県浜松市天竜区水窪町です。

  古い道ですが、一応は舗装されています。

 

             駅のすぐ裏側。今は、誰も住んでいません。こうした家が数軒あります。

  M夫妻は、毎日この道を通っているのでしょうか。

  左に天竜川が見えます。

 ところどころ落石の痕跡があり、舗装も痛んでいました。


交通手段は、電車のみの秘境駅

2011年04月25日 | JR東海

 

続・JR飯田線     小和田駅(こわだ) 前編

鉄道ファンはもとより、一般の人にも広く知れ渡っている小和田駅。本当に秘境という言葉がぴったりの駅です。

秘境駅とは「山中など周辺に人家や人の気配がほとんどなく、鉄道以外では行けない駅」のことですが、鉄道ファンであり写真集の著者でもある牛山隆信氏が名付けた造語のようです。この牛山氏が全国秘境駅ランキング200の中で、第2位にアップしているのが、小和田駅です。周辺にある数軒の家は住む人がなく、廃屋のままだし、外部と繋がる道路もなく、周りは山に囲まれていて、本当に辺境の里という感じです。1993年の皇太子さま、小和田雅子さまご成婚の際、その駅名からマスコミに注目され、一大ブームを呼んだ以外は、静かな山峡の駅そのものです。

しかし最近は、インターネット上の「秘境駅」サイトで紹介されてから、再び注目をあびるようになり、訪問者が増えつつあるようです。駅舎は木造のままだし、ご成婚にあやかって一般公募の結婚式が行われた当時の写真や臨時列車に付けられた「花嫁号」のプレートも残っていて、それが新たな郷愁を醸し出しているようです。

 

                          周りは山また山・山・山 ・・・・・・・・。 天竜川は、遥か下の方です。

               この駅舎の風情も郷愁を呼ぶ一つでしょうか。

           臨時列車の先頭車両に付けられた「花嫁号」のプレート

 

                 一般公募者の結婚式当時の写真

                      待合室内部

    綺麗に保存されている来訪者の「思い出ノート」


水窪駅を過ぎると天竜川沿いに北へ

2011年04月24日 | JR東海

  

続・JR飯田線    大嵐駅(おおぞれ)

水窪駅を出ると間もなく、飯田線で最長の5,062メートルもある大原トンネルを通過し、大嵐駅に到着します。ここから天竜峡駅の間は、天竜川沿いを走り、いわゆる秘境駅といわれる駅が点在しています。

大嵐駅前に若干の広場はありますが、すぐ西は険しい崖に接していて、天竜川の流れを見ることができます。この駅の所在地は、水窪町ですが乗客のほとんどは愛知県豊根村(旧富山村)に用事のある人ですから、東京駅をモデルにして造り替えた駅舎の建設費は、当時の富山村が負担したということです。駅前の案内板も富山村のままで、5年経過した今も書き換えられていません。

駅前から西へ進み、天竜川に架かる「鷹巣橋」を渡れば、愛知県豊根村です。もとは富山村で2005年の人口が215人。離島以外では日本一人口の少ない市町村として、有名でしたが同年に平成の大合併で、豊根村に併合されました。天竜川を渡った対岸には、県道1号線がとおっており、南へ下れば中部天竜駅へ北へ進めば平岡駅へ通じています。

                               ここも トンネルとトンネルに挟まれた駅です。

          大嵐駅を出発した上りの電車。 「鷹巣橋」を渡った愛知県側から撮影したもの。この下はすぐ天竜川に接しています。

   東京駅をモデルに造られたかなりモダンな大嵐駅舎

  まだ書き換えられていない富山村当時の案内板(駅舎に隣接して設置されています)

  

                    天竜川に架かる「鷹巣橋」(愛知県側から撮影)

                        「鷹巣橋」を渡りきったところにある標識


遠州、北遠の拠点駅が今は

2011年04月23日 | JR東海

 

続・JR飯田線     水窪駅(みさくぼ)

水窪駅まで車を走らせて1時間半。朝7時23分の下りの電車に乗るためです。この時間なら、通勤・通学の時間帯になるだろうと思い、自宅を出たのです。

ところが来て見て驚いたことには、通勤者も学生姿もあまり見かけないのです。上りのホームも同様です。駅舎も無人となり、往時の拠点駅の面影はありません。あんなに賑わっていた水窪がこのような過疎の町になってしまったのでしょうか。

2005年に浜松市と合併、さらに2007年に政令指定都市に移行されて、浜松市天竜区水窪町になり、発展が期待されたのに、意外な感じです。気がついて見れば水窪警察署が天竜警察署水窪分庁舎になり、水窪町役場が水窪地域自治センターになったのもつかの間、庁舎は閉鎖されて入口にはロープが張られています。また商店街はシャッターが下りている店が多いのです。寂しいかぎりです。

  

                                                                             構内は広くても、往時の賑わいはありません。

  車窓から見る高校生の姿もちらほらです。


渡らずの鉄橋

2011年04月21日 | JR東海

 

続・JR飯田線     城西駅(しろにし)~向市場駅(むかいいちば)

第5水窪川橋梁(122メートル)と第6水窪川橋梁(401メートル)のS字鉄橋。

通称、「渡らずの鉄橋」といわれる国内有数の撮影スポットです。

水窪川の中をS字を描いて進み、対岸に渡らずもとの岸に戻るという特別な形態の橋です。

 

 

 


山里の鯉のぼり

2011年04月20日 | JR東海

 

続・JR飯田線     城西駅(しろにし)付近

もう少しで端午の節句です。

山峡の駅近くで、農家の庭先に鯉のぼりが翻っているのを見つけました。

今年は震災の関係で「浜松まつり」が中止になったこともあって、鯉のぼりにくぎ付けになりました。

谷間を吹いてくる風に、鯉のぼりは横一文字になびいていましたが、電車が姿を見せた時には生憎と風が止んで、ご覧のような姿になってしまいました。

 


気軽に行ける山峡の里、相月駅

2011年04月19日 | JR東海

 

続・JR飯田線     相月駅(あいづき)

昨年の秋に続き、JR飯田線を巡ることにしました。

「わかふじ国体」の開催に合わせ、国道152号線が整備されたので相月駅までは、気軽にいけるようになりました。

トンネルとトンネルに挟まれた谷底にある駅ですが、国道152号線脇の階段を登れば、相月駅のホームに出れます。

待合室前の険しい斜面に沿って数軒の民家があり、また北西方向を見上げれば、遥か山の中腹に点々と民家が見えます。

そこまで行くには登り下りが大変ですが、秘境の暮らしを垣間見ることができます

 

 

         駅は山に囲まれてひっそりとしています。

        民家は急斜面に石を積んで、その上に建てられています。