窮地に立たされた当時の森喜朗総理を救うために書かれた「指南書」。そこには厳しい質問が予想された記者会見について、「(記者の)質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません」と書かれ、政権の延命に記者が手を貸すものだった。その詳細は「窮地に陥った首相に政権延命の策を指南した記者がいた」を参照して欲しいが、この問題は西日本新聞によって報じられ人々に知られることとなる。今回、書いたのはNHKの記者だとする複数の証言が得られたが、NHKはそれを否定している。
■「記者の矩を完全に超えている」と筑紫哲也氏は語った
NHKの官邸キャップが反応したことで、いわゆる「裏取り」、つまり事実関係の確認作業は一定の成果を得ることとなった。加えて、それはNHKへの通告となった。つまり「指南書」を報じるための準備が最終段階に入ったということだ。 官邸キャップの長谷川氏の了承を得て、宮崎記者は先輩記者と2人で「指南書」の記事を書き上げる。先ず、一面本記。そして社会面への展開、そして識者コメント。スクープ記事を出す際の新聞記事の準備だ。 識者コメントはTBS「ニュース23」の筑紫哲也氏からとった。当時、番組を担当していた金平茂紀氏も立ち会う中で、「指南書」を見せてコメントをとった。加えて、NHK政治部出身で椙山女学園大学教授だった川崎泰資氏と、米NYタイムズ東京支局のハワード・フレンチ支局長にもコメントを求めた。
自身も朝日新聞で政治部記者だった筑紫氏は次の様に話した。
「指南書の一番の問題は「質問をはぐらかせ」とか「時間を打ち切れ」とか、記者としての矩(のり)を完全に超えていることだ。記者が本来やるべきことと反対のこと、つまり権力者の側に立っている。政治権力と癒着し、感覚が麻痺している」
川崎氏は、「文書の内容から見て森首相に近い派閥記者が首相サイドに渡す目的で書いたものに間違いないだろう」と指摘。 最も厳しいコメントを寄せたのはフレンチ東京支局長だった。
「記者が書いたものなら、非常に恥ずべき行為をしたことになる。仮に、ホワイトハウスの記者室で同様の文書が見つかれば、即座に(会社から)解雇されるだろう。米国内の各方面で大反響が起きるに違いない」。
宮崎記者は特に「記者としての矩を完全に超えている」との筑紫氏のコメントに我が意を得た思いだった。フレンチ東京支局長(当時)のコメントは、アメリカのメディアの常識から見た当然のコメントだろう。
■コラムなら良い
さて、原稿の準備は終わった。そして、予期せぬことが起きる。
「本社の偉い人が 『記事にしたら駄目だ』 と言ってきたんです。 『これは載せられない』 と」
官邸キャップからそれを聞いた宮崎記者らは編集局幹部に電話で直談判する。最終的には、「コラムなら良い」となった。要は、「メディアの内輪の話を公器である新聞で書くのか?」ということだった。それで折衷案として、「コラムなら」となったわけだ。
既に、筑紫哲也氏は西日本新聞の報道を踏まえて 『多事争論』 で取り上げることが決まっている。テレビ朝日もニュースステーションで扱うことが決まっている。
「コラムでは自分は書きません」、宮崎記者は長谷川氏にそう言った。 しかし、「指南書」の記事化が困難だったのは西日本新聞だけの話ではなかった。実は宮崎記者は、官邸記者クラブの複数の社に一緒に報じないかと声を掛けていた。九州のブロック紙だけで書いても影響力が限られていると考えたからだ。しかし、何れからも難色を示されている。
「うちは書かない」
「うーん、その話にはのれんなぁ・・・」
ある社は、「実はうちもその文書を持っている」と明かした。「指南書」を持っているという。どうやら、感熱紙がコピーされて一部の社の手には渡っていた様だ。それでも書かないと言う。
これらは何れも当時の自民党政権に厳しいとされるメディアからの反応だった。つまり、「政治部村の掟」を破る社はいないということだ。そういう意味では、「指南書」を書いたメディアも他のメディアも、実は政治部村の掟の世界で生きているという点であまり変わらないということだ。
宮崎記者は、それでも納得できない。「コラムでは書かない」との主張を変えなかった。「これは一面で書くべき話だ」という思いが有る。その時、官邸キャップの長谷川氏が言った。
「コラムでも、出さないより出した方が良い」
