聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

2005年も終わりです~聖書からPART3~

2005-12-31 20:42:13 | みことば
聖書が教えてくれたこと PART3

~ヤコブの手紙から1章の抜粋~

2005年の最後に、「ヤコブの手紙」1章から、いくつか抜粋します。

<2~4節>
2節 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
3節 信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
4節 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。

In ENGLISH
2 My brethren, count it all joy when you fall into various trials,
3 Knowing that the testing of your faith produces patience.
4 But let patience have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking nothing.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

 神から与えられた試練を「喜び」と思うなんて、一般的にはおかしなことなのですが、これこそがクリスチャンの信条とでもいいましょうか。12節にはこう書いてあります。

12節 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
 Blessed is the man who endures temptation; for when he has been approved, he will receive the crown of life which the Lord has promised to those who love Him.

「耐える」ということが、なんだかとても軽んじられる傾向にある世相にあって、なんという高らかな戒めとなっていることでしょうか。

 18節では、こんなことも言ってます。
18節 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
 Of His own will He brought us forth by the word of truth, that we might be a kind of firstfruits of His creatures.

20節 「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」
    For the wrath of man does not produce the righteousness of God.

怒りたいことがやたらと頻発する世相です。でも怒ったからといって、正しい道がつくわけではないと教えてくれているのです。
18節にいう「被造物の初穂にするため」にというところ、とても心に響きます。

 2005年の総まとめとして ヤコブ2:17

2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
   Thus also faith by itself, if it does not have works, is dead.

まもなくやってくる2006年、僕自身のいわば「小さな」信仰がより強固に、そして「確固たる」ものへと積みあがっていくよう、「行ない」のある人間としてわずかずつでも成長していきたいと思うばかりです。

 2005年の365日を生かしてくださった神に感謝し、2005年の納めとします。

さて明日は元日礼拝。なんだかとても楽しみです。(司会奉仕)明日の元日礼拝は、「証し礼拝」となり、教会員一人ひとりが2006年の信仰に向けての抱負その他いろいろおしゃべりして進めるものです。

 2005年ありがとう! 

2005年の終わりにあたって~聖書Part2~

2005-12-30 18:04:09 | みことば
聖書から学ぶこと part2

ローマ人への手紙5章1~5節と6章11~13節を引用しておきたいと思います。本当は、5章と6章すべてを書きたいのですが、長きに渡るので、とりわけ、心にぐさっときて、クリスチャンとして何度も何度も確かめておきたい言葉を、しつこいぐらい再確認したいと思って、抜粋にしました。

ローマ人への手紙5章1~5節

1節 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。
2節 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。
3節 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、
4節 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。
5節 この希望は失望に終ることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。

In ENGLISH
1 Therefore, having been justified by faith, we have peace with God through our Lord Jesus Christ,
2 Through whom we have also access by faith into this grace in which we stand, and rejoice in hope of the glory of God.
3 And not only that, but we also glory in tribulations, knowing that tribulation produces preseverance;
4 And preseverance, character; and character, hope.
5 Now hope does not disappoint, because the love of God has been poured out into our hearts by the Holy Spirit who was given to us.

ローマ人への手紙6章11~13節

11節 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
12節 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従っていはいけません。
13節 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。

In ENGLISH
11 Likewise, you also, reckon yourselves to be dead indeed to sin, but alive to God in Christ Jesus our Lord.
12 Therefore do not let sin reign in your mortal body, that you should obey it in its lusts.
13 And do not present your members as instruments of unrighteousness to sin, but present yourselves to God as being alive from the dead, and your members as instruments of righteousness to God.

ああ大晦日…近くの温泉にでも行ってきます。


2005年まとめPART1~聖書から~

2005-12-29 23:25:22 | つれづれに
2005年暮れも押し迫りました。聖書から忘れれらない箇所を書き出しておきます。

第二テモテ3章をすべて引用しておきます。
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1節 終わりの日には困難な時代がやって来ることをよく承知しておきなさい。
2節 そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、
3節 情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、
4節 裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、
5節 見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。

In ENGLISH
1 But know this, that in the last days perilous times will come:
2 For men will be lovers of themselves, lovers of money, boasters, proud, blasphemers, disobedient to parents, unthankful, unholy,
3 Unloving, unfogiving, slanderers, without self-control, brutal,despisers of good,
4 Traitors, headstrong, haughty, lovers of pleasure rahter than lovers of God
5 Having a form of godliness but denying its power. And from such people turn away!

☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆

6節 こういう人々の中には、家々にはいり込み、おろかな女たちをたぶらかしている者がいます。その女たちは、さまざまの情欲に引き回されて罪に罪を重ね、
7節 いつも学んではいるが、いつになっても真理を知ることのできない者たちです。
8節 また、こういう人々は、ちょうどヤンネとヤンブレがモーセに逆らったように、真理に逆らうのです。彼らは知性の腐った、信仰の失格者です。
9節 でも、彼らはもうこれ以上進むことはできません。彼らの愚かさは、あのふたりのばあいのように、すべての人にはっきりわかるからです。
10節 しかし、あなたは、私の教え、行動、計画、信仰、寛容、愛、忍耐に、
11節 またアンテオケ、イコニオム、ルステラで私にふりかかった迫害や苦難にも、よくついて来てくれました。何というひどい迫害に私は耐えて来たことでしょう。しかし、主はいっさいのことから私を救い出してくださいました。
12節 確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます。
13節 しかし、悪人や詐欺師たちは、だましたりだまされたりしながら、ますます悪に落ちて行くのです。
14節 けれどもあなたは、学んで核心したところにとどまっていなさい。あなたは自分が、どの人たちからそれを学んだかを知っており、
15節 また、幼い頃から聖書に親しんで来たことを知っているからです。聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです。
16節 聖書はすべて、神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練とのために有益です。
17節 それは、神の人が、すべての良い働きのためにふさわしい十分に整えられた者となるためです。

In English
6 For of this sort are those who creep into households and make captives of gullible women loaded down with sins, led away by various lusts,
7 Always learning and never able to come to the knowledge of the truth.
8 Now as Jannes and Jambres resisted Moses, so do these resist the truth:
men of corrupt minds, disapproved concerning the faith;
9 But they will progress no further, for their folly will be manifest to all, as theirs also was.
10 But you have carefully followed my doctrine, manner of life, purpose, faith, longsuffering, love, perseverance,
11 Persectutions, afflictions, which happened to me at Antioch,at Iconium, at Lystra-what persecutions I endured. And out of them all the Lord delivered me.
12 Yes, and all who desire to live godly in Christ Jesus will suffer persecution.
13 But evil men and imposters will grow worse and worse, deceiving and being deceived.
14 But you must continue in the things which you have learned and been assured of, knowing from whom you have learned them,
15 And that from childhood you have known the Holy Scriptures, which are able to make you wise for salvation through faith which is in Christ Jesus.
16 All Scripture is given by inspiration of God, and is profitable for doctrine, for reproof, for correction, for instruction in righteousness.
17 That the man of God may be complete, thoroughly equipped for every good work.
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ああ、どうしてこう一節一節が心にガ~ンと響いてきてしまうのでしょう…。そこには神以外救いきれない存在として、「罪」にまみれた自分がいるからです。
 15節の後段、「聖書はあなたに知恵を与えてキリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができるのです」
 クリスチャンである限り、ずっとずっと心のひだに刻んでおかねばならない当然すぎる一節ですが、心にズシーンときます。

 どうか、神のみ手のなかでこれからも十分に生かされ、神のみ救いに預かれますように。信じお委ねしてお祈りします。アーメン。




雪・雪・雪です……

2005-12-28 12:31:45 | つれづれに
 ここ数日、雪&雪&雪の毎日です

人間を覆う「黒い」罪。その対極をいくような白い雪。スノー宣教師は、雪もまた神からの恵みとして大切なものと考えて、せっせと雪かきをしていると言っていましたが、まあそれにしても、よく降るね^^。
 
 こんな可愛い雪じゃないってね……。高速道路も止まっているというのに出かけなければなりません。祈ります!!!

イブ礼拝のビデオOK!

