湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

<追憶:20世紀ウラ・クラシック・ベスト> アイヴズ:祝日交響曲(1887-1913)

2009年08月01日 | Weblog

アイヴズ:祝日交響曲(1887-1913)

 

アイヴズの多様式主義は、その相容れない様式を同時に用いる、もっと端的にテンポやリズムや調性を完全にずらしたメロディを同時に演奏させることに特徴づけられる、或る意味単純な発想によるもので、聴いていると小規模でも大規模でも非論理的に同じような響きや展開に気づかされることがあります。大編成の曲、とくにこの曲など実演を前提とされていない節があるので、編成的に、環境的に、演奏難度的に実演に向かない、さらにそれを音響の単純化された録音というものに押し込めるのは無理というものです。4番交響曲は操作された録音によってのみ感動を与えられる気がします。四分音を用いた二台ピアノ曲も実演ではなかなか噛み合いません。作曲手法的にどうこうというより、実業家として、また哲学に親しんだ者として、主義主張や文学的発想、個人的な子供の頃の思い出、公園に流れる「環境音」を音要素に分解して、「時間軸に従い(夕方から夜といった変化)」緩く再構築するやり方が、人によってノイズとカオスの荒唐無稽、人によって鋭敏な現代人の感覚に合った前衛ととられますが、使われる引用曲は通俗的なものや讃美歌、有名なクラシック曲などといったきわめて平易なものなので、なんとなく聞けてしまうことは多いです。演奏側にある程度任されている部分があり(そうではない部分もある)編成についても自由度があるため、演奏者によって印象は変化します。ホリディ・シンフォニーはばらばらの4曲、四季を象徴する祝日風景を音詩にうつしたものをまとめ、交響曲として発表したものですが、4番交響曲に近い誇大妄想的な部分があります。4番交響曲も3楽章など古い曲を編曲しただけで事実上4楽章のみが新作と言えるものですが(それを最高傑作と自認していました)この曲について、「セット」という管弦楽組曲同様、出版のために有利な一塊の交響曲としただけのものでしょう。にもかかわらず4曲聴くとなんとなくまとまっている。3番と4番交響曲の間くらいの、4番よりオリジナル部分の多い曲と感じられます。特殊楽器の導入も特徴的。その中にはストラヴィンスキーよりおそらく先に手を付けていたポリリズムの全面導入部分も含まれていて、アイヴズにしては意外に気分高揚させるのです。4曲のものではバーンスタインが古いですが、この人はロマンティックな演奏をするので、硬派な曲だと合わないものもあります。特に複雑なリズムの明瞭さと音響の鋭敏さを求めるアイヴズには遅いテンポで重いバーンスタインの様式はあわないと思いました。初演者ドラティのライヴはアイヴズをやる古くからの方法として単純化して聴きやすくまとめており、楽章毎に拍手が入るのもそれらしいところです。ヨハノスはまずまず。アイヴズ演奏の権威ティルソン・トーマスの録音、またKEEPING SCOREのレクチャー付き映像は一見に値します。分析的な演奏で好まない人もいると思いますが、カオスを整理整頓しアイヴズの書いた音は決して減らさない、その態度がきちんと演奏に現れ、この曲のどこがすごいのか、面白いのかがわかります。アメリカ国民主義者アイヴズの思想、ドビュッシーからの理念的な影響、バルトークとの同時代性を浮き彫りにします。アイヴズの響きは冷たいですが、青白い美しさを最も磨きだせている人だとも思います。サンフランシスコ交響楽団との新録でまた出るかもしれません。ルーカス・フォスのORTF現代音楽ライヴはストコフスキのやり方に似て、手を加えずまったくスコアの通り演奏しており、カオスです。ブーイングがすごい。そのストコフスキは長大なリハのみ残されていて、間延びして長い演奏であることが想像できます。Ⅰ.ワシントンの誕生日のみの演奏は多いですが、ストコフスキも録音を残しており、客観性が感じられます。Ⅱ.デコレーション・デイも単独演奏が多い曲ですが、コープランドが三回ライヴ録音を残しています。アイヴズをアマチュアと喝破したという話がある一方著作ではアイヴズの居場所をしっかり作り、死にさいして弔意を示しのちにピアノ曲を捧げています。ばらつきはありますが意外と叙情的で思い入れを感じさせます。MTTを予告するような分析的な視点も感じられます。メータ指揮アメリカ・ソヴィエト・ユース管弦楽団という機会演奏も録音されていますがドラティに似ています。スロニムスキーの部分試演は骨董価値の範疇から出ないような。自身の編曲としてヴァイオリン・ソナタ第5番「ニューイングランドの祝日」があり3つの楽章の抜粋ですが出来はよく、大規模作品からドラティ的に粋を抜き出しています。録音としてはクリサ(Vn)チェキーナ(P)のものがあります。youtubeにもいくつかあります。名匠アンドリュー・デイヴィスのチクルスは未聴。

