湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

原語表記ヲタとか言ってみる

2007年09月07日 | Weblog
ウィキって「引用」し放題なんだよね、うちの包括的転載不可表記のあるグリエールの記事に勝手にリンク張ったりしてるくらいのモラル意識だしさ(「転載」の定義とかはよそでやってくれ、一般流通している現代用語だ、本質論、モラルの話以外に興味はない)。

オカルト関係の記事とか、他にもいろいろあったと思うけどそんなことどーでもいい。訳文をラジオに投稿した人もいたね。わざと間違った言い回しなどを混ぜて識別しているのだよこちらは。

・・・ちょうどエネスコについて調べていたら、

<以下引用>
日本ではフランス語表記のGeorges Enescoに倣ってジョルジュ・エネスコと書くのがまだ一般的であるが、ルーマニア語ではGeorge Enescuと綴られ、近年ではジョルジェ・エネスクとの日本語表記も見られるようになりつつある。
<引用ここまで>
~ウィキペディア日本語版「ジョルジェ・エネスク」より研究用の部分引用

昨日書いた原語表記ヲタへの揶揄の図星だあ。キリル文字表記のロシア語とかたいへんだ。研究者は確かにグラズノーフとかいろいろちゃんとしろと言ってるけど、通称は少なくともグラズノフだし、個人的には響きがすきなのでグラズーノフとか書いたりもするし(そう読む読み方もあるとかないとか)wikiがわざわざ普通いうジョルジュ・エネスコじゃなくて「ジョルジェ・エネスク」って表題にしなくてもさあ。。あれ、オリジナル文章なのかな。翻訳だとしたら元はルーマニア語だよね?英語とかフランス語の本の訳じゃないよね。原語にこだわるくらいだからさ、海外でもそう発音するのが正しいというコンセンサスはあるんだよね、一般的な説として。

フランスで学び客死した作曲家・指揮者・ヴァイオリン奏者だ。リヒャルト系音楽の影響は19世紀末当時そもそもフランスがワグナーの絶大なブームの下にあり、ドビュッシーは苦労し反旗を掲げ、いっぽうパリ音楽院のエネスコ同窓コルトーなんて自ら組織した楽団でワグナー指揮者として若年期をすごした。だからそのへんの影響は別にエネスコ特有の現象ではないだろう。ま、有名人には少ないけどね。純フランス人ではフローランあたりにちょっとあるか?フォーレ門下ってことの当時のフランス楽壇における意味も前提条件としてあるよね。ラヴェルと芸風が違うとはいえ、作品の中にその共通性を感じさせる旋法的表現やかなり和声的に前衛的作風も織り交ざるのは自明では。なんか表面なぞってるんですが。単なる伝記情報プラス原語ヲタの「概観」?

チェリをチェルって書いてもいいかどうかは別として、国民楽派的活動をしたからって別にルーマニア語を直接日本語の読み方にあてはめて標準としなくてもいいじゃん。辞書でしょ?研究書でも何でもない。引きづらいよね?

だからチェリのブラ4もジョルジュ・エネスコ管て書いたけど、別にそれで通ってる盤ですよね。正式にはジョルジェ・エネスク・ブカレスト・フィル管弦楽団だったっけ?名前はよく変わるからなあ。

個人的にはときどき民族的な曲を聴くとエネスクって書いたりもするけど。

あんましマニアな知識や研究者向きの内容で公開辞書を縛らなくてもいいようなよくないような。

カサドシュは指摘後30年をへて結局カサドシュでおさまってるじゃんか。コスモポリタンな本人はこだわらない場合のほうが多かったんですよ。本人すらわからなくなってしまったというか、寧ろ通称で、って場合もあると聞いた。死んだ人にインタビューできるわけでもなし、一般名称でナニが悪いんだろう?

シゲティは難しい人だったみたいだけどね。そういう人の意思を尊重するために、て前書きがいる話。じゃなきゃ単なる余計な情報で、概観に書く内容ではないでしょ。生きてる人相手なら取材して「ソースを作らないと」。ただたんに他のメディアから拾うだけじゃ辞書なんて標榜できないよ。

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パバロッティ氏死去

2007年09月06日 | Weblog
歌唱は得意分野ではないのだが、この名前は知っている。パバロッティ・アンド・フレンズというdecca盤でスティングと共演していたから。

