長岡京市の中央を通るアゼリア通りの東端の交差点に、
一里塚の石碑があります。
一里塚とは、むかしの道路標識のようなもの。
旅をする人に、どのくらいの距離まできたのかわかるように、
東寺から一里(約4キロメートル)ごとに目じるしをおきました。
長岡京市の一里塚は東寺から2つ目、
つまり8キロメートルの距離ということですね。
石碑のとなりには、幼稚園があります。
この交差点はJRと阪急、どちらの駅にもちかく、
子供と大人、出勤する人訪れる人がいまも数多く交わります。
一里塚が全国的に整備されたのは江戸時代初期とのこと。
しかし実は、江戸時代の一里塚は現在とはちがう場所にありました。
石碑のある交差点を東側へわたり、100メートルほど歩いたところ、
道の片すみに小さな石が立っています。
ここが、一里塚がもともとあった場所なのです。
石のまえを南北にわたる道は、
当時の人が通っていた西国街道。
小さな石ですが、大きな歴史を背負っています。
一里塚の石碑の位置は変わりましたが、
多くの人が行き交う場所であることには変わりありません。
↓ 一里塚の石碑がある交差点はコチラ
一里塚の石碑があります。
一里塚とは、むかしの道路標識のようなもの。
旅をする人に、どのくらいの距離まできたのかわかるように、
東寺から一里(約4キロメートル)ごとに目じるしをおきました。
長岡京市の一里塚は東寺から2つ目、
つまり8キロメートルの距離ということですね。
石碑のとなりには、幼稚園があります。
この交差点はJRと阪急、どちらの駅にもちかく、
子供と大人、出勤する人訪れる人がいまも数多く交わります。
一里塚が全国的に整備されたのは江戸時代初期とのこと。
しかし実は、江戸時代の一里塚は現在とはちがう場所にありました。
石碑のある交差点を東側へわたり、100メートルほど歩いたところ、
道の片すみに小さな石が立っています。
ここが、一里塚がもともとあった場所なのです。
石のまえを南北にわたる道は、
当時の人が通っていた西国街道。
小さな石ですが、大きな歴史を背負っています。
一里塚の石碑の位置は変わりましたが、
多くの人が行き交う場所であることには変わりありません。
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