聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

遅まきながらブルーリボン

2006-01-31 23:56:34 | キリスト教
遅まきながらブルーリボンです
~横田滋さんの癒しを神に祈りつつ~


1月も終っていこうとしています。夕刊で読みましたが、横田めぐみさんのお父様である滋さんがかなりよくないご病気だったとか。無理ないことです。ここまで、子どものために体をはってきたのですから。癒しを神に祈りつつ、遅まきながら、
ブルーリボンの写真を載せておきます。

 バックがブルーになってしまったので、リボンが何だか黒ずんで見えますが、
色はブルーなんです。akhちゃん、遅くなりましたが、ブルーリボンでこれからも北朝鮮拉致問題を支援していきたいと思っています。

 2月は、どうなるかな・・・あまりトリノ五輪盛り上がらないでね・・TV漬けになってしまうから。(笑)

 今日は江別は晴れていたのに、隣市の岩見沢市はずっとでした。どうなっているのやら。ようやく筋肉痛が癒え、1月が終っていきます。


1月29日・第5主日礼拝から~ヨブ記は「神義論」の書~

2006-01-30 22:43:28 | みことば
人生の問題は、すべて神理解に帰着する!!

 昨日の礼拝後、また風邪がぶり返したのか体調悪。鼻水が止まらないせいか、頭痛がひどい・・やはり暖房のない職場で土曜日に5時間も過ごしたツケがきたようだ。(サービスで勤務しているのに、暖房が入らないというのは、やはり酷い。といっても、ひどい電気設備の職場なんで、電気ストーブ1000Wくらいコンセントオンにすると、ブレーカーが飛んでしまって、仕事どころではなくなってしまうのですよ・・・)

 知恵文学の最高傑作とされるヨブ記。これを単なる「文学」と読むのは間違い。主人公ヨブの生き方を通して、神の義、神の愛を考える神義論ともいえる書なのであります。

 川崎牧師は、よく言います。「人生の問題はすべて神理解に帰着する」と。
主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな。(ヨブ記1章21節)
The Lord gave and the Lord has taken away; may the name of the Lord be praised.

 この1章21節には、苦難の中で人が立ち上がれる帰結がみてとれます。これは、間違いなく確信の言葉であって、決してあきらめの言葉ではないのです。いつも神にゆだねるという点で、神の前に義なる人であったヨブのすべてをあらわしているといっていいと考えます。
 ヨブ記を読んでいくと、2章9節に、ヨブの妻自身がヨブに向かって、「それでもなお、あなたは自分の誠実を堅く保つのですか。神をのろって死になさい。」とまで言う場面があります。旧約の世界には、いわゆる男尊女卑の思考がかなり生きている時代観がありますので、この妻のセリフはかなり異様であって、いかにヨブが信仰にあつい人であったかが理解できます。

 いつも神にゆだねること。これが信仰です。ヨブの生き方は、私たちの信仰生活に問いかける部分が多々あります。

 「ヨブ記」の通読は、やはり必須のことです。信仰を強める鍵が明らかにこのヨブ記には書かれています。

 明日はまた出そうな・・・今日は今日で3月中旬の暖かさ。この寒暖差も風邪が完全に治らない原因かな~夕方医者へ行ったら、高い高い抗生物質が投薬されました。まあ、いつもたいていはその薬で治ってきているので、しっかり飲むことといたしましょうか。

 明日で1月終わり。こんなペースが続いたら2006年どうなっていくんだろう。不安。そう、ゆだねるしかないのです。

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1月第五主日~ヨブ記(旧約)は最高の知恵文学~

2006-01-29 00:38:59 | みことば
 ヨブ記1章13節~22節 「ゼロからのスタート」 

 大雪だけが会話のネタだった1月もそろそろ終っていきます。
今日は、川崎牧師から、「ゼロからのスタート」というメッセージがあります。

 最高の知恵文学とされるヨブ記。箴言も知恵文学というジャンルですが、箴言はよく読むと、功利主義、実利主義的な勧めが数多く忍び込んでいるのに対して、「ヨブ記」は最も経験で正統な信仰を語っているといわれます。

 さて、礼拝に向けて、睡眠です。


コリント第二 9章6節と7節

2006-01-28 23:34:46 | みことば
献金を考える~コリント第二9章から~

 <コリント第二 9章6節>
 私は、こう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。
 <同7節>
 ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。

 あいの里学園通りキリスト教会では、献金の時に、司会者がこの箇所をお読みすることにしました。(明日の礼拝から)捧げる恵みを、礼拝出席者にお奨めする必要からという趣旨です。

 明日の私の司会奉仕が、主に在って豊かに祝福されますように!!

