聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

全然マル秘じゃないって~ヨハネ11章の信仰告白~

2006-04-30 23:20:11 | つれづれに
 おかしな写真でスミマセン!!

 礼拝後に立ち寄ったT急ストア内で発見。世の中には不思議な表示があるものです。「マル秘」ならなぜ表示するのでしょうか・・そのあたりのセンスがやはり明朗会計「回転寿司」たるゆえんかもしれません。ちなみに、「一心」の回転寿司はなかなか美味しいです。(今日は食べていないけど)うちの愛猫「一心」と同じ名前でもあり気に入っています。

 ヨハネ11章
27節 彼女(マルタ)は、イエスに言った。「はい。主よ。私は、あなたが夜に来られる神の子キリストである、と信じております。」

これは、すばらしい信仰告白ですね。ヨハネ福音書でこのような明確な信仰告白がなされているのはこの場面だけなのです。全21章あるヨハネ福音書の核になる節といっても言い過ぎではないかもしれません。

 イースターから2週間が過ぎ、4月が終わろうとしていますが、改めて救い主イエスが十字架で流された血潮を思い、復活の主とともに歩む自分をみつめていきたいものです。そして、「マル秘」ではない自身の信仰告白ができる自分を見出していきたいものです。

 明日から5月・・・昨夜から風邪気味。喉が痛くて体調もすぐれないのに、なんとか礼拝の司会奉仕は終えることができました。聖霊の働きに感謝いたします。
 外は、天候不順だった4月を象徴するかのような 

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◇teacherの旅日記◇(旅part5 美瑛&富良野岳)

映画「雪に願うこと」~ヨハネ11:25~

2006-04-29 22:49:39 | Movie&DVD
 無料景品に「栄養ドリンク」かいな・・やはり過当競争かな?

 「コンビニ」についていろいろ批判めいたことをこのブログ上で述べているわけだが、野球のチケットを買うために2日ぶりに近くのコンビニに入った。チケットを購入したあと、レジのお姉さんが、「こちら無料の景品引き換え券です。明日まで使えますが、本日引き換えますか?」とのご質問。何をくれるのかというと、栄養ドリンク1本なのであった。当惑した。なぜ、「コンビニで栄養ドリンクか?」と。しかもタダなのである。まあ、もらえるものはもらえということで、当惑しつつももらって帰り、帰宅後、すぐ飲んでみた。大して美味しいわけでもなかった。当然だ。薬品みたいなものなんだから。景品でお客を釣らなければという魂胆にまで達しているのであれば、やはりこのあたりのコンビニはかなり過当な競争の中にあるということなのかもしれない。コンビニで無料景品をもらうという初の経験をして、戸惑うばかりであった。

夕方、映画「雪に願うこと」をみてきた。北海道のばんえい競馬を映画化したものだが、佐藤浩一がシブい!そして、小泉今日子が艶熟。(ちょっと嫌らしい表現だけどホント)ばんえい競馬の魅力を、正直に北海道経済の昨今の沈滞振りを、そして人の生き様を見事に体現したなかなかの映画であった。ばんえい競馬の競馬場が職場から車で10分のところにあって、ばんえい競馬の電話投票会員でもある僕は、ばんえい競馬にそれなりに詳しいから、それなりに映画らしい脚色もちゃんと目に付いたが、観衆にばんえい競馬の魅力を伝え、それに人の生き方を重ね合わせることで映画の価値を高めようというスタッフの意欲が伝わってくるいい映画であった。調べてみると、北海道での先行上映で、全国的には来月から公開になるとか。オススメ映画の一つ。(映画館にパンフが品切れ。残念。)

 さて、明日は礼拝。2週間ぶりの司会奉仕である。
「よみがえりのいのち」(ヨハネ11章)がメッセージです。

 ヨハネ11:25 イエスは言われた。「わたしはよみがえりです。いのちです。わたしを信ずる者は、死んでも生きるのです。」
 ヨハネ11:26 「また、生きていてわたしを信ずるものは、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

 救い主イエス「よみがえり」または「いのち」と信じる者にとって、肉体の死は、すべての終わりではなく、永遠のいのちの始まりであるということですね。きっと牧師は、T兄の死をもとにこのお話を予定されているのだと思います。

 4月最後の礼拝が豊かな時間となり、祝福されますように。

 美瑛町への旅&富良野岳絶景をアップしました。(teacherの旅日記Part5)




