Darius Milhaud
ミヨーの得意とした複調性に代表される新鮮なハーモニーや、ポール・クレーデルの秘書として渡った南米での音楽経験を肥やしにした、自由で楽天的な旋律の創造は、ラヴェルの言葉を借りればまさに天賦の才と呼べるものであった。あらゆる分野のあらゆる規模の曲を残した多産家であるが、頂点は初期の6人組時代前後にあったともいえる。単純化・古典/アルカイズムへの傾倒があらわれた、短編歌劇や室内交響曲などごくごく短い曲の群れは、類希な美しい芸術的結晶であり、其の時代のフランスにおける最も優れた作品群である。反じて言えば作曲活動開始時よりほぼ独自の作風を確立していて、長い生涯はその純化や複雑化の循環に終始していた。とくに後年戦争のためアメリカに避難して後は、ロマンティックな傾向が強まるのと並行して凡作が増えたようである。戦後パリ音楽院に復帰したときにはすっかり時代遅れであり、メシアン門下のブーレーズらから攻撃される側にいたように感じるが、著作を読む限り晩年まで現代音楽に非常に好意的で、自身の作風とは別物であったようだ。教育者としてもヒンデミットとならび非常に優れており、日本人作曲家も多数学んでいた。 >
○ブダペスト四重奏団(COLUMBIA)
ミヨーの自伝にこの録音についての記述がある。
ここでブダペストQは相当困難なことをやってのけた。これは14、15番のカルテットを同時に演奏することにより成り立つ八重奏曲で、ミヨーの筆のすさびというか、バッハやモーツァルトの遊びの精神を持ち込んだというか、とにかくはっきり言って音が重なりすぎて律動しか聞こえてこないという珍曲である。ミヨーによるとブダペストQはとりあえず14番を演奏・録音したあと、全員がヘッドフォンをして、14番の録音を聴きながら15番をあわせていったのだそうである。ミヨーは戦後電子音楽にも手を伸ばす感覚の持ち主ではあったが・・・結果できあがったこの録音は、確かに前述の欠点はあれど、まさか同じ楽団が録音を聴きながら重ね録りしたとは思えない出来なのである。 音色はまったく調和し不自然さはない。そう聴かされなければまず気がつかないだろう。残念ながら曲は不発だが、ブダペストQに敬意を表して○ひとつ。
弦楽四重奏曲第14番
○ブダペスト四重奏団(COLUMBIA)
ミヨーのカルテットはいろいろある。ショスタコーヴィチのようにしかめ面なものもあればシェーンベルクのように不条理な?ものもある。その中でこの14番、ならびに姉妹作の15番は牧歌的で比較的わかりやすい作品と言えるだろう。いずれもイベールのように暖かな響きと快活な主題の躍動する明るい作品だ。14番は終楽章がいい。快活で楽しい音楽だ。ブダペストは音色が揃っていて巧い。曲の性格上ちょっとごちゃっとしなくもないが、作曲家お墨付きだけある演奏だ。
弦楽四重奏曲第15番
○ブダペスト四重奏団(COLUMBIA)
この15番は譜面を持っているが1パートだけ弾いてみると実にわかりやすい旋律性の強い音楽に思える。しかしあわせて弾いてみるとこれが重層的でわかりにくくなる寸法。ただ、ミヨーの中ではかなりわかりやすい作品であることは確かで、とくに1楽章ファーストがスピッカートで刻む旋律はささやかで美しい。尻すぼみな感じもあるが、暖かなプロヴァンスの田舎風景を思わせる佳品だ。演奏は非常に調和したもので技巧に走らず美しい。
※2004年以前の記事です