 外はまた雪模様・・・よく降るというか、あきれるほど。

 今日は土曜日だというのに、午後から職場で孤独な作業でした・・暖房なしで寒かったのでした・・・。




風邪ほぼ治り、癒されました。

2006-01-27 23:39:29 | つれづれに
 体調回復!!

 体調がかなり戻りました。
 週末でほぼ完治するのでは・・・と思ってはいるのですが、さてどうなるでしょうか。明日は、休日の職場にてちょっと仕事するのですが、なにせ休日は暖房が入らず、シベリアみたいな場所になるので、どうなっていくかな~不安。

 ついさっき帰宅。相変わらずの雪道、悪路のなか、無事、自宅へと導いてくれた主に感謝し、今日は寝ます。

 明日は、午前中まず中学生の指導。それにしても、北海道内の公立高校はどうなっていくでしょうか。10万都市の江別市でも、普通科進学校の倍率が1倍を割るという状況になってしまいました。

 ああ、29日の礼拝が待ち遠しい。なんだかとても祈りたいのです。


新約聖書がいつでも読める時代に考える

2006-01-26 23:45:53 | みことば
黎明期のキリスト教に「正典」はなかった!

 ああ、さっきしっかり書き込んだのに、ミスあって全文消えてしまいました・・ 書き直し。

 「正典」としての新約聖書。クリスチャンは信仰生活上とても大切にしています。ところが、四世紀後半に至るまで、現在の新約聖書27文書が「正典」と確定することはなかったですし、それまで「正統的」教会と「異端」の間で、「正典」をめぐる対立があったことは歴史が教えてくれています。

 「正典」作成の意図をもって歴史に登場したのは、AD140年頃、マルキオンという人でした。彼は、キリスト教の再ユダヤ化を恐れており、旧約の神を否定する立場をとったのですが、これが「異端」として退けられていくところから、「正典」作成の歴史が始まるといっていいようです。

 この話、また明日!

外を見たら、また雪・・・よく降るね~。

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明日27日は、西村由紀江さんコンサート。楽しみ!!

 


「ガラテア人への手紙」から再び

2006-01-25 23:35:17 | みことば
ガラテヤ3:28 「なぜなら、あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって、一つだからです。」

 新約聖書の時代というのは、よく考えれば、キリスト者が迫害されていた時代です。キリスト者が、あがないの主としてイエス・キリストを信じ生きていくには多くの困難があったことが容易に想像されます。

 ガラテヤ3:28 前段は、「ユダヤ人も、ギリシャ人もなく、奴隷も自由人もなく、男子も女子もありません。なぜなら・・・・」となっています。

 つまり、民族差別、社会的差別、性差別、身分の隔たりなどをすべて乗り越えて、「キリストにおいて一つ」という愛と平等を求める包括的なコミュニティを形成しようと、パウロは述べていると考えられます。

 これは、教会が力をもっている今日でも説得力を持つ言葉です。社会の発達に伴って、私たちクリスチャンの間にも、なんだかおかしな隔たり、壁、垣根が存在します。それをすべて乗り越えて、「キリストにおいて一つ」と心から言えるそんな信仰が今日求められているような気がしてなりません。

 風邪悪化・・今回は、何年振りでしょうか、肺の手術跡がうずきます。左半身の肋間神経痛がずきずきとひどくて、パソコンのキーをたたくのも大変。参っちゃうな~。
 神の癒しをお祈りするしかありません。




聖書通読Part11 ガラテヤ人への手紙を読んで

2006-01-24 22:09:33 | 聖書通読
「ガラテヤ人への手紙」が語るもの

 6章から成る「ガラテヤ人への手紙」を通読してみました。あちこちの節が、いろいろな著作、説教に引用される手紙ですが、6章を通して読むことで、そのメッセージ性をしっかり理解できるものとなっています。