行き止まりになることがないように~ガラテヤ5:1~

2006-04-28 22:27:40 | つれづれに
 <義の自由を受け取り、自信を持って歩くために>

 キリストは、自由を得させるために、私たちを解放してくださいました。ですから、あなたがたは、しっかり立って、またと奴隷のくびきを負わせられないようにしなさい。(ガラテヤ人への手紙5章1節)

 なんだか昨日は、やたらと「自己倒錯」ともいえるようなことを書いてしまった。罪に引きずられる必要はないというのがキリスト教の一般的な教えであるが、イエス・キリストを信仰して義の自由を受け取るためにも、自分はどうあればいいのかということについて自覚的な毎日を送りたいものです。

 俵万智さんの「ある日、カルカッタ」。ここでも、マザーテレサの孤児院の情景が取り上げられている。マザーテレサの足跡は、クリスチャンであろうと、そうでなかろうと、人の心に響くようだ。仕事でどうしても読む必要に迫られ購入した本だが、なかなか面白い。「歌人」、俵万智。31文字で生計をたてられる才能に感嘆しつつ、teacherもいつの日か、カルカッタをこの目でと思う。

 明日からGOLDEN WEEK。日本全国どんな休日風景になるのか。「ただどこか行楽地に繰り出して、お金使って遊んで、疲れて・・・」という日本人方程式が幸せなことなのかどうか、いつも考えさせられる大型連休である。

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 整形外科で背中に痛い痛い注射・・・おまけに高価な鎮痛剤。GWは、雪かき後遺症を治す期間となるのかも

 明日は気温17度。ぽかぽか陽気だというのだけど・・・ホントかな?あてにならない天気予報。

「コンビニ文化」という罪~ルカ16章とともに~

2006-04-27 19:14:23 | つれづれに
 あなたがたは神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。

 冒頭タイトルは、ルカ福音書16章13節後段からの引用である。英語版で確かめてみると、You cannot serve both God and Money.とある。

 ルカ福音書に書かれている「金持ち」のたとえ話は、いろいろな示唆を私たちに与えてくれるが、昨日、職場近くに開店したコンビニをみていて、ルカ福音書16章が頭に浮かんできた。
 このところ大きな通りの角地が更地になり、そこに広大な駐車場を要するコンビニが建つというパターンがやたらと目立つ。昨日、開店したコンビニも、昨年閉鎖したガソリンスタンドが更地になり、その後釜として出現した。

セブンイレブン
ローソン
サンクス
セイコーマート(道内系列)
SPAR(スパー) ※セイコマの親戚
近々札幌圏に進出するファミリーマート

 正直なところ、生活すべてをコンビニで済ますことが可能な時代である。昨日開店したコンビニの200メートル東側にはSPARが、500メートル西側にはこれまたSPARが、200メートル南側にはセブンイレブンがあり、コンビニ激戦区。
 我が家も、半径一キロ圏内に、セブン、サンクス、ローソン、セイコマ、SPARと吐いて捨てるほどコンビニに囲まれている。ほとんどの店が24時間営業で便利である。しかし、それが夜型文化を助長し、コンビニ強盗なる犯罪も生み、昔ながらの地域の商店街を破壊に導いている。批判めいたことを書いておきながら、かくいう自分もおそらく年間300回くらいはコンビニに足を運んでいるであろう。それもまた「罪」かと思う。(ちゃっかり、トイレ&立ち読みだけの時もあるけど・・)
 それにしても、通りの一角が更地になると、必ずやそこがコンビニになっていくという経済動向は、この国をどんな方向に導いていくのであろうか。所詮、「コンビニ文化」など、「肉なるもの」に過ぎないのだが、果てしなきビジネス欲に翻弄される人間という生き物たちよ。

 神を通して、生きるのに必要なものは満たしていただこう。でも、「富」に溺れる生き方は、みこころに沿わない生き方だ。オープン早々、客でにぎわうコンビニを見て、そう思わずにはいられなかった。
 江別市内は、コンビニ強盗が2006年に入って5件発生。いずれも犯人はつかまっていないという。(同一犯らしい)深夜早朝の店内防犯体制を云々するまえに、深夜早朝の営業を止めたらいかがですか?と僕は思うのである。

