湯・つれづれ雑記録(旧20世紀ウラ・クラシック!)

※旧ブログの一部コラム・記事、全画像は移植していません。こちらのコンテンツとして残します。

ラヴェル:ピアノ三重奏曲

2007年08月09日 | ラヴェル
○プルデルマシェ(P)ジャリ(Vn)トゥムス(Vc)(EMI)CD

クラシカルなピアノトリオ編成の演奏としては珍しく、主張のし合いで衝突したり、逆に機械的に客観的態度を貫くようなこともせず、アンサンブル的なまとまりがある一方で熱気があり素直に盛り上がる。入り込み易い。フェヴリエの繊細さに溌剌とした動きとスピードをくわえたラヴェルの権威プルデルマシェールはやはりいいし、弦楽器ふたりも決していい楽器で高度な技巧を示すのではなく素直に音楽に腕をゆだねている(このヴァイオリンの音はいい音とはいえないが羊の腸の音がする。古ぼけていて「私は好き」、たぶん私の音を聴いた人はそうだろうなとか言うだろうなあ)。CDはやはりデジタル化により音が痩せて金属質になってしまうから、やや旧いアナログ録音の演奏を聴くには適さない。この音はアナログ向きだ。○。HMVだと1000円切ります。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/1977437
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チャイコフスキー:交響曲第5番

2007年08月09日 | チャイコフスキー
ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィル(MELODIYA他)1982/11/6live・CD

生気のない演奏ぶりでどうにも面白みが見出せない。ムラヴィンスキーには解釈はそのままに痩せて弱体化してしまったようなふうの演奏がたまに聞かれるが演奏者側の都合かたまたま録音状態が悪かったのか。オケがいかにもロシアオケの悪い部分を強調したような、しかもレニフィルの良い部分が余り出ていないという、何か別の指揮者がムラヴィンを真似て振ったようなスカスカで不恰好なところが何なのか、テンポ設定もいつもどおり速いが、人工的な感じを与える「らしくない」ものとなっている。最近変な海外レーベルでCD復刻されている。無印。
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サイトのゲストブックに書き込みいただいたかたへ

2007年08月09日 | Weblog
yahooはメンテがきわめてしにくい環境のためスパマーの英文に汚され気づきませんでしたが、放置中いくつかコメントいただけていたようでした。ここで感謝と返礼のなかったことのお詫びを申し上げておきます。ありがとうございました。

とくに何故かハチャトゥリアンとカバレフスキーを勘違いして書いていた点指摘いただいたかた、私など足元にも及ばないオートグラフコレクターのかた、ありがとうございました。ミラーリング先やまとめ一覧表など修正がなかなか困難な状況にありますので記事自体しばらくあのままになってしまいますが、有名な録音ですし間違えて買わされたと怒られることもないだろうからいいかとも思ってしまいました。そのうち時間があったらやります。

では。
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ラヴェル:スペイン狂詩曲

2007年08月09日 | ラヴェル
○ストコフスキ指揮フィラデルフィア管弦楽団(PEARL他)CD

ストコはいまひとつブレイクしないが絶対に時代が来る。いやマニアにとってはもう当然の確固たる地位を占める芸人もとい解釈者である。この昭和初期の録音を聴いて目覚しい色彩を感じることができる、ソリストの異常に感傷的な節回しと楽団の凄まじいアンサンブル力、その地力がストコによって開放されている。ロマンティックに過ぎるから嫌われたのかもしれない。でも、この時代はロマンティックの表現を「未来へ向かってどうシフトさせていくか」が芸人もとい指揮者の命題でもあったのだ。それが即物主義の方向に傾きすぎてしまい、純音楽的には面白くても、それは音的に面白いだけで音楽の楽のほうをすっかり忘れてしまったようにとる人たちが快楽主義的音楽の方向に逃げてしまったのがコンサートホールの惨状なのである。これは今もって聴くとちょっと感銘を受けてしまう。独特の名演奏なのである。アメリカだ。
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シベリウス:ヴァイオリン協奏曲

2007年08月09日 | シベリウス
○シェリング(Vn)ストコフスキ指揮アメリカ交響楽団(VENEZIA)1970/11/3live・CD

シャープで無色透明の演奏をするイメージがシェリングにはあり、それが弱みにかんじることも無意思的にかんじることもある。音の線の細さもとくに大管弦楽をバックにした演奏記録では埋没するというか弱みにとれてしまう。たとえばシマノフスキの二番なんてウィウコミルスカなどに比べて弱弱しく解釈もしない、技巧的にも物足りない「優等生のよくできた回答」みたいな感じがあり余り好みではないのだが、ここでストコ・ASOというきわめて強力な布陣のもとにシベリウスを謳歌するさまはとても同じ人とは思えない・・・いや、清潔な音や技術の正確さは確かにシェリングだが・・・熱情と活気にあふれ、この厚ぼったくロマンティックでありながら非常に新しい技巧のつぎ込まれた傑作協奏曲への共感と理解がこのソリストには確かにあり、楽章間でいちいち入る拍手と最後のフラブラを除けば、もひとつ録音の弱さを除けば、私の聴いたことのある中でも最高のシベコンであり文句なしに◎にしていたところだろう。拍手したがる気持ちもわかるのだ!
Comments (2)
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