ウィキって「引用」し放題なんだよね、うちの包括的転載不可表記のあるグリエールの記事に勝手にリンク張ったりしてるくらいのモラル意識だしさ(「転載」の定義とかはよそでやってくれ、一般流通している現代用語だ、本質論、モラルの話以外に興味はない)。
オカルト関係の記事とか、他にもいろいろあったと思うけどそんなことどーでもいい。訳文をラジオに投稿した人もいたね。わざと間違った言い回しなどを混ぜて識別しているのだよこちらは。
・・・ちょうどエネスコについて調べていたら、
<以下引用>
日本ではフランス語表記のGeorges Enescoに倣ってジョルジュ・エネスコと書くのがまだ一般的であるが、ルーマニア語ではGeorge Enescuと綴られ、近年ではジョルジェ・エネスクとの日本語表記も見られるようになりつつある。
<引用ここまで>
~ウィキペディア日本語版「ジョルジェ・エネスク」より研究用の部分引用
昨日書いた原語表記ヲタへの揶揄の図星だあ。キリル文字表記のロシア語とかたいへんだ。研究者は確かにグラズノーフとかいろいろちゃんとしろと言ってるけど、通称は少なくともグラズノフだし、個人的には響きがすきなのでグラズーノフとか書いたりもするし(そう読む読み方もあるとかないとか)wikiがわざわざ普通いうジョルジュ・エネスコじゃなくて「ジョルジェ・エネスク」って表題にしなくてもさあ。。あれ、オリジナル文章なのかな。翻訳だとしたら元はルーマニア語だよね?英語とかフランス語の本の訳じゃないよね。原語にこだわるくらいだからさ、海外でもそう発音するのが正しいというコンセンサスはあるんだよね、一般的な説として。
フランスで学び客死した作曲家・指揮者・ヴァイオリン奏者だ。リヒャルト系音楽の影響は19世紀末当時そもそもフランスがワグナーの絶大なブームの下にあり、ドビュッシーは苦労し反旗を掲げ、いっぽうパリ音楽院のエネスコ同窓コルトーなんて自ら組織した楽団でワグナー指揮者として若年期をすごした。だからそのへんの影響は別にエネスコ特有の現象ではないだろう。ま、有名人には少ないけどね。純フランス人ではフローランあたりにちょっとあるか?フォーレ門下ってことの当時のフランス楽壇における意味も前提条件としてあるよね。ラヴェルと芸風が違うとはいえ、作品の中にその共通性を感じさせる旋法的表現やかなり和声的に前衛的作風も織り交ざるのは自明では。なんか表面なぞってるんですが。単なる伝記情報プラス原語ヲタの「概観」?
チェリをチェルって書いてもいいかどうかは別として、国民楽派的活動をしたからって別にルーマニア語を直接日本語の読み方にあてはめて標準としなくてもいいじゃん。辞書でしょ?研究書でも何でもない。引きづらいよね?
だからチェリのブラ4もジョルジュ・エネスコ管て書いたけど、別にそれで通ってる盤ですよね。正式にはジョルジェ・エネスク・ブカレスト・フィル管弦楽団だったっけ?名前はよく変わるからなあ。
個人的にはときどき民族的な曲を聴くとエネスクって書いたりもするけど。
あんましマニアな知識や研究者向きの内容で公開辞書を縛らなくてもいいようなよくないような。
カサドシュは指摘後30年をへて結局カサドシュでおさまってるじゃんか。コスモポリタンな本人はこだわらない場合のほうが多かったんですよ。本人すらわからなくなってしまったというか、寧ろ通称で、って場合もあると聞いた。死んだ人にインタビューできるわけでもなし、一般名称でナニが悪いんだろう?