こんな考えをぶちあげておいて、僕自身が便利にコンビニを使い分けているという倒錯。セブンでは、セブン銀行やデジカメプリント、メール便。ローソンやサンクスでは、チケット類を。セイコマやSPARでは食事や飲料を、といった具合。僕たちは、すべて現代社会の歯車のなかに巧妙に取り込まれてしまっている。そして、そこから根治的に脱却などできるはずがない。嗚呼、コンビニ文化。でも、聖書が身近にあってよかった!聖書は、欲望深い社会への防波堤となってくれている。

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 ときどきそして雷がドド~ンの一日でした。まるで秋みたいです。



100キロ先の山が見えた日に~ヘブル3章6節&14節~

2006-04-26 22:10:24 | みことば
 <空知地方から樽前山が見えた日>

 しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められるのです。もし私たちが、確信と、希望による誇りとを、終わりまでしっかりと持ち続けるならば、私たちが神の家なのです。(ヘブル3:6)

 もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。(ヘブル3:14)

 《信仰を「確信の灯火」とするために毎日がある》

 今日は少し晴れたが、夕方には胆振地方の山まで見通せるほどに。南空知地方からおよそ100キロ離れている樽前山が頂上まではっきりと視界に入る日は、1年にそう多くない。標高おそよ1000Mの山だが、まだしっかりと冠雪しているのが印象的だった。この山は活火山。大噴火すると、ふもとの苫小牧市はかなりの被害になると言われているが、それはいつのことになるだろう。

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 久しぶりに晴れた日だけど、何せ風が冷たい。夕方は写真を撮るのも辛いほど。寒さに耐えかねて、帰路、銭湯へ。料金が10円値上がりしていた。390円。でも、客は5人ほど。きっと近い将来、「銭湯」なる日本文化も消え行くのかと思うと、なんだかとても寂しくなり、定番の「フルーツ牛乳」(もちろん瓶入り)を飲んだあと、とぼとぼ帰宅した。

 結局、寒くてにほとんど乗れない4月か…。
 

「会議の旅」のはじまり~栗山町へ~

2006-04-25 22:55:03 | 
 107名が亡くなった列車事故から1年・・・追悼

 栗山町へ出張。「会議」で疲れた午後。ふと思い出したが、尼崎で去年列車事故が起こった日も、「会議」で出張中で、友人からのメールで悲惨な事故があったことを知ったのだった。

 いまの時代、毎日のように「やりきれない」ことが溢れ、情報としてそれらが流され、僕たちはなんだか本当の「平安」を知らないまま、浮遊しているのではないかと思うことが多い。

  <ヨハネ福音書14:27> 
 わたしは、あなたがたに平安を残します。わたしは、あなたがたにわたしの平安を与えます。わたしがあなたがたに与えるのは、世が与えるのとは違います。あなたがたは心を騒がしてはなりません。恐れてはなりません。


 救い主イエスのこのことばを胸にとどめておきたいものです。

〔写真〕 由仁町内を流れる「ヤリキレナイ川」  下線としては日本一の珍名?

 ティーチャーの旅日記Part6はこちらへ(4月25日栗山町への旅)

 新年度が動き始め、これから「会議の旅」が増える。次は、5月2日(火曜日)札幌市内。隣市へ行くのが旅か?と思うが、公的に「旅費」が出るので、「旅」としておこう。

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エレミヤ書2章21節~「純良種のぶどう」と「質の悪いぶどう」

2006-04-24 22:26:00 | みことば
 また寒さと雨か・・・

 もう4月も最終週、大型連休間近…というのに、こんなニュースが!!

釧路で積雪2センチ・・・高速道路は苫小牧西ICから室蘭ICまで雪で通行止めだって・・・どうにも寒い寒い4月最終週のスタート。

 <旧約聖書エレミヤ書2:21>
 わたしは、あなたをことごとく純良種の良いぶどうとして植えたのに、どうしてあなたは、わたしにとって、質の悪い雑種のぶどうに変わったのか。

 神である主の御告げが語られる「エレミヤ書」。「質の悪い雑種のぶどう」、英語版では、a corrupt, wild vine とありますので、「不道徳で退廃したぶどう」といったところでしょうか。神にことごとく背を向ける者たちに対して、罪の告発をする神。預言書をよむとき、その預言書の成立背景などにあまり知識がなくても、心に「ズキズキ」と迫ってくることばがある。