2005-12-27 17:36:08 | つれづれに

イブ礼拝のビデオが見られます!

 Windows Media Playerで、ほぼ4分間、イブ礼拝のキャンドル点火の様子と礼拝者全員での聖歌136番が聴けます!
 それにしても、めちゃくちゃなビデオだね・・司会奉仕をしたので、自分であちこち撮影するってわけにもいかないしね。礼拝堂の後ろにテキトーにデジカメ置いてライティングとかそんなこと関係なく撮影しただけ。人の顔なんて見えないってね・・。すみません。



 ビデオはこちらのリンクからどうぞ!
上記リンクは直接ビデオに飛ぶようになっていますが、それが不調の場合は、こちらからリンクをたどってください! こちらからです。   

イエス・キリストの愛とともに歩もう!
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新装なった「あいの里学園通りキリスト教会」

2005-12-26 22:03:50 | つれづれに
教会の外壁リフォーム終了!!

 外壁が悪くなり、雨漏りなどが発生していた教会も、先日外壁リフォームがすべて終わり、きれいになりました。

 一年間、「ホームグラウンド」で礼拝を守れたこと、そしていろいろな人との出会いがあり、少し人として大きくなれたこと、すべて神のご計画によるところ。感謝そして賛美!!病が癒えて、牧師先生がお元気になられたことが嬉しかったですね。

 さあ、新年2006年は、元日が主日礼拝日です。司会奉仕を担当します。

 

クリスマス礼拝が終って2005.12.25

2005-12-25 16:56:42 | つれづれに
2005年クリスマス礼拝が終りました

 2005年最後の礼拝が終りました。写真はCSの様子です。
 クリスマスと2005年最後の主日がぶつかりましたが、メッセージは、
「飼葉おけの中のキリスト」でした。

 なぜ「王の王」などともいわれる主イエス様が、生誕時は「飼葉おけ」に寝ていたのでしょうか?
 ルカ福音書2章7節、16節に出てくる「飼葉おけ」(manger)は、文語訳、口語訳、新共同訳、新改訳どの訳でも「飼葉おけ」と訳されています。なぜ高潔なイエス様が「飼葉おけ」に寝ていたのでしょうか。
 「飼葉おけ」は貧しさの象徴といえます。聖書が「飼葉おけ」を登場させていることの本当の意味は、神を見失うという貧しさがそもそも人間にはあり、そしてそれを素直に認める心の謙遜も失っているということでしょう。同時に、創世記において「禁断の木の実」を食べたことでもわかるように、人の堕落のすべての原因は「高ぶり」であることが理解されます。「高ぶり」の反対が「謙遜」であるならば、「飼葉おけのキリスト」はまさに「謙遜の象徴」であるともいえます。
 <飼葉おけのキリスト>を通して、私たちは常に「謙遜」であることに自覚的な生活をしていかなくてはならないのです。クリスマスというのは、そういう意味を持った日であることを心の刻みたいものです。

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 1年間、いい礼拝の時をもてたこと、神に感謝します!!

 

キャンドル礼拝2005.12.24

2005-12-25 16:55:09 | つれづれに
キャンドル礼拝の様子

 クリスマスイブ。商業主義の蔓延で、クリスマスの真の意味がよくよく理解されていないこの国で、教会が行うキャンドル礼拝はとても大切なもの。
 24日も車を走らせると、国道沿いのKFC屋さんのところは、昼から渋滞しておりました・・家族でKFC食べるのがクリスマスかな~って思いつつ、吹雪気味の道をボールペンの替え芯を買うためにハンドルを握ったteacherでありました。

 キャンドル礼拝には、10名の新来者があり、お導きに感謝します。

キャンドル礼拝の様子の一部はビデオで!(12月27日、17時から観られます!)

あっという間に12月24日

2005-12-24 00:23:42 | つれづれに
 12月23日(天皇誕生日)
 天気は晴れだったのですが、とにかく寒い日でした。でも明日のキャンドル礼拝を前に、心は温かく主を中心にすごした一日でした。

 うかうかしていたら、12月23日は終っていき、日付は24日を刻みました。世界各地でもたれますキャンドル礼拝そしてクリスマス礼拝が豊かに主を祝福する時となりますように!!

