湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:ヴァイオリン・ソナタ

2009年05月14日 | ラヴェル
○マテラッシ(Vn)ダラピッコラ(P)(stradivarius)1958/4/28フィレンツェ・CD

1、4楽章など技術的にやや不安定なところもあるが、おおむねオーソドックスで楽しめるソリスト。50年代らしいオールドスタイルなフィンガリングに音色もまじえるがそれほど際立たず、かといって無個性でも無機質でもない。悪く言えば半端かもしれない。ダラピッコラのピアノはそつなく、難しい曲も簡単に聴こえる。はっきりした発音だが特にタッチに繊細な配慮があるでもなく無造作と言うほど下手でもなく、デュオとしてはあっているのかもしれない。アグレッシブさはあり、オーソドックスに楽しめる演奏。モノラル。わりと柔らかい音で聴きやすい。
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エルガー:序曲「コケイン」抜粋(偶発的ステレオによるサイド3)

2009年05月13日 | イギリス
○作曲家指揮BBC交響楽団(HMV,EMI/NAXOS)1933/4/11・CD

面白い企画であると共に信じられないノイズレスな擬似ステレオで自作自演を愉しめるもの。NAXOSのボーナストラックで一部違うマイクで拾っていた音を最終版録音(全曲録音)の同部分と合成して作成されたもので通常の擬似ステレオとは違いかなり「正しいステレオ録音」に肉薄している。それは楽器位置はめちゃくちゃだがモノラルを擬似化したような残響付加ではなく、不思議なのはノイズすら無くなっていて、5分弱ではあるがその長さがまたエニグマの1変奏を聴いているような丁度いい長さである。個人的にエルガーの曲は選り好みするほうだが、代表作といっていいコケインはその範疇外にもかかわらず、余りの音のよさに愉しんでしまった。タイムマシンに乗っているようだ。そして、BBCは上手かったのだ。エルガーの老齢にも関わらず厳しくしっかりした指示にきっちりつけているようで、同時代の他指揮者の録音にありがちな緩い気に比べ前進力と構成力の感じられる立派な演奏になっている。この時代のステレオ実験録音というとストコが行っていたらしいが未聴。
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エルガー:行進曲「威風堂々」第1番

2009年05月13日 | イギリス
◎作曲家指揮ロイヤル・アルバートホール管弦楽団(HMV,EMI/NAXOS他)1926/4/27クイーンズホール・CD

旧録のカットぶり・改変ぶりと比べ「ほぼ」原典どおりの演奏で一部楽器の増強や調整はあるにせよ、この時代の録音にしては完璧。リマスターも復刻盤それぞれできちんと行われており、この名曲中の名曲を作曲家の手によって聴く贅沢を、諸所問題のある旧録よりもずっと楽しく味わうことができる。テンポは非常に速くインテンポ気味、多少つんのめるくらい。旧録では大幅にカットされたA部のマーチも旧録で異常に遅く演奏されたB部の歌謡的フレーズもさほどテンポに差を感じず、B部再現部の盛大な盛り上がりから一気にA部の変奏によるコーダに雪崩れ込むこの曲ならではの潔さの醍醐味を味わえる。書法の巧緻さそのまま曲のまとまりがより強く出ており、変なケレン味のない純音楽的な感興に身を揺らせる。それは古い演奏だからオケの前時代的な演奏法やバラケ味はあるにはあるが、使いたくない言葉ではあるが「ノーブルな」雰囲気を保ったまま威勢よくやりきった、この曲の範すべき演奏記録。◎。
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たくさん聴きたい、外で、程ほどの音で

2009年05月13日 | Weblog
もともと部屋に篭ったり練習室やホールに篭ったりするのは嫌いである。結局公園で練習とかそういうことはしなかったけど、聴く場として部屋はなんとなく居心地悪い。店だともっと居心地悪い。デジタルポータブルプレイヤーが普及して、その音質が取りざたされるも、ハードもさることながら音源の圧縮方式や利用ソフトによっても違うとなって、かなり工夫すればそれなりの音質も引き出すことが出来るし、ヘッドフォンも専用の色々なものが出てきて、そのへんの大雑把なスピーカーでは誤魔化されてしまうような部分も微細に聴き取れたりする。