 昨日、遠藤師を通していただいたメッセージを通して、エレミヤ書を開き、預言者エレミヤに啓示された神の託宣を読んでみると、いま混沌とするこの日本の世の中にあふれかえっている諸現象と一致してしまうような「告発」が並んでいる。正直、怖いと思う。預言書の通読は、「純良種」には到底なれない自分を発見するプロセスなのであろう。しかし、同時に、「質の悪い雑種のぶどう」にはならんとする自分も発見するであろう。弱き人間である限り、自然通らねばならない道。せめて「到底人の口には入らぬ悪質なぶどう」にならないよう、イエス様を通して神につねにアクセスする生活を心がけたいものだ。

 球春はいつ?
西日本では高校野球の春大会がすでに開催されているようだ。北海道南空知支部の高校野球会場となる岩見沢市営球場の駐車場にはまだ雪が…。あとしばらく、「球春」というわけにはいかないようだ。とはいえ、たしか5月10日頃には支部予選スタートのはず。練習も満足にできないで、いきなり大会となる北国の高校野球。この駐車場の雪が消えるときが本当の「球春」スタートかもしれません。

 T兄が天に召されました。たいへんなご高齢になっても、体調のいいときには礼拝にこられていたT兄。その姿には教えられるものがたくさんありました。



残雪~ヨハネ15章 ぶどうの木~

2006-04-23 18:20:56 | みことば
 祝福に包まれた春の聖会~日陰の残雪とともに~

 「わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。」(ヨハネ福音書15:1)
 I am the true vine and my Father is the vinedresser. (※英文はNKJV。新国際訳ではvinedresserの代わりにgardenerをあてている。)

  宣教団で毎年2回行なっている聖会。春の聖会が昨日、今日と行なわれた。今日は、お昼ごろからようやく陽射しに包まれて春らしくなり、まさに神の祝福が注がれていると実感。自宅西側の隣家(写真左側)に遮られて日があたらないために、毎年いつまでも解けないしぶとい残雪もようやくあと4~5日でなくなるのかな~というところまできた。
 春の汚い泥をかぶっている残雪。なんだか、今日のメッセージと重なるものがあった。ヨハネ15章は、あまりにも有名な「ぶどうの木」のたとえ話で、正直「いまさら・・・」という気持ちになりがちな箇所であるが、やはり福音書の理解範囲はとても広く、いかに自分が小さき者、未熟者であるかをまた教えてくれる箇所である。今日のゲストメッセンジャーであった遠藤勝信(まさのぶ)牧師に、そして主に感謝である。

 なぜ春の汚い雪をみて、ヨハネ15章か?「わたしにとどまりなさい。(中略)わたしにとどまっていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。」(ヨハネ15:4)とあるように、自分自身、神中心の生活意識になっていない時がやはりあるということだ。遠藤師は、「みなさんもそんなときがありませんか。おうおうにして人はそうなっていくものです。教会という存在すらも、神中心というところから離れ、誤った方向に歩みがちになるものです。」という趣旨のことを話されていたが、真冬に降り積もる純白の雪をまっすぐな信仰とすれば、正直なところ、時にふらつきがちな僕の信仰など、いつか自然に消えてなくなっている春の汚い雪そのものだな~と思った次第。

 ちなみにヨハネ15章2節にある「父が(中略)刈り込みをなさいます」の刈り込み=英語で、<prune>は、同じく3節にある「もうきよいのです。」の「きよい=clean」とは、ギリシャ語で同義であるというお話がありました。これは、ヨハネ福音書の理解を広げるうえで、とても参考になるお話でした。

 弟子たちとの最後の晩餐で話されている主イエス。大いに苦しまれていたことでしょう。13章から17章にかけて、主はいろいろなたとえ話をされていますが、16章1節に至り、「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがつまずくことのないためです。」とあります。
 「いつも読んでいる福音書」という軽い気持ちではダメで、何度も読み返しては主が言わんとしたところについて理解を深めるそんな謙虚な姿勢に立ち戻らねばならないことを、遠藤師は示してくれました。感謝であります。

 なお、「ぶどう」については、イザヤ書5:4に預言者の口から語られているように、旧約から新約の時代に脈々と関連あるテーマであることも学びました。(他に、エレミヤやエゼキエルなどとも関連)

 イザヤ書5章4節 「わがぶどう畑になすべきことで、なお、何かわたしがしなかったことがあるのか。なぜ、甘いぶどうになるのを待ち望んだのに、酸いぶどうができたのか。」