パバロッティ氏死去 テノール歌手2007年9月6日(木)14:10

 ルチアーノ・パバロッティ氏(イタリアのテノール歌手)ロイター通信によると6日死去。71歳。イタリアのモデナ出身。61年、レッジョネレミリアの声楽コンクールで優勝し、同市立歌劇場で「ボエーム」のロドルフォ役を歌ってデビュー。典型的なベル・カント唱法と、輝かしく、張りのある美声は「キング・オブ・ハイC(高いドの王様)」と呼ばれ、ファンを魅了した。映画やテレビにも出演。(ローマ共同)
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舞台次第

2007年09月06日 | Weblog
勢いづいて久しぶりに他含め5記事以上連投してます。

奏楽堂ですか。よく知っている、でも最近は通り過ぎるのみです。

あのホールに染み付いている中にはきっとうちの師匠の音もある。そういった中からもっとも精華のものを読み出していける場(この文章には詩情的解釈を求む)。それだけで、

かなりモチベーションは上がります。

とりあえず中途半端な製本をきっちりすること。
すべて音にすることに重点を置き、今空回りしている勢いで全ての音を弾けるくらいまで指に記憶させ右手に最適なポジションを確立させること。緊急対応の短持ち奏法とか禁止だ。

次回練習はもう近い。でも頭の中にバーチャル奏楽堂を想定していきます。

たぶん客席とか関係ない。舞台で自分の音をアンサンブルと如何に整合させるか、しかし、整合しなくてもそのときに最もいい音、音楽をかなでる状態なら範疇におさまらずにやる、、、それだけです。

できれば全部音符を弾きたい。チャイコのただでさえ大変な音の多さに更にプラスアルファのものを載せられるレベルまで持っていこう。

・・・あでも、仕事で連休、微妙なんだけど・・・職場に楽器持ってくのは社会人生活中3回目か。今の職場じゃ白い目で見られそうだなあ。

よろしくお願いします。

最後のルビンシュテイン追悼主題再現ではかなりルバートすることは確かでしょう。あそこのとってつけたような演奏は多いですが、チャイコは計算している。

もう半年もないことに気づいて、多忙な状況に戦慄。。じっさいデートとかしてる場合じゃないぞ。

左耳聞こえないとか手痺れるとか、そんな発言は昔のように封印します。前回練習のときみたいに、楽器を左寄りではなくまっすぐ持とうとしていたら、右耳で聞こうとしていると解釈してください。

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大友直人さんのエルガー

2007年09月06日 | Weblog
読響をばかにすんな、とリアルタイムで聞いてなくてピンポイントで評価する人を揶揄しておいて。

もともとこの人は啓蒙的なスタンスからか不当に低い評価をされている気がする。実演の場では力強い日本人でも稀なダイナミックな演奏を行うことのできる、しかもマニアにもかなりリーチしているそういう属性を持った稀なる指揮者。今晩エルガーの1番聞いて確信しましたよ。オケとの信頼関係なんだろうなあ、オケの音、ボールトのライヴ並みですよ。これだけ弦楽器がのっているのは曲のせいだけではあるまい。新しい人や海外活躍組もいい、でも、日本にはこういう、昔から啓蒙を続け、70年代半ばを中心とする評論黄金期に耐えうる演奏と知見を示した人が既にいたんです。

日本の音楽をやれる。久しぶりにこの人の演奏を聞いたが、海外のオケなんていらない。

少なくともエルガーは、イギリスものは確実に適性がある。そう、リクエスト番組でもさかんにイギリス近代取り上げてましたモンね。

この曲でルバートしないでか、この曲でカンタービレを表現しないでか、この曲でダイナミックな起伏をつけないでか。

エルガーのスコアを知り尽くした大友さんはすべて自然に指示し、オケは最大限に応える。

どうしても弦楽器とブラスが重視される曲だけにアンサンブルの面での指揮技術と経験がものを言う。打楽器によりドイツ的な重い縦のリズムが整えられ骨太の音楽に仕立てられる。このあたりの音響配慮ももちろん完璧だ。

全曲ではないけど、終楽章コーダの通奏主題の再現!!!!!

前奏だけ盛り上げに盛り上げて旋律は効果音に化けるヴァイオリンも、その効果音こそがエルガーの管弦楽法の要であることを認識してか、駆け上りのフレーズを全て弾き切り、アタックも激しい。そうでないと単なる旋律だ。管弦楽なのだ。

ボールトが瞼の裏に浮かんだ。いや、大ルバートがこう決まる人は最近では実演のスヴェトラくらいか。

この人、まだまだ健在です。

フランツ・シュミットをやってほしいなあ。

毎週水曜深夜のこの時間帯に、読響ダイジェストをやってます。かなり現代の人向きの啓蒙を本気でやっているので、ぜひどうぞ。題名のない音楽会なんて、比べれば遊びです。

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ブラームス:交響曲第2番

2007年09月05日 | ドイツ・オーストリア
C.クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団(MEMORIES他)1987/9/20ポンペイlive・CD

