湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ヴォーン・ウィリアムズ:交響曲第5番

2018年06月02日 | Weblog
ロジェストヴェンスキー指揮ソヴィエト国立文化省交響楽団(melodiya)live・CD

生生しく鈍臭い昔のソビエトオケによる田園音詩。しかし、そんなオケの、指揮のぎこちなさを微塵も問題とさせないこの音楽の持つ強さは果てない。音の少なく起伏の緩やかな中にも、はっきりとそこに限りなく切なく、切なく望む平和な世界、柔らかな光に包まれ黄金に揺れる大地のどこまでも平和であることを告げる雲雀が、もうそこにはいないのだ、もう戻っては来ないのだという想いの詰まった作品は、瑣末な演奏精度、俊敏で完璧な表現など要求していない。ロンドンの瓦礫の向こう側にさす薄墨の日差しに昔見た南仏の包み込む陽を夢見ている。田舎の祭りを思わせる四楽章はその平穏な裏の虚無を示す曲のおわりに初めてストレートにロマンティックな性向を示すが、ここでのロジェストヴェンスキーの大きな心のゆらめきは音楽のしっかりした起伏となって、交響曲という形式的なもののフィナーレをしっかり演出している。これはすべてただ共感し、想い、望み、思い出すことを喚起さえできればよい曲なのだ。ロジェストヴェンスキーはそこをわかっている。荒い全集の中でこのヴォーン・ウィリアムズ一番の人気交響曲においては、それが何なのだと言わんばかりで、弱く薄い弦楽も静かに泣き、最後には強力なブラス(だがこの演奏では抑制的である)とともに、数々の思い出を暗く孕みながらも、ついには、たとえ妄想だったとしても喜ぶことができることを信じている。ヴァイオリンの非常な高音により繰り返されるメロディは希望を象徴する。演奏は一声のブラヴォで終わる。第二次大戦直前より構想され、終戦前後に完成した作品である。
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