JR長岡京駅から西国街道を南方向に向かうと、
こんな光景を目にすることができます。

なんと、まちの中にJRの駅の看板が!
しかも、「長岡京」の駅名ではなく、「神足(こうたり)」駅になっています。

これは何でしょう?
実は、これは平成7年まで実際に使われていた看板です。
現在の「長岡京駅」に改称するまで、この看板が使われていました。
神足駅は、地元住民たちで作った駅です。
住民が土地を寄付したり、工事費の半額を負担したりして、
昭和6年、とうとう完成しました。
長岡京市にとって、はじめての鉄道です。
駅の設置によって、交通も経済も活発になり、
いまの発展のいしずえとなりました。
そんな、住民と共にあった「神足駅」。
名前は変わりましたが、この名前が忘れ去られるのはしのびない…
と、看板が残されることになりました。
いまこの看板があるのは、公民館。
地域住民が集まる場所に、いまも「神足駅」の名前を残しています。
「神足駅」については、JR長岡京駅西口にも説明板があります。

↓ 看板がある、公民館の場所はコチラ
こんな光景を目にすることができます。

なんと、まちの中にJRの駅の看板が!
しかも、「長岡京」の駅名ではなく、「神足(こうたり)」駅になっています。

これは何でしょう?
実は、これは平成7年まで実際に使われていた看板です。
現在の「長岡京駅」に改称するまで、この看板が使われていました。
神足駅は、地元住民たちで作った駅です。
住民が土地を寄付したり、工事費の半額を負担したりして、
昭和6年、とうとう完成しました。
長岡京市にとって、はじめての鉄道です。
駅の設置によって、交通も経済も活発になり、
いまの発展のいしずえとなりました。
そんな、住民と共にあった「神足駅」。
名前は変わりましたが、この名前が忘れ去られるのはしのびない…
と、看板が残されることになりました。
いまこの看板があるのは、公民館。
地域住民が集まる場所に、いまも「神足駅」の名前を残しています。
「神足駅」については、JR長岡京駅西口にも説明板があります。

↓ 看板がある、公民館の場所はコチラ