モノラルの悪録音でそのために却って冷静に聞けるのだが、壮年期ワルターを彷彿とさせるリズミカルでしなやかな音楽の流れはあるもののいささか表層的で表現に深みがない。旋律とリズムの表面をなぞったような楽しさが気になった。いや楽しいのであるが。オケの技巧的にもやや落ちる。全体的なアンサンブルはいいが精度には問題があると言わざるを得ないだろう。○にしたいが無印。
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ブラームス:交響曲第4番

2007年09月04日 | ドイツ・オーストリア
○ワルター指揮ミラノRAI放送管弦楽団(ANDROMEDIA)1954春live・CD

いわゆる激情型のブラ4で、ワルターのものとしては初出に近いものか。ただ、ブラ4にかんしては激情では済まされない部分もあり(とくに1楽章など)、ゆったりと円熟した演奏のほうが向くということを考えればこのVPO時代を引きずっているような激する表現は本来的には正しくは無く、最晩年の正規録音をとるべきだろう。録音も悪い。これはライヴ廉価全集の一枚だが、この曲のみ初出というちょっと小ズルイ感じも否めないものだ。ドラマティックでけたたましいブラ4が好きなら。二楽章の情趣の深さという面では余り求めるものが無いかもしれない。個人的にこの楽章は非常に期待する楽章なので、むしろ三楽章のほうが印象に残るというのはどうかと思った。イタリアオケの音はしない。どっちかといえばドイツ的な音を志向している。


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ドヴォルザーク:交響曲第9番~Ⅳ.リハーサル断片

2007年09月03日 | 北欧・東欧
○ターリッヒ指揮チェコ・フィル(supraphon)1954/9/28-30live・CD

ターリッヒ・エディション17巻所収。やはり並ならぬ思い入れがあることがいきなりわかる冒頭。第三主題への盛り上げ方をひたすら歌い、オケにつたえようとする。落ち着いたテンポで縦のリズムが強調され決して主情的ではないのだが、ターリッヒの思い入れの強さがやたらと歌を交えた指示にも現れている。うんざりするほどやった曲のはずなのに・・・ムラヴィンスキーをしてドヴォルザークは振らない、ターリッヒがいるからと言わしめ実際にそうだった、というのもうなづける拘りぶりと表現のさまが聴いてとれる。とにかくここだけをひたすら、というのはオケのリハではよくあることなのだが、舞踊的リズムへの細かい変化指示も聞き逃せない。といっても言葉はほとんどわかんないが。。ヴァイオリンのパート弾きがメロメロになって終わるのはご愛嬌。まあ、ほんとにけっこう難しいんです、剥き出しですから。でも本番は、何故か合うのが国民楽派のいいところ。というかチェコ・フィルとはいえリハはこんなもの。交わされる会話も聞き逃せない。このあと、おそらく別日だと思うがかれの名を称える日のための記念の祝祭音楽(曲しらない)と笑い声、短いスピーチが入る。暖かい雰囲気が伝わる。リハ部は以前にも出ている。○。
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チャイコフスキー:無言歌op.2-3(弦楽合奏編)

2007年09月03日 | チャイコフスキー
○ターリッヒ指揮スロヴァーク・フィル室内楽団(SUPRAPHON)1950/6/20・CD

素直なチャイコ初期の民族的な小品だが、ターリッヒの棒はトスカニーニを思わせいささかストイックに過ぎるかもしれない。もっと細かい妙なる揺れが欲しい気もする。これでは単なる「フィレンツェの思い出」だ(別にそれでもいいんだけど)。ターリッヒの芸風がチャイコではこう現れるという典型。好き嫌いはあるかもしれない。○。
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チャイコフスキー:弦楽四重奏曲第1番~Ⅱ.アンダンテ・カンタービレ(弦楽合奏編)