しかし、従来型オーディオがそうであるようにポータブルオーディオの世界も、上を見たらきりがない。また必要とされる知識もまったく毛色が違うとともに、日進月歩で変わり、ハード自体の更改もまた厄介で根本的な問題としてのしかかる。下手すると1年に1度買い替えなければならない。元が安かったとしても10年先を考えれば・・・うーん。

しかし目先のことをとりあえず整える。圧縮方式や圧縮率如何に関わらずsd-audioの復元補正込み音質的優秀さは前に書いたとおりだ。但しパナソニックの撤退により専用端末d-snap(コンポじゃなくて持ち運ぶほうね)の品薄状態は加速。圧縮・管理ソフト配布も表向きは終わっているし、一時期独占状態だった携帯電話すら見放した。

でも、外部メモリタイプ(本機種はSDカードに音楽を貯める)のポータブルオーディオには、カセットの頃から慣れている「媒体の入れ替え」という作業を懐かしむ以外にも、非常に今風のメリットがある。外部メモリの急速な技術的進歩ならびに低価格化だ。この機種は最後3世代はSDHC対応、即ち現在では32GBまでのSDカードに対応している。

管理上999トラックまで等の制約がつきものなデジタル圧縮オーディオだが、暗黙であろう、外部録音対応機種のd-snapには、外部録音用にmpeg3音源が記録・再生可能となっており、そこに制約が無い。私は32GB二枚と16GB二枚を常時持ち歩いているが(更にsd-audio方式録音の2GBカードを20枚ほど・・・)それぞれ3000トラック前後の音楽やラジオ音源が入っている。mpeg3(あくまで著作権フリーの場合)はsd-audioと違い可逆なので自由に入れ替えも可能であるしコピーも簡便だ。

ただこういう媒体は怖い・・・実際単純なデジタル写真ですら長く入れっぱなしにしておくと壊れてしまうこともある・・・ので全部バックアップはとってある。また、音質はあくまで外部録音用だけあってはっきり言ってそのへんのmpeg3専用プレイヤーよりもずっと悪い。昔はともかく今のipodより悪い。圧縮ソフトや圧縮率など問題ではない。長く聴いていると耳に鈍痛が走るし、ヘッドフォンはむしろ密閉式でもなく、悪いほうがよい(私はヘッドフォンは所詮強度に限界のある使い捨てと思っているので高いものは普段は使わない)。

そうなると欲しくなってくるのは何かしらの補正用機器である。音源補正しても水際がこうではしょうがない。私はかなり色々使っていて、携帯からbluetooth経由で聴くことも多いのだが、今の機種はドルビーサラウンドだの何だのついているので結構デジタル補正がよくて、前も書いたけど普通に原音を聴くより原音感があったりする(むろん実際はCDならCDそのもの無圧縮がぜんぜんストレス無く自然に聴けるのだが)。

これに近いものを携帯ではない形で中に挟めないものか?

で、つい先ほど、日本語解説付き?店頭発売したばかりの簡易ポータブルアンプを買ってきました。昔のがっしりしたポータブルアンプではなく、ipodシャッフルの猿真似な形・大きさの二機種。

いろんな測定値とか数値はあてにならないことは言うまでも無く、値段がなにぶん最低で1000円台私の買ったのが3000円台なので試し聴きも不可、買ってしまえということで買って、即聴いてみた。

うん、いいですこれ。

Fiio E5
代行輸入(オヤイデ)
レビューされているかたのブログ;今は量販店店頭に普通に在庫あります、値段は多少上がるけど

ブースターで低音強調するとより安定する(逆に安定させる程度の変化しかないから自然)。何よりmpeg3特有の鼓膜を刺激する雑音が軽減される。これが多少なりとも減ることがかなり大きいことがわかる。音量も値段なりではあるが結構増幅可能で、プラグやコードの許す限り大きな出力が可能となる。これならちょっとした旅行時に最近よく見るアンプ内蔵アクセサリ型モノラルスピーカーを使わなくても(持ってるけど)安っぽいアンプ無しステレオスピーカーで代用可能だ。

