聖書に学ぶ神のみことば

teacherが感じ、思ったことなどをいろいろと綴ります。聖書の一節をちょっと添えて。

1月22日 第四主日 「雪のように白くする」

2006-01-22 22:21:11 | みことば
イザヤ書 1章13節~20節 「雪のように白くする」

 イザヤ書は、旧約聖書の福音書とも言われることがあります。新約聖書への引用も多く、イエス・キリストのあがないに結びつく預言が多いからでもあります。

 昨日からの体調不良を押して礼拝に出席した価値があるメッセージでした。疲労による体調不良、風邪薬による眠気、雪かきの毎日がもたらした筋肉痛。これでもし発熱していたら礼拝を休もうと思いましたが、なんとかこうしてまた主が教会へと導いてくれたのです。ありがとうございます。主に在って感謝します!!

「たとい、あなたがたの罪が緋のように赤くても、雪のように白くなる。たとい紅のように赤くても、羊の毛のようになる」(イザヤ1:18)
Though your sins are like scarlet, they shall be as white as snow; though they are red as crimson, they shall be like wool.

イザヤ書の1章を読んでいくと、いかにイスラエルに人々が神に背信的な生活を送っているかが書かれていることに気づきます。1節から延々と、人が腐敗している様子が描かれているからです。

 13節に入り、「もう、むなしいささげ物を携えて来るな」というところは、形だけ神を敬うような偽の信仰は要らないと神が言っているわけです。

 ただ、18節に入り、冒頭示したみことばのように、神の恵みによって一方的に罪が白く赦される(もちろん、十字架のあがないで)と言ってくださるわけです。
キリストの家族、隣人として証していける存在でありたいものです。雪のように罪を白くする十字架の力は本当に大きいのです。

 関連して、新約聖書ガラテア2章20節。パウロはこう述べています。「私は、キリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。」
I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me.

私たちは、いつも神を悲しませるような生活をしています。そう、繰り返し繰り返し、罪を犯しているのです。そんな私たちを、神はいつも真実に愛してくださることをもっと謙虚に感謝する気持ちが必要です。

 人間が持つ「罪」という性質を取り除くことが極めて難しいことは、たとえばエレミヤ書13:23などに書かれていますが、それはまた通読を通してみていきたいと思います。

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