詩人PIKKIのひとこと日記&詩

すっかりブログを放任中だった。
詩と辛らつ日記を・・

毎日のように聞く歌

2011年09月28日 | 物語
最近毎日のように聞く歌はー
◆忌野清志郎『世の中が悪くなっていく』はー「ここ」
◆井上陽水『青空ひとりきり』はー「ここ」・・ここは洞爺湖ではないんだべか?
◆山崎ハコ『さよならの鐘』はー「ここ」

検察や裁判所が暴走し、発狂してゆく理由とは?

2011年09月28日 | 物語
検察や裁判所が暴走し、発狂してゆく理由について考察したブログ記事『不当判決を出す裁判所の問題点:「人質司法」「判検交流」「人事制度」』はー「ここ」

社民党以外の政党が、小沢氏の国会への証人喚問要求と元秘書石川衆院議員辞任を衆議院に提出という。
まったくなんというふざけた政党や政治家どもばかりなのだろうか。
↓にアップした江川詔子さんの言うように、この事件は証拠がゼロの限りなく冤罪に近い事件であり、この事件を認めることは、時代に逆行した検察とその下請け機関に堕落した裁判所のファシズムに迎合する政党・政治屋ばかりというしかない。マスゴミはとっくに彼らの翼賛宣伝部門という糞まみれ状態だが・・
そのような政党や政治屋やマスゴミたちは、今後一切民主主義や法律について語るな!と言いたい。

《江川詔子さんのブログ記事からー
小沢秘書裁判の結果を受けて。
裁判所の大胆で強気な判断の連続に、判決を聞いていて驚きを禁じ得なかった。

実際に報告書を作成した石川知裕、池田光智両被告は有罪とされることは十分ありうる、と思っていた。この事件は、お金の出入りについて、政治資金収支報告書に記載すべきかどうか、いつ記載すべきかが、本来は最大の争点だった。なので、実際に支出があった年に報告しなかったり、小沢一郎氏の他の政治団体など身内間の金の融通についても逐一報告しなければ違法、と判断すれば、有罪になる。

なので、主文言い渡しの際、2人が有罪となったことについては(求刑通りという厳しさには「おっ」と思ったが)、特に驚いたわけではない。驚いたのは、判決理由と、陸山会事件で大久保隆規被告も有罪とした点だった。  

東京地裁は、6月に証拠採否の決定で、検察側主張を支える供述調書の多くを退けた。自ら証拠を排除しておいて、判決ではそれを「当然…したはずである」「…と推認できる」など、推測や価値観で補い、次々に検察側の主張を認めていった。しかも、その論理展開は大胆に飛躍する。

たとえば、大久保被告の関与。同被告が政治資金報告書の作成に関与していないことは争いがない。しかも、石川、池田両被告が「報告書原案を大久保被告に見せて了承を得た」とする検察側主張を、裁判所は判決で退けている。

にも関わらず、石川被告から土地の登記の日をずらすよう不動産会社と交渉して欲しいと頼まれたことで、小沢氏が建て替えた4億円を隠蔽することについてまで、大久保・石川両被告人は「意思を通じ合った」と決めつけた。さらに、それから半年後の報告書に虚偽を記載する共謀までできあがったと認定。そのうえ、石川被告から後任の池田被告に事務に関する引き継ぎをもって、「石川を通じて池田とも意思を通じ合った」と断定した。そんな証拠はどこにあるのだろうか。

法廷で明らかになったことは全く逆の事実だった。石川被告が自身の選挙の準備で忙しく、丁寧な引き継ぎを行わなかったうえ、この2人の関係は疎遠だった。池田被告は厳しい石川被告を恐れ、満足に問い合わせもできずにいた。そのため、報告書に記載された金についての認識も、両者で食い違う。

にも関わらず、石川被告を媒介に大久保被告と結びつけられたうえ、判決でいきなり「大久保に報告するのが自然である」と認定された池田被告は、よほど驚いたのか、目をぱちくりさせていた。

いくら「名ばかり」といえども、会計責任者になっている以上、石川、池田両被告人の行為が違法と判断されれば、大久保被告の道義的、あるいは政治的な責任が問われるのは当然だろう。しかし、だからといって刑事裁判において、裁判官の価値観と推測によって、かくも安易に共謀を認定し、刑事責任を負わせるというのは、あまりに荒っぽく、危険に思えてならない。

犯罪の実行に直接関与せず、それについての相談にも乗らず、謀議もなく、事後にも何の報告も受けず、犯罪の存在すら知らずにいても、共謀が成立して有罪となるのでは、企業などでは部下の犯罪は知らずにいても上司の罪となりうる。これでは、郵便不正事件で、係長が行った公的文書の偽造を上司の村木厚子さん(当時課長)は知らないはずがない…という思い込みから出発した(と考えられる)大阪地検特捜部の発想や判断と同じではないのか。

水谷建設から石川被告への5000万円の授受も、目撃者も裏付け証拠もないまま、同社関係者の証言だけで、「あった」と断定した。これなら、複数の仲間が一定の意図の下に「金を渡した」というストーリーに基づいて話を合わせれば、それが事実ということになり、いくらでも事件が作れてしまう。石川被告に5000万円を「渡した」とする証人は1人だけで、しかも、その証言に疑問を投げかける別の証人も2人いた。にも関わらず、「渡した」と決めつけるのは、被害者の訴えだけで逮捕されたり有罪判決を受けたりする痴漢冤罪事件と同じ構図に見えてならない。  冤罪を防ぐために、昨今は痴漢事件でも、手に付着した下着の繊維片などの裏付け証拠が重視されるようになってきた。今回の判決は、こうした証拠重視の時代の流れに逆行していると言わざるをえない。