 信仰の書、「聖書」。謙虚な姿で何度も神のみことばに立ち戻ることの大切さを教えていただいた春の聖会でした。

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くもり空の週末~春の聖会が~

2006-04-22 10:03:46 | みことば
 神のことばは、すべて純粋。(箴言30章5節)

 〔箴言30章5節&6節〕
 神のことばは、すべて純粋。神は拠り頼む者の盾。
神のことばにつけ足しをしてはならない。神が、あなたを責めないように、あなたがまやかし者とされないように。

宣教団の春の聖会が開かれます。神の祝福が私たちの働きに注がれますように

 ◆田畑に群れをなす白鳥の数が増えました◆
 それにしても遅い春。農家は気をもんでいることでしょう。週間予報では、月曜日からまた3日間雨予報。いっこうに暖かくなりません。例年なら、5月はじめには、いっせいにシベリアに帰っていく白鳥やマガンですが、もしかしたら今年は少し長く彼らの滞在につき合えるかもしれません。

 ★ふるさと銀河線関係記事★

関係記事1
関係記事2
関係記事3
関係記事4

★ティーチャーの旅日記はこちらへ★~「丘のまち」美瑛にて<富良野岳絶景>を追加

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あ~どんより
 

第二コリント4章16節&17節&18節

2006-04-21 23:55:59 | みことば
 困難をはるかにしのぐ栄光があるからこそ

 ☆第二コリント4章から☆

 16節 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
 17節 今の時の軽い患難は、私たちのうちに働いて、測り知れない、重い永遠の栄光をもたらすからです。
 18節 私たちは、見えるものにではなく、見えないものにこそ目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものはいつまでも続くからです。

今日は、聖書のこの箇所が与えられました。
下手な解説など不要な箇所といえばそれまでですが、いま抱えている難題にいつまでもくよくよしていてはいけないのだということですね。その先にある未来像、上にあるものに目を留める心の広がりを持とうということでもあるでしょう。
 せかせかした週末にこうした箇所が与えられ、主に感謝です。

 今夜は、開幕戦以来の札幌ドームへ行っていました。観客席はガラガラでした。ナイターとはいえ、まだ外は寒いからね、客足は伸びません。ファイターズ勝利も、相変わらず雑な試合運び。これでは、プレーオフ圏内に入るのは厳しい。来月は、5月9日あるいは10日の交流戦ドラゴンズ戦を観戦予定です。新庄が引退宣言をして、もう少し客足が伸びるのかなと思っていたけど、入らないな~しかも新庄は長いロードからホームに戻るや、スタメン落ち。開幕戦の満員札止めで燃え尽き症候群なのかもしれません。

 銀河線廃線から一夜。もはや踏切の撤去、遮断機の切断などが始まっているそうです。こんな作業ばかりすばやくて・・・沿線住民に神の豊かな祝福がありますように。そう祈るばかりです。

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万感・鉄路廃止~道央にもクロッカスが咲いた日に

2006-04-20 19:40:55 | つれづれに
 鉄路廃止の日に、95年の歴史を洗い流すかのように降り続く恨みの雨

 4月20日。「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」が、その歴史に幕をおろす日である。無情の雨となった北国。いま、お天気レーダーをみてみると、銀河線沿線もかなりの雨だ。まるで、旧国鉄以来95年の歴史の重みを記憶の彼方から消し去ってしまうかのような強い雨だ。

いくつかの拠点駅でお別れセレモニーが昼間あったそうだが、足寄駅には、歌手の松山千春氏も駆けつけ、「大空と大地の中で」を熱唱したとのこと。彼は、旧池北線が生んだ大スターである。

 最終列車が置戸駅を出発するのが、22時24分。その列車が北見駅に滑り込むのが23時02分。そのとき、北海道の歴史がまたひとつ消える。今日も晴れ間のない陰鬱なお天気の一日であった。そんななか、職場近辺でクロッカスを発見。4月20日になって、やっとクロッカスの初咲きを観るなんて、これまでに経験のない遅い春である。日当たりのいいところだけ咲いて、少し日が陰るような場所では、芽が吹いている程度。もしかしたら、5月初旬でもクロッカスを楽しめる異例の2006年春となるのかもしれません。

 人の手が入らなくなった鉄路にはあっという間に雑草が茂り、レールを覆い隠していくといいます。数年たつと、そこに鉄路があったことなどわからないほどに雑草が茂り、鉄路の歴史を垣間見ることすらできなくなるそうですね。今年の夏、廃止鉄路はどんな表情でいるのでしょうか。沿線の人々の日常生活は守られるのでしょうか。札幌圏だけが一人勝ちしていく北海道のあり方に疑問を持つのは、僕だけではないでしょう。(といいながら、僕自身が札幌圏の人間なのだが・・・)

teacherの旅日記~こちらでは「ふるさと銀河線」の各駅の写真やビデオがみられます!!

