前回から使用させて頂いています上の絵は、敬愛する立花大敬先生が描かれたものです。お目にかかると、ほんとうに心地のいい、そばにいるだけで、イヤ遠くにいても同じ部屋にいるだけでも、先生の心地のいい波動が伝わって来て心身が緩んでいきました。
先生は、「自分のダメさ、弱さ」を究極に受け入れて、本質と一体になることでご自分を昇華させた方だと私は感じています。
(Youtubeでも先生の動画を見られますが、動画ではこの感覚が伝わりにくいのが残念です。最近のものでは、音声だけですが「立花大敬 音声講義Vol.1 『コロナと太陽と日本人』」があります。物理の先生ですが、機械は苦手なようでご自分で録音される時に、最初オロオロされていますが、それも隠さずにお話されているところがいいです。強くなくてもいい、弱くてもいい。出来ても出来なくてもいい。それをありのまますべて受け入れて、自然のまま、そのままでいいのです(*^_^*) )
ご著書には、『2万人の人生を変えた23通の手紙 ~夢をかなえる「いちばん簡単な考え方」』、『あなたの夢を実現する 人生飛行術』、『古事記開運法 ~日本最古の書からの真のメッセージを知れば、神様はあなたを助けられる!』など多数あります。
大敬先生のプロフィールです。1948年、大阪府生まれ。大阪大学で生物工学を専攻。在学中の19歳から禅の世界に入門し、曹洞宗の内山興正師や臨済宗の角倉蘿窓師などに指導を受ける。42歳の時に伊勢神宮で奇跡体験を経て洞察眼を得る。以後、神道の研究も深め、神社神職にも支持者が多い。1993年には久留米大学附設高校の物理の教師となり、その後、同校の教頭職もつとめた。20年にわたり、『元気アップ禅の会』で実践指導に携わる。(この高校は全国トップクラスの難関国公立・私立大学へ毎年多くの合格者を輩出していて、卒業生にはホリエモンこと堀江貴文さんやソフトバンクの孫正義さんがいます。先生は禅の宗派に入門されていましたが、今はどこにも属していなくて、宗教も宗派も包み込んで、それをも超えたところで真理を体現しておられます)
先生のご著書の中ではよく「想いの実現」の話が出て来ますが、『元気アップ禅の会』でも以下のようなお話をされています。
わかりにくい部分もあると思いますので、最初に少し要約をしますね。
人間の運命や想いの実現においても、ニュートンの運動の法則が当てはまります。①[力]=②[質量]✕③[加速度]です。①[力]=意志の強さ ②[質量]=心の重さ ③[加速度]=想いの実現のスピード、運命転換の度合いという感じになります。これを踏まえて先生のお話は進みます。
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『(これを)人間の運命に適用すると[加速度]が大きいほど運命の方向転換が大きくなります。だから、「運命をこう変えたい!」と思ったら変わります。
[加速度]の大きさは何で変わるかというと、[質量]です。同じ[力]でも[質量]が大きいと[加速度]は小さくなります。
だから、[質量]が小さくなるほど[加速度]は逆に大きくなって、人間の運命でいうと、[加速度]が大きくなれば想いを実現するスピードは速くなり、運命も大きく方向転換できるようになります。
では、心の世界では[質量]は何に相当するかというと、心の重さです。
重たい心だと[質量]は大きくなり、軽い心だと[質量]は小さくなります。
では、[力]というのは、心の世界では何に相当するかというと、これは意志の力です。「こうしたい」という意思の力が強いほど、[力]は大きくなります。
そしたら、運命転換と実現のスピード[加速度]も大きくなるんですけど、どれだけ意志の力[力]を大きくしても、心の重さ[質量]が大きいと、「運命は全く動かない、全く方向変えることができない」ということが起こります。だから、心の重さ[質量]を小さくしたらいいんですね。
日常生活では「[質量]が大きくて、なんぼ力を加えても、意思を強く持とうとしても、方向を変えられない」ということがあるでしょう。(それと同じです)』
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ちょっとわかりにくいかもしれませんが、要は『心が重たくなっていると運命が変わらない、変えることができない』ということです。ですから、『心を軽くしましょう。そうすると、こうしたいという意志の力が強くなり、運命を変えることができますよ』ということで、そのために大敬先生は坐禅を勧めておられます。
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『坐禅の世界に行くと重荷が降ろされるので、地上の重荷のない世界で方向転換を達成して、地上に戻ってくることができます。そうすると、地上世界に戻ってきてまた重荷を背負っても、運命の方向転換は達成されているので良い方向へと向かっていきます。それに坐禅をしていると心がほどけて軽い心になっていって、日常での[質量]もどんどん小さくなっていくのです』(そして、)『重たい心は冷たく暗く頑なな心で、軽い心は暖かく明るく柔らかい心です』(とおっしゃっています。)
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大敬先生の坐禅の会は、東京、京都、福岡で開催されています。(現在は新型コロナの影響で休止中)
私も坐禅を行ってみたいのですが、近くでの開催がないためなかなか行けません。「では近くの禅寺でいいのでは?」と思われるかもしれませんが、警策(きょうさく)という棒でバチンと肩を叩くやり方のものは私個人としてはイヤなのです。大敬先生の禅のやり方は、緩みながら思うように自由に座るというやり方ですから警策はありません。先生はこれを大敬式禅と呼ばれています。(禅宗では「公案」という問題を解いていくことで既成概念を壊していくという方法をとります)