シゲティは難しい人だったみたいだけどね。そういう人の意思を尊重するために、て前書きがいる話。じゃなきゃ単なる余計な情報で、概観に書く内容ではないでしょ。生きてる人相手なら取材して「ソースを作らないと」。ただたんに他のメディアから拾うだけじゃ辞書なんて標榜できないよ。
オカルト関係の記事とか、他にもいろいろあったと思うけどそんなことどーでもいい。訳文をラジオに投稿した人もいたね。わざと間違った言い回しなどを混ぜて識別しているのだよこちらは。
・・・ちょうどエネスコについて調べていたら、
<以下引用>
日本ではフランス語表記のGeorges Enescoに倣ってジョルジュ・エネスコと書くのがまだ一般的であるが、ルーマニア語ではGeorge Enescuと綴られ、近年ではジョルジェ・エネスクとの日本語表記も見られるようになりつつある。
<引用ここまで>
~ウィキペディア日本語版「ジョルジェ・エネスク」より研究用の部分引用
昨日書いた原語表記ヲタへの揶揄の図星だあ。キリル文字表記のロシア語とかたいへんだ。研究者は確かにグラズノーフとかいろいろちゃんとしろと言ってるけど、通称は少なくともグラズノフだし、個人的には響きがすきなのでグラズーノフとか書いたりもするし(そう読む読み方もあるとかないとか)wikiがわざわざ普通いうジョルジュ・エネスコじゃなくて「ジョルジェ・エネスク」って表題にしなくてもさあ。。あれ、オリジナル文章なのかな。翻訳だとしたら元はルーマニア語だよね?英語とかフランス語の本の訳じゃないよね。原語にこだわるくらいだからさ、海外でもそう発音するのが正しいというコンセンサスはあるんだよね、一般的な説として。
フランスで学び客死した作曲家・指揮者・ヴァイオリン奏者だ。リヒャルト系音楽の影響は19世紀末当時そもそもフランスがワグナーの絶大なブームの下にあり、ドビュッシーは苦労し反旗を掲げ、いっぽうパリ音楽院のエネスコ同窓コルトーなんて自ら組織した楽団でワグナー指揮者として若年期をすごした。だからそのへんの影響は別にエネスコ特有の現象ではないだろう。ま、有名人には少ないけどね。純フランス人ではフローランあたりにちょっとあるか?フォーレ門下ってことの当時のフランス楽壇における意味も前提条件としてあるよね。ラヴェルと芸風が違うとはいえ、作品の中にその共通性を感じさせる旋法的表現やかなり和声的に前衛的作風も織り交ざるのは自明では。なんか表面なぞってるんですが。単なる伝記情報プラス原語ヲタの「概観」?
チェリをチェルって書いてもいいかどうかは別として、国民楽派的活動をしたからって別にルーマニア語を直接日本語の読み方にあてはめて標準としなくてもいいじゃん。辞書でしょ?研究書でも何でもない。引きづらいよね?
だからチェリのブラ4もジョルジュ・エネスコ管て書いたけど、別にそれで通ってる盤ですよね。正式にはジョルジェ・エネスク・ブカレスト・フィル管弦楽団だったっけ?名前はよく変わるからなあ。
個人的にはときどき民族的な曲を聴くとエネスクって書いたりもするけど。
あんましマニアな知識や研究者向きの内容で公開辞書を縛らなくてもいいようなよくないような。
カサドシュは指摘後30年をへて結局カサドシュでおさまってるじゃんか。コスモポリタンな本人はこだわらない場合のほうが多かったんですよ。本人すらわからなくなってしまったというか、寧ろ通称で、って場合もあると聞いた。死んだ人にインタビューできるわけでもなし、一般名称でナニが悪いんだろう?
シゲティは難しい人だったみたいだけどね。そういう人の意思を尊重するために、て前書きがいる話。じゃなきゃ単なる余計な情報で、概観に書く内容ではないでしょ。生きてる人相手なら取材して「ソースを作らないと」。ただたんに他のメディアから拾うだけじゃ辞書なんて標榜できないよ。