もう1つ気になったのは、裁判所が、肝心の政治資金収支報告書の記載について淡々と証拠と法律に基づいて判断するのではなく、「政治とカネ」問題を断罪することに並々ならぬ熱意を注いでいたことだ。

そもそも本件、つまり政治資金の虚偽記載に関して、水谷建設からのヤミ献金の有無は直接関係がない。なぜなら、検察側の主張するヤミ献金の受け渡しは、土地購入のために小沢氏が4億円を立て替えた後の出来事で、この4億円に問題とされた水谷マネーは入りようがないからだ。なので、小沢氏を起訴した検察官役の指定弁護士は、この問題を争点から外している。

ところが、秘書3人の事件では、検察側は「動機もしくは背景事情」として、このヤミ献金疑惑の立証にもっとも力を入れた。そして、裁判所もそれを許した。裁判を傍聴していても、これはいったい何の事件だったのか、ヤミ献金事件、もしくは収賄事件の裁判ではないかと錯覚しそうになったほどだ。

そして迎えた判決も、この点に多くが割かれ、読み上げる登石郁朗裁判長の声にももっとも熱が込められていた。やはり、これは収賄事件の判決ではないかと思うほどであった。そして、すでに閉廷予定時刻の5時が迫っているのに、量刑の理由を読み上げる前に、わざわざ10分間の休廷をはさみ、一気呵成に「小沢事務所と企業の癒着」を論難した。

その口調からは、裁判所が「政治とカネ」の問題を成敗してやる、という、ある種の「正義感」がびんびんと伝わってきた。そこに、我々が社会の不正を正してやる、という特捜検察の「正義感」と相通じるものを感じて、私は強い違和感を覚えた。この種の「正義感」は「独善」につながることを、一連の特捜検察の問題がよく示しているのではなかったか。

証拠改ざん・隠蔽事件で大阪地検特捜部の検事三人が逮捕されて一年。検察の独自捜査の問題点が少しずつあぶり出され、検察自身も改革を進めつつある。せっかく取り調べの可視化や客観証拠を重視することで冤罪をなくしていこうという機運が高まってきたのに、こういう判決は「マスコミを活用した雰囲気作りさえできていれば、薄っぺらな状況証拠しかなくても、特捜部の捜査は有罪認定する」という誤ったメッセージにならないかと危惧する。

刑事司法の問題はすなわち裁判所の問題だ。検察が無理をしても調書を作るのは、裁判所がそれを安易に採用し、信用するからだ。しかし、郵便不正事件以降、裁判所も検察を過信するのを控えるようになってきたのではないか、という期待もあった。ところが、それはあまりに甘い見方だったようだ。

今、もっとも改革が必要なのは、裁判所かもしれない。(9月27日の朝刊に掲載された共同通信配信の原稿に、大幅加筆しました)



日本亡国の最終兵器前原政権の「日中戦争」まであともう一歩

2011年09月28日 | 政治
民主党野田・前原・管一派現政権の高等戦略に日本人はなす術がなかった。
鳩山よりはましだろうと管に期待し、管よりはましだろうとさらに言ってる事が無茶苦茶(増税、原発推進、TPP賛成)の野田に期待する日本人すらまだいる。
野田の正体は今年中にバレバレとなり、野田よりは前原の方がましだというマスゴミ報道が近いうちに現れることだろう。

その理由の第一は、鳩山小沢体制での公約をすべて廃棄した・・正当に選ばれたのではない羊頭狗肉クーデター内閣(今回の代表選もNHKの嘘報道がなかったらたぶん逆転)である上に、小沢氏秘書冤罪事件という平成の「大逆事件」によって、一握りの検察幹部(裁判所は彼らの下請け)が証拠も自供もなく、次期総理候補すらも冤罪にすることができるという恐るべきファシズム国家を完成させてしまった。

その理由の第二は、「後世に負担を負わせない」「東北復興のため」「原発は安全」という増税やTPPや原発推進がまるで嘘八百である点だ。
「後世に負担を負わせない」というのが本当なら、まず真っ先に、核兵器以上に制御不能で核燃料廃棄物の安全な処理法や置き場もない原発をこそ廃止すべきだ。

後世のために早急に必要なのは、増税よりも税的負担減による購買力の回復(買いたくてもお金が無いという需給アンバランスが約50兆円)だ。

この国を十数年間もの間、デフレ不況で日本経済を破壊し、GDPを縮小させ続けてきた財務省(権力が集中しすぎた天下り官庁の雄)や日銀(明治期ロスチャイルドによって作られた株式会社)を変えることが不可能というなら・・

彼らの権力の源の予算編成権(税での富の再配分や大型公共投資をサボタージュ)や紙幣発行券権(米国はリーマンショック後にドルを三倍も増刷)を政治主導でコントロールしなければいよいよ日本崩壊になってしまう。
税に関する警察機能を持つ国税庁もまた、政治家のコントロールが効くように省へと昇格させて大臣を置くべきだ。

◆痛快だったイラン大統領の国連総会での演説『イラン大統領:日本に原爆を落とした国がどのツラ下げて!(よくぞ言ってくれた!)』はー「ここ」