◇「急患拒否」報告・開示制度を 危機感・情報共有し連携図れ
「妻が死をもって浮き彫りにした問題を、力を合わせて改善してほしい」。脳出血を起こした36歳の妊婦が10月、東京都内の8病院に受け入れを断られた末に死亡した問題で、涙をこらえて気丈に語った夫(36)の姿が忘れられない。その言葉にどう応えればいいのか、厚生労働省の担当記者として自分なりに考えてきた。
いくつかの問題点と解決策は朝刊の連載「医療クライシス」(12月9日から3回、東京、大阪、中部本社版)で示したつもりだが、取材して強く感じるのは、産科救急医療の危機的状況が、現場の医療関係者以外に十分に伝わっていないことだ。不祥事を隠すな、という意味ではなく、再発防止策を皆で考えるために、一定の「受け入れ拒否」事案を報告・開示する制度の創設を求めたい。
私は今回のケースに、現在の産科救急医療体制の限界を感じている。
日本の乳児死亡率は1000人当たり2・6人(06年)と世界一低い。経済協力開発機構(OECD)加盟国中最低レベルの医師数でそれを成し遂げたのは、産科医同士が緊密な連携を取り、独自の救急ネットワークを作ってきた努力のたまものと言っていい。
仕組みは地域で異なるが、東京では都内を8ブロックに分け、命の危険がある患者は各ブロックの総合周産期母子医療センターが受け入れ、無理な場合はセンターが別ブロックの病院を探す取り決めだった。「最後のとりで」の総合センターが受け入れを断ってもいいことになるが、「満床で無理に受け入れるより、空いている施設を使った方が安全」という考え方は、それなりの合理性がある。
ただし、このネットワークは、医師や病院に余裕があってこそ成り立つ。リスクの高い低体重児が生まれる率は30年間で倍増したのに、産科医数は最近10年で1割以上減った。病床が満杯で受け入れ不能が多くなる一方、救急隊が受け入れ先を探す一般救急と違い、通常はかかりつけ医がいる産科の救急では基本的に医師個人が病院を探すため、産科は患者を診ながら病院探しもしなければならない。
過酷な勤務で産科医が減り、残った産科医の負担がさらに増す悪循環。都内の総合センターは、母体搬送の5~7割を断っている状態だった。今回のような悲劇はいつでも起こり得た。
問題の根本が、医師数の絶対的な不足にあるのは間違いない。だが、ネットワークが破綻(はたん)しないよう、できる工夫もある。開業医の活用、救急など他診療科との連携、搬送先を速やかに決めるための調整役の配置などだ。しかし、都も厚生労働省も、結果的に有効な手を打ってこなかった。
その背景には、行政の認識と情報の不足があると思う。例えば医療事故は、厚労省所管の財団法人「日本医療機能評価機構」への報告が、大学病院などに義務付けられている。報告が少な過ぎるとの指摘もあるが、機構は事故情報を整理して医療機関に伝え、再発防止に役立てるという形はできている。
だが、急患の受け入れを断ることは医療事故に当たらないため、行政にも機構にも情報は上がってこない。しかも、一般救急なら救急隊を持つ消防本部がある程度全体像を把握できるのに対し、医師個人が病院を探す産科救急では全体像が見えにくい。表面化するのは事例の一部に過ぎない。
「急患受け入れ拒否」が報道されると、医療界の一部から「医療崩壊を助長する」といったメディア批判が必ず出る。それは筋違いだと思う。誰かに強引に責任を押しつけるような報道は慎むべきだが、報道がなければ関係者は危機感を共有できず、再発防止策も立てられないからだ。また、医療を受ける側に、地域の産科を守る自覚と配慮を促すためにも、現状を積極的に知らせる必要がある。
厚労省は、受け入れ先が決まらなかった患者が死亡したり重い後遺症が残ったケースについて、医療機関に自治体への報告を義務付ける法整備や行政指導に乗り出すべきだ。「搬送に1時間以上」「拒否が5病院以上」のような線を引いても構わない。報告があった事案は、各都道府県に設けられている周産期医療協議会で検証し、結果を遺族や患者本人に伝える。国民にも匿名の形で開示するのが望ましい。
都内のある救命救急センター長は、産科医療を「閉じた世界」と表現した。現場の産科医に任せるだけでは、今後、ネットワークの維持はますます難しくなる。体制立て直しの第一歩として、行政と医療界全体で情報の共有化を進めてほしい。
毎日新聞 2008年12月18日 東京朝刊
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