もっと使い込まないとわからないし、店員さん曰くbluetooth経由にしてしまうと意味が無いとはいうものの、やってみないとわからない。古い録音や雑音まみれのブート音源はmpeg3で聴いている私ですが、こういうものが安く出る世情だと前に書いた以上にポータブルオーディオの世界は進化していくかもしれない。
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ドビュッシー:三つの交響的エスキース「海」

2009年05月12日 | ドビュッシー
○ミュンシュ指揮ORTF(FNAC/ACCORD他)1968(62?)初版・放送live?・CD

DMとは別録音とのこと。生々しく明晰な音だが、音像が安定せず1楽章などモノラルを強く補正し擬似ステレオ化したもののように楽器位置がごっちゃになり、揺らぐのが少し聴きづらい。がこれは放送音源によくあるホール構造とマイク数並びに配置上の問題だろう。拍手もなく環境雑音も無いが、ミュンシュライヴ特有のパッションの暴走がアンサンブルを崩壊させかかったりするところをみるとスタジオテイクでないことは確かなようだ。木管の繊細な音色感が楽しみな組み合わせではあるが、アメリカナイズされたような即物性やあけっぴろげさ、そのわりに硬質で冷たい響きが雑然としたような感じを少し強めてしまっている。いずれミュンシュの海、でありそれ以上でも以下でもない。○。
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ルイエ:オーボエ三重奏曲

2009年05月12日 | イギリス
○イヴリン・バルビローリ(ロスウェル)(OB)J.バルビローリ(Vc)D.ケネディ(2Vn)(BS)1941/1(バルビローリ夫人の私的録音)

完全にこのサイトの趣旨から外れるバロック曲だがポッパーとともに録音されたものなので一応記録として書いておく。しかしむしろこの私的録音ではこちらのほうが聴きもので、イヴリン夫人の若々しい表現が素晴らしい。この人はほんと、立派なソリストである。くらべバルビは余技の範囲といったところか。○。
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ポッパー:チェロ二重奏曲

2009年05月12日 | 北欧・東欧
○バルビローリ(Vc)L.ケネディ(2Vc)(BS)1941/1(バルビローリ夫人の私的録音)

イヴリン夫人も知らぬ間に亡くなってしまっていたようだ。これは協会盤LP収録のもので、ビバリーヒルズに居を構えたアメリカ時代のプライベートな録音だがCDになっているかどうか知らぬ。楽器ごとに特化して有名な作曲家というのがいる。チェリストにとってはこの後期ロマン派作曲家は著名であるようだが、よくは知らない。古風な中欧的ロマンチシズムを湛え地味で、特に印象に残るものではないが演奏会では取り上げられる演目とのこと。バルビはこのチェリスト兼作曲家ならではの黒漆塗りの音色感を活かし、歌心たっぷりではあるがボウイングがそれに左右されがちで、フレージングが不自然になるところは古い録音と変わらず、専門チェリストとしては成立しないのかもしれないが、むろん素人とは違うレベルの話ではある。デュオとしてはしっかり融合して不自然さはない。短いのでこれ以上書くことがないが、英国古典派ルイエの作品と(短い会話と)ともに録音されており、その組み合わせだと益々古風な感が強く、バロックとロマン派の違いというのは遠耳に聴けばさほど無いのかもしれないと思った。バルビは室内楽では古楽を好んだようで、絡んだ殆どの録音が英国の古典派か、バッハのものである。
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ボロディン:歌劇「イーゴリ公」よりだったん人の踊り(合唱付抜粋)