要は、自分の内側の深いところにつながっていけばいいのですから、個人的には禅も「瞑想」であると思っています。
瞑想で一般の方ができる方法でいいますと、以前にこのブログでもご紹介しました「マインドフルネス瞑想」が気軽にできるものだと思います。また、私が38年前に習った「超越瞑想(TM)」もとても有効な瞑想法ですので、お勧めです。(超越瞑想につきましてはネットで検索してみて下さいませ)
超越瞑想(TM)は一度、「TMを教えるための教師になりませんか?」とその先生からインド占星術を観ていただいた時にお誘いを受けました。占星術でもそのための資質がハッキリと出ていたようです。光栄なお誘いだったのですが、今の仕事も行っていましたので実現には至りませんでした。教師になっていれば、また違った人生が広がっていたかもしれません(*^_^*))
話を元に戻しますと、大敬先生は坐禅(瞑想)で至る境地を以下のような表現でされています。
これは、著書「大敬先生《しあわせ通信》第五集 楽々 いのち」の巻末に載っていた久留米大学附設高校での生徒からのインタビュー記事です。『宗教をちゃんと考えることから逃げまわっていたぼくらへ』というテーマで色んな先生にインタビューした中の大敬先生の回ですが、これがとても深いです(^_^) 大阪弁すごいけど・・・(^_^;)
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『(イ=インタビュアー)
(前略)
イ:さっきからいまいち掴めてないんですが、禅をやってる人にとっての神っていうのは何なんですか。大自然の流れのようなものであって、拝んだりする対象はないということですか。
大敬:そうよね。坐禅するやろ、そしたら、変ないい方やけど、宇宙の回転軸がわかるわけよ。どこを中心に回転しているかいうのが何となく感覚的に掴めてきて、その回転軸と自分の肉体の中心軸がピタッと一致した時に、すごい、何ていうの、いい感じ(笑)。いい感じになるわけよ。だから、宇宙の回転軸(中心軸)、それが神やで。その神と僕が一体化するっていう神人合一。それはキリスト教でもイスラム教でも言うし、全然変わらない話だと思う。だから方法論としてスーフィー(イスラム神秘主義の一派)みたいに体を回転させることによって宇宙の回転軸を発見するというやり方もあるやろ。坐禅は座ることによって回転軸を発見していく。キリスト教なんかの祈りの場合は、急に宇宙の回転軸とか言われてもわからんから、基本的にまず外におくわけよ。神として人格化して。そして自分がここにおって、その神と対話して祈ることによって、命を一つにしていって、最終的にはピタッと軸を一緒にする。まず外に人格化するっていうのが心理学的におもしろいやり方だと思う。自分の中にある要素っていうのをまず外に見てみて、それと対話をすることによって一つになっていくっていう。まず一回外に置いて自分と切り離したほうが、本質がよく見える。例えば、仏教で観音様とかいうけど、そんなん最終的には自分のことやねんけど、一応外に置いといて、自分のようなエゴの多い人間と切り離したすごく聖なるものを一回作っといて、それと話ができるようにしといたら、向こうはどう言う、こっちはこう言うっていうように対話することによって、段々ひとつになっていく。内にあるものを外在化する、そういうやり方。キリスト教もそういうやり方の一つやと思うけどね。
イ:はあー。宗教というのは自分を見ていくための方法ということですか。
大敬 そうやね。最後は〈自分が自分である〉っていうところに落ち着くんやと思う。そのためにいろんな神話が必要になるわけや。禅には禅の神話があるし、キリスト教にはイエスの神話があるし、イスラム教にもあるし。今はほんと、まやかしみたいな宗教がいっぱいあるから、不安がられてるけど、やっぱり人類の一つの文化やんか、宗教って。だからこれを無視はできんよね。
(中略)
イ:(禅は)初めが自己否定ということからして、自分も全体の流れの中の一点という意識が強いんですかねえ。個としての人間と社会の中での人間という、人間の二面性のうちの後者を重視しているってことなんでしょうか。
大敬:うんっと。社会っていうのはもう人間の中の認識で作ってる世界だと思うんよね。
イ:ああ、確かに。
大敬:僕の言ってる流れというのはもっとでっかくて。社会っていうのも一つの約束事で、それを取り外したところでもっと大きな流れがあって、その大きな流れの中心というのがある。それが実は自分であるっていう…。最初は別々かもしれんけど、最終的には「個」っていうちっちゃなちっちゃな、宇宙の中のほんとどうしようもない、こんなおってもおらんでもいっしょのような感じだけど、坐禅してるとわかってくるのは、実は大きな大きな流れの中の中心が自分やったんやと、そうなってくる。でも、大きな流れの中心が自分だといっても、その自分も本当は無いんだと。何でって、渦巻きがあったとして、真ん中は中心になる軸や核のようなものは何もないやろ。ただ渦巻きがあって、真ん中に虚空があるというかね。』
転載終わり-------------------------------------------------------------------------
大敬先生のお話はおもしろいです。私は好きです!
その通りだと思います。行き着く先は、『自分』しかいないのです。
「私」がありのままの「私」であること。
そうであることだけで、
たったそれだけで、
私(あなた)は世界に貢献しているのです。
あなたがあなた自身になられることをお祈りいたします。
ホリスティック・セラピー研究所 http://holistic-ti.com