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暴走しているのは誰か=山田孝男

2011年05月11日 | スクラップ

 

 


 なるほど、浜岡原発の全面停止は中部圏の生産や雇用にマイナスの影響を与えるだろう。脱原発の世論に弾みをつけ、他の原発に波及するに違いない。だが、それはとんでもない暴走だろうか。「何がなんでも電力消費」の本末転倒こそ暴走というべきではないか。

 


 いま、福島では、原発周辺の10万人近くが住み慣れた土地を追われ、職を失い、途方に暮れている。残った人々も放射性物質による空気と水と土壌の汚染におびえ、農作物も魚も肉も売れない。風評被害は近県どころか全国に及び、しかもなお、原発は制御不能だ。

 


 なるほど、福島とチェルノブイリは違う。チェルノブイリは核分裂進行中の事故だが、福島は核分裂の停止後だ。核燃料の余熱の冷却ができないケースである。だが、この余熱がクセものだった。たかが余熱のはずがこの騒ぎだ。


 

 電気が通い、冷却さえできれば大丈夫と東京電力は言う。福島原発震災の最大の教訓は冷却電源の喪失だというのが、原子力安全・保安院と東電の一貫した考え方である。


 

 一方、多くの国民は、無言のうちに別の教訓を学んだ。原発から生まれる放射性廃棄物の害毒と制御の難しさである。それは、かねて反原発派の常識ではあったが、いまや国民世論に広く深く浸透した。


 

 いま、各地で、フィンランドの放射性廃棄物・最終埋蔵処分施設「オンカロ」に迫るドキュメンタリー映画「100,000年後の安全」(09年、原題「into eternity」)をやっている。宣伝なしの緊急公開だが、配給元の予想を上回る反響で、連日満員の盛況という。


 

 オンカロは世界で唯一、現実に建設が進む使用済み核燃料の最終処分施設である。エネルギーをロシアに頼るフィンランドにとって原発は安全保障上の選択であり、廃棄物永久埋蔵の国民合意に達した。


 

 だが、高レベルの放射性廃棄物が無害になるまでには10万年の歳月を要するという。かつて、それほどの時間に耐えた建造物はなかった。戦争、内乱はもとより地殻変動や洪水が起きないと誰が言えるか。


 

 第一、数百年先の文明、言語さえ想像を超えている。埋蔵物の危険を子孫にどう伝えるか。やはり、無理な計画ではないのか。カメラは執拗(しつよう)にこの主題を掘り下げてゆく。


 

 日本は使用済み燃料の再利用循環(核燃料サイクル)と、その過程で出る廃棄物の最終処理をめざしているが、道筋はついていない。不確定という点でフィンランドよりはるかに無責任な状況なのに、大量の使用済み燃料を吐き出している。それでいいのだろうか。


 

 なるほど、首相の発表は唐突だった。「ウケ狙いのパフォーマンス」「奇策で政敵の機先を制した」などの解説は政局の機微に触れてはいるが、問題の核心とは言えない。


 

 問題の核心は、何がなんでも電気をつくり、使い続けようという人々と、流れを変えようとする人々の綱引きだ。全原発の即時停止が非現実的だということは誰も知っている。「危険な原発は他にもあるから浜岡を止めるな」は通らない。危険なら他の原発も中期的に抑制するのが当たり前だろう。


 

 これは、福島の、あれだけの惨状を直視して原発依存を見直そうという常識と、福島を見くびり、過去の惰性に開き直る時代錯誤との戦いである。首相の次の一手に注目する。

 

 

 

 


毎日新聞 2011年5月9日 東京朝刊

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