ときどき思う。
広い野原に置かれた平均台の上を歩いているんだと。
平均台は自分の背より高くって、細くって、まっすぐで、
行き先は目の前しかない。
足を踏み外さないように足元を見ながら歩く。
落ちちゃいけない。
落ちちゃいけない。
と唱えながらずっとずっと歩く
ときどき、風が吹いたら揺れて落っこちそうになる。
そういうときは座り込んで風が止むのを待つ。
ときどき、蜂が飛んできてぶ~んとうなる。
そういうときは目をつぶって、身を硬くして去るのを待つ。
ときどき、見下ろす。
広い野原には自由に走り回る子供や犬。
降りてみようか?と何度も思った。
でも、
飛び降りるの痛そうだし、
子供がぶつかってくるかもしれないし、
犬に噛まれるかもしれないし、
それよりもなによりも
もう平均台の上に登れないもん。
ときどき思う。
どうしてこんな細い平均台の上を歩くんだろうと。
広い野原が広がってるのに。
ときどき思う。
降りてしまえばいいのにと。
”不”自由に慣れすぎて、自由が怖く思える。
今いるココよりいいとこはないと思い込んでる。
平均台の上は結構安全だったりするし。
ずっと広い野原に置かれた平均台の上を歩いてる。
「降りちゃえよ!」
と声に振り返るとバランスが崩れそう・・・。
広い野原に置かれた平均台の上を歩いているんだと。
平均台は自分の背より高くって、細くって、まっすぐで、
行き先は目の前しかない。
足を踏み外さないように足元を見ながら歩く。
落ちちゃいけない。
落ちちゃいけない。
と唱えながらずっとずっと歩く
ときどき、風が吹いたら揺れて落っこちそうになる。
そういうときは座り込んで風が止むのを待つ。
ときどき、蜂が飛んできてぶ~んとうなる。
そういうときは目をつぶって、身を硬くして去るのを待つ。
ときどき、見下ろす。
広い野原には自由に走り回る子供や犬。
降りてみようか?と何度も思った。
でも、
飛び降りるの痛そうだし、
子供がぶつかってくるかもしれないし、
犬に噛まれるかもしれないし、
それよりもなによりも
もう平均台の上に登れないもん。
ときどき思う。
どうしてこんな細い平均台の上を歩くんだろうと。
広い野原が広がってるのに。
ときどき思う。
降りてしまえばいいのにと。
”不”自由に慣れすぎて、自由が怖く思える。
今いるココよりいいとこはないと思い込んでる。
平均台の上は結構安全だったりするし。
ずっと広い野原に置かれた平均台の上を歩いてる。
「降りちゃえよ!」
と声に振り返るとバランスが崩れそう・・・。
広い野原が見えてるもん。
同じ細い道でも、例えば広い野原に掘られた深くて細くってまっすぐで、行き先は目の前しかない溝だったら。。。
広いかどうかさえ判らない、危険か安心かさへ判らない野原へ無条件に登り出たいと思っちゃいそう。
ある意味、上から見下ろしている姿は、自由の中に溶け込んでいるように見える。
なんかね、ときどき、つまんないなーと思ったりするでしょ?だけどね、自分の枠から出れないなって思うとき、すごく細いとこにしがみ付いてるように感じたりするの。
しもーぬさんに3年ぶりかに会った時、自由に走り回る子供っぽくていいなーって思いましたよ