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<追憶:20世紀ウラ・クラシック・ベスト> グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番(1898)

2009年08月01日 | Weblog

グラズノフ:弦楽四重奏曲第5番(1898)

ヴァイオリン、アルトサキソフォーン協奏曲とバレエ・交響曲で知られる作曲家だと思いますが、ロシア国民楽派で最もプロフェッショナルな技術を持っていたということは同時代によく言われ、その妥当性はひとまず置くとしても近くは朝比奈隆氏の演奏にさいしての発言で知られます。大規模な曲では詰め込んだ要素を聴く側が消化できなかったり、古今のクラシック音楽と肉感的な民族音楽の合成という点で違和感を感じることもあるかもしれません。そこで小規模な作品をおすすめしたいのですが、弦楽四重奏曲などのアンサンブルに一時期心血を注いでおり、評価は高くはないのですがショスタコーヴィチも音楽院時代課題として演奏しながら、あるいは自身の長大な弦楽四重奏曲の山脈に至る道程としたかもしれません。民族要素に特化した2番が最も完成度は高いと思います。民謡からきた前衛的と取れる手法も保守的なグラズノフには珍しい。さらに先鋭化した3番はもうクラシックとは言えない領域、4番は内省的で古典を意識した作品であり、5番は集大成的な作品と認識されます。手ごたえのある堅牢な曲であり、2番ほど表面的にアピールするメロディや簡潔な構造はありませんが、3,4番という対照的な作品を「合成」したというところにグラズノフのアマルガム作家としての真骨頂があらわれ、録音も多くなっています。厚く交響曲的で、その点チャイコフスキーの流れを汲むともいえるでしょう。4楽章は出色の出来でバッハ的な立体的な書法に民族性ををちりばめた演奏効果の高いフィナーレです。サンクトペテルブルク四重奏団はかっちりした曲を融通無碍に演奏し、グラズノフ四重奏曲紹介の先兵であったショスタコーヴィチ四重奏団と同じ方向性にありながらそこに積極解釈を入れています。グラズノフ四重奏団はソヴィエトで録音流通していたSPで初録音。全曲は1937年のカット版ですが、甘い音色と同時代的なライヴ感はありますが技術的には少し問題があります。1930年スケルツォのみの録音もあり、こちらは曲に楽団があっています。30年代というスケルツォ録音もありますが同一性は不明。精度は高め。即興ともとれる表現です。レニングラード・フィル協会弦楽四重奏団はLP初期唯一のグラズノフの室内楽録音で選択肢のなかった時代のもの、後年タネーエフ四重奏団と名を変えますが、ショスタコーヴィチの録音同様不安定感を覚えます。その次くらいの録音と思われるシシュロス四重奏団は選集収録ですがショスタコーヴィチ四重奏団の民族的な音色を維持しながら明瞭なアンサンブルで聴かせるスタイルに似ています。全集初録音のショスタコーヴィチ四重奏団は現役盤であり本曲の基準と言えるでしょう。テクニック的にはモスクワ放送弦楽四重奏団。模範的演奏と言えると思います。リムスキー・コルサコフ四重奏団はさらにスタンダードですが印象は薄いです。リリック四重奏団は終楽章が聞きもの。ダーティントン四重奏団は技術はありますが軽めです。

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