これは「どのような形であれ、自分たちの紙面で書く」という長谷川氏の思いから出た言葉だった。加えて、衆議院の解散目前の時期だったこともあった。記事掲載のタイミングがこれ以上後にずれれば、総選挙の情勢に関心が移る永田町の雰囲気の中では関心を集めにくくなる。なんとか解散の前に最初の一報を何れかの形でも出し、その上で次の展開を探りたい・・・そう考えたという。 コラムは官邸キャップの長谷川氏が書いた。そして、2000年6月2日の紙面に掲載された。そのコラムを紹介する形でTBSの「ニュース23」とテレビ朝日の「ニュースステーション」が報じた。 ブロック紙の西日本新聞の記事がネットで全国に読まれる今の時代とは違う。このため、このコラムを読む人間は福岡県を中心とした九州地方の読者に限られていた・・・筈だった。しかし影響力の有るテレビ番組が「コラム」の存在に触れたことから、事態が動き出す。
■流れが変わり記事化へ
この時の西日本新聞の編集局内でどういう議論が有ったのかは確認できなかったが、当時を知る西日本新聞の関係者は次の様に話した。
「この時期、新聞各社の社長が集まる会議が開かれていて、報道の翌日、その会合に出ていた西日本新聞の社長が各社の社長から、『コラム』について好意的な意見を言われたという。それで、社長から編集局に、『これは徹底的にやりなさい』との指示となった」。
長谷川氏も宮崎記者も、その点については明確な記憶が無いと話した。しかし、流れが変わったことは間違いない。長谷川氏は、普段は現場に顔を出すことの無い東京支社長が官邸記者クラブに顔を出して、「長谷川君、これいいね」と激励に来たのを覚えている。東京支社長が現場に来るのは極めて珍しい。 そして、記事での展開が決まる。「指南書」も全文を掲載。勿論、筑紫哲也氏等3人のコメントも掲載。そして、指南書は「事件」となった。
予想通り、週刊誌が飛びついた。週刊誌は容赦しない。西日本新聞はどこのメディアとは書いていないが、週刊誌はNHK記者だと報じ、書いたと目される記者への直当たりを試みるなど報道はヒートアップする。そうした中で、NHKは海老沢会長の否定会見となる。 しかしそれでは終わらない。同志社大学教授だった浅野健一氏ら識者が官邸記者クラブに事実関係を究明するよう求める質問状を出した。このため、記者クラブ総会が開かれる事態となる。
しかし、結局、記者クラブとしては「指南書」がどこの社の誰が書いたのかは特定しないという結論となった。宮崎記者はその経緯も続報で伝えた。すると、官邸記者クラブの幹事社から、「なんでこんな記事を書いたんだ」とつめ寄られたという。 宮崎記者、否、私の目の前にいる宮崎氏が当時の状況を語り終えた。私がテレビ西日本に来て既に1時間半が経っていた。一気に話し終えた宮崎氏。一呼吸終えてペットボトルの水を口に含んだ。その話は、細部まで再現できそうな内容だった。その内容に圧倒された。
■NHK政治部記者とは
取材の終わりに宮崎氏が語った。
「NHKの政治部記者が持っている情報は凄いんですよ。他の大手メディアの3倍くらい有ると思う」
そして続けた。
「でも、書かない」
書かないから情報を得られるということも有るのだろう。ある新聞社の政治部OBからこんな話を聞いたことが有る。
「裏コンていうのが有るんですよ。その参加メンバーを決めるのは多くのケースでNHKの記者なんですよ」
裏コン・・・。裏の懇談ということだ。総理大臣との各社政治部記者との懇談が問題になって知られるようになったが、政治部取材は懇談という形式をとることが多い。これは総理大臣は勿論だが、官房長官なども基本的に全ての社の取材を次から次に受けられないという状況で、懇談で各社一緒に取材するという形式になったという。
ところが、これはあくまで表の話だ。それとは別に一部の社だけを集める「裏の懇談」つまり、「裏コン」がある。誰を集めるか?メディア側からすれば、「誰が参加できるか?」その多くで、NHK記者が仕切っていたという。つまり、誰が参加できるかをNHKの記者が決めるということだ。それだけNHKの記者は政治家から信頼されているということだ。 そこにはNHKの政治部に特有な行動形態が有るのかもしれない。NHKの政治部は徹底的に記者を政治家個人につける。NHKに記者で入って地方局で取材経験を積んで政治部記者になる。すると、自民党を中心に与野党の有力議員を任される。 すると、その記者はその政治家につく。はりつくという表現がそれに近い。そして、それは仮に政治部を離れても続く。政治家からすれば、最も信頼できる存在ということになる。「裏コン」に誰を呼ぶかを、つまり誰は呼んでも安全かを決める役回りとしては適任ということになる。
私自身の経験を書く。私が社会部で環境省を担当している時、NHKスペシャルに当時の小池百合子大臣が出ることになった。私がNHKの正面玄関で大臣の到着を待っていると、報道局長も玄関に顔を見せたが、それだけではなかった。かつての小池番の政治部記者も顔を見せていた。すると何が起きるか。私にはピリピリした態度しか示さない小池氏の表情が緩み、「あら、久し振り」と饒舌になる。なるほど、と思った瞬間だ。
