湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ファリャ:バレエ音楽「恋は魔術師」

2017年06月15日 | Weblog
ホルダ指揮ナショナル交響楽団(decca/dutton)1945/9/5・CD

今はなき(あるのだが)ダットンラボラトリーによる信じられない音質のレストアCDだが、硬質で色とりどりの宝石のような輝きを放つファリャ特有の響きを良く引き出している(ダットンではなくホルダが、と言っておこう)。こういうあるていど中まで見通せる録音でないと、ファリャの管弦楽の独特さ、というかどういうふうに「やるべき」なのかはわからない。新しい録音でも旋律やリズムだけに拘泥してしまっては構造や響き合いの恐ろしく個性的なところはわからない。ただの民族音楽になってしまう。ホルダはファリャと直接交流のある世代ではないがオーソリティーと扱われた人である。アメリカに移ってから活動したためお国ものとして扱うことにも躊躇があるが、しかしこういうふうにやってのけるというのは肌で理解できる血の流れていることを感じさせる。アメリカオケらしいオケだがそれほど腕利きというわけではなく、アメリカ中堅的なニュートラルさというか、少し固くもある。よくピアノ独奏で取り上げられる火祭りの踊りも、管弦楽版はみな少なからずそうなのだが音のエッジの立ち方がもの足りず、腰を落ち着けたテンポでぼわっとしてしまう。ただ全曲(抜粋?)の中においては適切な場所に適切な解釈で配置されているように聴こえる。ネガティブなことを書いてしまったが、きほんホルダのファリャは楽しい。日本にとっては終戦直後のアメリカ録音になるこれがこんなクリアでノイズレスに聴けるだけでも良し。
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☆ダンディ:フランスの山人の歌による交響曲(交響曲第1番)

2017年06月15日 | フランス
○ダレ(P)ヴォルフ指揮ラムルー管弦楽団(TIMPANI)1932初出・CD

アルベール・ヴォルフは比較的新しい指揮者だが録音を余り出さなかったため現在知られていないのが残念。だがこの即物主義的な指揮ぶりはパレーに近い強靭さを伴い一部のマニアには受けると思うのだが。ところでこの古い音でもラヴェル同等の聴感の新鮮さをあたえるとはダンディ、やっぱりなかなかです。無理のない構成感とリズムに和声変化がじつに心地よく、ドビュッシー初期にも影響をあたえているのだなあ、と思ったりもする。この録音は但しヴォルフの常で基本的に直線的ではあり、オケとソリストの古風だが楽しげな響きに助けられている部分もあるか。スピーディな演奏は好きなので個人的には○。

※2007/8/30の記事です
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☆ボリス・チャイコフスキー:チェロ協奏曲

2017年06月15日 | ロシア・ソヴィエト
◎ロストロポーヴィチ(Vc)コンドラシン指揮モスクワ・フィル(RUSSIAN DISC)1964/3/13モスクワ音楽院大ホールLIVE・CD

これは名演!ボリチャイは数珠つなぎの線的な音楽を書くが、ここでは点線でしかないオケ部を終始ソリストが実線でつないでいく、いわばソリストの音楽の効果音的補強をオケがやる、といった風情であり(曲名はチェロと管弦楽のための協奏曲、が正式名称だが)ロストロの見事に一貫した表現がともすると浅薄なカリカチュアのパッチワークになりかねない作品をきちんと音楽的にとりまとめている。とにかくこの大作をよくやりきった、というかんじだ。フィナーレ最後の音を吐き出すときの何とも言えない気合い声に並みならぬ力の入れ具合も窺い知ることができる。3楽章など乱れなくもないがそういうところで高いテンションでバックオケがサポートするあたりコンドラシンらしさもある。長大な新作にしては客席反応もよい。◎。

※2008/1/30の記事です
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プーランク:オーバード

2017年06月15日 | Weblog
フェヴリエ(P)ロザンタール指揮ORTF(ina配信)1965/1/14放送live

小編成オケを伴うピアノ小協奏曲でもともとのバレエ音楽として認識されるのは稀のコンサートピースである。朝のイメージが強いがむしろ重苦しい空気のある(筋書きが悲観的なものである)、プーランクのもう一面を顕したものとも捉えられる。ここでは加えて録音がおもわしくなく、ステレオだがくすんでノイジーで分離が悪く、ピアノの繊細な動きが十分に聞き取れない。フェヴリエは十分に手練れであるが正直その個性も「表現する技巧」ですらも、よく聞き取れないのが本音である。木管の素晴らしいアンサンブルのいっぽうブラスは少しふるわない。聴衆反応は良い。
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2017年06月15日 | Weblog
パレー指揮ORTF(ina配信)1971/1/27放送live

録音は放送ノイズがなくはないがまずまずのステレオ。パレーらしくもなく落ち着いたスピードで鼻歌すら交えながらしっかりチャイコフスキーを演じている。オケは決して万全ではなくホルンなど不安定な箇所もあるが、心に響いてくる「パレーらしくない」ゆったり、音のキレにこだわらず、心情的な演奏(ほんとにパレー??)。優秀録音のライヴだと違うのだろうか、パレーはチャイコフスキーのシンフォニーの録音をライヴ含め幾つも残していて、新即物主義の直線的なものばかりだが、これは違う。正攻法の歌謡的なチャイコフスキーであり、訴えかけるものを持っている…個性は減衰したとしても。二楽章もこのオケにしては感情表現ゆたか。とくに弦楽アンサンブルに著しい。かと言って突出することはなく木管アンサンブルとバランスがとれている。明るめで振幅の少ない音色でも、ダイナミクスとスピードで変化はできている(クライマックスでの高速インテンポはパレーらしい)。落ち着いたワルツ(ここでもパレーらしくもない弱音の柔らかさが意表をつくがさらっと拘りなく煽らない表現はパレーらしいところ)をへて、やや色調変化に乏しい雄渾な四楽章へ。細かい操作なくどちらかというと終始同じ調子でやってしまった、盛り上がりどころのはっきりしない構成感だが、よく聴くと内声の木管が変な音の切り方をしたりしているところまで聴こえて楽しい。クラリネットの音符を切り詰めた発音が心地良い。聴きやすいテンポでちゃんとごまかされず中身を味わえる。弦はやる気も体力も減退せず、やや一本調子の曲を飽きずに弾き通す(聴くこちらは少し飽きる)。大きな音のそのまんまマエストーソまで流していってしまう、クライマックスにはうーん、というところはある。ペットとホルンの淡々とした掛け合いからフランス風にあっさりさっと締める、だがブラヴォが飛びまくるのは良い演奏とみなされたのだろう。
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