湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2017年10月09日 | Weblog
チェリビダッケ指揮ミュンヘン・フィル(mphil,BRllassik)1985/6/16live(24日とは別か)・CD

一楽章の遅さ、もたつきにイライラ。ミュンヒェン・フィルも慣れていない感がある。もやっとしてしまう響きがある。この曲についてはチェリはもはや最晩年様式といっていいかもしれない。プロコフィエフのような精妙な和声、複雑な構造を聴かせるならこのじっくりとやるやり方は良いと思う(どっちみちリズミカルな部分は駄目)が、二楽章も最初と最後と中間部こそチェリらしい凄まじい美しさだが、どことは言わないがここでそんな遅速でやるか?というところがあり、そこで音楽に大きな起伏がつくのに、起伏がつかず、最初から最後までただののんべんだらりとした美のみだった。三楽章、四楽章は良い録音のおかげで迫力があり、コンヴィチュニーらの世界に近づいている。四楽章は粘り腰の表現などチェリが解釈的に感情的だったころの香りが残る。フィナーレの巨大見得を切るあとは沈黙、ブラヴォ。これはホールで聴いた者の特権だろう。そこまでの凄さは伝わらない。
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ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

2017年10月09日 | Weblog
クーベリック指揮バイエルン放送交響楽団(VIBRATO)1961/11/23live

モノラルだが同曲に期待されるパッションを十二分に味合わせてくれる。十八番も十八番の指揮者に心得たオケ、音色のちぐはぐ感や堅苦しいテンポなどといったものは微塵もなく、故郷と故郷の凄まじい民族性をメカニカルなスコアの中からデフォルメに過ぎることなく引き出して、そのうえで音楽的に楽しませる。クーベリックにはしばしば一本調子のものがあるが、これはオケが素晴らしく手練なところをみせていて、指揮に依らず美しい。この盤は前に出たことがあるかもしれない。モノラルが大丈夫なかたならぜひどうぞ。
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