湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第1番

2018年07月15日 | プロコフィエフ
D.オイストラフ(Vn)メータ指揮ロス・フィル(SLS)1970/3/12ドロシー・チャンドラー・パビリオン(ロサンジェルスミュージックセンター)live

オイストラフには「出してはならない時期の録音」というものがあって、これは最晩年のそういうものである。かなりヤバイ箇所があり、二楽章は弾けてるのに両端で音程がメロメロというのは下手ではない、他の理由でそうなっているのは安定感のある音からも明白なのだが、この状態の同曲の録音は他にもあり、ひょっとすると同じものかもしれない。シゲティが蘇演し成功をおさめて作曲家も喜んだという、独特だがプロコフィエフ最盛期の精華が現れた名作であり、技巧的にウォルトンがパクるほどの特徴的な叙情性をいかに演じるかだが、オイストラフはもとから「弾け過ぎ」のため同曲の意図して煮え切らないメロディや殆ど装飾的な音符でしか構成されていないフレーズとか前半期プロコフィエフ特有の「前衛性」を、どこが前衛的なんだか、普通の曲じゃん、という印象に変えてしまう。シゲティ後年のカスれて何の音を出してるのか解らない箇所だらけの録音が良いとは言わないが、楽曲には不思議と合う。とにかくハイフェッツしか知らない西側の人々の前に、巧すぎる刺客としてソビエト連邦から現れたこの人、作曲家とも共演しているとおり認められてないわけはなく、上手すぎても問題ないのだが、音楽にはやはり何かしらプラスとともに「マイナス」も必要なのだ(曲によって)と思うこともある。しかし、こんな演奏でも普通に拍手だけで送り出す暖かい聴衆に、この人の受けてきた賞賛の残り香を嗅げることは嗅げる。この曲めあてで同盤を買うことはおすすめしない。カップリングは亡くなってしまったスクロヴァチェフスキとのベトコン。時期的にベトコンというと誤解されそうだがベートーヴェンのコンチェルトです。版は知らない。
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ヒンデミット:序曲「キューピッドとプシュケ」

2018年07月15日 | Weblog
セル指揮クリーヴランド管弦楽団(SLS)1968/4/18セヴェランス・ホールlive

セルはDAから1967年ライヴなるものが出ていたが、ステレオのこちらは音が段違いに良く(といっても放送エアチェック録音の標準レベル)比較不能なので一応データ通り別としておく。ヒンデミットのカッコいい方の平易な作風によっており、せわしなく動きまくる弦楽器と吠えまくるブラス、茶々を入れる木管と、構造的にはヒンデミットらしく完璧な組物となっており、アンサンブル能力をとことん引き出そうというところでセルやクリーヴランド管弦楽団にとっては不足ない相手だし、性能的にも不足はない。この曲は録音が思ったよりすくないので、自作自演よりカラッとしたアメリカオケによる風の通るように明快なセルを選んでもいいだろう。ヒンデミットともその盟友ウォルトンとも親交のあったわりに両者の作品(書法が込み入ってめんどくさく客受けも悪いのかもしれないが)それほど録音しておらず、非常にわかりやすく六分余りしかないこれに2つも記録が残っていたのは嬉しい。ただ、カップリングがR.カサドシュのリスト2番、リン・ハレルのシューマンと余りに掛け離れた古臭いロマン派作品ゆえ、私と趣味を同じくする向きの中でも、物好きにしか勧めない。
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