 今日は、近くのセブンイレブンへ行っただけで、それ以外外出をしない日でありました。そんな日があってもいいでしょう。(それにしてもセブンには、たくさん年賀状売れ残っていたな~という僕も年賀状なぞまだ印刷さえしていないのでありました・・元日到着は無理だね。)

 この記号は十字架じゃなくて、どうも雷らしい・・プレビュー画面だとしっかり十字架に見えるので十字架だと思ってばかりいたんだけど・・。実際の画面みるとぜんぜん違うではないか。まあ、いいや。十字架だと思ってください。

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イエス・キリストの愛とともに

キャンドル礼拝まであと二日

2005-12-22 23:00:43 | つれづれに
クリスマスが近づきました

 キャンドル礼拝が24日(土曜日)午後7時から教会でもたれます。昨年は、牧師先生が体調を崩されており、開かれることがなかったイブの「キャンドル礼拝」。2年ぶりにこの礼拝の時がもてること、私たちの救い主イエス様に賛美をささげます。

 礼拝では、司会奉仕をさせていただきます。いまその準備中。すばらしい時となりますよう、どうぞ主よ、私達を導いてください。今朝からその祈りがずっと心のなかで交錯しています。

 どうか2日後は、喜びに満ち溢れたキャンドル礼拝となりますように。兄弟姉妹たちと、その豊かな時を共有できますように。
 イエス様の誕生を祝し、すべてを信じお委ねして、その御名を通してお祈りいたします。



 

「空白の一行」(第二テモテ4章7~8節)

2005-12-21 23:51:05 | つれづれに
 第二テモテ4章7節
  「私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました」

 8節「今からは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。」

 このパウロの言葉は、人生を最高に生きるために、あらゆる瞬間をイエス様のために生きましょうというアドヴァイスですよね。
 人生に空白の一行を残すことなく、イエス様とともに生きていけるよう、クリスマスを前にとりわけ主を覚えて、信仰の堅さを確認したい、心からそう思うのであります。

 昨日、Jリーグの年間最優秀選手になったG大阪のアラウージョ選手は、趣味が「聖書を読むこと」だそうです。今年ソフトバンクにいた元大リーガーのバティスタも、どこへいくにも聖書を話さなかったそうです。
 僕も出張旅行や私事旅行には必ず聖書を持参するけど、「趣味」とうたってしまうのは主に祝福されるのかな~??聖書を開き、みことばに心を傾けるというのは「日課」というべきところなんだろうに・・

 明日は冬至。これから少しずつ日が長くなっていくのかと思うと、ちょっと嬉しく、でも一番寒い季節がやってくるので、ちょっと憂鬱でもあります。

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イエスキリストの愛とともに


バッハは敬虔なクリスチャンでした

2005-12-20 23:34:12 | つれづれに
 諏訪内晶子J.S.Bachプロジェクト ヨーロッパ室内管弦楽団コンサート

 午後7時からKitaraで聴いてきました。素晴らしかった!バッハは敬虔なクリスチャンでしたが、神と共にいるバッハが、諏訪内晶子のヴァイオリンを通じて、福音を述べ伝えているような感覚にとらわれました。

 ああ、バッハの教会音楽がききたい。何年、カンタータやマニフィカトを生で聞いていないだろうか・・・ミサ曲も。

 ちなみに、アンコールで演奏されたサラサーテの「ナバラ」もすばらしい胸のすくヴァイオリン曲でした。クラシック通の僕が初めて知った曲。

 また明日。

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クリスマスコンサートのビデオ配信!

