湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

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ヒンデミット:前庭に最後のライラックの花が咲くとき~愛する人々へのレクイエム

2008年12月10日 | ドイツ・オーストリア
○作曲家指揮NYP他、パーカー(CA)ロンドン(B)(CBS)CD

録音はまずまずのステレオ。細部が明瞭でなく篭って拡がりもないが、初演もかくありなんという重々しい演奏で、面子を揃えただけあって精度も高い。ヒンデミットの音楽はアメリカの明るくはっきりしたブラスの音と職人的で力強い弦楽アンサンブルにあっている。原詩はホイットマンに依るがヒンデミット自身により編み直されている。原題の「愛する者たちへのレクイエム」ではなく「前庭に最後のライラックの花が咲くとき」と歌曲的題名で呼ばれることが多い。

だが内容的には必ずしも即物的に詩を楽曲に落としたものと言えない。音楽として聴くなら詩と切り離してマーラー的なオラトリオとして聴くとよい。稀有壮大なわりに薄いという部分も含め印象的には似たものがある。鈍重で長いとはいえ(暗くは無い)、第二次大戦後にかかれた作品に特徴的な単純性とロマンティシズムが反映され聴き易い。

独唱・合唱を伴う大規模作品ゆえにまとまりある演奏は難しいとされる。そもそもヒンデミットの大規模曲はいわゆる拡大された調性の再現が難しく、離れた声部が独立して動くように感じやすいうえ独自の変容を施された入り組んだ構造的書法を駆使するから難しい。しかしこの演奏は要だけ押さえ演奏家としてさすがのところを見せている。原詩はリンカーン、楽曲はルーズベルトの追悼作だが、それだけに留まらない広く死と戦争の余韻に満ちた演奏と聴ける。シニカルさは健在だが。

晩年のヒンデミットはアメリカに籍を置いていたが時代遅れの作曲家として教育活動と指揮活動に重心を置き、ヨーロッパに戻ってからは音楽家として不遇な最後を遂げたと言われる(葬送の映像が残っているが実に淋しい)。自身の作曲上の才気は戦前のナチとの衝突と前後して既に衰え始め、独自の理論や主義主張に忠実な職人的マンネリズムに落ちていった感がある。戦中亡命時アメリカという国にあわせて結果さらなる転向を余儀なくされていたこともあるようである。だが少なくとも現在ヒンデミットの理論は再び顧みられ一つの規範となっている。転向後の楽曲は専門家や演奏家が好む先鋭で難度の高い楽曲に比べ平易で取り付きやすく、全てを聴く必要は無いがわりと例外無く楽しめるものである。
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