もっとも、これはどの取材現場でもあることだ。取材する側とされる側の間に信頼関係が生まれることは悪い事ではない。しかし、話はこれにとどまらない。その関係が、政治部どころか記者職を離れて管理部門に行っても続く。既に報道に関わっていない部署に行った元政治部記者がNHKの正面玄関にいるのを見かけて、「何をしているんですか?」と尋ねると、「これから来るんだよ」と言う。以前に担当していて政権の幹部になった政治家が来るという。その時の表情には、「大変だよ」という思いとともに、「これが俺たち、政治部記者なんだ」という一種誇ったような感情が読み取れた。
こうした対応は、過去には新聞社も行っていたようだ。しかしそうした特別な関係が政治との癒着ではないかと問題視されて徐々に無くなっていったという。ある新聞社の政治部キャップは、「今時、そういう対応をとっているのはNHKだけです」と話した。そのキャップは、「それができる体力がNHKにしか無いということかもしれません」とも話した。 「時間と距離は反比例する」との言葉をNHK政治部のOBに言われたことがある。長く付き合えば互いの距離は近づくという話だ。しかし、それは取材し重要な情報を報道するための行動な筈だ。こうなってくると取材のためなのか、何のための「距離」なのかがわからなくなってくる。
■「指南書問題」に関するNHKの見解
NHKにあらためてこの「指南書」について問い合わせた際の回答だ。この記事の前編にあたる前回に続いて掲載する。
「2000年(平成12年)の会長会見で、『内部調査を行ったが、そうした事実は無かったと聞いている』とお答えしています」
「指南書」を書いたとされ現在、幹部職員となっている元記者への取材を求めたが、「職員個人への取材はお断りします」との回答だった。
前回も書いた通り、既にこの公式見解はNHK政治部OBの発言からも、事実とは考えにくい。私が取材をしている中でも、NHKのある記者によって書かれたとの前提で語られている。その上で、「指南書の何が問題なのか?」と逆に問うOBもいた。
「政治家に指南できない政治部記者なんて、要は取材していないに等しいということだ」
私が、「指南は悪くはないということですか?」と問うと、「勿論、問題は有る」と言った。何が問題なのか?
「それは指南の痕跡を残したということだ」
感熱紙を残したこと?
「そう。それが問題だ」
私はそのOBの表情を見ていた。OBは当然のことを言っているまでだという表情でそう言い切った。 2021年6月末でNHKを退職した大越健介氏のNHKでの最後の仕事に、読売新聞の渡辺恒雄主筆のインタビュー番組がある。「独占告白 渡辺恒雄」だ。その番組の最後で渡辺氏が次の様に語っている。
「(政治家に)それ間違っているから、こっちのほうやりなさいとか言って忠告すると、言うこと聞くわね」
政治部記者と政治家の関係については次の様に語っている。
「政治家は逆に記者の情報を取ってその記者には情報をくれるわね。そういう持ちつ持たれつの関係になると政治記者というのは、だんだん深みが出てくるね」
大越氏は次のように応じている。
「(政治家と政治記者とは)なかなか、えも言えぬ関係ですよね」
大越氏はNHKの政治部記者だった。ワシントン支局長といった華やかな経歴が紹介されることが多いが、本人の原籍は政治部だ。政治部のエース記者として政治取材で成果を出してきた1人だ。それが故に実現したインタビューだったのだろう。極めて興味深い番組だった。
渡辺氏の指摘する「忠告」には、「(記者の)質問をはぐらかす言い方で切り抜けるしかありません」とする政権延命に手を貸す「指南」も入るのだろうか?渡辺氏なら逆に、「政権の延命など考えるな」と一括する「指南」なのかもしれない。大越氏の「えも言えぬ関係」もそういうことなのかもしれないが、ここは2人に直接きいてみたいところだ。メディアが政治家を「指南」することをどう見たら良いのか?記者は政治家に「指南」できる存在を目指すべきなのか?或いは、どういう「指南」なら許されるのか?そうした議論はなされていない。
■NHK政治部にも心ある記者はいる
取材に応じてくれた宮崎氏は、NHK政治部の取材力については認めていた。
「もともと高い志をもってNHKに入り、政治部でも気概をもって頑張っている記者もたくさんいます」
そう語る表情には、その志と取材力を適切に使って欲しいという願いを感じた。
一連の取材を指揮した長谷川氏があるエピソードを語った。
「この『指南書』の問題は森総理の「神の国発言」がきっかけなわけですよね。あの発言は実は全てのメディアが把握していたわけではないんです」