 95年間の鉄路の歴史に


銀河線の最終運行日を迎えて~北の鉄路の終焉~

2006-04-20 00:29:40 | つれづれに
 またひとつ北海道の歴史が消える
   ・・・<僕は忘れない2006年4月20日という日を>


 とうとう、ふるさと銀河線の歴史を閉じる日がやってきた。旧国鉄「池北線」以来、95年にわたる鉄路の歴史の終焉である。
 きっと、朝夕、ニュースは「銀河線一色」だろう。忙しい日だが、できる限り、TVでこの目に焼き付けておこう。

 銀河線を残す構想??(ニュース記事)

 陸別と川上駅の間の線路を保存して、観光資源に活用していくなんていう夢のような話がもちあがっているそうだ。北海道には、しばしばこの手の話が、北国の実情を知らない首都圏のお金持ちから持ち上がるのであるが、はたしてうまくいくのであろうか。なんだか、心配である。廃止になった鉄路は、記憶の底にとどめればいい。すぐ夢だの、お金だのに結び付けようとする浅薄な行動はどうも苦手だ。
(リンク切れ御免!! yahoo配信だから2年くらいは大丈夫かな??)

 銀河線関連記事(北海道新聞)

 北海道新聞の銀河線関連記事。(リンク切れ御免!!)
これも「銀河の森」構想のお話。

 それよりも、これから心配なのは、代替バスだってこの先、10年後に便数そろえて走っているのかということである。北見と置戸間は、30.1キロ乗車して、列車で770円だった。(僕が住んでいた当時は、590円。なんと180円もの値上げがあったのだ)高い!でもバスは、たしか1100円ほどするのだ!東京首都圏だったなら、770円あれば、東京から鎌倉の手前くらいまでは乗れるはず。バス代の高いのは、北海道の田舎の特徴。(特に道東は高い)これでは、ご老人がおいそれと、バスに乗って通院なんていうこともできない。結局、便利さを求めて高齢者が都会に移住というのであれば、北海道の未来はかなりいびつなものにならざるを得ないのだ。

 ついに、2006.4.20が来てしまった。My hope cannot slow down the clock. Time marches on. っていうところ。

 写真は、4月7日(金曜日)午後4時42分 訓子府駅ホームで撮影した銀河線車両(珍しく2両編成。銀河線は、ほとんが1両編成だけど、朝夕、2両編成で走る列車もあります。「1両編成」という日本語は本来おかしいですね。1両は、「1両」でいいような気がするのですが・・・)

 ティーチャーの旅日記はこちらです。

  ふるさと銀河線 永遠の記憶に留めておこう!ほんとうに、teacherを育ててくれてありがとう

 

相次ぐ閉校・廃校~ピリピ4:13を~

2006-04-19 23:46:07 | つれづれに
 大丈夫かな??・・市町村合併に、閉校、廃止と相次いでいく北海道

 私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(ピリピ人への手紙4章13節)

 主イエスは救い主です。内住されているキリストの力にもっと目を向ければ、聖霊に導かれて、いろいろなことを乗り越えていけます。

 今日は、帰路、普段車で走る道から数本それて別の道を走った。10年以上も通いなれた周囲だというのに、なぜいままでこの小学校跡地に気づかなかったのだろうか。「岩見沢市立協和小学校」である。いまはもうすでに校舎はなく、きっと校舎があったと思われる土地は、ご老人たちの「ゲートボール場」に変わっていた。
この小学校は、昭和48年閉校だそうだ。もう30年以上も前に閉校していたわけだ。それにしても、ここ数年の小学校そして中学校の「閉校ラッシュ」には言葉もない。北海道は、これから10年かけて、公立高校を110校閉校するという計画も持ち上がっている。教育行政の世界では、学校を一つ閉校にすれば、5億円の予算が浮くとされている。ここにも「金の論理」がまかり通っているのだ。