2007年09月03日 | チャイコフスキー
○ターリッヒ指揮スロヴァーク・フィル室内楽団(SUPRAPHON)1950/6/18・CD

スプラフォンのターリッヒ・エディション最終シリーズ、巻16「室内楽曲集」におさめられたこの曲は、よく知られたお涙頂戴の編曲ものだが、ターリッヒは純音楽的に、ひたすら雄渾に描いていく。大規模編曲されると確かにこういう強い響きの曲になる性向があるにはあるものの、旋律と響きの純粋な「強さ」を打ち出し、トルストイにむせび泣かせることなど考えていない。あのあけっぴろげな弦セレすら思わせる響きも聞こえる。しかし、再現部ではヴァイオリンにいくぶんテンポ・ルバートとアーティキュレーションの微細な変化があらわれはじめ、そこからのどんどんと、深く落ちていくようなデュナーミク変化、休符表現の絶妙さが際立ち、一瞬力強く飛翔するものの、そのまま深き淵へと墜ちていく。ターリッヒはヴァイオリニストであった。室内楽にも強い関心を示していたがついぞその純粋な演奏記録は残されることは無かった(しかしこうして後期には室内楽団を組織し振ったりしていた)。この演奏終盤の沈潜ぶりは、そんなターリッヒの何かしらの思いが反映されているように思えてならない。前半との極端な対比が秀逸。だがまあ、○だろう。
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楽器のメンテナンス

2007年09月02日 | Weblog
借用中の楽器を返却したいのだがせめて調整、もしくは弦と弓毛の交換くらいしないと10年以上も借りた申し訳がたたない。自分の楽器の調整で手いっぱいなのと、やはり楽器として相性があわないのが返却の理由でもあるのだが、そんなのまだ20世紀の頃に既にわかっていたことなんだけど、オケに所属してたからねえ。

オケは聴くぶんにはいいけど演るのは非常に大変だ。めんどくさい。よほどのモチベーションがなければだめである。何かを弾きたい、学校のOBだから、地元の人と交流したいから、練習場所がないのでとりあえず所属だけしといて隙みて好きに弾かせてもらう、などなど、それもしかしきっかけにすぎなくて、しょせんは組織、人間関係しょいこむのが苦手な向きには向かない趣味である。本気でやるなら仕事と生活の犠牲は当然と思う連中もいるくらいなので、そのへんの距離のとり方も大変である。何より「M」でないとつとまらない。人数の多い弦楽器、それも内声はとくに。指揮者や運営陣に命令されて喜んで受け容れるという従順な行動を取れる人間でないと無理である。練習意欲を失っててきとうに流すようになったら寧ろ腕にも逆効果である。

まあすでに書いてしまった感もあるがそんなわけでオケは小規模でないかぎりは二度とやらないと思っているわけであるが、それはまあいい。オケ弾きに向かない我が手作りボロ楽器のかわりに借りたのがオケ弾きのためにあるようなドイツのメーカー製楽器であった。その意味がなくなって返却しなきゃならないと思いつつも、ここまできてしまったのである。ちなみに今使ってる弓も借り物である。どんだけ~

それ以前にちょっと目が絵とかそっちのほうにいってしまって楽器を弾くモチベーションが損なわれ、練習の間が空きがちなのはやばい。昨日2週間ぶりにバッハを弾いたらこれが大変に駄目なのである。指が動かない、覚えてないとかいう以前の問題。右手はもういろんな奏法がごっちゃになってその時々で持ち替えるようなとんでもないアホ状態に陥っているのでまあいいのだが、それにしても継続的に弾くことでかなりよくなってきたボウイングの自然さも失われ、オケで弾いていたときのような自己流の穴に再び墜ちたようであり、弓の返しが露骨に聞こえてしまう。かつて敢えてそういう堅い弾き方をして一弓の音の安定性をとっていた時期もあったが、総合的に言ってスナップきかせて弓返すほうが楽だし自然だし何よりいくぶん上手く聞こえる。これでは折角復活したスピッカートやら何やらのわざも損なわれているに違いない。

夏という湿気だらけの、我が楽器にいちばん向いている時期が過ぎて、ちょっと忙しいこともあり、この状態で毎日練習するのはなかなかに難しい。また前書いたかもしれないが、楽器がいよいよ末期症状というか、余りに環境に左右されすぎて、ナイロンガットを使っているせいもあるが音程がすぐに狂うし、裏板にも響きにくくなっている。高音域だけは相変わらず妙な色気を醸すのだが、早弾きできるわけでもなし、ヴァイオリン一本で高音でひゃらひゃら旋律弾いていてもかっこ悪い。裏板に響かせる必要がないから高音が出やすいというのもあるし、ナイロンガットのふくよかな響きで金属弦の正確だが痩せた音に含まれない情報を篭めることができるというのもあるし、二番目の師匠にハイポジだけは叩き込まれたというのもあるし、まあ、一つでも得意分野があればアマチュアとしてはまあいいのだが、金属弦にせざるをえないe線の音が嫌いでa線以下でぜんぶとってしまうことが多いこともあり、左手の手首がものすごく痛む。携帯を持ち歩かないようにしているので腱鞘炎にはならないが、運動しないから体中がなまっているようである。

