詩人PIKKIのひとこと日記&詩

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民主党茶坊主と老害官僚が自公政治へと舵をとり選挙公約を破棄へと

2009年09月17日 | 政治
民主党の自民党化が急速に進みつつある。民主党の最大の敵は、大マスコミと官僚組織であったはずだし(それを裏で操ってる財界・アメリカ)、そのために必要なのは「情報公開」であったはずなのに。
民主党は従来から約束してきた「政府会見を記者クラブ以外のメディアにも開放する」という方針を鳩山政権発足と同時に撤回してしまったようだ。鳩山首相が選挙前に約束していたにもかかわらず。

どうやらマスコミと裏取引したのは、異常にマスコミが持ち上げてる・・やることなすことが茶坊主の平野博文官房長官(松下電器労組)と、老害としか言いようのない財務省族議員の77歳藤井裕久財務大臣(消費税増税論や失業対策的公共事業反対には唖然)であるらしい。
この狡猾な二人のために、従来の自公財務省主導政治へと戻りつつあり、それは鳩山首相の指示を受けてのものに違いない。

詳しくは(『世に倦む日々』参照を。
《 ー前略ー その中でも、やはり最も問題と思われるのが平野博文の官房長官人事だろう。平野博文の官房長官と藤井裕久の財務相の人事に、鳩山首相の反動性と旧弊性が濃厚に滲み出ていて、鳩山首相の政治手法が旧来の自民党政権のものと同質同根であり、自民党的な古い体質を払拭する意思がないことを露呈している -中略-

山口一臣の断定によると、その民主党の「情報公開」の既定方針を覆したのは、官房長官の平野博文と財務相の藤井裕久の二人だと言う。この二人は、鳩山首相が総選挙が終わる前から任用を示唆していた重要閣僚で、鳩山政権の中枢の人物である・・

政治番組の視聴者としては、77歳の藤井裕久はコンテンツとして楽しくない。蓮舫や長妻昭を見ている方が面白いし、政策全般については菅直人からラディカルな議論を聞いた方が夢と興奮がある。だが、テレビ局は(特にテレビ朝日は)、夢と熱のある話をする菅直人は出演させず、藤井裕久を政策責任者として押し出して、毎度のように「消費税増税」の説教をさせるのである。バーターなのだ。藤井裕久がマスコミによる情報独占を守ってくれる権力者だから、マスコミは藤井裕久を持ち上げて絶賛するのである。マスコミが小沢一郎を叩くのは、小沢一郎が自分たちの商売の邪魔をするからである。小沢一郎によって記者クラブ制度が崩壊すると、自分たちの「政治情報商売」の特権を失うからだ。普通に考えれば、民主党の「政権交代」は清新なイメージであり、高齢で政界を引退した元大蔵族首領の藤井裕久は不似合いな旧時代の遺物でしかなく、マスコミの扱いも「老害」の表象で扱われて不思議ではない。それが「政権交代」のスーパースターのように美化され、民主党が国民に政策を説明する主役になっている。本当は単なる老害でしかないものを、星浩などは「民主党の塩爺」などと呼んで褒めそやかしている。星浩と朝日新聞が藤井裕久の権力と癒着している実態が瞭然だ。大蔵官僚の藤井裕久にとっても、情報操作のためにマスコミを抱き込むのは当然の手法なのである。

平野博文がテレビに情報を売り、テレビが平野博文を持ち上げる癒着の関係が、すでに8月下旬には出来上がっていたのだ。三田園訓は権力者と癒着する専門の政治情報の商売人で、小泉政権時代は官房副長官の安倍晋三と結託して商売を繁盛させていた。平野博文の手口を見ていると、安倍晋三からよく学んでいて、テレビ評論家と新聞記者に自分の方から積極的に声をかけて抱き込んでいる。山口一臣も書いているが、選挙後のマスコミによる常軌を逸した小沢叩きは、平野博文の意を受けたマスコミが、「情報公開」の撤回、すなわち記者クラブ制特権の保全とバーター取引でやった陰謀だったことは間違いない。平野博文は、民主党政権がマスコミに流す情報を一元管理して、菅直人の顔や話はマスコミから一切閉め出す作戦なのだろう。自分が鳩山政権の顔になり、自分に都合のいい情報だけをマスコミに流し、自分に都合のいい記事だけを親密になった記者に書かせるのである。平野博文の個性を特異に感じられたのは、記者会見する鳩山由紀夫の真後ろに直立して、鳩山由紀夫に大袈裟に耳打ちする姿を見た瞬間である。カメラに顔が映る位置で仰々しくやっている。茶坊主である自己の過剰な演出と露出衝動。こういう不愉快で非常識な行動様式を大胆に見せる政治家というのは、これまで、小泉純一郎の真後ろや真横で姿を映させていた(官房副長官時代の)安倍晋三以外にいなかった。だが、平野博文の場合は、特に茶坊主の行動様式が顕著なのである。 -後略-》

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