 2章16節 ここは、私たちの信仰が、ただイエス・キリストを信じることによって在るのだということを、ストレートに物語るものです。

しかし、人は律法の行ないによって義と認められず、ただキリスト・イエスを信じる信仰によって義と認められる、ということを知ったからこそ、私たちもキリスト・イエスを信じたのです。これは、律法の行ないによってではなく、キリストを信じる信仰によって義と認められるためです。なぜなら、律法の行ないによって義と認められる者は、ひとりもいないからです。(ガラテヤ2:16)

5章19節-21節 そこには、文明と便利さになれきってしまった私たち現代人に対しての大いなる警鐘が描かれています。
 
 「肉の行ないは明白であって、次のようなものです。不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興、そういった類のものです。(中略)こんなことをしている者たちが、神の国を相続することはありません。」

 さて、自分はどうだろう。いくつか当てはまるものがあります・・しかし、22節と23節に、「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制です。」とあるように、こちらにもいくつかあてはまる自分がいます。

 そう、僕はまだまだ至らない人間にすぎません。

 25節ー26節でパウロは、こう励ましてくれています。
25節 もし私たちが御霊によって生きるのなら、御霊に導かれて、進もうではありませんか。
26節 互いにいどみ合ったり、そねみ合ったりして、虚栄に走ることのないようにしましょう。

 聖書は、いつも私たちに教えてくれます。いつも「君はそんなに大きい存在かい?」と自省的な問いかけをいつもしてくれています。

おのおの自分の行ないをよく調べてみなさい。そうすれば、誇れると思ったことも、ただ自分だけの誇りで、ほかの人に対して誇れることではないでしょう。(ガラテヤ6:4)

 これは、逮捕されていま拘置所にいる堀江さんにそのまま読んでほしい言葉となってしまいました。神に背く「肉」だけの生活では、人間らしい生活とはいえないのです。聖書は、こうした毎日迫ってくる世俗的事件にすら重ね合わせられる部分を持ち、すごい説得力を持って存在しているのです。

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本日は、病欠なり

2006-01-24 21:35:15 | つれづれに
ライブドア事件で世の中あたふたしている1月24日 私は風邪が悪化して病欠でありました。

 果てしない倦怠、めまいを伴った頭痛、これ以上悪化はしないだろうと思えるぐらい悪化した鼻水

 とても教室で声を出せる体調になく、病欠した1月24日。昼過ぎまでずっと横になっていて、その後、居間で新聞をみると、ホリエモン以下4名が逮捕っていうことで、世の中はいろいろ動いたわけです。

 「拝金主義」も行き着いたところが、司直による逮捕劇というのでは、何の面白みもないっていうところ。いったい何の会社なのか実態のわからなかったライブドアって会社の実態がやっとわかったという喜劇なのかもしれませんね。

 さて、明日は仕事行けるかな??教室には行けてもまともに声が出せないので、授業にはならんな~。こんなときは、ほんと辛い職業であります。



体調最悪で早退・病欠であります。

2006-01-23 19:14:05 | つれづれに
風邪悪化の一途 早退&病欠の月曜日であります

 今日は午前中の仕事をしたら、もうフラフラ状態で早退しました。しばらく自宅で寝たあと、医者へ。とにかく体を猛烈な倦怠感が襲い、どうにも動けないのであります。

 幸いにも、食欲はあって食べられるので、そう長々と付き合う風邪ではないと思うけど。

 お祈りしたら、とにかく寝ます。





日本文化とイエス・キリスト

2006-01-22 22:32:46 | キリスト教
必見!! DVD 「神が日本に残した指紋」

 日本人クリスチャンは、およそ1000人に二人、つまり人口の0.2%だと言われています。歴史的に見たら、豊臣以来「隠れキリシタン」の迫害もありました。
 なにやら、日本文化とキリストの教えは、どこにも交錯する部分がないように思われ、私たち日本人は、クリスチャンとしてのアイデンティティの確立に時に苦しむわけですが、このDVDは、哲学的に、神学的に、宗教学的に、その問題を解き明かしてくれています。すばらしいDVDです。その昔、キリシタンを匿ったのは、仏教寺院であったこと、神道でいうところの「神」と天地万物を作られた創造主としての「神」はそれほど違いがあるわけではないということなど、いろいろ教えられることがあります。宗教学的、神学的には意見が分かれそうな部分もありますが、それ以上に教えられることの多い内容になっています。