2009年05月11日 | ボロディン
○アンゲルブレシュト指揮ORTF・合唱団(STEF)live・CD

やや不安定なモノラルで終幕もブツ切となり、恐らく上演全曲の最後だけを切り取ったものと思われる。冒頭で少し電気的雑音が入り客席雑音も入ることから、放送中継エアチェックの可能性もあるかもしれない。しかしそれらを気にさせない異様な迫力の捉えられている拡がりのある音で、アンゲルブレシュトがさばくにはいささか単純過ぎる曲ではあるが、そこを解剖学的演奏などに転化することなく、劇場指揮者としての腕を発揮して、特に対位的表現をくっきりと、曲が構造的に包蔵する多彩な要素を全て出し尽くさせたうえで楽団の「フランス的アンサンブル」の魅力を打ち出す(ライヴとして技術的にもまったく素晴らしい)、アンセルメとはまったく違うロシアに媚びない煽情性とでも言うべきか、不思議な、でも曲としては正統な力強さに貫かれている。合唱付きなのがまたいい。

音源提供していただいたかたありがとうございました。これをwantlistに載せたとたんヤフオクに出品されるかたが相次いでいたようですが、もう手を出さないと思います・・・リブレット付き5枚全集まとめてでなければ。
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オネゲル:交響曲第3番

2009年05月11日 | フランス
○カラヤン指揮ベルリン・フィル(ORFEO)1957/8/13live・CD

録音はモノラルで篭りがち。遠くこじんまりとした聴感。特に弦が遠くマスとしてしか捉えられないのは痛い。1楽章ではブラスも荒い印象があり、2楽章もそれら整わない状況を前提とした「精神的な怜悧さ」が曲の暖かさを奪ってしまい、いくら美音で煽ろうともやや入り込むことができない。とはいえ個人技は素晴らしい。フルートなど重心の低い美しさを提示する。終楽章はその点すっかり集中力を取り戻した様相で、後年の演奏に聴かれるスリリングなアンサンブルとオネゲルのあざとい手法を的確に抉り出した気を煽るような表現を楽しむことができる。


Karajan -Salzburg Festival Concerts 1957 / Herbert von Karajan, VPO, BPO, etc



全般録音の問題が大きくカラヤンとしても板についていないようにも感じる。このためにボックスを買うならスタジオ盤をお勧めする。


Honegger: Symphonies no 2 & 3 / Karajan, Berlin Philharmonic

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トゥリーナ:ピアノ三重奏曲第1番

2009年05月10日 | その他ラテン諸国
○マドリード三重奏団(ensayo)

いい意味でも悪い意味でもフランス熱にうかされた曲で、フランクの室内楽にドビュッシーを振り撒いたと言えば感じがわかるだろうか。形式的で長い。トゥーリナというと職人的ではあるがやはり歌謡性、でも室内楽など案外保守的だったりもする。これはその中でもミヨーにもラヴェルにもイベールにすらなっていない、強いて言えばデュカなどやや古い作曲家のものを想起させる。26年作品。流して聴くぶんには心地よく、まるで初期ディーリアスのように、格好をつけるも響きが軽すぎて、でもそこが私は好き。7年後の二番はちょっと意欲的な個性を示す。演奏は現代的で比較的冷静か。
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コダーイ:ガランタ組曲

2009年05月10日 | 北欧・東欧
○スワロフスキ指揮LAフィル(VIBRATO:CD-R)1967/1/26live

終演後のブーイングともブラヴォともつかない反応が気になるが、スワロフスキにしては熱した演奏で東欧音楽や東欧オケに精通していたことも思い出させる演奏。もちろんフォルムは崩れないがリズム処理がロスバウト以上に巧くオケもよくドライヴさせられている。○。
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ブラームス:交響曲第1番

2009年05月09日 | ドイツ・オーストリア
○ストコフスキ指揮ロンドン交響楽団(inta glio)1972/6/15、ロンドンデビュー60周年記念live(一回目?)・CD

指揮者には弦楽器型と管楽器型がいる。おうおうにして弾けるメイン楽器が何なのかに限らない(他に歌謡型もいて、弦楽器型に似て非なる厄介な演奏を仕掛けたりするけど・・・ピアノ弾きに多い)。ストコは管楽器型に見えて、案外弦楽器を中心にしっかり組み立ててから表面をごてごて盛って膨らませていく古風な感覚を維持しており、曲によっては厳しく統制された弦楽アンサンブルを志向する。ストコは確か合唱指揮出身だが同時に弦楽器弾きだったと記憶している。そうなるとこれはメイン楽器に忠実な演奏ということになる。

