早大スポーツ科学学術院の友添秀則教授(スポーツ倫理学)は学生たちによく話しているという。
「スポーツは安泰な文化ではない。500年前にはなかった。あぐらをかいていると、500年後にあるかどうか分からない。後世、スポーツは近代という時代に特有の文化形態だった、ということになるかもしれない」
スポーツの原点である公平・公正を揺るがす行為が国内外で、まかり通っている。禁止薬物で肉体を改造するドーピング、選手や弟子に対する暴力(しごき)、身内の肩を持つ笛(判定)、制度の盲点を突いた選手獲得……。
スポーツを次代につないでいく種まきの作業として、友添教授は、ニュージーランドやカナダなどで小中高生を対象に実践されている「フェアプレー教育」に着目する。オリンピックを侵食する勝利至上主義への嫌悪感や危機感が導入のきっかけだ。
授業前、子どもと教師は「よいプレーやプレーヤーを認め、称賛する」などと書かれた同意書に署名する。そして、試合や練習を通してどのプレーがフェアで、どれがフェアでないかを考えるのだ。
他の人の失敗を責める。技能の低い人をからかう。勝てば満足するが、負ければふてくされる。以上の行為はルール違反とは言えない。だが、マナーを欠けば、尊敬は得られない。「書かれていないルール」は存在する。
正々堂々や公明正大に象徴される精神性や美意識を取り戻さなければ、500年を待つまでもなく、スポーツは世の中から葬り去られているかもしれない。
毎日新聞 2008年2月16日 0時05分
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます