ここまでの間に北山公園の花菖蒲も通り過ぎてきましたが,このアオイはまた格別な可憐さを見せてくれていました。
結局,このアオイが何という名前なのかはわかりませんでしたが,古の戦場の中に美しく咲いた彼女に,しばらく目を奪われていた私です

<本日の一句>
古の猛者慰めし葵かな ぴえる

「すいません,私の咲けるところはありませんか?」
「こっちにはキミの咲けるところなんかないよ。あっちにいきな。」
咲き乱れるサツキの花々。
咲き遅れた一つの花の
やっと見つけた「咲ける場所」は端っこでした。
でもいいや。
端っこでも,この場所で,
誰にも咲けないように咲ければいいさ。
<本日の一句>
路の皐月ぎゆうぎゆうぎゆうと咲きにけり ぴえる
以前お話ししました我が家のミズナですが,持っていたエネルギーを全て使い果たし,とうとう「生物」から「物質」へと変貌を遂げました…
かつて青々と茂り,
全盛期には黄色い可憐な花で
私の目を楽しませてくれたミズナは,
こうして灰褐色のオブジェと化しましたが,
しかしその胎内には,
次なる世代への子供たちが
仮死のまま,今か今かと生を待ち続けています。
殻がはじけて飛び出した種たちが,
いつか私の視覚と味覚を楽しませてくれる…
そんな日がまた来れば,
この世に生を受けているという幸せを,
私自身,もっと感じ取れるのかもしれません。
桜の季節が終わり,ツツジが今咲かんと準備しつつある中,その合間を狙ったかのように,近所の街路ではハナミズキが華やかに咲いていました。
(以前,「赤い実」と題して当ブログに載せたのは,ハナミズキの実でした。)
あらためて調べてみると,この花のように見える部分は総苞(つぼみを包んでいた葉)で,花は中央に見えるオシベとかメシベみたいなほんのちっちゃな部分のようです。
ハナミズキは,大正期に東京市がアメリカにソメイヨシノを贈ったお返しとして日本に入ってきたという逸話があるようですね。
たしかに,桜に似たような外観の街路樹という意味では,ハナミズキを返してきたアメリカ人の気持ちもわかるような気がしますね。
それが転じたのか,花言葉は「返礼」だそうです。
<本日の一句>
葉桜に取つて代われり花水木 ぴえる
柏餅,こいのぼり,五月人形,背比べ…
こどもの日の昔ながらの風習で,未だに我が家で関係しているのはもはや柏餅くらいかもしれません…
子供の頃は,ヒマさえあれば柱に自分の成長ぶりを刻んでいた記憶がありますが,さすがにこの歳では背丈を測る気にはなりませんね
今夜9時のNHKニュースで,「のっぽさん」こと高見映さんが出演し,のっぽさん流の子供たちとの接し方について語っていました。
一般に我々が子供たちと接する際には,どうしても子供たちを見下してしまう嫌いがありますが,高見さんは常に子供たちを対等の相手として接しているみたいです。
「自分が子供たちに合わせるという余裕なんてなく,子供たちと接する時は常に全力です」と語る高見さんのトークに不思議な魅力を感じつつテレビを見ていました。
そのトークになんとなく,幼いころ自分が「できるかな」でのっぽさんに釘付けになっていた理由がわかったような気がします。
71歳という高齢を感じさせずに現在も精力的に活躍中の高見映さん。
我々の記憶の中では,あなたはいつまでも伝説の錬金術師です
<本日の一句>
できるかな端午に偲ぶ不思議かな ぴえる
連日の残業の中,4月の新体制になって初めての公式飲み会。
というより,新体制の歓迎会でした。
久しぶりに心地よく飲みましたが,まだ週も半ばで明日もあり,2次会は行かずに帰ることにしました。
しかし,帰り道に誘惑が…
ゲームセンターのキャッチャーマシーンに,穴に落ちそうな巨大コリラックマがいらっしゃるではありませんかっ!!
無意識のうちに硬貨を投入。
500円でなんとか体長30cm程度の巨大寝袋クマをゲットしました
寝袋をとると,ちゃんとすっぴんなコリラックマが現れる優れものです。
このクマのように,睡眠をむさぼりたい今日この頃です…