2005-12-19 23:37:33 | つれづれに
 17日のクリスマスコンサートのビデオをネットに流します。

 あの名曲 「君は愛されるため生まれた」が流れます!!
 ピアノはハンナ、キーボードはジョナサン、ボーカルはネイサンです。

  デジカメ動画での録画ですし、WMPに変換しての再生となるので画像は粗いです。許してくださいませ。

ビデオのアドレスはこちらです。


2005年12月18日 第三主日 「キリストの系図の中で」

2005-12-18 23:18:45 | つれづれに
  「キリストの系図の中で」  

 今日のメッセージは、マタイ1章1節そして16節・17節から「キリストの系図の中で」と題したメッセージがありました。

 新約聖書の最初を飾る「マタイの福音書」。聖書全体の背景がわからないと、1章の1節から書かれている系図を読むだけで頭がおかしくなってきたりしますよね。僕もそうでした。
 でも、マタイが伝えようとしていることは至ってシンプルです。イエスが旧約聖書に預言されたメシアであることに焦点化し、それをユダヤ人同胞に伝えたいという気持ち、期待が込められた福音書がマタイの福音書です。

 マタイは、イエス様の使徒であったわけですが、マタイは取税人です。つまり税金の取立てをする男。この仕事、当時、庶民には不人気で、ややもすれば忌み嫌われる職業だったそうです。そういった人も使徒として取り込み、福音を述べ伝えたところにこそ、救い主イエス様の偉大さが溢れています。

 マタイの福音書1章冒頭から読んでいくと、3~6節に4人の女性が登場しますが、すべて何らかの問題含み。

 3節 タマル~義父によって子どもを産んだ(創世記38章)
 5節 ラハブ~エリコの売春婦だった(ヨシュア紀2章)
 5節 ルツ~異国モアブの女(ルツ1章から4章)
 6節 ウリアの妻とは「バテ・シェバ」~ダビデ王はこの女と姦淫を犯した。
   (第二サムエル紀11章)

 こうした女性が系図の中に登場することは尋常ではありませんね。このような問題含みの女性を系図に登場させるということは、つまり、神の愛と神の意志が相当な身分の、特別な職業・種類の人々に限られていないのだという証明といえます。もし神の愛の対象が限られているのだとしたら、こんな問題含みの女性を系図に載せるわけがないのです。
 マタイ自身が「取税人」という立場でした。(詳しいことはわかっていませんが)そんな種類の人間にも神の愛が降り注がれたということが、「問題含み」の女性を何人もこの系図の冒頭に登場させた理由なのかもしれません。

 アドヴェントも第4週。主をとくに覚えてすごす日々となりました。私たちは、神の国の民として、その名簿の中に入っているのです。これは幸いなことです。マタイ1章冒頭に書かれた系図からもわかるとおり、どんな人でも、キリストの救いの中に入れていただく恵みをちょうだいすることができるのです。

 大いに主を賛美し、讃えたいものです。
 10月から担当し始めた主日の司会奉仕。概ね月に2回ですが、今年は担当を終えました。(24日のキャンドル礼拝の司会が残っていますが)「こんなボクが…」というのが正直なところなのですが、大いに用いてくださる神様に素直に感謝しないわけにはいきません。

 今日は僕の誕生日でもありました。兄弟姉妹からも祝っていただきました。吹雪の中、事故もなく教会にたどり着けました。すべて主の御わざと感謝です。

 写真は、礼拝後のクリスマス祝会の終盤、「もろびとこぞりて」で賛美しているところです。(川崎里美姉と、ピアノはハンナ姉)ごちそうの残りがテーブルの上に見えます。


クリスマス祝会@あいの里教会

2005-12-18 22:37:44 | つれづれに
 猛吹雪が札幌周辺を襲った12月17日夜から12月18日朝

 それでも主は無事教会へと導いてくださり、主日礼拝と午後のクリスマス祝会が豊かに祝福されました。

 食事前の賛美のワンシーンなので、お皿に食事が入っていませんね(笑)。兄弟姉妹、それぞれ一品ずつ持ち寄ってのそれはそれは「豪華版愛さん」の時でした。
(マザーテレサには叱られそう…)

 それにしても、今朝の吹雪はすごかった~教会にたどり着く最後の10分間は視界が10メートル程度の強烈なブリザード。よく教会に無事にたどり着いたと思います。そう、神様が導いてくれたのです。司会奉仕もできました。ありがとうございます!
 昼からは、一転してからっと晴れ渡り、対照的なお天気。寒い寒い一日でしたが、愛する兄弟姉妹と愛さんの時を持てて、幸せ。心は温かい一日でした。