聖書が教えてくれたこと PART3
~ヤコブの手紙から1章の抜粋~
2005年の最後に、「ヤコブの手紙」1章から、いくつか抜粋します。
<2~4節>
2節 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
3節 信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
4節 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
In ENGLISH
2 My brethren, count it all joy when you fall into various trials,
3 Knowing that the testing of your faith produces patience.
4 But let patience have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking nothing.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神から与えられた試練を「喜び」と思うなんて、一般的にはおかしなことなのですが、これこそがクリスチャンの信条とでもいいましょうか。12節にはこう書いてあります。
12節 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
Blessed is the man who endures temptation; for when he has been approved, he will receive the crown of life which the Lord has promised to those who love Him.
「耐える」ということが、なんだかとても軽んじられる傾向にある世相にあって、なんという高らかな戒めとなっていることでしょうか。
18節では、こんなことも言ってます。
18節 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
Of His own will He brought us forth by the word of truth, that we might be a kind of firstfruits of His creatures.
20節 「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」
For the wrath of man does not produce the righteousness of God.
怒りたいことがやたらと頻発する世相です。でも怒ったからといって、正しい道がつくわけではないと教えてくれているのです。
18節にいう「被造物の初穂にするため」にというところ、とても心に響きます。
2005年の総まとめとして ヤコブ2:17
2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
Thus also faith by itself, if it does not have works, is dead.
まもなくやってくる2006年、僕自身のいわば「小さな」信仰がより強固に、そして「確固たる」ものへと積みあがっていくよう、「行ない」のある人間としてわずかずつでも成長していきたいと思うばかりです。
2005年の365日を生かしてくださった神に感謝し、2005年の納めとします。
さて明日は元日礼拝。なんだかとても楽しみです。(司会奉仕)明日の元日礼拝は、「証し礼拝」となり、教会員一人ひとりが2006年の信仰に向けての抱負その他いろいろおしゃべりして進めるものです。
2005年ありがとう!
~ヤコブの手紙から1章の抜粋~
2005年の最後に、「ヤコブの手紙」1章から、いくつか抜粋します。
<2~4節>
2節 私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。
3節 信仰が試されると忍耐が生じるということを、あなたがたは知っているからです。
4節 その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは、何一つ欠けたところのない、成長を遂げた、完全な者となります。
In ENGLISH
2 My brethren, count it all joy when you fall into various trials,
3 Knowing that the testing of your faith produces patience.
4 But let patience have its perfect work, that you may be perfect and complete, lacking nothing.
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
神から与えられた試練を「喜び」と思うなんて、一般的にはおかしなことなのですが、これこそがクリスチャンの信条とでもいいましょうか。12節にはこう書いてあります。
12節 試練に耐える人は幸いです。耐え抜いて良しと認められた人は、神を愛する者に約束された、いのちの冠を受けるからです。
Blessed is the man who endures temptation; for when he has been approved, he will receive the crown of life which the Lord has promised to those who love Him.
「耐える」ということが、なんだかとても軽んじられる傾向にある世相にあって、なんという高らかな戒めとなっていることでしょうか。
18節では、こんなことも言ってます。
18節 父はみこころのままに、真理のことばをもって私たちをお生みになりました。私たちを、いわば被造物の初穂にするためなのです。
Of His own will He brought us forth by the word of truth, that we might be a kind of firstfruits of His creatures.
20節 「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」
For the wrath of man does not produce the righteousness of God.
怒りたいことがやたらと頻発する世相です。でも怒ったからといって、正しい道がつくわけではないと教えてくれているのです。
18節にいう「被造物の初穂にするため」にというところ、とても心に響きます。
2005年の総まとめとして ヤコブ2:17
2:17 それと同じように、信仰も、もし行ないがなかったなら、それだけでは、死んだものです。
Thus also faith by itself, if it does not have works, is dead.
まもなくやってくる2006年、僕自身のいわば「小さな」信仰がより強固に、そして「確固たる」ものへと積みあがっていくよう、「行ない」のある人間としてわずかずつでも成長していきたいと思うばかりです。
2005年の365日を生かしてくださった神に感謝し、2005年の納めとします。
さて明日は元日礼拝。なんだかとても楽しみです。(司会奉仕)明日の元日礼拝は、「証し礼拝」となり、教会員一人ひとりが2006年の信仰に向けての抱負その他いろいろおしゃべりして進めるものです。
2005年ありがとう!