 宣教団の宣教師推薦のこのDVD、求道者のために製作したものなのですが、クリスチャンにもすばらしい説得力を持って伝わってきます。ちなみに、「いのちのことば社」では入手できないもののようです。1枚150円という破格値。僕は、周囲にも配布できるよう4枚も買ってしまいました。

 風邪と体調不良をおして出かけた礼拝で与えられたこのDVDとの出会い。なんだかすべて神によって導かれている自分を実感するのです。

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 この風邪さん・・・明日はフルタイム勤務はダメかも。幸い、午前中しか授業はないので、明日は午後静養しないと体がもたないな~という感じです。


1月22日 第四主日 「雪のように白くする」

2006-01-22 22:21:11 | みことば
イザヤ書 1章13節~20節 「雪のように白くする」

 イザヤ書は、旧約聖書の福音書とも言われることがあります。新約聖書への引用も多く、イエス・キリストのあがないに結びつく預言が多いからでもあります。

 昨日からの体調不良を押して礼拝に出席した価値があるメッセージでした。疲労による体調不良、風邪薬による眠気、雪かきの毎日がもたらした筋肉痛。これでもし発熱していたら礼拝を休もうと思いましたが、なんとかこうしてまた主が教会へと導いてくれたのです。ありがとうございます。主に在って感謝します!!

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい紅のように赤くても、羊の毛のようになる」(イザヤ1:18)
Though your sins are like scarlet, they shall be as white as snow; though they are red as crimson, they shall be like wool.

イザヤ書の1章を読んでいくと、いかにイスラエルに人々が神に背信的な生活を送っているかが書かれていることに気づきます。1節から延々と、人が腐敗している様子が描かれているからです。

 13節に入り、「もう、むなしいささげ物を携えて来るな」というところは、形だけ神を敬うような偽の信仰は要らないと神が言っているわけです。

 ただ、18節に入り、冒頭示したみことばのように、神の恵みによって一方的に罪が白く赦される(もちろん、十字架のあがないで)と言ってくださるわけです。
キリストの家族、隣人として証していける存在でありたいものです。雪のように罪を白くする十字架の力は本当に大きいのです。

 関連して、新約聖書ガラテア2章20節。パウロはこう述べています。「私は、キリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me.

私たちは、いつも神を悲しませるような生活をしています。そう、繰り返し繰り返し、罪を犯しているのです。そんな私たちを、神はいつも真実に愛してくださることをもっと謙虚に感謝する気持ちが必要です。

 人間が持つ「罪」という性質を取り除くことが極めて難しいことは、たとえばエレミヤ書13:23などに書かれていますが、それはまた通読を通してみていきたいと思います。

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風邪ひいてしまいました・・・腰痛とのダブルパンチ

2006-01-21 15:35:42 | つれづれに
神は試練をお与えになるお方です。 

昨夜から何だか頭痛がして、のどの奥が痛いという状況。風邪であります。腰痛そして雪かきによる全身疲労と、ダブルパンチどころか、トリプルパンチです。まあ、それも時に神がお与えになる試練と受け止めておきましょう。

 さっきからさらに寒気も感じます。それなのに、今日は18時から友人(年はかなり僕より下)の結婚式が札幌にて・・。大丈夫かな~こんな体で。

 まずは、友人S君と新婦K奈さんの祝福を祈って!
 
 今日は好天。でも、2階の屋根に芸術的にできた雪庇(せっぴ)は相変わらず。
ほんと・・芸術品です。でもホント電線が切れそうです。

 風邪ひき・・ああ寒気がしてしょうがない・・まずいな~。

腰痛 癒しがありますように・・・

2006-01-20 00:18:55 | つれづれに
SOS!! 腰痛ひさびさに再発・・・連日の雪かきで、ついに腰がダウン アア~

 神の御力で癒してくださいますように。
 50キロ先の夕張市は、一晩で74センチ降るという脅威の雪であります。

 今朝は、2時間ほど遅刻でありました…
 臨時休校措置が絶対無い「全寮制」学校は辛いものがあります。

 腰痛…長年付き合っているものではありますけど、なかなか辛いものがあります。

 写真は、我が家の2階の屋根からせり出した雪庇(せっぴ)
 電線が雪の重みで切れてしまいそうです。
 こんな巨大な雪庇が屋根についたのは、初めて。
 いま、積雪は150センチ。市民生活まひです。