長谷川キャップはNHKのキャップと総理番の記者のやり取りから知ったという。総理番の記者は政治部に来て1年目くらいの若い記者だ。前編で説明した通り「神の国発言」とは当時の森総理が神道政治連盟国会議員懇談会結成30周年記念祝賀会で、「日本の国、まさに天皇を中心としている神の国」と発言したものだ。その取材から戻った記者はキャップに、「問題発言が出ました」と伝えていた。これも前回に書いたが西日本新聞とNHKは記者クラブで背中合わせの近さだ。しかも、NHK側は特に重要でない情報については敢えて西日本新聞に聞こえる程度の声でやり取りをしていた。それは政治取材で圧倒的な人員を持つNHKが常勤幹事社でペアを組む西日本新聞に対して一定の配慮をしていたものとも考えられるが、それを書きたいわけではない。聞こえてくるやり取りでは、どうもNHKのキャップは記事化に乗り気ではなかったようだ。不満そうに記者席を離れたNHKの若手政治部記者に長谷川氏が声を掛けた。これも普段の付き合いからできることだ。
「僕は問題発言だと思うんですけど・・・」
若い記者はそう話した。
「キャップはキャップなりの価値判断が有ったのでしょう。政治判断だったかもしれませんが。でも、若い記者は『僕は書くべきだと思うんです』って言っていました。だから、NHKの政治部記者の全員が『指南書』を是とするような状況だとは僕は思わないんです」
「神の国発言」はその後、毎日新聞が記事にし、それを各社が追いかける形となる。そして政権を揺さぶる。その若いNHK記者は自分が最初に書きたかっただろう。長谷川氏は振り返った。
「僕は『指南書』の記事は絶対に自分の新聞で報道すべきと思ったわけですが、それは、「指南書」が、どこの社にもいる心ある記者を裏切る行為だからなんです」
その「心ある記者」にはNHKの政治部記者も含まれていると言う。NHKの政治部にも心ある記者はいる?そう問うた私に、長谷川氏は、「います」と言い切った。長谷川氏は、対峙したNHKのキャップについて次の様に話した。
「その後、向こうが配置換えになり挨拶する機会も有りませんでしたが、日曜討論などテレビ画面で姿を拝見していました。で、一つ、ほほお、と思ったのは、東日本大震災が起きた後、番組で原発政策などについて政府にかなり厳しい発言をされていて、『この人も心ある記者なんだ』と思った記憶が有ります」
■「改めるところは改めるという総括」を
宮崎氏は筑紫氏がコメントした「(指南書は)記者としての矩(のり)を完全に超えている」という言葉に尽きると考えている。筑紫氏はその前段で、こうもコメントしている。
「政治記者とは永田町という狭い世界で政治家の懐にいかに飛び込むかが仕事と言う面がある。かつて私も新聞社の政治部にいたが、先輩から『お前らは今から泥水の中に潜る。だが、時々は泥水から首を出し、辺りを見回せ』と教えられた」
取材のために政治権力に近づく。しかし権力の側に自らを置くことはしない。その線引きを意識する。その為に「泥水から首を出し、辺りを見回す」作業が必要となる。それが常に問われている。 それは、私が「指南書」の問題を取材するきっかけとなったNHKの政治部OBの言葉に通じる。
「(NHKは)何らかのケジメをつけるべきだった。ギリギリのところで情報取材を行っている現場の記者に対して、守るべき一線はどこで、改めるところは改めるという総括を、組織として行わなければならなかった」
「自分は無関係だとか、高みに立ったような言い方はしたくない」と言いつつ、OBは苦渋の表情でそう語った。 私は今からでも遅くないと思う。NHKは、この「指南書」を再調査すべきだろう。そして関与を認めた上で、OBが語ったように、「改めるところは改めるという総括を、組織として」行うべきだ。それができればNHK政治部は変わり、それによってNHK全体も変わるのではないか。 そしてこの問題を通じて感じるのは、問題の根深さだ。「指南書問題」が突きつける刃はNHKだけに向かっているわけではない。この問題を不透明なまま終わらせた責任の一端は官邸記者クラブにある。NHKだけではない。菅総理の辞任が示す通り、日本の政治は混乱している。それを適切に報じるためにも、政治記者の「守るべき一線」を示す必要が有る。良識ある多くの人はNHKだけでなくメディア全体にそれを期待している。
立岩陽一郎 InFact編集長
InFact編集長。アメリカン大学(米ワシントンDC)フェロー。1991年一橋大学卒業。放送大学大学院修士課程修了。NHKでテヘラン特派員、社会部記者、国際放送局デスクに従事し、政府が随意契約を恣意的に使っている実態を暴き随意契約原則禁止のきっかけを作ったほか、大阪の印刷会社で化学物質を原因とした胆管癌被害が発生していることをスクープ。「パナマ文書」取材に中心的に関わった後にNHKを退職。著書に「コロナの時代を生きるためのファクトチェック」、「ファクトチェック・ニッポン」、「トランプ王国の素顔」など多数。日刊ゲンダイにコラムを連載中。
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