 結局は、「カネ」に翻弄されるこんにちの教育界。「拝金主義」からはまったく無関係な学校…そんなのはマザーテレサでなければ無理かと思いつつ、どこにでも目につくようになった閉校跡地を見るたびに、将来展望が開けない現実と戦うことになるのである。

 今日も寒かった。そしてどんよりと曇り空。いつになれば、麗らかな春らしい日が来るのだろう。朝のラジオで、「東京の梅雨入り予想」なんてやっていたけど、そんな話題まだまだ早いってね。

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 いよいよ明日、「ふるさと銀河線」が最終運行日。置戸駅発北見行きがダイヤ上、最終列車となり、北見駅着23:02に、銀河線の歴史は幕を閉じる。その列車が走るところを、どこかからこの目でみていたかった。残念、悲しい。

 さようなら!! 「ちほく高原鉄道ふるさと銀河線」 国鉄以来95年の歴史に終止符


アラビア構想は消滅~コロサイ3:16を~

2006-04-18 23:39:12 | つれづれに
 石油&天然ガスは出ず!!~計画頓挫~

 3月2日のエントリーで取り上げた江別市豊幌の農地に出現した石油&天然ガスの試掘ですが、つい先日、ここから石油&天然ガスは出ないという結論に至り、地下およそ4000メートルまで掘ったところで、計画断念というニュースがありました。
 現場へ行くと、試掘を担当していた会社はもういませんでした。1000メートル掘るのに、1000万円かかるそうです。ですから、およそ4000万円のお金を投じた「アラビア化計画」は幻と消えたわけです。
 この農地は、今後埋め戻して地権者に返還するそうですが、地権者もそれなりに代償金としての「もうけ」があったことでしょう。
 このあたりの豊かな自然がこれからも守られることに一安心するとともに、この手の開発行為には改めて、人間の欲深さを感じないわけにはいかないですね。

 キリストのことばを、あなたがたのうちに豊かに住まわせ、知恵を尽くして互いに教え、互いに戒め、詩と賛美と霊の歌とにより、感謝にあふれて心から神に向かって歌いなさい。(コロサイ3:16)

 
 ふるさと銀河線の動画をどうぞ(teacherの旅ページから)

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 ふるさと銀河線廃線まであと2日。ここまで95年にわたる人の鉄路への営みはいったいなんだったのであろうか。95年という歴史はあまりにも重い。


 

越後村と越後沼 ~ローマ10章から改めて~

2006-04-17 19:39:47 | つれづれに
 ★本州の地名も多い北海道★

 イースターは過ぎましたが、まだまだ復活祭の「余韻」はありますね。「ローマ人への手紙」の10章9節&10節を確かめておきましょう。

 9節 なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。
 10節 人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。

 僕の住む市には、「越後村」と呼ばれる地区があります。いまや正式な行政地名ではないが、その昔、「越後」地方から北海道開拓で入植した人たちが使っていた「越後村」という通称地名が残っている。(といっても、このことを知る市民は少ないようだ。)その「越後村」には、「越後沼」と呼ばれる“秘湖”がある。高速道路のインターチェンジ脇にあるのだが、なんの取り柄も観光資源もない沼だから、人はこない。春と秋に、渡り鳥が羽を休めているだけの沼。久しぶりに訪ねてみると、渡り鳥もおらず、ひっそりとしていた。珍客にあわてたアオサギが2羽、岸辺から飛び立っていっただけであった。
 前任地も、秋田県からの入植者が多かったせいか、「秋田」とか「雄勝」、「幸岡」など秋田県の地名がついた集落が存在した。そういえば、江別市には、「世田ヶ谷」という東京の地名も存在する。札幌の隣、北広島市は、広島県から北海道に入植した人が住んだところだから、「北広島」なのだ。勤務地の岩見沢市には、「御茶ノ水」などという東京の中央線の駅名とまったく同じ地名が存在する。ここも、明治時代に御茶ノ水地区から入植した名残りである。(逆に、東京には「御茶ノ水」という正式な地名はないそうであるが・・)
 アイヌ語地名と本州地名がずらずらと並ぶ北海道は、そう考えるとやはり、「外地」であって、私たち道産子が本州・四国・九州を総じて「内地」などという呼び名で言うのは無理もないことなのかもしれない。
 越後沼の岸辺にて、そんなことを思いつつ、寒い寒い一日は暮れていった。


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 みぞれ混じりのが降った勤務地。