ブラ1はとくに両端楽章において弦楽アンサンブルができていなければ成り立たない(中間楽章は木管ソロも・・・この演奏はコンマスソロが硬質ではあるものの異常に美しいが)。ぶっきらぼうなブラスの扱いに増して目だっているのは、纏綿とした音色を駆使した旋律よりも縦を厳しく揃えリズミカルな流麗さを求め、音色は二の次といった弦楽表現で、終楽章はテンポ的にも決してただ求心力が強いたぐいのトスカニーニブラームスではないものの、娯楽的でもバンスタ的でもなく(同じか)自身の予め設定した独特のアーティキュレーション(とブラス増強とか)を伴う解釈に基づいた苛烈な要求をオケに対してなした挙句、オケがどの程度反せたのか、それが演奏の程度に直接結びつくものとなっている。終楽章展開部でオケがやっと疲弊したのか冗長さが感じられるしコーダ前の瞬間湯沸かし器的疾駆で弦楽がばらけたのが惜しまれるものの、ここまでストコにしっかりつけられた弦楽器、そしてその結果がけして情に溺れる演奏ではないという事実に、終演後の盛大なフラブラを納得して受け止めることができる。

この録音は邦盤が初出だったらしい。日本人はブラームスに物凄く思い入れの強い種族で、愛ゆえに非常に凝り固まった解釈表現しか許さないところがある。しかしここまで凝縮された演奏に優秀録音では、ストコの「改変」ブラームスを無視はできないのではないか。ブラームスのスコアのどこに手を入れる場所がある?と言うのは小物の戯言。音が全てを物語る、それが音楽だ。これは多弁な演奏ではない。しかし野武士のような強靭さと説得力がある。一定の評価を与えるべき。○。

intaglio盤を参考にした。CALAが60周年ライヴとして出しているCDと聴き比べていないが、CALAの硬質で整形過剰な復刻ぶりからいって板起こしによるintaglioと大した違いがないものと思う。この二つが同日異演奏(チケットが足りず異例の同日二回公演となった)とか、この録音自体が68年のものであるという情報もあり(こちらはネット情報で嘘ぽい)、敢えてintaglioとして挙げた。
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TAHRAは役目を終えたのか

2009年05月08日 | Weblog
若きアンゲルブレシュトが目に入る。ORTFの新復刻だ?マーラー!



指揮者がシューリヒト?

あれ?

ジャケットを確認する。確かにアンゲルブレシュトだ、書いてある。しかし裏を見ると一曲も振ってない。バラバラの指揮者の、既出音源の寄せ集めなのだ。


ああ


ハルモニア・ムンディとあるし発掘音源じゃないのだ。


TAHRA


もうダメなのか?
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ベルク:歌劇「ルル」組曲抜粋

2009年05月08日 | ドイツ・オーストリア
○スワロフスキ指揮LAフィル(VIBRATO:CD-R)1967/1/26live

海賊盤にしては音がよく演奏も精緻。さすがスワロフスキで、ともすると重ったるく響くこの曲を透明感溢れるウェーベルン的ですらある点描性の感じられる、しかしそうであるがゆえに長々しくやや平板な音楽に仕立てている。「ルルの歌」を欠いているせいもあるだろう。いい演奏だと思うが殆ど惹かれなかったのは私がベルクに求めるものが違うせい。新ウィーン楽派をきちんと理性的に聴ける人にはお勧め。
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エルガー:愛の挨拶(管弦楽編)

2009年05月07日 | イギリス
○作曲家指揮交響楽団(pearl/HMV)1914/6/26・CD

エルガー自作自演はほぼ自身による改変が施されているが、てんめんとしたフィンガリングが生で剥き出しになる聴き心地は余りいいものではない。ラッパ吹き込みは起伏がないのでアマチュアのように抑揚のない下手な演奏に聞こえる。珍盤として○。変な編曲。
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