湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

アイヴズ:弦楽四重奏曲第2番

2018年06月13日 | Weblog
コンコード四重奏団(nonesuch)CD

この曲はスコアを見ていくと3楽章それぞれに奇妙な短い副題がついていてそれに沿った内容を緻密に反映していくさまが見て取れ、3楽章で議論につかれた四名が山に登るとご来光とともに「ビッグベン」の鐘が響き渡るといった趣向で、崇高にのぼりつめ白くなるスコアが期待させる。だが。一本一本はたしかにそれを期待させるのだが、四本で弾くと意図通りにならないのである。音が多すぎる。3楽章の鐘の音は本来は弦楽器に向かない。超越的な超高音で輝く陽光を描く・・・演奏にあたったことがない。弦楽器に向かないという意味ではアイヴズはほかにもありそうなところだが、ところでこの曲でもっとも面白いのはパロディだらけの2楽章「議論」だが、書法はともかくバルトーク的にひびくであろうこのエッジのきいた音楽が、パロディに邪魔されて諧謔的でしかない・・・アイヴズは3楽章を聴かせるための前提として卑俗な人間の議論がいかに意味がないかを描くべくあえてそうしているのだがそれだけではもったいない楽章だ・・・ゆえに他の「これはパロディです」という題名のピアノ三重奏曲中間楽章をはじめとする作品共通の「軽さ」で2番全体を支配する「コンコード・ソナタ」的な深刻さを損なっている。演奏は部分部分は美しかったり尖鋭だったり、曲通りのものになってはいるが、3楽章はやはり登り詰めなかった。
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アイヴズ:弦楽四重奏曲第1番

2018年06月13日 | Weblog
○コンコード四重奏団(nonesuch)CD

「信仰復興伝道会」なる副題がつくことがあるが宗教的なものは聴けば讃美歌まみれでわかるので書かない。バーナード・ハーマンの短いコメントがついているがそれを必要としないほど素晴らしい曲である。むかしアイヴズは「熱量で何とかしないと聴けたもんじゃない」作曲家という認識があり、ドラティの祝日交響曲などおすすめしていたのだが、それは旋律楽器をやっていたので旋律中心で聴く癖があっただけで、ノイズもふくめ本質的には「響きの作曲家」であるアイヴズを期待したうえで聴くのには、もっと引いた態度で整わない響きを整え整わないならそれ相応の理由を推測してそれに沿った形で盛り込んでいく、というやり方が向く。録音なら新しいにこしたことはない。それほど細かい部分は細かい(実演では聴こえないほどに)。この作品は旋律音楽で、ほかの作品に転用された要素を含む「わかりやすいコラージュ音楽」だが、ポリリズムやモザイク状の構成感などすでにアイヴズを構成する主要素が出ており、2番はそれをさらに突き詰めて非常にとっつきづらくなったが、1番ではおそらくドヴォルザーク後にアメリカに出現したカルテットで最良の作品といっていいほど美しく、出来が良い。改訂はあるようだが、交響曲なら習作である1番に相当するものの、2番までの個性は少なくとも含まれており、雰囲気では瞑想的な3番まで到達するものをふくめている。譜面は疎だがけっこう大きな曲で、のんべんだらりとやると飽きてしまうが、アイヴズのしのばせたワサビをこの楽団はクリアに浮き彫りにしていく。ここでそんな転調?とか、なんで唐突に楽想が変わる?といったところが、構成上はちゃんと意味がある「かのように」聴かせる。熱量が低いような書き方をしてしまったが、録音がクリアなステレオであり、その点で熱量が低いように聞こえるだけで、最後はしつこく盛り上がる。一度は聴いていい。
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