耳もだけど。回復したからこそピアノトリオにチャレンジするわけだが、それでもヘッドフォンを多用する生活からくる「生活疲労」が内耳に悪影響を与えていることは確かで、練習中に音程がわからなくなり結局肩当てを外して例の骨振動弾きをしたりということもあったりなど、なかなかたいへんである。絶対音感がないのでその時々で音感が変わり、ちゃんとチューニングすると耳が違和感をおぼえ、五線の上のハイポジになると譜面もあてにできないので、相対音感を必死で整え、殆ど勘で音程をあわせたりする。そのうえでやはり助かるのはピアノの存在で、絶対に音程が狂わない筈なので、じつにアンサンブル的なことではあるけれど、音響的にはまったく違う音を出す楽器であるとしても、その倍音のどこかと共鳴する音を探ることによってなんとか音感を正しく戻せる。昔はピアノとのあわせなんて普通だと思っていたが、弦楽器だけのアンサンブルをやるようになって、その後でピアノの鋭い音響にぼやっと広い弦楽器の音響を音程的にあわせることの難しさを知った。ピアノにもよるんだろうけど。やっぱグランドピアノのほうが音あわせやすいんだなあとも思った。

さて、ところで前回アンサンブルの練習ののち破損した楽器ケース(カバーは既に蓄積疲労でお陀仏)のカバーを探そうと36度の銀座を右往左往して結局手に入らず、そのまま築地の川沿いに場所をとって剥き出しの壊れた楽器ケースをかたわらに東京湾花火大会観戦。

セロテープでぐるぐる巻きにした昭和初期の木の楽器ケースをそのまま持ち帰り、、、あの環境でこのケースで、、、

楽器ケースを開封するのが怖くなり二週間そのまんまにしたのである。

あけたら楽器はあっけらかんとしたものだった。そして呟いた。「楽器のせいにすんなよ」

ああそうさ、練習さぼった自分のせいだ。仕事が変わって忙しかったなんて理由にならない。

・・・だが音はしかし、なかなか、これが・・・腕のせいか楽器のせいか、左耳が意外と調子が悪く肩当てを外して重音で裏板を目覚めさせようとバッハの無伴奏ソナタをひらいたのであった。

ストラヴィンスキーとかよく練習できてたなこの腕で。シマノフスキの2番なんて最終ページすら弾けない(最終ページがわりと弾き易く出来ているのに)。

はあっはっははははあっはああっははは

・・・

今日、上野の奏楽堂の脇を通って芸大美術館に若冲を見に行った。なんか胸が痛んだ。

そのあと解説しながら広重の江戸百景を見てまわり、出ようとしたらおばさんに「芸大の先生ですか」と聞かれた。こんな海老茶色のTシャツ着た若造を先生と勘違いしたらいけない。
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チャイコフスキー:管弦楽組曲第3番~Ⅳ.主題と変奏

2007年09月01日 | チャイコフスキー
○アーベントロート指揮ライプツィヒ放送交響楽団(TAHRA)1951/3/20・CD

まー単曲でもよく録音された長い曲だが(17分以上、この演奏もスタジオ収録モノ)変幻自在のチャイコの変奏技術を脂の乗り切った時期の作風において聴ける佳作ではある。もっとも私は変奏曲という形式自体がそもそも余り好きではないが、この曲は(チャイコによくあることだが)感傷的な曲想に頼り切ることもなく、弦セレあたりでみせた作風から一歩外へ出て、バレエ音楽ふうに場面転換のくるくるするさまを、時には歌劇、時にはバレエ、時には技巧的なヴァイオリン協奏曲、時には純管弦楽曲、時には描写音楽といった人好きする風景の中に見せてゆく。一種いっちゃったようなチャイコ特有の病的な部分は出てこない。アーベントロートのがしりとした立派な演奏で聴くとじつに板について楽しくも気高い。クライマックスのこれまた「何か(ヴァイオリン協奏曲第一楽章の一場面など)」を想起させるような騎馬民族的な曲想の盛り上がりもリズムをしっかり打ち出し弦楽器に弾け気味に分厚く厳しく雄渾に弾かせ、その上で決して他を圧倒することなくバランスのとれるような抑制をきかせたブラス、総合的にいってそこに描かれるダイナミズムが素晴らしく、単調で長い曲展開を忘れさせるような壮大さを獲得したすがすがしいほどの演奏。バレエ組曲ふうの曲ではあるが、たまに聴くといいなあ。後戯が長いけど。録音は弱いがリマスターはいい。○。
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